/蟻さんと蟻さんとごっつんこ/マジで恐るべしだよNSUG様パッケージ(Intel版)!/やっぱり手放せないヨPowerEdge〜/namazuの穴/namazu-2.0.6、NSUGパッケージを使った設定/zipファイルと開かずのフォルダの謎/グズ野郎はぐた〜が正解/Apacheにやられたか?!突然の文字化け/あれ書いてない?無線LAN赤帽でPCIモードが動いた!/CD-ROM騒動/夫の悩みとすごいぞAstecX!/SS10でプログラミングの勉強/suコマンドで環境をひきつぐ/cgiのフォルダはひとつ/SolarisでHDD増設/PowerEdgeサーバへ復帰/root馬鹿一代/フルパス馬鹿一代/makeとgmake/Javaアプレット勉強帳/ネットワークインストールの後始末/Solaris8のネットワークインストール(Intel-to-Intel)/全文検索システム構築/SWATに初対面!/WebDAV On Solaris8(失敗)/キーボードを甘く見るな!/モニタレス騒動(2)ひょーたんから対話/モニタレス騒動(1)小心者が馬鹿を見る/Solaris on PowerEdge1300/こんな簡単だったの,Solarisのセットアップ/Win-Linuxデータ転送の謎/ねすけ into MLD /今頃知ったよkinput2の秘密(別に秘密でない)/勇気ある撤退:MLDに乗り換える/赤帽7の怪(2)できないと思っていたけどやっぱりできたじゃんと思っていたことがやっぱりできない?!/赤帽7の怪(1)できたはずのことができない?!/無線LAN:まだやってるヤツ/三段畑を切り開く(2)主婦にやさしいTurboインストーラ/三段畑を切り開く(1)相変わらずの問題急変/gEditで日本語入力のコツ?/
PostgreSQLのJDBCドライバpostgres.jarは、PostgreSQLのソースファイルをコンパイルしながらじゃないと作れないらしい。./configureのときに--with-javaというオプションをつけることによりそれはなされる。だがやってみるとAntがバージョン古いのでダメですと言われた。
「そんなはずはない」
Antはかなり最新の1.5.2を入れてあるし、環境設定ファイル.profileにも
ANT_HOME=$HOME/ant152
と書いてあるのだ。だがどうやら./configureはSolaris9に標準で入ってるAnt1.4.1を読んで古いと言っているらしいのだ。
いったいその判断はどこで下されているのか?
PostgreSQLのソースフォルダにあるconfigureファイルを開けて見てみると、
# Check whether --with-java or --without-java was given.
if test "${with_java+set}" = set; then
withval="$with_java"
case $withval in
yes)
echo "$as_me:$LINENO: result: yes" >&5
echo "${ECHO_T}yes" >&6
for ac_prog in jakarta-ant ant ant.sh ant.bat
do
# Extract the first word of "$ac_prog", so it can be a program name
with args.
......
どーやらファイルを検索してjakarta-antかantかant.shかant.batという名前のファイルが見つかり次第そいつを使え、と言っているように読める。
環境変数$ANT_HOMEを探せとは言っていない。とすると、ファイル検索のよりどころと言えば・・・$PATHのほうだ!
なるほど。ホームディレクトリの.profileを見てみた。PATH=....と羅列しているパスの順番は、古蟻のある/usr/sfw/binが、新しい蟻を導入したときにつけた$HOME/ant152/binよりずっと先のほうにあった。
この順番を変えて、./configureを再度かますと、今度は新しい蟻が捕まり無事にコンパイルされた!
コマンドサーチパスの順番というのは、結構おろそかにできないものだなあと実感した。けどせっかくできたJDBCドライバだけどプログラム作ってみたら日本語がどーにも文字バケバケでまだ使えてませーん。
2003年04月14日
下の話を遅ればせながら書いたのは実はこっちの話に関係あるからだ。つまり最近Bladeが不具合したりなんだりした関係で、PowerEdgeに再び、Intel版ソルッパチを入れた。
うちではIntel版は06/00と04/01がある。だが04/01では、旧版ではふつうにコンパイルできたはずのPostgreSQLが./configureの段階でエラーを出したりした。それでほとんど使わないでいたのだが・・・
のに子もずいぶんソフトウェアのインストールでは鍛えられてきた。./configureのエラーをshではなくbashを明示的に用いることで回避できてきたりもしている。今ののに子ならうまく行くのではないか、よしやってみよう・・・と、今度のIntel版は04/01版にした。だがそのうちもっと楽しいことを思いついた。
NSUG様が2001年にお出しになってくださったパッケージCD、Sparc版ではPostgreSQLもMySQLもNamazuもビシバシ入った!動いた!あれ、Intel版ではどうだろう?
以前、なーんかIntel版パッケージはうまく動かないなー、やっぱり微妙にハードウェアの相性とかあるのかなー、などと思ったことがあるが、今考えて見りゃqmailもPostgreSQLも、パッケージの問題ではなくわたしの設定の問題じゃねえか要するにヨという気がしてならない。
かなり決定的じゃないかと思ったのはLD_LIBRARY_PATHに/opt/sfw/libを追加しておいてから、パッケージを導入することである。NSUG様パッケージCDを入れた!回した!インストールを開始した!
PostgreSQLも、MySQLも、Namazuも、Sparc版と全く同様だった。必要な設定さえちゃんとやればサーーーーックリ入って動くヨ〜〜〜!
すごすぎる。このPowerEdgeサーバの再導入は、実はBladeが死んだりUltraが死んだりという悲話の中で行われたものであるが、非常に貴重な収穫だった。これでホントにホントにIntel版しか使えない状態になったとしても怖くないッ!
2002年07月11日
ちょっと前の話である。仕事が忙しくてほとんどWindowsしか使ってる暇のないダンナ様だが、その日は珍しく時間が空いて「やっぱ俺もSolarisさわっとかんとな」と言う。
会社にはSolarisマシンもあって、その管理についてもどんどん頼られ始めて来ているから、うちで少し慣らしておいたほうがよさそうだというのだ。じゃあ自作ATにIntel版を入れよう・・・としたのだが、なんかちゃんとkdmconfigが進まないような?
「どーやるんだっけこれ」
わたしも近頃はSparcばかりセットアップしているので、kdmconfigはスッコーンと忘れている。わたしの目からもなんかエラーがあるように見えた。自作ATはダンナ様がパーツをずいぶん入れ替えており、それでもHCLで互換性はチェック済みなのだが、やはり相性がよくないんだろうか?
「PowerEdgeに入れてみよう」
とわたしは言った。その時点で、PowerEdgeはそれまでのサーバの役目を終えた状態にあった。そろそろ下取りに出すかと隣の部屋に置いてあったそれを部屋に持ち込んでSolarisのインストールディスクを食わせてみる。すると今の自作ATと同じ状態になった。
「ということはエラーではない。このPowerEdgeには何度も、ソルッパチはサクーッと入っている。これでいいはずだわ」
詳しい説明は省くとしてプロセスは言語の選択を要求していた。6のJapaneseを選んだ。するとその後に、我々の期待していた画面が開けた。そーか、これで選ばなきゃいけなかったんだ!・・・あらためて本来の目的のATマシンに。Solaris8はちゃんと入った。
トラブルそのものは単に勘違いっていうか忘れてただけのことだ。書きたいのはやっぱりPowerEdgeは頼りになるってこと・・・自作マシンが多い上にその中身も頻繁に代わりSマップの店員さんに「お客さんこれで何台目ですか」と聞かれるほどの我が家において数少ないベンダー製のこれはなにかにつけて標準になるのだ。
「やっぱり売れない」
無理に毎日使う必要はないじゃないか。取り出しやすいところに置いといて、何かのときにお助けマシンになってくれれば・・・というわけで下取り計画は破棄。あとでダンナ様が通常下取り価格を調べてくれたがこんな素性のいいマシンにしてはかわいそうなくらいの安値で、手放せない感はいっそう強まったのである。
2002年07月11日
Ultraサーバにnamazu-2.0.6を再セットアップした。作業は全てBladeからtelnetを使ってヤル。文書のインデックスを作っていざ検索してみると、日本語キーワードが全然ヒットしない。
なんでー?!namazuのセットアップはもう3回はやってるのに、どーしてできなくなっちゃったのヨ?!
もう慣れたとばかり思いこんでいたのでかなりショック。だが「ムリしないでコンソールから直接やりなおしてみ」とダンナ様に励まされ、そうしてみる。すると、妙なことに気づいた(実は全然妙じゃないらしい)。
Ultraのコンソールで直接、インデックスを作成するmknmzコマンドをかますと、「ファイルを検索しています」「インデックスを書き出しています」と日本語で返事がくる。
ところが、Bladeからtelnetで同じことをやると、「Searching for files...」「Writing index...」とかナントカ、返事が全部英語なのだ。
「Solarisのtelnetをそのまま使うだけじゃ、日本語はサポートされないはずなんだネ、ウン」とダンナ様。
そうして、今回も、コンソールから直接作業することによっては、日本語がちゃんと検索できるインデックスを作成できた。telnetだからダメだったのか?そんなのアリ?・・・同じ症状が報告されていないか、ネットでサーチ。
・・・・みたいな。まんまやないけ?!どこだこれ?!それはまんまと言えばまんますぎるnamazuの公式サイトだった。
namazu-2.0.6からの仕様だという。説明を読むと、telnetだからダメだというのではなく、作業をした環境で日本語がサポートされてなければダメなわけで、telnetでは日本語サポートなどのユーザの環境がそのままでは引き継がれないことが多いというのが、もすこしのに子的に正確を期した解釈で言えば、理由らしい。
だがどっかのクソOSやクソアプリのように「仕様だからダメです、じゃね」ではない。対処法はちゃんと書いてあった。環境設定の方法・・・一番簡単そうなのは、mknmzの引数に、
--indexing-lang=ja
と、明示してやることのようだ。
こうしてやればtelnet自体は依然英語しかしゃべってくれなくても、検索はちゃんとできることがわかった。
2.0.6からの仕様。なるほどな。昔PowerEdgeなどをサーバに、Optiなどからtelnetで作業して問題なかったのは、もっと古いバージョンだったからなのだ。のち、UltraやBladeに入れた2.0.6でも、コンソールからしか作業してなかった。今回初めて2.0.6をリモートから・・・本当に全ての穴に落ちる女だな・・・
2002年03月23日
ここのところサーバ事情がいろいろあって、Ultraから一時BladeになってまたUltraにその役割が戻ったりした。そのたびに、毎日つける家計簿のためのPostgreSQLなどはバックアップしたりリストアしたりしていたが、NamazuはNSUG様のパッケージCDから必要なパッケージをインストールしただけで設定をサボっていた。だが我が家のいろいろな技術記録を検索したいのでちゃんと設定してクレヨ〜との要請がダンナ様からあり、それはのに子にとっては家事なのでちゃんとやることにした。
にしても結構ほっといたからな。必要なパッケージは入っているか?BladeからtelnetでUltraに接続し、lsコマンドなどで必要なファイルを確認する。と書くと聞こえはいいが、実はBladeにもそっくり同じパッケージが入っていて(だがやっぱり設定してない)それはGUIでグイグイ見れるのでそれと見比べながらやってお気楽だ。
「ウルトラサーバ道場」に間違った表記をしてしまったがそれはのに子がちゃんと見ていなかったからだ。namazu検索システムに必要なパッケージはNSUG様のパッケージCDに全部入っている。具体的には、namazu、kakachiは/opt/NSUGの中をいろいろつついてみてそれらしき名前のフォルダがあれば入ってるってこと(パッケージだからラクチン)。readlineは10/01バージョンではCompanionCDに入っている。加えて
NKF: /usr/perl5/site_perl/5.005/sun4-solaris/NKF.pm
Text-Kakasi: /usr/perl5/site_perl/5.005/sun4-solaris/Text/Kakasi.pm
Flie::MMagic: /usr/perl5/site_perl/5.005/File/MMagic.pm
が見つかればオッケーなはずだ。
確かめたので、設定に入る。NSUG様CDからインストールすると、namazurc, mknmzrcファイルは /opt/NSUG/etc/namazuの中にある。
namazurcのindex及びtemplateのパスの指定がそれぞれ/usr/local/...になっているのを/opt/NSUG/...に直す。でもこの部分の表記は実はイゲタがついている。つまり有効でないはずなのだ。わざわざイゲタをとって使っているがもしかするととにかくイゲタつけたままにしておけば自動で探してくれるのかも知れないのかな???
あと、日本語をサポートするかどーかという
# Lang ja
の、これはイゲタを取る。
次は、/opt/NSUG/share/namazu/template/*を/opt/NSUG/var/namazu/index/にコピーする(これもどうやら「ウルトラサーバ道場」に書いた当時は勘違いをしていたようだ)。
そのindex/の下に、たとえばnoniwebという名前で空のフォルダを作る。これはのちに、namazuで検索されるべき文書が入っているフォルダと、一意に関連づけられる。
それを関連づけるのが以下のコマンドっていうか長いのでスクリプトファイルにしたものだ。
#!/bin/sh
cd /opt/NSUG/var/namazu/index/noniweb
mknmz -a --replace='s#/var/apache/htdocs/#http://(サーバのアドレス)/#' \
/var/apache/htdocs/noniweb \
--indexing-lang=ja
これはつまり、今作った当初は空の/opt/NSUG/var/namazu/index/noniwebディレクトリ上で、mknmzコマンドを以下の様式でかますというものだ。その様式とは、
/var/apache/htdocs/noniweb/
の中のファイルを検索して、
たとえばnonifile.htmlというファイルがヒットしたら、それを検出結果に
http://(サーバのアドレス)/noniweb/nonifile.html
と表記してリンク出してやれ、ということのようだ。
最後 --indexing-lang=ja は、検索するのは日本語だヨ、ということ。実はこれが大変重要だ!その理由は上を御覧ください。
2002年05月08日
Solarisを使って以来ファイルをダウンロードしてくることが多くなったが、zip形式のファイルというのがどうもよくわからない。
最初はzip形式というのはWindows用で、UNIX用はグズ野郎、と区別してきた。だがそうでもないらしい。
というのもSolaris用おすすめパッチまとめてインストーラは.zipという拡張子がついていた。これはunzipコマンドで簡単に解凍できた。
あるいはもっとダサい方法としてはこのファイルを右クリックするとUnzipというメニューがあって、これを選ぶと実行ウィンドウが立ち上がって、そのままずーとリターンキーを押しっぱなしにするというのもある。
あるファイルをダウンロードして使おうとしたときの話だ。.zip形式のものだったが、よくわからないので上のダサダサな方法を試してみた。何のエラーメッセージもなかった。そうして新しいフォルダができている。開けてみるとちゃんとファイルもある。
ではrootになってコンソールからこのファイルを他の場所にコピーしようとすると、
「ファイルが開けません。アクセス権がありません」
は?
書き込みのアクセス権を得るためにrootになったのに、読み込めないってどういうことよ?・・・とファイルマネージャ のウィンドウを見てみると奇妙なことになっていた。
zipファイルを解凍してできたそのフォルダに、鍵がかかっていたのである。
「属性」で「アクセス権」を見るとnonikoのものになっているし、無論すべての者に、r権くらいは与えられている。しかも今俺はrootだぞ!
奇妙なのは「アクセス権リスト」というのにMaskで名前が*******で権利がr,というものがついている・・・
?
もちろんフォルダをつついてもなにをしても、貝のようにクチを閉ざすそのフォルダ。けど、さっきnonikoで開けて中を 調べたんだぞ?!
・・・仕方ないので消そうとする。消せるのか?唯一の手はこれだった。 suでrootに上がって
#rm -r フォルダ名
#は怒りの印にも似ている。読めないフォルダを、消すことだけはできた・・・
不思議に思ったので、同じftpサイトからバージョンの違う同じような.zip形式のファイルをダウンロードしてきて、同様に解凍。できたばかりのファイルには何のマークもない。だがそこで一度開けてみる。するとその瞬間フォルダに鍵が。
これは一体どういうことなのか。
同じファイルをWindows上で解凍すると何の問題もない。ということはWindows用のものをSolarisでムリに解凍したからこういうことになったんだろうけれど、詳しい仕組みはわからない。謎だ!
2002年03月23日
gunzip -c *****.tar.gz | tar xf -
tar:ディレクトリの検査合計エラーです。
「またかヨ〜」
という日が続いた。
「SolarisでLinuxのようにtar zvxf ******.tar.gzとやるとxがオプションにないと言われてエラーになるし、これはzip形式ではないとか言われることもある」
と考え、「Solarisの専門記事を見ているとみんなgunzip -c *****.tar.gz | tar xf -とやっているようだから」それをやることにし、|以下のコマンドを忘れてEnterしたとたんコンソールに暴走的にいろいろ表示されピーピーとかいわれて泣きを見たりもしてきた。そうして最近是非とも解凍したいツールがどーにも解凍できないという状況に見舞われたときにハッと気づいた。
このtarはGNU tarでないのではないか?
Solarisを使い初めてもう2年になろうとしている。この前makeとgmakeの違いを知った。ついきのうおとといはSunccとgccであれだけ苦労している。なぜtarとGNUtarの違いに思いつかないのか。
不思議なヤツである。
だが思いついたので、/opt/sfw/binを探してみた。tarはない。
そこでファイル検索をしてみる。
それは失敗だった。tarを含むファイルとして、startとかtargetとかStarFireとか言うのまで大量にひっかかってき
た・・・だが最終的に見つかったのは/opt/sfw/bin/gtarだった。
・・・
makeとgmakeからなぜ連想できないんだ・・・
まあいい。ではやってみよう。
gtar zvxf ******.tar.gz
・・・うそのようにLinuxのときのように解凍された。なーるほどね。こういうことだったのか。これからグズ野郎はた〜ではなく、ぐた〜してやることにしましょう。
2002年03月23日
ある日、急に、BladeからUltraサーバに接続して見ていた自作家計簿Webアプリのトップページが文字化けした。一度別の場所に動いて戻ったら化けたのだ。
この症状は・・・知ってるぞ。落ち着いてDynabookからIEでアクセスしてみた。ホラなんともない。やはり文字化けエラーは最近のApacheとねすけで起きる、/var/apache/htdocs/サブディレクトリ/index.htmlに対するあれだ。
それにしても、今の今までなんでもなかったのになぜ?!・・・とにかくindex.htmlはもうヤだ。他にサブディレクトリに作ったトップページでも、portal.cgiという名前のヤツは全く問題ないようだ。とすればこのhtmlファイルも、toppage.cgiとか言う名前でPerlのcgiスクリプトに書き換えちゃえー。
まあめんどくさい地道な作業だった。リンク全部張り直しだし。だがとにかくできた。やれやれである。おかげでまたBladeから家計簿トップページにアクセスできた。
2002年03月07日
書くの忘れてたかな〜。実は先々月の話なんですよ。
話題のMelcoの無線LAN、デスクトップのPCIスロットにアダプタWLI-PCI-OPを挿し、それにカードWLI-PCMを挿して使うシステムは、WindowsではPower-Edge以外は容易に動作するが、Linuxでは使えないでいました。
それが、赤帽が7.2になって、かつコンピュータ間通信ではなくアクセスポイントを導入したことにより、とうとう動作しました。
設定は全く簡単。デバイスは自動的に認識される。あとはwireless.optsファイルを開いて・・・
ステーション名、ESSIDは、他に無線LANを使うWindowsクライアントで「クライアントマネージャ」を使って調べることができる(ESSIDはデフォルトではどのクライアントにも共通、このままの使用はちとセキュリティに懸念あるが・・・)。これらを記入。以前いじっていたconfig.optsには、手をつける必要なし。
これで、pingを打ってみて初めて、他のマシンから応答が帰ってきたときは、いやうれしかったですネ。新しいバージョンのOSと便利なデバイスを使用したってだけで、わたしが何か工夫をしたわけでは全然ないんだけど。
ちなみに、Turbo7ではダメでした。UNIX USERの記事「オフィシャルFAQ」に従って、Melcoのカードの誤認識を修正する措置も執ったんですが。
でも、今はBladeの導入にあたって、デスクトップでもノートでもLinux使ってないんで、あの感動はちと薄れている・・・
2002年02月12日
Solaris使ってると、CD-ROMが読み込めないトラブルがあるってこと、ないすか?! Intel版でも、Bladeでさえ!
全く読み込んでくれない場合、イジェクトボタンを押せばメディアは出てくるし、リブートすれば読めるようになる場合もある。これはまだマシ。
ヤバいのはシステムがメディアを読もうと永遠の戦いを始めるときだ。さっさとあきらめてくれればいいのに、コンソールにエラーメッセージを延々と吐き散らしながら、アクセスランプ付きっぱなし・・・
この前ServerのPowerEdgeでそれをやられた。そもそもの原因はBledeでCD-ROMを読み込んでくれなかったからだ。代わりにPowerEdgeで・・・無事、読み込むまでは行ったが、「コピー」をGUIで行ったところファイルマネージャウィンドウが凍り付き、CD-ROMは取り出せねーわアクセスランプは消えねーわログアウトはできねーわの騒ぎに・・・BladeからリモートログインしてPowerEdgeをリブートしたが、CD-ROMアクセスランプ点灯のまま、起動画面が途中で真っ白に・・・
泣くかと思った。だが気の遠くなるような時間(数分間だっての)待たせたあと、起動システムは「CD-ROMが読み込みませんエラー」を、何行もゲロゲロゲロと吐き出し、なんとか起動した。立ち上がったCDEではリムーバブルマネージャが自動で立ち上がり、ちゃんと身仕舞いして取り出すことができた。
参った参った。ちなみにCD-ROMはあれだね。これに関するウィンドウが他にひとつでも立ち上がってると、デバイスは使用中ですと言って取り出されてくれないね。デスクトップのウィンドウを全部閉じてからリムーバブルマネージャを一個だけ新たに立ち上げなおしてから取り出すがよろしいようだ。
素人くさすぎる。でもCD-ROMドライブをコンソールからマウントしたりイジェクトしたりする方法、AnswerBookで調べたけど見つからなかったヨ。
2002年02月12日
のに子が一日に数時間UltraSparcなどにドリドリドリブンされる時間があるのに対し、夫のんのんは毎日帰りが遅く、ゆっくりのんのん専用マシンKayakにさわるひまもない。ひさしぶりの連休、Kayakでプログラミング環境を整えようかと、XEmacsのインストールなどをしようとしたが、ふと考えてしまったらしい。
「デスクトップクライアントが多すぎる割に、サーバが働いてない・・・」
のんのんによると、せっかくのUNIXサーバだが、ファイルストレージとせいぜいがとこWebDBくらいしか提供してない。今のようにのに子がBlade,のんのんがKayakでプログラミングなどしている間は、サーバはほとんど仕事をしていないことになる。
「にもかかわらず、クライアントが増えるたびにそれにXEmacsなどをポチポチ入れなければならないのなら、Windowsと変わらないじゃないか」
確かにそうである。解決法として第一には・・・
「俺は仕事上どうしてもWindowsを使うからな。いつもはWindowsを使って、必要なときだけPowerEdgeのXにアクセスしてこれをかっぱらえないだろうか?PowerEdgeにはのに子がXEmacsとか入れてあるから、それを直接使えないだろうか?」
ということだった。要するにXクライアントツールだ。のんのんはそれを探し始める。いくつかフリーウェアもあることはあるが、日本語のサポートがどうも心もとないという。
そこで、あれを試してみた。AstecX。UNIX USER の裏表紙にいつも広告が載っていて、確かに便利そうだが値段を見るとクソたけえ!といつも思っていたあれだ。のんのんはネットでお試し版を落としてきたらしい。ふと見ると、あれ、今度はどのマシンにSolarisを入れたのかな、と思った・・・
違ったのだ。それはお試し版AstecXで、WindowsNTからPowerEdgeのXをかっぱらってきた画面だったのだ。XEmacsも立ち上がる・・・
Bladeに接続してみる。あのForteをリモートデスクトップ上で動かしてみた。Forte自体相当重たいことを考えると。ほとんどストレスはないと言ってよい!
わたしはアステック・プロダクツ(株)さんに陳謝したい。この性能なら、この値段も当然、いやむしろ安いくらいだ・・・買うことにした。 くわしい技術報告は、あとでのんのんに書いてもらおう。
2002年01月10日
せっかく中も外もきれいにしたSunの前世代WorkStation,SS10。使ってあげたい。そこでJavaの勉強を始めたのでそれに使うことにした。プログラミングならわたしの程度では、処理速度が問題になるようなものは到底書けないし、実行するより考えてる時間のほうがずっと長い。ソル七のCDEでデスクトップを紫色っぽくカスタマイズして、XEmacs-20.4で編集という生活を始める。
確かに・・・時間はかかる。たかだか5の階乗とか求めるソースをjavacするだけでCPU使用率は一気にレッドゾーンに達し、数十秒沈黙したあと、
「 } がありません」と答えてくる。同じことをOptiplexでやればすぐにケケケと好きなだけエラーメッセージを吐き出してくるのだが・・・
しかし、凍ったことはないSS10。当時の標準ブラウザHotJavaなど立ち上げた日には、意図的に空白にしてあるブランクページを立ち上げるのにもかかわらずしばらくCDE全体がすべての活動を停止したように見える。だが待っていれば必ず、数十秒から1,2分後にはヨロヨロとブラウズ画面が立ち上がり、他コンソールの入力受付も再開され、真っ背景色のままだったファイルマネージャのウィンドウにもフォルダやファイルのアイコンが再び顔を出す。「もーだめだこれ死んだ」と強制リセットをかましたことはここ1,2週間ほぼ毎日のように使っていて、一度もない。なんかワークステーションとパソコンの違いを実感する今日このごろだ。もっともHotJavaでこの騒ぎだから、ブラウザを必要とするJavaアプレットはちょっとこれでは無理だな。スタンドアロンアプリばかり練習している。
2001年12月23日
とにかくヒラユーザでログインしてsuコマンドで成り上がることが今熱い。だがsuで上がると全然パスが通じてくれないこと、アリマセンカー?
もちろん、知っている人はみんな知っていることですが、わたくしは初めて知りました。そのユーザの環境も一緒に引き継ぐためには
su -
とやればいいんですネ。うん。それだけ。
2001年12月8日
ユーザnonikoでログインする生活が始まったが、そうなるとWebページもユーザnonikoのホームで作りたいと思った。Apacheの場合ユーザのサイトはホームディレクトリのpublic_htmlフォルダに作れる・・・だがcgiは?/public_html/cgi-bin/というフォルダを自分で作って入れてみたけどダメでしたね。このダメは「実行権なし」というメッセージで現れる。かなり予期してはいたことで、きっとhttpd.confで設定するんだろう・・・と思って本を見たが、どうもcgiの実行フォルダは、分散しないほうがいいらしい。管理上の問題らしいのだ。じゃあま、しょうがないな。/var/apache/cgi-binフォルダの下に、nonikoを所有者にフォルダを作ってそこに入れることにした。
それから。このcgi-binフォルダにただのhtmlファイル、たとえばindex.htmlを入れて開こうとすると、これも「実行エラー」とでる。実行すべきものがナニもないからなのか・・・わたしのWebアプリはcgiファイルばかりなので、バラバラにしたくなかったからindex.htmlも同じフォルダに入れておきたいんだけど・・・苦肉の策として、/var/apache/cgi-bin/nonikocgi というcgiフォルダに対し、/var/apache/htdocs/nonikocgiというフォルダを置き、/cgi-bin/nonikocgi/index.htmlのシンボリックリンクを/htdocs/nonikocgi/index.htmlに張った。これでhttp://..../nonikocgi/
と入力すると、トップページが現れる。
相対パスは、index.htmlから他のcgiページへのリンクでは/cgi-bin/nonikocgi/anyfile.cgi
cgiページからindex.htmlに戻るには/nonikocgi/index.htmlでリンクできることになる。後者はたぶん、/htdocs/nonikocgi/index.htmlのことで、/htdocsが省略されているということになるのだろう。
2001年12月8日
それに伴ってPowerEdgeにSCSI-HDDを増設する。ジャンパピンの設定でSCSI-IDが他と重ならないようにする。
まずBIOSの段階で、増設したHDDがちゃんと認識されているか確認する。
そのあとSolarisでは、UNIX USER2000年9月号「Solaris道を行く」に書いてあるとおり
touch /reconfigure
と、ルート直下にreconfigureという空のファイルを作って再起動する。そのあとroot権限でformatというコマンドをかます。すると、すべてのディスクドライブのリストがあらわれる。増設されたディスクドライブは、たとえばc0t1d0と出てくる。これはSCSIボードが一枚目でSCSI-IDが1の場合だ。formatは親切なヘルプが現れてくれるので、まずドライブを選ぶ。そして、fdiskと打つと、SolarisのインストールでInstallerディスクを入れたときにも出てくるあのfdiskがでてくる。ここは我々レベル(って何だ)では当然、既存のパーティションを全部消して、新しいパーティションをまるごと1個Solarisに割り当てる。するとディスク情報はPartition1が全部Solaris、となる。これを終了しようとすると「ラベルをつけろっていうかつけるがいいか?」ときいてくるのでつけていただく。
だが!ここで気をつけなければならないのは、まずここではc0t1d0というドライブ名のあとにs(数字)という形でさらに名前をつけたものをvfstabに書かなければならないということだ。そのs(数字)だが、今のfdiskでパーティション1が全部Solaris,と出たからと言ってとc0t1d0s1ではない。これには別の決まりがあって、ルートスライスは0,スワップスライスは1,
ディスク全体を使うなら2, その他/optとか/usrとか/exportとかで切りたい場合は3-7の数字を使うのだ。ということは、ここではc0t1d0s1ということになる・・・・
このスライスについて、まずファイルシステムの構築をする必要がある・・・だがここでのに子はWebminに逃げた!「Hardwares」から「Partitions
on Local Disks」を選び、SCSI ControllerとSCSI Targetの番号から目的のドライブを選び出す。すると「2」の「Backup」の使用率が100%になっているのでこの数字の部分をクリックすると、設定ページとなる。
ここで左側の詳細のFlagsを見る。Writableはデフォルトでチェックが入っているが、Mountableに入っていないので、ここをチェック。そうして右側にCreate
Filesystemというのがあるのでこれをクリックしてやる。そうするとWebmin画面上で何かが走り出し、それが終わるとファイルシステムのできあがり〜。
あとは、vfstabに書く前に、手動でコマンドでマウントしてみて、スライス名に誤りがないかなど確認する。それからvfstabに書くが、「fsck pass」は起動時のファイルシステムのチェックの優先順位を表す数字らしい。別に優先的にチェックすることもないというので/export/homeスライスなどと同様「2」にしておけばよいようだ。
2001年12月8日
PowerEdgeはしばらくのに子のおもちゃとなっていた。でも本当のおもちゃではない。PowerEdgeをSolarisサーバにできるかどうか試してみたのだ。それでNFSもSambaもBINDも試してみて、実現の見込みがついたのでこれをSolarisサーバとして復帰させた。だがそれにはもちろんSolarisにもWindowsにもrootではなく、ヒラユーザでログインする必要がある。まあ、rootでリモートログインできるようにする方法もあるけど、そこまでセキュリティゆるゆるだとさすがに、というわけ。NISは使わず、SolarisのクライアントからはNFSで、WindowsからはSambaでファイル共有することにした。
Windowsからのサーバの操作は、コマンドうちの得意な人はかのターミナルソフトの名作Tera Term Proから、のに子のようなGUI馬鹿末代まではWebminやSWATでまずオッケー。ファイルのコピーはユーザに所有権のあるフォルダ同士ならNFSでもSambaでもグラフィカルにドラッグドロップでできる。でも権限のないファイルだとsuでrootに上がって操作しなきゃなく結構な修行だがだいぶなれてきた。
2001年12月8日
これまでずっとrootでログインして作業してきた。だってヒラユーザでログインしてコンソールでsuに上がったところでCDEのファイルマネージャのフォルダはバツマークばっかり(たりまえや)。おまけにXEmacsでなぜか日本語の漢字変換がrootでしかできなかったりしていたから。
だが、いろいろなBBSで初心者っぽい人の質問に際しパワーユーザな人が「まず、rootで作業するのはやめましょう(冷笑)」と書いてある。
それから、rootは自分のマシンでは王様ダゼ言うことなしダゼタイヤも太いし全部あるが、「ネットワークに弱い」ことが近頃わかってきた。CDEにrootでログインしあっちのマシンからこっちのマシンへフォルダを動かそうとすると「所有者が違う」と言われ移動やコピーに失敗することが多いのだ。所有者。あのマシンのrootとこのマシンのrootとは違う人物として見なされているようなのだ。一方、どのマシンだろうがユーザnonikoにchownしたフォルダはnonikoでさえいれば移動もコピーも書き込みも自由だ・・・
このたびPowerEdgeがサーバとして復帰及びXEmacs日本語問題が全面解決したのを機会に、わたしは一大決意をして、rootでのログインをやめ、nonikoでログインしてコンソールでsuで上がって作業することにした。これではもちろんGUIは使えないが、GUI
馬鹿末代までのわたしには少しでもコマンド操作に慣れる練習にはなっている。
2001年12月8日
「家計簿Webアプリ」はたくさんのcgiページからなっている。それらのリンクを・・・全部「http://」からフルパスで書いていました。
理由は、相対パスを書くのがめんどくさかったから・・・それだけでした。
相対パスってホラ、そのまま下位に降りていくときには、最初に/書くとかえってまずいとか、.とか~とかなんかこう、一回抜けてまた入ってとか、なんかめんどくさいじゃーん?!それよりは最初っから絶対パスで書いたほうが確実確実。長くなってもコードをコピペすればいいんだから・・・
と思っていたら、そのあとさんざ煮え湯を飲まされた。データベース環境の移行実験・・・DNSからNISに変えたとき・・・Webサーバの休止中・・・相対パスにしておきさえすれば、index.htmlさえ開ければそこからどうにでもリンクできたものを。PowerEdgeがのに子のおもちゃからまたサーバに復帰したとき、とうとうわたしは全ページを書き換えて相対パス形式にした。結構な作業だったが、単純作業だ。これで肩の荷が下りた。
2001年12月8日
我が家に降臨したSparcマシンss10。OSはソル七だ。これにpostgres7.1.2を、ソースからコンパイルしてみる。./configureはオッケー。
だが、makeとやったら、
「これはGNU makeでやってください、Fatal Error」
で止まってしまった。あれっ?ソルっ八のときはどうやったっけ。やっぱりmakeじゃだめでgmakeにしたんだっけか?じゃあこっちもgmakeでやってみるか?
gmake: not found
ええ〜?!
ファイル検索で「gmake」を調べてみる。ない。ええ〜?!
ちょっちょっと待てよ。けどfsinstallでgcc入れてそれでいろんなものコンパイルしてもらったんだからGNU makeがないわけないじゃん。使えないわけもないじゃん。えーとSolarisでgmake使うときの話がSolaris
Reviewに書いてあったはず。調べる。
なーるほど。GNUのほうもコマンド自体はmakeなんだ。で、gmakeというのは、SunCCのmakeと区別をつけるために、GNUのmakeにつけたシンボリックリンクだったのか!(最初から読んどけ!)そりゃそうだよな。だってLinuxじゃgmakeなんて打たないもん。
さて、ss10のソル七のGNUのmakeはどこにあるのか。すぐに見つかった。/opt/local/gnu/bin/makeだ。これを、
ln -s /opt/local/bin/make
かなんかにする。
じゃあSolaris8ではどうなっているのか。わたしはそんなリンク張った覚えないぞ。あれ、/opt/sfw/bin/gmakeってのがある。ああなるほど、パニオンCDからのインストールだと、親切にもgmakeという名前で最初から入れておいてくれたわけだ。それに甘やかされてきた罰が今当たったんだな。
というわけで、ss10に戻る。
gmake
おお、動いた!エラー含みなので実稼働に耐えるかどうかは不安だが!へ〜。「アプリケーションによってはmakeでもgmakeでもいいものと、gmakeでしかダメなものもある」そうだ。これまではどちらかというとどちらでもいいものばかり扱ってきたんだろうか。
そう思ったわたしは、これまでコンパイルできなかったいくつかのアプリのソースについて、makeではなくgmakeを試みてみた。いくつかの問題がなんとこれで解決した。UNIXワールドの探索には、まだまだのに子はレベルが低い。
2001年11月10日
近頃Javaの勉強を始めた。教本は「Java超入門(Kris Jamsa著、(株)アスキー発行)」である。これはアプレット作成が中心で、適当な長さのサンプルコードがたくさんある。だがアプレットなのでできたクラスファイルを張り付けるhtmlファイルを作らなければならない。もちろんHTML
Code Worriorとして週アス「東京トホホ会」にも載せていただいたわたしである。いちいち<applet code=...>と書いていくのめんどくさい。コピペでさえめんどくさい(救われない)。せっかくフォーマットだけ書いた空のファイルをつくっても、夢中になってやっているとその空のファイルに中身を書いて上書き保存してしまうし・・・
そんなわたしが非常に小さな発見をひとつした。NetScape Composerは画面上で文章をタラタラ打っているとそれがhtmlファイルになってくれるという、Webページ作成ツールってのはみんなそうなんだがComposerはあまり機能がないかわり、Navigatorと合わせてファイルを簡単に編集してアップロードできるのでよく使っている。これに「htmlタグの挿入」という機能があるのだ。
サンプルコードを自分なりに解釈したり気がついたりしたことをComposer上でタラタラと書いていき、途中で「htmlタグの挿入」を選ぶと、タグ挿入を示す記号が挿入される。その「プロパティ」を開くとそこにタグの入力画面が現れる。入力できるタグは1画面につき1つ。ひとつ挿入して、<applet
code=...>と表示させたいアプレットの名前を指定する。そのとなりにもう一つタグ挿入をして、こっちのプロパティは</applet>と書く。そうすると、このhtmlページを開けばちゃんとその部分に指定した大きさのアプレット実行画面が表示されるのだ。このようにして、解説を書きながらひとつのページ(ファイル)上で複数のJavaアプレットの実行画面を表示する「Javaアプレット勉強ノート」を楽しく作ることができるようになった。
けどときどき落ちる。あとアプリ再起動しないと正しく結果が反映されないこともある。かなり危ういSolaris系のネスケだからしょうがないけどさ。
BladeをゲットしてJBuilderが使えるようになったら、こんなせせこましい苦労は全くいらなくなったわ。表示htmlは自動生成してくれますものホーホホホ。ていうか素直にWindowsでJBuilder使っておればよかったものを・・・
2002年2月12日更新
こうしてインストールされたソルッパチ on optiだが、これでNISに完全につながったわけではなさそうだ。自分の/etc/hostsにサーバpower-edgeを登録しておいて、/var/yp/ypinit
-cでクライアントの設定をする必要がある(サーバ名を指定するだけだが)。
それからさすがにDNSを使わないわけにはいかないので、DNSクライアントとしての設定もしてやらなければならない。いつもCD-ROMからのセットアップのときはインストール時にDNSを使う設定にしていたので、起動してすぐDNSを参照したが、今度はnsswitch.confはnis型になっているし、resolv.confもゼロから自分で作り上げなければならない。そのとき間違ってresolve.confなどという名前でセーブしてしまうと絶対に参照されない(たりまえだ)。
いや、近頃ようやくnsswitch.confの意味がわかるよーになってきたよ。
2001年10月09日
旦那様が中古のSPARCワークステーションを譲り受けることになった。入っているOSは不明。もちろんと言ってはなんだがCD-ROMドライブはない。ということはうちにあるSolaris7
(7はIntel, Sparc両方がついてる)をネットワークインストールするということになる。
すると主婦はマシン(のために注文したモニタ:詳細は後日)がくる前、平日の暇なうちにこれを練習しておくべし。実験台はもちろん実験用に買ったoptiだ。ただし入れるのはこれからも使うソルッパチ(せっかくそらりんというかわいい名前をつけたのだが、7と区別するための夫の命名にオオウケしてこっちになった)。インストールサーバとしてCDイメージを入れるのはPowerEdgeだが、それでサーバが落ちるということはないだろう。念のためデータのバックアップはとって置くが。
やりかたはAnswerbookに書いてある。「ネットワークインストール」で検索してやればいい。序文に「この方法はたとえば100台のワークステーションに同時にインストールしたいときなどに便利ですヨ」と書かれていてあらためてスケールの違いを実感する。やり方そのものはそれを見ればいいのでのに子などが書き移す必要もないが、実用上気のついたことを書いておく。
1)CDイメージのインストールはPentiumIII450MHz,U2WSCSIのPowerEdgeでも、1枚につき1時間くらいはかかると見るべし。インストール先を間違えたりするとその削除にもすごい時間がかかる(ということはやってる)
2)十分なディスク容量があるかどうか、インストールスクリプトはチェックしてはくれる。でも各CDについて自分の分しかチェックしてくれないので、1枚目のCDでオッケーが出ても油断してはならない。
3)Language CDのイメージ作成のとき、何も指定しなければヘブライ語から広東語(はない)から全部突っ込まれてしまいすごい時間がかかる。どうやら-sオプションで特定の言語サブセットだけ選べるらしい。でもAnswerbookにはその辺の記述がなく、怖かったのでそのまま全部突っ込んでしまった。
4)あと、すごく大切なこととして、インストールサーバはNISサーバにつながってなければならない。うちでは当然と言えば当然PowerEdge本人がNISサーバだが(結局入れることになったというわけだ)。このとき、インストールクライアントoptiのEthernetアドレス(つまりMACアドレス)を、NISサーバの/var/yp/etc/ethersというファイルに登録しておかなければならない。このファイルはどこにも用意されてないので、自分で勝手に作る。PCの場合MACアドレスは、OSを消しちまう前にifconfig
-aを打って、調べておく。今までIPアドレス以外注意したこともないので、驚いた。
5) こうしておいてスクリプトadd_to_new_clientを実行するが、そのときクライアントはケーブルにつながってて、かつ電源が入っていた方がいいようだ(よく見なかったから旧OSそのものを起動させた状態まで必要なのかどうかはわからない)
そんなところだ。あとはIntel機であるoptiにはDevice Configuration AssistantFDっていうか要するに起動FDを突っ込んで起動。インストールをどこからするかという質問で、いつものCDでなくNETを選べばすぐにインストールが始まる。
むちゃくちゃ速い。Documentationは読み込まないけど、Entireで読み込むのに全部で1時間かからなかった。CDからだと抽出操作からなにからすごい時間かかるよねー。悪くするとCD1枚で1時間くらいかかるんじゃないだろうか?これからはいつもPowerEdgeにディスクイメージを置いといてCD-ROMドライブのついてるoptiでもネットワークインストールすることにするかな。でもPowerEdgeのほうがやられたら元も子もないけど。
2001年10月09日
ぱそ日誌はこの公開用サイトからは撤退したが、もちろん毎日つけていて、それはわが家のファイルサーバに入っている。今度のに子環境をかなりそらりんに移行するにあたって、やはり日記もそらりんへ。いろいろあったnotesともいさぎよくお別れしてすべてhtml形式で書き、そらりんWebサーバで公開(家庭内)することにした。となるとこれに全文検索システムをつけるのが、「あら、この前やったときどうだったっけ」と過去の記録を参照するために必須事項となる。
そう。Namazuである。SolarisReviewにそのセットアップ法が書いてある。だがそれによるとNamazuを入れる前には4つも5つもの下請けアプリ(失礼な)を入れなければならないとある。これまで、qmail,
XEmacs, PostgreSQLとまさにメイクドラマを繰り広げてきたわたしとそらりん8。「八、また対応しないのか」という助さんの声が聞こえてきそうである。果たしてNamazuのメイクミラクルは可能なのか?!
・・・
それが奥様、SolarisReviewのおまけCDから必要なソースをとってきて、記事のとおーりにやったら、全く問題なくできちゃったのヨ〜。
書くまでもない。書いて自分のサイトに掲載したら著作権に抵触しそうなほど、その通りにやってできた。
主にcgiで使うことにしたが、GUIツール「tknamazu」も見事立ち上がった。ウィンドウに現れるナマズが愛くるしい。Tcl/Tk8.3.0はPostgres7.1.2とは残念ながらpgaccessの連携がうまくいかないようだったが、ナマズ君(バージョン2.0.4)との相性はバッチリだったわけだ。
2001年10月03日
タイトルとしては他に考えられたものがあるが、最近の社会情勢を考慮して平和なものにおちついた。
そらりんからWinへのファイル公開。WebDAVがいかんとなると、やっぱりSambaだろう。俺バイブルSolarisReview及びUNIX USERには実にいろいろなところに詳しくSambaの記事が載っている。以前ペエペエの初心者だったころ、赤帽でやろうとしてさんざ苦闘したが、そらりんではどうだろうか?
Solarisに入っているSambaは2.0.6だが、2.0.7以降はWin2000対応ということなので、やはり既存のパッケージを円満削除して2.0.7をソースからコンパイルする。パッケージ名はSolarisReviewに一覧がある。
何の問題もなくインストールできた。それからどこの本にもあるように/etc/servicesと/etc/inetd.confの書き換えをやって、マシンの再起動などというダサいチカラワザはもう卒業サ、ps
-e | grep inetdでinetdのプロセスを捕らえ、キルハップ!
600EからSWATにアクセスしてみる。ええー。マジ?!さっくり、SWATの設定画面が。以前宇宙人との交信みたくもどかしく曖昧で結局できなかったあれは何だったの?
さてUNIX USERの2000年8月号のSamba特集を見ていたらなんと既存のNTドメインのヒラサーバとしてSMBを携えたUNIXマシンは参加できると書いてあるではないか。だったらやってみましょう。やり方はこうである。まずNTサーバのほうにマシンを登録する。2000Serverではよくやっていたことだが、NT4サーバでは「サーバマネージャ」というのを立上げてこれをする。Optiを、ヒラサーバとして登録する。ドメインコントローラとかにしてはいけない。あくまで末席を汚すのみ、である。それからSWATと、smb.confの直接編集をどうにかこうにかして、設定を作り上げる。workgroupにNTドメインここではSAKURAを設定。netbios
nameがコンピュータ名OPTIである。
security=domain, encrypt passwords=yes, password server= POWER-VAULTとしておく。
そうしておいてoptiをSAKURAドメインに参加させる手続きを取るのだが、このとき注意すべきことがある。それは/opt/sfw/samba/privateというフォルダが、今回のセットアップでは自動的に設定されてなかった。この状態でくだんの手続きを取ろうとするとエラーになる。このフォルダは自分で作っておくべきである。それからその手続き、
smbpasswd -j SAKURA -r POWER-VAULT
と、NTドメインとNTドメインコントローラの名前を指定する。このときのsmbpasswdはパスが通ってないと見つかりませんなのでフルパスで命じるかパスを通しておく。
すると、SAKURAドメインに参加できましたヨと言ってくれる。そして/opt/sfw/samba/privateのフォルダに、
SAKURA.OPTI.macという名前のファイルが作成される。
このprivateフォルダに、smbpasswdという名前の書き込み可能の空ファイルをつくっておく。さっきのsmbpasswdとは違うファイルであることに注意である。それから
smbpasswd -a noniko
とやるとnonikoに対するパスワードが要求され、ここにNTログオンのときと同じパスワードを入れてやる。
とにかく、ここまでやって、600EからOPTIが見えるか?見えない。コンピュータの検索をしても見えない。だがそのときに
ハッと思い当たる。ファイルサーバPower-Vaultは同時にルータでもあるから楽勝で見える。だが無線チームにはルータの向こうの有線チームはなぜか、IPアドレスで検索しないと見えないのだ。netbiosで見えないというだけでネットワークドライブの設定、ログオン時接続などはできるのだが。果たして他の有線クライアントから探してみると、OPTIが見えている!ということは、600EからIPアドレスで検索すると、いたいた!
そうそう、どのフォルダを共有するかについては、
[exported]
path = /export/home
writeable = Yes
guest ok = Yes
もちろんこれは得意の「のに子の前にセキュリティは存在しないモード」である。exportedというのがwinから見えるべきフォルダ名で、それがoptiの/export/homeにあたるという意味だ。
とにかく、これで見つかった!ちょっとうれしかった。思わず部屋の中を小走りに走り回ってしまった。もし2階の窓から見えるようなことがあったら一体あの主婦は何をしているのかと思われたことだろう。
2001年10月03日
将来的にはサーバをUNIXにしたいわたしは、そのときWindowsクライアントたちにファイルを共有させるときのために、今月のUNIX USERに特集が組まれていたWebDAVの実践に挑戦しようと考えた。
もちろん開発用マシンOptiに組み込むのである。おまけディスクからmod_davというヤツを解凍して./configureする。
するとApacheはCCで、一方mod_davはgccでコンパイルされているので不具合がおこるかもという警告である。でもとにかくmakeしてmake installしてみる。
Windows2000proの「ネットワークプレースの追加」でマウントを試みるが、やっぱりフォルダエラーになる。指定の共有フォルダが見つからないというのだ。これは上述の不具合によるものか、それともわたしの設定が間違ってるだけか?
そこで決心。Apacheをgccでコンパイルしなおそう。mod_perlとか標準で熊まれてる1.3.20ならPerlとの連携に苦労することもないはず。ちょっとしたエラー報告は出ているが致命的なものではない。
しかしその前に古いApacheパッケージを削除したほうがいい。
そこで先日やった対話的インストールチャレンジが役に立った。きのうSUNWナントカというバイナリくさい名前のパッケージを、どうやってコマンドでpkgaddするかを、OS付属マニュアルを引っ張ったりしていろいろ調べたら、やっぱりあるツールの新旧の不具合を回避するために前のパッケージを削除する方法が載っていた。pkgrmというコマンド。今まさにやりたいことである
。
これとやっぱり俺バイブルのSolaris Reviewに、Solarisに付属のApacheの正体(パッケージ名)が具体的に載っていた。
ひとつずつ削除する。なんということだ。できた。rc.dフォルダなどからもきれいに削除されてしまった。
そこでApache-1.3.20を入れる。全く問題なく立ち上がった。なーんにもしなくても、perlスクリプトも実行された。もちろんそれはLaser5で試した通りだったが。
もう一度mod_davを入れる。すると今度はhttpdが立ち上がらなくなった。
/usr/apache/bin/apachectl configtest とやるとシンタックスエラーが。
「シンボルを参照できません」とか言うのだ。もちろんわかるはずないぞそんなの。
さてどーする。UNIX USERを読むとapache-2.0はベータ版だがmod_davが最新版で標準で組み込まれているという。やってみるしかないだろう。ネットでゲットして入れてみる。
思うんだが近頃バージョンの高いヤツって./configureにすごく時間かかるわりにはmakeにはそんな時間かからないような気がする。だがhttpd.confを書いて起動しようとすると「DAVというモヂュールはありませんヨ」と言う。前は何も言われずつながらないだけだったのでちょっとは前進したのかも知れない。
もう一度よーく見る。おお。configureの実行ログに
checking whether enables mod_dav...no
のようなことが書いてある。つまり有効になってないんじゃん。
Apache2.0のINSTALLを読むとどうもmod_davは、入れようと思えば入れられるがデフォルトでは入らないようになっているらしい。
ソースフォルダの中の書類だとどーもよくわからないのでウェブに探しに出た。でもたぶん同じ書類なんだと思うがウェブに非常に読みやすく書いてあった。要するに--enable-davとすればいいのだ。わからないこともなかったが。
./configureしなおす。すると今度はchecking...mod_davがyesになった。オッケーである。makeして、一度待避させておいたhttpd.confを戻して起動!
コアダンプ。
すがすがしい。シンボルの参照のと言われるより、よっぽどあきらめがつく。次のバージョン待ちかな。
2001年9月21日
そこらじゅうでよく書くように、わたしはかなり重症のGUI依存症で、UNIXユーザのみなさまがたにはMacで一生やってろと言われるかもしれない。そういうわたしはキーボードというものを今まで「文書作成における文字入力の手段」としか見ていなかった。だがUNIXの世界ではキーボードというかキー入力というものが非常に重要なシステムの制御手段、つまり制御コード送信手段であるということを、近頃よく痛感する。
下に示す「非Xインストール騒動」のときである。コンソールからREADMEというファイルを読もうとviで開けてみた。だが操作がうまくいかない。一度開けた文書から抜けることができないのだ。結局途中で電源を切って「また殺したか」と青ざめながら電源を入れ直し、今度は自己修復して起動してきてくれたのでホッとしたりした。
その理由はこうだった。つまりモニタを使わないということで、Xの設定をまるごとバイパスしてしまった。つまりキーボードやマウスの設定も・・・使っていたのは日本語キーボードなのに、デフォルトどおり英語キーボードのままでOSがスタートしてしまったというわけだ。だから、:q!などのキー入力をしてるつもりでしてなかったというわけ。日本語キーボードと英語キーボードでは:のキーが違うところに割り当てられているもんな。
それから、ネットワークやインストールなど多くの設定ファイルで「設定したはずなのに反映されない」ということがちょくちょくおこったが、多くの場合「最後に改行を打たなかった」というのが原因だった。シェルがコマンド入力の代わりにファイルからコマンドを読み出すわけだから、改行を打たないでファイルを保存すると、コンソールからコマンドを入れておいて最後Enterしない状態というのと同じになる。とするとまだ失敗例はないが、よけいな改行を残したまま保存したりしてもトラブるようなこともきっとあるんだろう。キー入力を甘く見てはいけない。
2001年9月21日
結局PowerEdgeのそらりん再セットアップとなったが、さすればこの機会に、よりヘビーなユーザのみなさまが行われるという対話的インストールなるものを是非やってみようと思い立った。
インストーラCDではなく、ソフトウェアCDの1を入れて起動する。するとkdmconfigが立ち上がったが、かなりザッパな設定のあと、そのあとWebStartで「カスタムインストール」を選んだときと同じことをスペースとカーソルキーとファンクションキーでだけ設定していくことになった。
気をつけないと、サブメニューのようなものが隠れている場合がある。それを知らずにチェックをつけてしまい、一度はロケールにベトナム語やタイ語など余計なものを全部選んでしまい300MBも余計なものをインストールするハメになりもちろんやり直した。
それが終わるとHDDからリブートでき、出てきたのはまたもkdmconfigで、今度はXの設定である。フツーに使いたいけどWebStartはウザいという人はここでXの設定に入るわけだ。
だが「テストしてセーブしてヨヨイのヨイ」のF2に対してF4を選ぶと設定をバイパスする。それはWebStartを使う場合でもそうだ。だがおもしろいことがある。WebStartだと、「F4でバイパスするとXの設定ができなくって困ったことになりますヨ」と書いてあるのに対して、対話式の場合は「F4はXを使いたくない人のためのものです」というかなり積極的な表現だ。おまけに「F5を選べばもうハードウェアについては何も文句を申しません」というまさにこちらのやりたいことを理解してくれていそうな説明まである。
それで「じゃあなかったことにして」とF5を押すと、システムはソフトウェアCD2を入れることを許してくれた。次いでLANGUAGEディスク。それでセットアップは終了。起動するとさっき凍り付く直前の画面だ。「Xが起動しません」というメッセージのあとカーソルがない状態。だが今度はリターンキーでログイン入力が受け付けられた。
ではこの状態でケーブルをはずして起動してボーとしてから、どっかからtelnetログインして受け付けられるのだろうか。Winマシンからログイン。でも今更のように気がついたが唯一の登録ユーザrootではログインできずポートが閉じられてしまう。だがpingは?通った。だいじょぶそうだ。
さてしかしパニオンCDはインストールされない。だがパニオンディスクの中身はパッケージなので、pkgaddでコンソールから1個ずつ入れることができる。ということをあとで勉強してわかった。
そのあとのんのんが帰ってきて例の「フツーのインストールでよかった」ということがわかってこれまでの2時間の格闘は一体なんだったノーということになるのだが、それなりにインストールのしくみとかわかったからいいかと思った。
2001年9月21日
開発用にOptiplexを買ってもらい、PowerEdgeはWebDBサーバとする。となるとPowerEdgeはモニタレスで稼働させたい。だが今までモニタにつないで使っていたこれをモニタにつながないで起動したら、kdmconfigとかがハードウェアの構成が違ってるぞと文句をつけに来ないか?
正解は、全然来ません。だった。だが、その前に何の気なしにマウスを交換して立ち上げたらそう言って再設定を命じられたわたしはすっかりビビってしまっていたのだ。マウス1個くらいで・・・というその考えがつまりしろーとなわけだ。設定が必要なのはマウス、キーボードとあとグラフィックボード。モニタはなくてもよかったのだ。
それをさっさと確かめるには、モニタケーブルを抜いて立ち上げておいてしばらくたってからケーブルを挿せばいい、はずだが、わたしはそれが怖かった。変な電気信号が突っ込まれハードなりOSなりが死んだりしないだろうか。答えはまあだいじょぶらしい。
だが夫が帰ってくるまでそのどちらも知らなかったわたしは、コンソールログインというものに希望を見出した。コンソールログインをするようにしておいて、他のWinなりなんなりからtelnetでログインできれば、わたしが望む機能は達成されたことになる。
それで現行のグラフィカルログインの「オプション」で「コンソールログイン」を選んだ。するとX画面が消えてログイン画面になったが、カーソルが現れずログイン入力を受け付けない。再起動もままならないのでしょうがなく電源を切る。もう一度起動するとどうやらシステムが壊滅的打撃を受けたもようだ。最も慎重な策と思ってとった行動が最も悲惨な結果を招いた。これを行う前に家計簿DBやcgiファイルなどを全部バックアップしてNTサーバのほうに移しておいたのがせめてもの幸いだった。
2001年9月20日
PowerEdge1300はやはりどーしても、NT4でMelcoの無線LANカードをPCI用カードアダプタで挿してルーティング・・・というのはうまくいかんらしい。ということで、Kayakを買ったりいろいろした結果、わたしはまるで第一次世界大戦前夜のヨーロッパの名宰相のような(誰だっけな)思い切った譲歩案をのんのん大帝に提示した。
「PowerEdgeをわやくしにくださるのなら、今使っている自作マシンのに子2号(あまりの激しい内臓入れ替えによりホントは何号なんだかよくわからなくなっているがとりあえずホスト名はnoni2)をサーバ&ルータに差し上げましょうか」
のんのん大帝のたまわく「ダメってもどうせ略取するんでしょ」
というわけでその小豆色の筐体が、茶の間のわたくしの座布団の後ろに御降臨。Solaris8は・・・おどろくほどすんなり入った。今度はより体系的に環境構築を行うように心がけた。前のに子2号でじたばたしながらやったときになしくずし的にできたことが今回はなしくずせなかったとかいうこともあったがそれはそれで今回は確信が持てた。そういうわけで今PowerEdgeはわたくしの家計簿つけーの勉強しーの遊びーのマシンになってしまっている。凋落武家の娘をヨメにもらった足軽のような気分だ。武家娘のほうではどう思っているんだろう・・・
2001年8月19日
グラフィックも一通り勉強し,家計簿システムの足りない部分を大幅に改善したりしたので,今度は思い切ってSolarisをまともに勉強することにした。となると,トリプルブートなんてもうごちゃごちゃやるのはやめだ。8GのHDDを,Solarisだけのために使おう!というわけで,いさぎよく・・・真っ平らにするのに,ター坊のCFディスクを使った。
パーティションを全部削除して,そのあとまるごと一つの領域に取り・・・ Linuxのスワップってことにしとくか?いや,そんな余計なことはやめよう。未使用の荒野を,ただ柵で囲うだけにした。ディスク情報を書き込んでのち,無理矢理電源切ってTurboは終了する。
それから,電源を入れて,CDをさっさか取り替えた。Solarisのインストールディスク。忘れてならないのは,G400はうちのは16MBVRAMだがなぜか32MB用のオプションしかないため,これを選択しといて色を256色にすることである。HighColorとか選ぶと設定ができなくなる。スペルマスターがいたので忘れずにすんだ。するとインストーラが立ち上がり・・・どきどきする瞬間である。
「・・・が見つかりませんでした」とか言われるとやられたか,と思う。だがこの見つからないはいい見つからないなのである。「パーティションが見つかりませんでした。fdiskかますかオイ」ときいてくれるからである。かましてくださいというと,「俺に全部やらすとなるとこいつ全部俺用にかっぱらうぞ,いいのか」と言う。
よくぞ聞いてくれました。どーぞどーぞもうガバッとかっぱらってください。全てあなたのものよ。今までずっと言えなかったの,だってWinとかター坊とかでごちゃごちゃしてたんですもの。ってそれてめえが好きでやってたんだろーが。と一人つっこみながらyを入力(長いなあ説明が・・・)
かくして,8GのHDDが全てSolaris用に。そこまでくれてやった以上,使い倒してやるぞ!と思った。ミニルートがコピーされ,再起動。ブートマネージャが立ち上がって,設定が行われる。
ここでも,息詰まる瞬間があった。ネットワークの設定だ。この前のときは,DNSの指定などができなかったのだ。あのときは2000Server。今度はLibのNT4がDNSだ。行けるか?・・・結構時間がかかる。のんのんが「ハブのランプは点滅してるか?」ときく。見るとピカピカやっている。「だったらよさそうかも」・・・行った!やっぱり,クソったれはWin2000だったのかよ!
最後の難関である。ソフトウェアディスク1を入れる。HDD容量をチェック・・・前,パーティションをごちゃごちゃやっていたときは,ここで「容量が足りません」で終わられたことが何度あったか?だが,今回は大丈夫だった。
そうして,パニオンディスクまで,なーんのトラブルもなく,入れ終わった。無論,あとで調べてみるとサーバへのpingも通っていた。余計なことをしなければ,Solarisのインストールというのはこんなに簡単なことだったのか・・・
「エディタを求めて」に書いたようにUNIXからNTサーバにある文書を利用する方法はほぼ確立した。しかし,これまではUNIXで作ったファイルをサーバに入れてそれをまたUNIXで開いて編集する,ということしかやっていなかった。
ある日,初めて,サーバ中にあるWindowsのテキストエディタで作ったファイルを,ター坊のNetscape Composerで編集しようとした。まず,ftp(家庭内)公開してあるそのサイトに行き,右クリックして「リンクをComposerで開く」を選んだ。そうして編集して,元の場所に出版した。すると一瞬で画面が文字化けしてしまった。いくらコードセットを選んでもダメである。不思議なことにリンクをComposerで開いたばっかりのときはちゃんと読めるのに,一度保存するともう二度とデコードできないのだ。しかしそれを全コピーして新規作成した空白ページにペーストし、これを保存するとちゃんと読めた。
なんで?!
XEmacsはこうして使えることがわかった。だが結局サーバのftpに接続しなければならないので、Webブラウザは必要だ。XEmacsでもそれは立派にできるというが、やはり初心者のに子は、商用ブラウザに頼ってしまう。MLDについているブラウザは・・・Mozillaというものだ。立ち上げてみるが、凍ったかと思った。ようやく立ち上がったこいつでうちのファイルサーバのftpサイトに接続すると、しかしたくさんあるファイルのうち2つしか表示されない。
「このモジラってなんなの〜」
クチをとんがらかすわたしに夫の答え。「要するにねすけの6だ」
あ、確かに似てるよWin版のに。でも赤帽のねすけ4.7でさえ結構重いのに、6はあまりにもヘビーヂューテー・・・ねすけを入れようではないか。MLDのアプリディスクにはない。赤帽7のセットアップディスクを取り出した。MLDのGnomeRPMを立ち上げ・・・GnoRPMは、なかなかCD-ROMを読んでくれない。コツは「追加」とやって、追加先のディレクトリに/mnt/cdrom/…と指定することだ。インストールすると、index.htmlファイルが見つからないがいいかと言われる。これは一番最初だけねすけかLinuxのホームページを探して見つからないと言ってくるのを無視して起動時のページを空白に設定すればいいことなのでオッケーとする。するとちゃんとスタートメニューにねすけが登録されている。つついてみるとあっさり立ち上がった。ftp接続でもファイルが全て表示される(のがたりまえのはずなんだが・・・)。Composerで編集、出版も滞りなかった。ただし標準だと文字がヘンに太くにじんだ感じになる。小さすぎるらしい。文字の大きさを+1にすることによって、ちょうどいい感じになった。これでMLDでもサーバと自由にデータのやりとりができることになった。環境を整えてもらったところで,より高みへゴーだッ!
さてMLDにはXEmacsがついている。これに日本語入力をしてみようとする・・・Muleを起動したつもりが、IMをskkしか選べない。ええ〜、なぜ〜?!Wnnとかついてるはずじゃない!と思って、MLDのマニュアルを読んだところ・・・
「kinput2を起動したら、XEmacsの編集ウィンドウ上でShift+Spaceをかませば、Wnnで日本語入力ができます」
え。マジ。
やってみた。あら、できるじゃあーりませんか。それもkinput2 &でいいんです。別にcannaでなくても、Shift+Spaceでできれば構いません。なぜってMacとWinでトグルキーをctrl+Spaceにしてるから近い方がいいという・・・このWnnはいきなり商用だし、その分のカネは払ってるんだから、使わせてもらおうではありませんか。
夫に報告すると、「だからXEmacsでkinput2使えないの、って何回か聞いたじゃん。まったくきーてねーんだからなあ」と言われてしまいました。
トラブルシューティングに夢中になってたからかなあ。話を聞けない女。男脳、なのかなあ?それにしちゃ空間把握能力は最悪だぞ!
奇しくも翌日,本屋に寄った。ある、ビジネスっていうか初心者っていうかミー*ー向けのLinux雑誌に「エディタを使いこなせ!」みたいな特集があった。普通バックスラッシュで表現するところをいきなり\で表現してしまうというすごい雑誌だが、その中に「XEmacsの日本語入力にはIMとの直接接続とXimを介しての接続がある」というのがある。前者が「Ctrl+\(って書いてあるんだもん!)」、後者がkinput2を起動しといてShift+Spaceをかますヤツだ。そしてEmacsは直接接続だけだという。ああー。書いてあるじゃん。すげー。わかりやすい。つまりのに子のLinuxレベルはこの雑誌に相応するのか!でも買わずに立ち読みだけで帰ってきた。すみません。
おりしも、雪国の友人からメールが来ていた。「大雪で、若い女の子が歩けないってぶーぶー言ってるけど、そもそもミュールなんか履いてるから・・・と思った」
「ミュールよりkinput2のほうが使いやすいかも知れませんよ」と返信、するかっちゅーの。でもマジでミュールって何。文脈からすると靴だよな。モスコー・ミュールってあることだし、でも雪の中歩くのにふさわしくないってなら、旧ソ連の東アジア地域のラクダの皮で作った雪用かんじき、とかではなさそうだな?「フェラガモ」を「フォアグラ」みてえなカモ料理だと思っていた人間にはわからないぞ。あと「ブルガリ」も北朝鮮の怪獣映画のことかと思った(それはプルガサリ)。そんなことわいいー!
ThinkPad600EのMeのあとに赤帽7を入れて,無線LANとか何とかがちゃがちゃやってしばらく楽しんだ。だがそのあとWinのほうを98に戻すことにした。その際大したデータもなく勉強勉強の赤帽をわざわざ取っておく必要もない。インストールはWinよりよほど簡単だし,ということで赤帽7も入れ直すことにした。
近頃はもうインストールはかならずカスタムだ。これまでやってきたとおりにやって・・・
起動しない。
なーんーでー?・・・思い当たることはひとつあった。わたしはこれまで何度か赤帽の入れ直しをしていたが,HDDのパーティションを切り直しはしていなかった。今度はそれをやった・・・
じゃあ,前最初に赤帽を入れたときはどうしたっけ?えーと,やりかたがわからないので自動インストールにしたんだった。それだと自動でパーティションを切ってくれるはずだったが・・・今,やってみると,DiskDruidなどを使ってパーティションを設定せよと言ってくる。
?
やってきたとおり,と言ったがひとつ不確定材料があった。確かLinuxのパーティションの切り方には,ルートパーティションとスワップパーティションの他に,場合によって/bootというパーティションが切られている場合がある。あとでわかったのはこれはあのNTのローダと同じ,でけえHDのケツのほうにLinuxを入れる場合ブート情報だけ前方に置いておこうとするあれだ。でも今の場合LinuxのパーティションはWinの5Gのあとにあるから,8Gの壁の中にあると思うんだけど・・・そして,赤帽のドルイド野郎では、拡張領域というものを作れない。従って、/boot、/、スワップの3つの領域を作ろうとすると「no
primary」と言われて、ダーメなのだ。
この前無線LAN騒ぎで何度入れ直したことか,そのときに起動しないってことはなかったぞ!起動してからが泥沼だったが!
600EにはWinMeと赤帽7が入っていた。600Eのあとで赤帽を入れ、liloにより起動を選択するようにしていたのだが、この前Meが腐ってきたようなので再セットアップしたのだった。するとliloは死ぬ。もちろんジイさんの遺言で起動ディスクは作ってない。ていうか600EはFDD内蔵でないし、赤帽はまだ本格的に稼働してないのでわざわざ起動ディスクを使ってまで環境を復活させる必要もないとか再セットアップも修行のうちだあーとかまあ、そういうアホな理由であるが、そんなわけで赤帽を再セットアップした。600Eで赤帽と言えば、山は無線LANである。この前さんざ紆余曲折ののちこれを実現し、そのあとでひとりでやってまたうようよと曲折した。今度こそは大丈夫なはず。
まず、インストール時にMeのデータパーティション×ルコ様がディストリビュータ様の実施例として公開しておられる方法をhtmlファイルでゲットしておいたのでそれを見る。pcmcia-cs3.1.15をインストールする。そのあとは・・・この前問題だったのはconfig.optsファイルを編集して無線LANをad-hocモードにするとき、ドライバ名が昔wavelan_csだったのがいつのまにかwvlan_csになっていることに気づかなかったということだった。これをちゃんと確かめて、LinuxConfに指定をする。で・・・これで、起動時から無線LANカードのパワーランプが点灯する。が・・・pingが通らない。なんで?!なんでこの前できたことが今度できないの?!・・・といろいろ考えた後買い物に行こうとして気がついた。pcmcia-3.1.15のインストールが必要なのは赤帽6.2の話だった!それがめんどくさいからいきなり最新(確か3.1.19かなんかだった)の赤帽7を入れたんじゃないですか!
「ダウングレードしてどーするよおおおー」
と台所で絶叫する主婦の声をご近所の方々はきいただろうか。 買い物から帰ってきて、すぐ赤帽の入れ直し。このときふとももいついて、マウスの設定をUSBの2ボタンにしてみた(これまではPS/2でやっていた)。カスタムで設定をして、インストールを開始させてから今夜のおかずのおでんを作った。全てのコンテンツを鍋に放り込んで戻ってきてもまだインストールは続いていた。今度はさっくり無線LANが通じた。おまけに当たり前かも知れないがUSBマウスが使える。無論右クリックも可能、スクロールホイールも使えるぞ!でもそのかわりトラックポイントは使えないー。
翌日、わたしはもっとも簡単なやり方でこれを一応なしとげた。だが、これはたぶんきわめて条件の限定されたやり方だと思う。一番限定されてると思ったのは、LinuxはTurboを使ったからこそわたしにもこれができるみたいだなということ。
・・・完成したのは午後3時頃だったが、わたしはかつてフォルトトレランスブートフロッピーの作成に成功したときと同じくらいの喜びをって、なんかいつも戦争で手柄たてた同じ話を何度もするジイさまみてえだな・・・
だが、肝心のlxrunは結局まだ動いてない。というのは、このlinuxパーティションをSolaris上にマウントする方法がよくわからないのだ。それにはext2fsというツールが必要らしいのだが、sunのサイトから手に入れてインストールしてみたがちゃんと起動しなかった。Solaris7用のライブラリに出てたから、8ではだめなのかな?と言っているうちにもっとカンタンにSolarisでNTサーバのファイルを編集する方法が見つかったので、lxrunはしばらくサスペンドになった。でもいつかやるぜ。
2001年5月23日
さて、SolarisからWinNTサーバのファイルを開いて編集するためにSharityを導入する試みをあきらめたわたしは、他に方法がないかと考えた。整理してみるとLinuxでsmbmountが使えるのに対しSolarisにはそれができないのが問題なわけだ。とすると・・・パニオンCDの中身を検討していると、おもしろそうなものがみつかった。何かSolaris上のLinuxエミュレータと説明のあるlxrunというどうやらアプリケーションだ。これはすでに入ってる。これを使えばSolaris上でsmbmountが使えるということ?!
だが、使い方がぜーんぜんわからない。ゆえにネットで調べる。するとなんとSunのページでこれが詳しく説明されていた。どれどれと読んでいくと、そこに悪魔の呪文(英語)があった。
「もし、アナタが SolarisとLinuxのデュアルブート環境にあるのなら、問題はもっとも容易デス・・・」
「なんだ、できんじゃーん!」
と、わたしは思ったのである。「あなたのもっとも好きな言葉は何か」と聞かれたら、「できんじゃん!」であると答えるだろう。しかし、問題はそれがlxrunのことではなくS-Lデュアルブートのことだったということ・・・つまり問題が完全にフッ飛んだのである。
できないと思っていたのは無論初めてSolarisをインストールするときにちょろっとそれをやってみて玉砕したからである。ちょろっとはできないが、適切にやればできるってことじゃん。それをSunのページで言ってんだぜ!
わたしの頭の中からsmbはsobかなんかいい加減なものに変わった。それでわたしはさっそくLinuxとSolarisのデュアルブートについて調べ始めた。するといくつかのページにやり方がばっちり書いてあった。そのためにわたしはデュアルどころかWinとの3重ブートにチャレンジすることにしたのである。
で、いくつかのページで紹介している方法でやってみたが、結局失敗した。それは10中8,9わたしが記載内容をよく理解できなかったためである。この日はダンナさまが出張で、ゆえに主婦は夜更かししほーだいである。夜1時頃にこれでできるかとWinのあとにSolarisを入れるインストールCDをセットしてGo命令を出し、むっちゃ時間かかるから3時ごろ目覚ましかけてCD換えるかなどと覚悟を決めている最中にCDがケッと吐き出され「エラー」と言われた。おかげであきらめて寝れた。
2001年5月23日
赤帽7で日本語文書を作るとき、わたしは gEditにcannaで入力している。赤帽7に標準で付属のEmacsはskkしか使えないしskkはちょっと独特すぎるので、一生これしか使わないというなら強力なIMなんだろうがWinやMacやSolarisでATOKを使っている以上もう少し入力方法の似たIMといえばcannaだと思うからだ。だが、これがときどきうまく行かないことがあった。入力が受け付けられなかったり、逆に英字入力に戻せなくなったり、果てはgEdit自体がフリーズしたりするのに悩まされた。
だが、しばらく使ってわかったのだが、 その理由は簡単なことだった。gEditを開く前にまずコンソールからkinput2を起動しておいて、それからgEditを開いてShift+Spaceで日本語を始めなければならないということだ。うっかり先にgEditを開いてしまってからコンソールでkinput2を起動しても、cannaserverとの接続がうまくいかないようなのだ。これさえ守れば、今のところは何の問題もない。
2001年3月01日