キャンディの病気

出会い

私がキャンディと出会うきっかけになったのは、1991年夏の出来事だった。その出来事のことは、ここでは触れない。

その出来事から2ヶ月が経過するというのにふさいだままの私を夫が、ペットショップへ連れていってくれた。そこには、4匹のコーギーの子犬が眠っていた。お母さんらしい犬もいて、その日以来、その親子のことが忘れられなくなった。愛敬のある体型なのに、どこか知的な犬。そんな印象だったのを覚えている。でも、次にそのお店にいくと子犬達はもうみんな売れてしまっていた。

あきらめきれず、その店に次の子を申し込んだのだが、12月のある日そのお母さん犬が急逝してしまい、そこから私達のコーギー探しが始まった。今のようにコーギーが一般的でない時代の話である。いろいろと調べ、ようやく見つけたのは、もう年が変わった1992年2月だった。「コーギーを飼いたい」と思い始めて4ヶ月がたっていた。

キャンディ4ヶ月全く犬を見ないまますぐ契約をし、送ってもらった犬は、我が家へつくと疲れた様子も見せずはしゃぎまわった。「こんにちは、キャンディちゃん!これからずっといっしょだよ」と子犬に話しかけた。

出産

ミルキー1ヶ月キャンディは、病気になる前に一度お産をしている。2歳半の時(1995年)だ。多少、陣痛微弱の様ではあったが、4匹の女の子を産んだ。アン、アリス、アリエル、アヤ(文)の母として本当によく子育てをした。ちょうどその頃、娘が飼っていたフェレットを事故でなくした私達は、アリエルにミルキーというコールネーム(キャンディの娘だから)をつけ、うちに置く決心をした。

発病

朝5時半からの2匹の散歩が、私達夫婦の日課になっていたある日、キャンディを抱っこした私は、なんだか軽くなったように感じたのだが、元気に歩くその姿に病気の影は見えなかった。それから、1ヶ月後1997年7月30日。おばあちゃんの家にいく為、おしゃれをさせようと連れていった美容院で友人の訓練士さんから思いもかけない言葉を聞くことになる。

「キャンディのハグキ異常に白いよ。一度病院にいってみた方がいい」

次の日にはM病院の診察台の上でいろいろな検査。最初についた病名は、再生不良性貧血。先生のお話によると、「赤血球になる前の細胞(赤芽球)が、ほとんど見られない」ということだった。その日のヘマトの値は、21%で通常の子の半分だった。
どうやって病院から帰り、何を家族に話したのか、全く思い出せない。ただ、この診断が間違っている様にと祈った。

闘病@

1997年8月1日からキャンディの闘病が始まった。8月10日には、ヘマト値が13%まで下がり、初めて気を失った。毎日、毎日減りつづけるヘマト値に対して私達は、なすすべがなかった。

このままでは、危ないと判断され、最初に輸血を受けたのは、8月11日。輸血を受けた後のキャンディは、心なしか疲れたようにも見えたが、何となく元気そうにも見えた。しかし、次の日からまたヘマト値は、下がり始めた。プロポリス、手作りフード、クロレラ、遠赤外線、ニュース○ン社から出ている健康食品など、これはと思うものは何でも試してみた。

闘病A

1997年8月18日私達は転院を決意する。「親子だから血液検査はしなくても大丈夫!」という先生の言葉を信じ、ミルキーの血液を輸血したところ、キャンディはムーンフェイスという拒絶反応を示し、ミルキーは、貧血で倒れたからだ。2匹とも失ってしまったら私は自分を保つことができないと思った。

血液に強い先生を探そう!

こうして、キャンディと私達は、生涯忘れることのできないDr.アイクご夫妻に出会った。日ごろは奥様の方の病院へ行き、状態が悪い時は、ご主人が診察をされているご自宅の方へ入院するという変則的な通院だった。先生の最初の印象は、今でも覚えている。少し困引越しの挨拶にお伺いした時のスナップった顔はされたものの私に、『この先生が最後の先生』と決心させるそんな優しさを感じた。私は、日ごろから自分の勘をとても大切にしている。結果的には、この勘が当たったことになる。

どんどん下がりつづける血液を毎回のように検査していらっしゃった先生が、ある日「バベシア」という病名を口にされた。顕微鏡に写っていた寄生虫を取り除く為、副作用が強いといわれるガナゼックという注射を打つ。次の日ヘマトの値が1%上がり、先生と大喜びしたのもつかの間、また次の日から下がり始める。もう寒い季節が来ていた。

3回目の輸血は、黒のラブちゃんからもらった。輸血の時に先生から「延命の為の輸血はするべきじゃないと思うよ」といわれた時「それでも先生が輸血をしてくださるのは、助かる望みがあるからだ」と自分を励まし続けた。しかし、12月21日、キャンディは、ほとんど動けなくなり呼びかけないと目を開けなくなってしまった。この日は、仕事も休んだ。もう覚悟しなければ・・と自分に言い聞かせ、夜9時子供と夫を家に残し、キャンディと二人で病院へ急いだ。先生ご夫妻は、優しい顔で出迎えてくださった。「黒ラブちゃんと連絡が取れない。うちのアイクの血液を輸血してみましょう!」と先生。アイクちゃんは、当時3歳か4歳くらいの若々しいゴールデンレトリーバーだ。4回目の輸血の後キャンディは、意識がハッキリしていた。しかし、紫斑とよばれる血液の斑点模様が耳には出ていたし、下血もあって予断を許さない状態に変わりはなかった。

奇跡

21日の輸血後、少しフードを食べたキャンディは、12月30日その年最後の通ステロイドで血液のバランスを取っていた頃のキャンディ院をした。「ヘマト値が上がっている。赤芽球もある。もう一度輸血をして、年を越そうね。」という先生の言葉にほんの少し光が見えたような気がした。
1998年、1月。ステロイドを使って、血液が壊されるのを防いでやるとヘマトの値が上がることが確認された時、私は、初めて先生の前で泣いてしまった。いろいろな人の力で、奇跡が起こったようなそんな思いと先生に対する感謝の気持ち、そしてここまで頑張って生きてくれているキャンディに対して愛しいと思う気持ち、そんないろいろな感情が入り交じった涙だった。

8歳を迎えるキャンディ

あの奇跡の日からもうすぐ3年。発病からは、3年半がたった。転勤に伴って住所も変わり、今は残念ながらDr.アイク先生に診ていただくことはできない。この3年間ステロイド生活とステロイドから開放された日々とを繰り返していたキャンディだったが、尿路結石を手術したのを最後に(1999年11月)ステロイドのお世話になっていない。4年近くの闘病を経て、今やっと穏やかな生活をしているキャンディに、いつまた病気が襲ってくるのかは神様しか知らない。ただ、どんな状況になっても私の家族とキャンディは、精一杯戦って生きていけると確信している

                                2000,11,12 ウララ

※1999年11月23日、キャンディに奇跡の血をくれたアイク君は、リンパ腫のため亡くなりました。私は、心からの感謝を込めて、このページすべてを亡くなったアイク君に捧げます。
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その後・・・2001年6月まではとても元気に過ごしていました。しかし
長かった闘病生活のためなのか、2001年6月に腎臓病を発病。
「再び、奇跡を」という私たちの願いも虚しく、8月3日8歳8ヶ月の命を閉じました。

「私たちと一緒に過ごしてくれて、本当にありがとう」「たくさんの思い出をありがとう」・・そう言ってお別れをしました。                                            こちら