断想集


第511話 本との出会い・ホントのつきあい

閉鎖的日本から新天地へ

ロバート・ホワイティング『イチロー革命』

2005.3.19


 新古書店で山際淳司の本をみつけたのとちょうど同じころ、新刊書店で目に入ったもうひとつのスポーツ本が『イチロー革命』。ベタな書名にためらいを感じたが、著者がホワイティングなので買うことにした。

 山際淳司が選手の心の内を超高速度撮影のように抽出するのに対して、ホワイティングは選手をとりまく環境・風土を(批判をこめて)描くことを得意とする。日本に来た“ガイジン”選手の目を通してプロ野球の世界の“フシギ”を描く。選手個人のことよりも、日米の野球環境・風習・因習の違いの追求が主題となる。

 日本の風土の特殊性に関する観察は、野球にとどまらず相撲界へも繋がっていく。高見山と小錦、ふたりのガイジン力士を通じて相撲界の特殊性を描いた『ジェシーとサリー』(筑摩書房)を書き下ろす。そして、この観察は『和をもって日本となす』(角川書店)といった、より広範囲な文化論へと発展する。

 『和をもって』を著したあと、スポーツはひとやすみして、戦後日本の暗黒世界へ向かっていく。『東京アンダーワールド』『東京アウトサイダーズ』(いづれも角川書店)といった大作が矢継ぎ早に発表される。

 そのホワイティングが再び野球に戻ってきた。初期の作品とは反対の立場、すなわち海を渡って大リーグ入りした選手にスポットを当てる。アメリカでの活躍・苦労・挫折もさることながら、日本の球団を離れることの理不尽ともいえる経緯が生々しく描き出される。

 書名はオリックス・ブルーウェーブからシアトル・マリナーズへ行き大活躍しているイチローになっているが、本書ではイチローに限らず、海を渡った多くの選手が取り上げられている。

 まずは日本人大リーガー第一号の村上雅則。村上は南海ホークスの二軍選手だったころサンフランシスコ・ジャイアンツへ野球留学し、シンデレラ的な大リーグデビューを果たす。本人も周囲も予想だにしなかったことである。そうなると送り出した南海ホークスに欲が出てくる。そんな良い選手をアメリカに置いておく手はない。村上本人やサンフランシスコ・ジャイアンツの意向はまったく意に介さず、すぐに帰国して日本でプレイすることを要求する。そして、日米間のゴタゴタが始まる。かくして村上は日本人大リーガー第一号であるとともに、日米ゴタゴタの第一号となる。

 お次は野茂英雄。近鉄バッファローズからロサンジェルス・ドジャースへ移り大活躍をする。大リーグに行くに当たっての近鉄バッファローズとの交渉はゴタゴタどころではない見苦しい泥仕合。手を代え品を代えての嫌がらせ、下手なこじつけ。結局は、“日本の他球団への移籍は不可だが大リーグへならこの限りに非ず(というよりも、大リーグへの移籍は範疇に含まれていない)”という任意引退選手制度の盲点をついてアメリカへ。アメリカでプレイする以前に、日本の球界を離れるためのすったもんだは並大抵ではなかった。このときの苦労が後継者への道を開く。もちろん、アメリカでの大活躍が多数の後継者を生んだことも忘れてはならない

 団野村などのエイジェントの活躍(暗躍?)も無視できない。

 野茂が切り開いた道を後輩たちが進んでいく。日本球界も半ば諦めたのか、以降はポスティング制度やフリーエイジェント制度といった、公認の制度を利用して大リーグへ移籍するようになった。

 伊良部秀輝(ロッテ・マリーンズから、移籍先の決定にすったもんだの末、ニューヨーク・ヤンキースへ)、長谷川滋利(オリックス・ブルーウェーブ→アナハイム・エンジェルス)、吉井理人(ヤクルト・スワローズ→ニューヨーク・メッツ)、佐々木主浩(横浜ベイスターズ→シアトル・マリナーズ)、大家友和(横浜ベイスターズ→ボストン・レッドソックス)、新庄剛志(阪神タイガース→ニューヨーク・メッツ)、石井一久(ヤクルト・スワローズ→ロサンジェルス・ドジャース)、松井秀喜(読売ジャイアンツ→ニューヨーク・ヤンキース)、松井稼頭央(西部ライオンズ→ニューヨーク・メッツ)たちがぞくぞくと海を渡って行く。マック鈴木のように日本球団を経ずに直接大リーグ入りする新世代も現れる。そして、もちろんイチローもアメリカへ渡っていく(オリックス・ブルーウェーブ→シアトル・マリナーズ)。

 一転して、ガイジンとしてロッテ・マリナーズの監督に就任したボビー・バレンタイン監督の苦労・苦悩が描かれる。シーズン途中での理不尽な解任。広岡GM、江藤・尾花・江尻コーチらとの不和が原因である。選手・ファンには大いに好評を博し、また、万年下位チームを二位に引き上げるといった好成績を残していたにもかかわらずの解任である。日本球団のふところの浅さ、こころの狭さが痛切に描かれる。

 話は変わるが、ホワイティングの著書を読むたびに、訳者の苦労が偲ばれてならない。なにしろ、日本のことを書いた英語を日本語に訳すのだから、信じられないほどの労力がかかったことだろう。英語を日本語に訳せば済むものではない。もとの日本語と付き合わせするといった余分な作業が追加させる。簡単な例が固有名詞。漢字で表記するのは予想以上に大変なことのように思われる。また、正確を期すためには、新聞記事などの原典にあたらなければならない。そのあたりの苦労を訳者松井みどりはこのように語っている。

 おかげで訳者は、段ボール四箱分の資料をボブさん(ぶらり註=ロバート・ホワイティング)から送りつけられ、悪戦苦闘する羽目になっている。
 弁解じみて恐縮だが、彼の著書の翻訳は決して楽ではない。日本語の資料を英語に直したものを、もう一度日本語に戻す作業だから、元の日本語と微妙に変わってしまう。まるで伝言ゲームだ。(中略)なにより人名などの固有名詞がくせ者だ。(松井みどり「訳者後書き」432頁)
 とまあ、大変なことはわかるが、松井みどりさんにはまだまだ苦労を続けてもらいたい。次作を期待しています。

ロバート・ホワイティング、松井みどり訳『イチロー革命』(早川書房)


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