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I think; therefore I am!
by 酒匂貴市, Kiichi Sako
リヴィウス(Titus Livius)
ローマ アウグストゥス時代
ティトゥス・リヴィウス。
B.C.59年 パドゥア Paduaに生まれた。
アウグストゥス Augustusの保護下、「ローマ建国史 Ab Urbe Condita」142巻の著述に生涯を費やす。
しかし、これは現在すでに散逸しており、35巻が残るのみである。
alias,ティトゥス・リヴィウス リウィウス
李広(りこう)
中国 前漢
先祖に、秦の始皇帝時代の将軍李信がいる。
衛青・霍去病以前の、漢の対匈奴戦で主要な役割を果たした。
史記に独立した列伝を立てられた勇将であり、弓の名手で、部下をよく愛した。
30年近く辺境を転戦して何度も匈奴軍を破り、匈奴に"漢の飛将軍"として恐れられた。
しかし、武帝が即位して、匈奴に対して漢が攻勢に出るようになると、李広はあまり勝利できなくなった。
ここのあたりの事情は 史 総合 漢対匈奴 に詳しく記している。
B.C.119年の衛青・霍去病が指揮した最後の攻勢のとき、度重なる屈辱と侮辱に耐えかね、李広は自ら首を刎ねて果てた。
詳細は 漢文 史記 李将軍列伝第四十九 李広の最期を参照されたし。
その人柄の良さは皆に尊敬されていたので、老若男女を問わずその死を悲しんだという。
司馬遷は李広を評すに「桃李言わざれど下自ら蹊を成す」という言葉を用いた。
(参考:漢文 史記 李将軍列伝第四十九 太史公曰く-桃李言わざれど 下自ら蹊を成す-)
ちなみに、彼の孫に李陵がいる。
参考:
史 総合 漢対匈奴
漢文 史記 李将軍列伝第四十九 李広の最期
漢文 史記 李将軍列伝第四十九 太史公曰く-桃李言わざれど 下自ら蹊を成す-
alias,李将軍
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