★有洛陽人蘇秦。游説秦恵王、不用。
らくようのひとそしんといふものあり。しんのけいおうにゆうぜいして、もちゐられず。
他国出身であった商鞅は、秦の孝公のときに宰相であったが、孝公の死後に車裂きの刑に処された(BC338)。
それゆえ恵王はそれに懲り、他国から来た蘇秦を用いる気はなかったであろうと推測されている。
★乃往説燕文侯、与趙従親。燕資之、以至趙。
すなはちゆきてえんのぶんこうにとき、ちょうとしょうしんせしめんとす。えんこれにしし、もってちょうにいたらしむ。
あっさりと書かれているが、この間蘇秦はかなりの苦労をしている。
「従親」とは南北に同盟すること。「従」がいわゆる「縦」である。(下図)

戦国七雄略図
★説粛侯曰、
「諸侯之卒、十倍於秦。并力西向、秦必破矣。為大王計、莫若六国従親以擯秦。」
しゅくこうにときていはく、「しょこうのそつ、しんにじゅうばいす。
ちからをあはせてにしにむかはば、しんかならずやぶれん。
だいおうのためにはかるに、りっこくしょうしんしてもってしんをしりぞくるにしくはなし。」と。
「卒」は兵のこと。
「矣」は置き字で、ここでは強意をあらわす。
「莫レ若二〜一」は比較の表現で、英語で言うところの最大級をあらわし、
「勝るものはない」などのように訳す。
★粛侯乃資之、以約諸侯。蘇秦以鄙諺説諸侯曰、「寧為鶏口、無為牛後。」
しゅくこうすなはちこれにしし、もってしょこうをやくせしむ。
そしんひげんをもってしょこうにときていはく、
「むしろけいこうとなるともぎゅうごとなることなかれ。」と。
「鄙諺」の「鄙」は辺鄙(へんぴ)の鄙であり田舎を表す。
田舎でも使われているぐらい世間によく言われていることわざ、ということ。
「寧ロAスルトモ、B」
は「たとえAしても、B」と言う意味。
「鶏口」はニワトリの口で、小さい組織のトップをあらわす。
「牛後」は牛の尻尾とも尻ともいわれ、いずれにせよ大きい組織の下働きをあらわす。
秦に従属するより、たとえ小国でも独立を保て、と言っているのである。
★於是、六国従合。
ここにおいて、りっこくしょうごうす。
「於是」は、そこで・こうして、などの意をあらわす。
六カ国の合従が成立したのがB.C.336年である。