聖書のようわからん。
こういう題名の本作ってキリスト教入門みたいにしたら
売れるんじゃないかな。
売れないか。
サブカル
同輩後輩に「イエスって実在してたの」という初歩以前な質問をされて度肝を抜かれたロビンです。
結論から言うと、ちゃんと実在した人物。釈迦とか孔子とかとおんなじ。
ただし、聖書の記述の通りのことをやったというわけでなく、誇張や噂の一人歩きが含まれているはず。
はっきりしているのは、イエスという人物が実在していたこと、
処刑されて死んだこと、(まあ死体を弟子達に持ってかれたとか仮死状態とかいろいろ考えられるが)
何か思想を広めていたことくらい。
イエスの死後か、ひょっとしたら生前から、その言行やら行跡やらが文書の形で流布し、
それを底本に四つの福音書が書き上げられた、というのが定説。
ヨハネだけは異本や別の伝承をもとにしているくさい。
ついでにいうと本当に作者がイエスの直弟子か孫弟子かどうかもうさんくさい。
もちろん後世の愚民ども善男善女は別人が名前だけ借りて書いたなどとは思ってもみないので、
そこからまた全然違う外典や偽典が作られたり、宣教先に元々あった神話を吸収して似たような話になったり、民間伝承になって発展したりした。
ただし重要なのは、こーゆー形で発生したものを「なーんだウソか」などと一蹴してはいけない。
こーゆーのをサブカルチャーという。カルチャーとあまり区別がつかんが。
要するに、人々に強く信仰されたものは事実如何を問わずホンモノになってしまうということである。
また、数千年の歴史を持つに至ったのはそれなりの力があったからなので、
自分に理解できる教えかどうかはさておき、なめてかかってはならぬ。
遺伝
アブラハムの場合。
「エジプトに入ろうとしたとき、(アブラムは)妻サライに言った。
「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、
わたしを殺し、あなたを生かしておくに違いない。
どうか、わたしの妹だ、と言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのおかげで命も助かるだろう。」
ファラオの家臣達も彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。(中略)
ところが主は、アブラムと妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。」(創世記12:10)
ちなみにゲラル滞在(20:1)でも同じ事をやっている。そんなに妹萌えか。妹か。妹を所望か。
イサクの場合。
「(中略)その土地の人たちがイサクの妻のことを尋ねたとき、彼は、自分の妻だというのを恐れて、「わたしの妹です」と答えた。
リベカが美しかったので、土地の者たちがリベカのゆえに自分を殺すのではないかと思ったからである。
イサクは長く滞在していたが、あるとき、ペリシテ人の王アビメレクが窓から下を眺めると、イサクが妻のリベカと戯れていた。」(26:1)
親子でなにやってんの。
アブさん
トムキンスの「When David heard」を歌うので、対訳ついでにコラムを作った。
…ここに歌われているアブサロムは、数奇な運命の持ち主でした。彼にはタマルという妹がいましたが、母親違いの長兄アムノンが兄妹でありながら彼女を陵辱し捨ててしまいました。そのためアブサロムは怒ってアムノンを殺害し、母の祖国に追放されたことがあります。許されて帰国した数年後に叛乱を起こしています。
また、アブサロムは才能に溢れると共に大変な美男子で、特に髪が素晴らしく豊かだったと書かれています。髪があるうちが男は華ですね。しかしその煥発な才気の象徴ともとれる髪こそが、彼の致命傷となったのです。
父子でありながら軍勢を分けて争うことになったダビデとアブサロムですが、ダビデが我が子を惜しんで「アブサロムを傷つけるな」という命令を出していたため、ダビデ軍は苦戦を強いられました。そこで知将ヨアブはゲリラ戦法をとり、アブサロム軍を森の中に誘い込み、同士討ちしたりパニックになって戦闘不能になるように仕向けたのです。アブサロムは馬で森の中を駆け回るうちに、あの人も羨む髪を絡まった木の枝に引っかけてしまい、宙吊り状態になったところを発見され、そのままヨアブに討ち取られてしまいました。
この物語にはひとつの教訓が含まれています。どんなに素晴らしい長所や才能を持っていても、うまく活かさないとそれが致命的な弱点になりうる、ということです。ノー毛ア悩み多き人生。
何だこの文章。
参考:http://w2322.nsk.ne.jp/~tkchurch/mes_152.html
快楽の星
たたーたーたったーたったらたったったたー♪(ホルストの木星のテーマ)
三人の博士をベツレヘムまで導いた星は木星らしい。だからなんだ。
乳香と没薬を混ぜた香は黄金よりも高価な贈り物だったらしい。
ついでに言うと没薬は死体の防腐剤にも使われたらしい。
黄金:王権の象徴、乳香:神性の象徴、没薬:死の暗示らしい。
アダムのりんご
「囚われのアダムは横たわり Adam lay ybounden」という中世イギリスの作者不詳の伝承詩があって、
「聖書にはアダムがりんごをとったなんて書いてないぞ」とコメントした奴がいたが
そもそも聖書には、アダムとエヴァが食べた木の実がりんごだとはどこにも書いてないので
前提からして間違ってるじゃないか。
ヨーロッパでは昔からりんごは重要なアイテムで、
(花は可愛いし実は美味しいし栄養価高いし保存きくし立ち姿は絵になるし
トロイ戦争を引き起こした不和のりんご、ヘラクレスがとってきた黄金のりんご、北欧神話の春の女神が守る若返りのりんご、
白雪姫の食べた毒りんご、ウィリアム・テルとりんご、ニュートンのりんご、
とにかくヨーロッパ人はりんごが大好きだったので、大した根拠も疑問もなく、かの木の実をりんごだと思っていた。
いちじくだっていう説もあるけど。
(ひょっとしたら当のヘブライ人もりんごだと思ってたかも知れないけど。
雅歌2:3「わが愛するものは若者達の中で、森の中に立つりんごの木」)
しかし根拠がないのは別に大したことではない。その歌詞が言いたいのはそういう事じゃないからだ。
クリスマス
イエスが生まれた本当の季節は、実は冬ではなくて春から夏にかけてではないかと言われている。
更に限定すると4月17日。
ルカ書の「羊飼い達が野宿をしながら、夜通し羊の番を…」という記述から、
凍死しそうなほど寒い季節に、羊の放牧をするとは考えにくいからだそうだ。
でも冬のお産の方が絵になるよね。
春はイースターがあるし。
イエスが死んだ季節は寒い時っぽいので、イースターとクリスマスが逆なのかな。
湯田さん
民間伝承では赤毛だったり、ピンクい服着た黒人だったり、なんかの漫画では美少年だった(ような気がする)り、
駆け込み訴えてみたり、臓物はみ出してみたり、実は生きてたり(なんだそれは)、
なんかいろいろよくわかんないキャラ。文学作品的にはおいしい。
イエスに接吻した貴重な人物というわけで、一部には凄く羨ましがられている。(誰にだよ
マグダレナたんもイエスの足に接吻していたような気がするが、インパクトという点では負けるな。
頬にキスしたのか、接吻と言うからには口にキスしたのかはゲイのイケてる方々の勝手な想像に任せる。
追記:実際は頬にキスで鉄板らしい。
エリーとイライジャの髪隠し(意味不明
イライジャ・ウッドの名前について。
愛称はリジーらしい。本人に確認したわけじゃないから本当か知らんが。
英語で書くとElijah。Elizaとつづりが似てるからイライザの男性形なのかな―とか思ってたら
旧約の預言者エリヤの英語名だった。へぇへぇへぇ。
ちなみに変形だとElias。
蜂蜜よりも甘く素晴らしいのは、彼の美わしい御顔
どっかの民間伝承に、マリアとイエスはそっくりな顔をしているというのがあるらしい。
別におかしいこっちゃない。つまり二人とも美人なんだな。
美形が異性装しても似あうように、顔立ちが整っていることに性差はない。
まあどうせ実在にしても数千年も前の人物だし、どんな顔してたかわからないし
(大体どっかの古代ユダヤ人の骨適当につないで顔作って「これがジーザスだ」とか言われても説得力ねえよ
どう好き勝手描いても「ウソツキ」と言われる心配はない。「夢見すぎ」とは言われそうだが。
それにキリストがハンサムなほうが信者が集まるに決まってるじゃないか。(暴言
詩編第104編24節
「主よ、あなたが造られたものは数え切れない 知恵によって形造られたものは地に満ちている
はるかに広がる海の中には、造られたものは数知れず 大小さまざまの生き物が泳ぐ
その上を船が行き交い あなたが造られたレビヤタンもそこに戯れる」
レビヤタン。英語読みだとリヴァイアサン。旧約聖書に登場する想像上の怪物。
なんかよくわからないけど悪い化け物だったり、神さまのペットだったりする。
多分龍とかドラゴンみたいなもん。形は良くわからん。何しろ想像上なもんで。
シモン・マグス
「セイント」を見る。
なんだこの映画。面白かったが。
お姉さん心臓病はどうなった。
主人公の本名「サイモン」は、使徒言行録第8章に登場する魔術師シモンから由来。
フィリポによって洗礼を受けたが、ペトロとヨハネの奇蹟を見て「売ってくれ」と頼み
逆にメチャメチャ怒られた。らしい。
このことから聖職売買のことをラテン語で「シモニアSimonia」というが、どうでもいい。
聖書ではこれだけだが、伝説では使徒と魔術比べをして負けて、空中から墜落して死んだらしい。
異端であるグノーシス派の草創ともされているらしい。
しかし使徒言行録自体そもそもドリーマーなルカの手による物で
キリスト教はすでに原始キリスト教の頃からかなり宗派が別れてたらしいし、実のところ本当かどうか良くわからん。
コピペ
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● | 聖公会。ヘンリー8世までカトリックだった。
| ( _●_) ミ 女でも司祭になれるし、聖餐式でワイン飲める。
彡、 |∪| 、`\ マジでお薦め。
/ __ ヽノ /´> )
(___) / (_/
| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
ヨハネによる福音書第15章
「わたしはまことのぶどうの木、あなたがたはその枝、私の父は農夫である。
私につながっていながら実を結ばないものは父に刈り取られるが、
実を結ぶものは手入れされてますます良い実を結ぶようになる。」
チェリー・ツリー・キャロル
中世イギリスの民謡。
身籠もったマリアがヨセフと散歩しているときに、たわわに実ったさくらんぼの木があって
マリアがヨセフに「とって」とねだるけど(とっしょりになんてことを
ヨセフは「お前を孕ませた男にとってもらえ」と冷たい。
するとさくらんぼの枝が独りでに垂れ下がり、
それを見たヨセフが秘跡に感じいったとかいうはなしだったような。
カンタベリー物語にはこれが梨の木になって不倫妻がどうたらとかいう話がある。なんなんだ。
収録CD:ポール・ヒリヤー指揮「魂のクリスマス〜旧世界と新世界のクリスマス」キングインターナショナル
参考サイト:こことか。
どうでもいいんだけど同じくらいの時代に「The pear tree」という世俗詩もあった。
庭の真ん中に素晴らしい梨の木があって、町一番の美女が挿し木を所望してきたので、
存分に挿し木をしてさし上げたという内容だが、絶対エロい詩だと思う。何の関係があるんだ。
試聴:
愛するヨセフ、わたしのヨセフ
深夜ミサで聞いたチャプレンの説教が面白かったので書こう。
「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身籠もっていることが明らかになった。
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表沙汰にするのを望まず、密かに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。
『ダビデの子ヨセフ、おそれず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。』
(中略)ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」(マタイによる福音書1:18)
この「正しい人」というのはいろんな意味が含まれていて、
英語だのドイツ語訳だのいろいろしらべてみると(調べたのはチャプレンだが
「体面を重んじる人」「正義の人」「律法を守る人」など意味が分かれるらしい。
この時代姦通の女は石打の刑(死ぬまで石を投げつけられる刑。これは怖い)と決まっているので、
優しくも体面を重んじる人ヨセフはそれに忍びなくこっそり縁を切ろうとしたわけだが
当時13歳とも14歳とも言われるマリアが離縁されたって赤ちゃん抱えて路頭に迷うしかないわけで
それにしても許嫁だったはずのマリアは「律法を守る人」たるヨセフの矜持とかメンツとかをグズグズにしてしまったわけで
しかしそれをあえて全部無視しちゃってマリアを妻にしたヨセフの愛情こそが
「恐れるな」という天使の声そのものだったとかなんとか。
なんだようろおぼえじゃん。
詩編128編 Beati Omnes
「主を畏れる人は幸せ、神の道を歩む人は幸せ
自ら労して糧を受け、幸いと恵みが与えられる
あなたの妻は家の奥の実り豊かなぶどうの木、オリーブの若木のように子供らは食卓を囲む
主を畏れる人は、このように祝福される
主がシオンからあなたを祝福された
命ある限り、あなたはエルサレムの栄えを見る
あなたは子らの子を見る
イスラエルに平安があるように」
自ら労して糧を受け、というのは働いた分が全部自分の収入になるということです。
「都に上る歌」または結婚の歌だと言われている。
詩編随一の名文であるな。
まあ理想に過ぎないんだけど(綺麗な仕事で高収入、美人妻、子孫繁栄、祖国繁栄、長寿)
気持ちはわかる。
シートン動物記に見る聖書
集英社版の藤原英司訳の重くてでかい「シートン動物記」。
小学生の頃読んだ、という人もいるかも知れないが。
集英社版の4巻「動物の英雄たち」に収録されている「白いトナカイの伝説」に
「たとえばそれは、イスラエルの国にとって、サウロ王の幕舎にいたひげの生えた延臣たちと、
ベツレヘムの小川でのんきに小石を投げていた羊飼いの少年と、どちらが国の運命を決するものであったかを問うのと似ているだろう。」
ちゅー一節が出てきます。
この例えは旧約聖書を読んでたら「ああダビデ王のことだな」とすぐわかるけど
普通の人はわっかんねえだろうなあ。
デイヴィッド(ダビデだろ)はもともと片田舎ベツレヘムの羊飼いだったのを
指導者サウルに見いだされたのだが
めきめき頭角を現すデイヴィッドにサウルがだんだん自分の地位が脅かされそうに感じてきて、
ダビデを暗殺しようとするが、そのたびにサウルの息子のジョナサン(ヨナタンだっつに)がかばって
そのうちサウルとジョナサンは討ち死にしちゃって
デイヴィッドが指導者に、そしてついにイスラエルの王になったといういきさつがあるんだが、
って書いてるうちに長くなってきたぞ。
要するにシートン動物記面白いんだってば。旧約聖書とセットでお得なんだってば。
レビューはここが詳しいな。
創世記2章24節
「こういう訳で、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」
結婚式の式文によく使われるところ。
原語では「父母を離れて」のところは「父母を捨てて」の方がニュアンスとしてはあってるそうだ。
マタイによる福音書9章13節
「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
正しい人は悔い改める必要がない。やり直したいと本当に思っている人をこそいたわってあげよう。
という意味だと思う。
本当にいるかどうかは別として。いたらいいなあ。
10章16節
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送りこむようなものだ。
だから蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」
2ちゃんねるのモー娘。板には「狼」「羊」「鳩」の三つの板があって、上記の言葉にちなんでいるらしい。(後付けかも知れない
なかなか粋だ。
更に10章34節
「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来た。」
怖いって。
しつこく17章20節
「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここからあそこに移れ』と命じてもそのとおりになる。
あなたがたにできないことは何一つない。」
いい言葉だ。
詩編118編22節
「家作りの捨てた石が、隅の親石となった
これは主の御業(みわざ)、わたしたちの目には不思議なこと」
コリントの信徒への手紙1 13章11節
「われ童児(わらべ)のときは語ることもわらべの如く、思うこともわらべの如く、論ずることもわらべの如くなりしが
人となりては、わらべのことを捨てたり。
今我らは鏡をもて見る如く、見るところおぼろなり。
されどかの時には顔を合わせて相見ん。」
映画版の「攻殻機動隊〜Ghost in the Shell」のテーマ。らしい。
ヨブ記
聖書において義人(正しき人)とされているのは
ノア、モーセ(違ったかも知れない)、ヨブですが
今日は旧約聖書のプロフェッショナル教授からの受け売りを書こうと思います。(だめじゃん
ヨブは神を畏れる正しい人で、財産にも子孫にも恵まれ幸せ一杯だった。
あるとき神がそのことを自慢すると、
サタン(ここにおけるサタンは羽根無しの天使みたいなもん)が「利益もないのに神を敬うだろうか」と言って挑発した。
神はヨブの財産を奪うことを許した。
財産が奪われ、息子や娘達が殺されたとき、ヨブは激しく嘆き悲しんだが
神を非難しなかった。
神は更にこの事を自慢したが、サタンは食い下がった。神はヨブをひどい皮膚病にかからせることを許した。
妻はヨブが苦しむのを見て「神を呪って死ぬ方がましです」と言ったが
ヨブは「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と言って
決して神を呪わなかった。
ヨブの不幸を聞きつけて遠方から3人の友人が来た。彼らは変わり果てたヨブの姿を見て嘆き悲しんだ。
それから、友人達とヨブの議論が始まった。
「そのような不幸に見舞われるのは、君が罪を犯したからではないのか」と友人達が主張するのに対し、
「自分は決して罪を犯していない」とヨブは主張した。
「自分で自分を無垢だと言うことこそが、傲慢の罪を犯している」と友人達は言ったが、
それでもヨブは自分は罪を犯していないと言い張った。
結局神はヨブを元に戻して、財産を二倍に増やし、子孫を恵み、長寿を与えた。
要するにこの話は「世の中因果応報とは限らない」とゆーことを言ってるんですが。
結局神は曖昧にしか答えてくれないし。最後は付け足しだって言う噂もあるし。
「ヨブの神への信仰は、
嵐で自分の船を打ち砕いた岩に
溺れないように縋りついているようなものだ」
というのは誰が言ったんだっけ?
…うわっ、凄い長文。
ヨハネによる福音書第20章1節より
復活したキリストを最初に見たのは使徒でも聖母でもなく
「七つの大罪を背負った女」だったはずの
マグダラのマリアだったわけですが
「ラボニ(先生)」と呼んで駈け寄ろうとしたマリアに
「ノリ・メ・タンゲレ(我に触れるな)」と言って押しとどめたのは何故でしょう。
別にマリアが水虫だとか(ゴルァ)
汚れてるから(ゴルァゴルァ)とかではありません。
(この中学の頃この質問をキリスト教の先生に聞いたら答えられなかった。今でも腹が立つ)
トマスはイエスの腹の傷跡に触れてやっとキリストの復活を信じたが、
マリアは触れるまでもなく信じることができた。
だから「触れるな」とイエスは言ったのです。
わかりる?
マタイによる福音書 25章29節より
「誰でも持っている人は更に与えられて豊かになるが
持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」
↑は「タラントンのたとえ」からの引用だが
経済学科の先輩によると「まさに真実」だそうだ。
余裕のある人はよいものに投資して更に高い評価を得るが、
貧乏な人は生活に追われてどんどん金を吐きだし
金が貯まらず悪循環を繰り返す、という意味だと思うが
違うかも知れない。
つーか怒られそうだYO。