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宇宙人がいた |
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| 珍しい事に出会った。ビデオ屋さんの階段を降りる時のことだ。 |
| オトウサンとおぼしき人は階段に座り、側には幼い子どもが二人。 |
| 私はといえば、借りた3本のビデオと大きな数個の梨(品種は新高)を持っていた。 |
| ところが新高が重くてビニール袋の持ち手が切れてしまった。 |
| アッと思うまもなく、ごろごろと階段を転がっていく梨。 |
| こともなげにそれを拾ってくれた若いオトウサン。その後が「珍しい事」だった。 |
| 5歳位かと思われる男の子が、その梨を私の手提げに入れてくれようとしているのだ。 |
| 下の子と力をあわせて。けれど、格別に大きな梨なのですんなりとは入らない。 |
| 私も慌てて入れようとすると、その子は、入れやすいように手提げの口を拡げてくれる |
| ではないか。そのような心遣いをしてくれる幼い子をいまだかつて見たことがない。 |
| もちろん私は、ありがとうの連発。 |
| その後、荷物が多い私を見てのことだろう。その子いわく「大変ですね」 |
| 信じられない言葉を聞いて思わず「ハァ〜何ですと?」状態。この文を読まれた人の中 |
| に、その子の大人びた口のききかたを可愛くないと思った人がいたかもしれない。 |
| これまで私も、こまっしゃくれた子どもを好ましいと思った事はない。けれど僅か数分の |
| 触れ合いだったのに、不思議な親しみと好ましさを感じたのだった。 |
| どんな風に躾けているのかしら?と、ついオトウサンの顔を見てしまった私。 |
| 彼は至ってのんびりと涼しげな顔。特に子ども達を誉めるでもなく、悠々としている。 |
| 一方子ども達も、大人の顔色を伺うなどというケチな考えはないようで、ごく自然にのび |
| やかに振る舞っていた。 |
| 帰り道、理解に苦しむ、と右に左に首をかしげつつも確信したのだった。 |
| あの親子はきっと宇宙人に違いない、と。 |
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| 99/9/26 |
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快適ですか? |
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| もしも菅直人サンが、選挙ポスター風の笑顔を振りまきながら(笑っている場合 |
| じゃないと思うけど)デパートの階段にぺたっと座っていたら、鳩山由紀夫サンが |
| 日本の景気が悪いのはボクのせい、とばかりに深刻な面持ちでコンビニの入口 |
| の前に座っていたらどうだろう。誰が見たってヘンだ、異様だ、似合わないと思う |
| だろう。でも中には、「いいんじゃない、とってもよく似合うと思うわ」と言う人がいる |
| かもしれないが、それはそれで勿論いい。 |
| 何といっても地べた座りの旬の人達は中高生達だろう。かといって賛成している |
| わけではなく、単に見慣れてしまったというに過ぎない。 |
| 気がついたら駅の構内やプラットホーム、コンビニの入口付近、、デパートの階段、 |
| はたまた電車の中などにいつの間にか座っていたという感じだ。 |
| 今日も駅のホームのはずれの所に、試合にでも行くところなのか大きなスポーツ |
| パックを傍らに高校生達総勢20人位が地べた座りをしていた。 |
| まるで自分の家のリビングのフロアでくつろいでいるように。 |
| それは迷惑というよりも壮観でさえあった。 |
| 先日は教育テレビでも取り上げていて、有識者とおぼしき人が「座らなくてはな |
| らないほど今の子ども達が疲れていることが問題だ」と、まことしやかに言ってい |
| たけれど私はそうは思わない。ぺたっと座ることがなんとなく心地よくてそうしてい |
| るだけで、深い意味はないように思う。 |
| 大抵の事に暗黙のルールがあるように、座る場所というものにも、一定の法則 |
| があるようだ。概して人通りの多いところ、人の集まる所、但しど真ん中ではない。 |
| 柱の側とか微妙にずれた場所。 |
| 確かめたわけではないけれど、人が誰もいないところには座わらないのではない |
| かと思う。面白くも可笑しくもないだろうから。 |
| 彼らは人という観客がいる場所が好きなのだろうか。心安らぐのだろうか。 |
| 率直な私の思いは、座りたけりゃどうぞ御自由に、但し迷惑をかけない範囲でね。 |
| ということ。それにしても清潔志向の若者達が誰が歩いたかもしれないいわば清潔 |
| とはいえない場所に平気で座れるという感覚はいったい何? |
| 今現在は若者の専売特許ともいうべき行動だけれど、流行というものは不思議な |
| ものだから、ひょっとして菅さんや鳩山さんが所構わず座り始めても全く違和感を感 |
| じなくなる時がくるかもしれないね。 |
| 99/9/5 |
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そうでない人の戯言 |
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| 世の中には話の上手な人もいれば、そうでない人もいる。 |
| 私は言うまでもなく、そうでない人の部類だ。 |
| 上手な人は、理路整然と、よどみなく話し続けることができる。そのような人の |
| 頭の中はいつもきちんと整理整頓されているのだろうな、と只々感心する。 |
| 自分が出来ないことが出来る人には、尊敬の念さえ抱いてしまう。 |
| 但し、上手な話し手の話が必ずしも人の心に残ったり、心に響くとは限らない |
| ようにも思う。(これって結構負け惜しみかな?)。 |
| 例えば立て板に水のごとくの雄弁な政治家の話し方はどうだろう。 |
| 熱気溢れる弁舌、時には焦点を巧妙にずらしたりしながらも、よどみなく話す術は、 |
| さすがプロの技だなぁと感心する。 |
| けれど、一向に心に届かないのは何故だろう。上手過ぎる人の話は安心してしま |
| って、真面目に聞いていないことがあるように思う。 |
| 反対に「そうでない人」の話は、何を話すのだろう、上手く話せるだろうかと気にな |
| って、心配にさえなってしまうのだ。それだけに真面目に聞く。 |
| ということは、私は心配してもらって真面目に聞いてもらえるという特権?を持って |
| いるということなのかもしれない。 |
| 下手でも、たどたどしくても、支離滅裂になっても、話し手から一生懸命さや人間 |
| 的な温もりが伝わってくれば、良しとすぺきではないかと思う。 |
| 要は日本語として通じればいいのだから。 |
| とはいうものの、やはり下手よりは上手の方がいいというのが実は本音。 |
| ほどほどに上手で、聞き手にちょっぴり気にかけてもらって、味わい深い話し方をす |
| ることが出来たら、とつくづく思う。愛しい言葉を駆使しながら。 |
| けれど、それは遠い夢のような気がしてならない。 |
| 99/7/17 |