2005.3.21
春爛漫。この言葉からまっ先に思い浮かぶのは、あたり一面に咲き誇る桜の花、花、花。白っぽいピンク色の花びらが空を覆いつくす。見上げれば花、花、花。花曇りなどという言葉もある。不思議なことに葉っぱは見えない。
これは満開の「染井吉野」の光景である。あたり一面一斉に開花するのが染井吉野。薄いピンク色は染井吉野。葉が出るより先に花が咲くのも染井吉野。
染井吉野が生まれる前は、いろんな品種の桜が混じっていたので、濃い色、薄い色が入り交じり、また品種によって開花時期が異なるので一斉に咲き誇ることもなかった。山桜などは、“花(鼻)より先に葉(歯)が出る”ということで出っ歯の別称ともなっているほどである。
いまとなっては、桜といえば染井吉野ということになるのだが、染井吉野は昔からあったわけではない。江戸時代の終わりに生まれ、明治の初めにかけて急激に広まったものなのだそうだ。せいぜい百年ほどの歴史しかない。たったの百年で一斉を風靡してしまったのだ。いまや日本の桜の八割ないし九割は染井吉野であるとのこと。
昔は桜の名木といえば単独の樹木。一本の名木を囲んで愛でるのが花見であった。染井吉野が普及するに伴って、単独の名木ではなく群生を愛でるようになったきた。
桜の開花時期は一週間ほど。昔はいろいろな品種があったので開花時期がずれ、花見のシーズンは一ヶ月ほどあった。それが染井吉野の一品種になると一斉に咲き一斉に散ってしまうため、花見は一週間で終わってしまう。
この潔さが、予科練の歌を筆頭に、日本の精神風土を作ってきたとも言われている。もし、桜が染井吉野一色ではなく、昔のようにいろいろな品種が入り交じっていたならば、日本の精神も違ったものになっていたかもしれないと著者は言う。書名からしてこの展開が本書の本題なのかもしれないが、わたしにはそれよりも「染井吉野の秘密」といった話に興味を惹かれてしまった。
桜には自然不和合成というなにやら難しげな性質があるそうだ。むずかしい言葉をかみ砕けば、自分自身のおしべとめしべでは受粉しない、ということになる。つまり“近親相姦は御法度”などと野暮なことをいうまでもなく、たとえ禁を犯そうとも決して実を結ぶことはないのだそうだ。結実は、他の樹木との受粉に限る。なので変種ができやすい。いろいろな品種を掛け合わせて新種を創ることが商売として成り立ってくる。
染井吉野はその変種の一つである。折角できた新種ではあるが、これが他の品種と交わってはまた違うものになってしまう。かといって自家受粉しないのだから家系を保つことはできない。いやいや、早まってはいけない。挿し木、接ぎ木で増やしていけば種を保つことは可能である。染井吉野はそうしてひろまった。つまり、日本中の染井吉野も、もとをたどれば一本の樹にたどりつく。すべてが「クローン」ということになる。信じがたいことではあるが、どうやらそういうことらしい。
ここで、染井吉野という名前の由来についてのご考察。最初は染井吉野とは称せずに、単に「吉野桜」といったそうだ。それが、染井(町の名前です。染井は園芸の盛んな町で有名だった)のあたりからやってきた吉野桜、ということで染井吉野と呼ばれるようになった。というのが有力説であるとのこと。
染井はともかくとして、染井吉野は本当に吉野の桜に似ているのか。それが、どうもそうではないようなのだ。吉野の桜と染井吉野とはかなり様子が違うらしい。ではなぜ、吉野桜と称してもイチャモンがつかなかったのか。答えはあまりにもあっけない。それは、本物の吉野の桜を見た人がほとんどいなかったためである。実物を知らないのだからウソを見抜くことはできない。
ちょっと待て、平安の世から吉野の桜は歌に詠まれ、絵に描かれているではないか、とのご指摘もありそうですね。実はそこがポイントというか盲点なのです。
確かに、最初に詠んだひとは実際に吉野の桜を見て詠んだのだろう。しかし、それ以降のほとんどの歌人は吉野へ足を運ぶことなく、座したまま吉野の桜を詠んでいた。そして桜の咲く光景は現実とは関係なく頭の中でどんどん変化していった。もちろん過剰に美しいほうへ。これ、平安歌人の得意とするところなり。絵描きはそのイメージを絵筆で具現化する。そのイメージというのが、まさに染井吉野の群生、一斉開花なのだ。
一斉に開く花びら。どの樹もどの樹もいっせいに淡いピンクの花を咲かせている。みどりの葉っぱはまだ出ていない。これがイメージの中、すなわち窮極の美であるところの満開の桜の光景。これを後追いで染井吉野が実現したのである。生まれたばかりの染井吉野は、イメージの中の吉野の桜を江戸の町に具現したのだ。
なので、まごうことなき吉野桜なのです。見事さを絶賛することはあっても、違和感を唱えるはずはありません。あっという間に日本中に広まったことはいうまでもありません。
和歌にも詠まれ絵にも描かれた満開の桜。その実際の光景が出現したのはわずか百年前のことなのだ。歌の世界、絵の世界での理想郷が江戸の末期になってにわかに実現されたのだ。平安の時代からあったような気がするのは、平安人のイメージを染井吉野が具現したからなのだ。染井吉野は、イメージ先行、実物後追いの作品なのだ。
てなことが本書に書かれている。まったくもって意外な話でした。
佐藤俊樹『桜が創った「日本」』(岩浪新書)
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