断想集


第509話 本との出会い・ホントのつきあい

左手の効用?

向田邦子『父の詫び状』

2005.3.3


 向田邦子はテレビ・ドラマの脚本家である。「七人の孫」「寺内貫太郎一家」などの作品を残している。評判も高く、視聴率も高かった作品である。しかしながら、わたしには偏見があった。いくら優れた作品を書いたといえ、所詮それはテレビの世界の話。あくまでもテレビ向けの作品であり、活字になったものはたいしたことないだろう、と高をくくっていた。

 その向田邦子の書いたものを高く評価するひとがいる。けっこう“うるさ型”のひとである。「お言葉ですよ」シリーズの高島俊男である。その高島俊男がハードカバーで二百八十ページを費やして向田邦子を論じている(『メルヘン誕生』(いそっぷ社))。

 辛口の高島俊男が讃える向田邦子の作品とはどんなものだろう。気になる一方でいわれのない偏見もある。どちらかといえば、偏見のほうが勝っていて、あえて読もうとはしなかった。ところが新古書店の百円均一コーナーとなれば話は別である。百円なら買ってもよいかな、という気持ちになる。というわけで買いました、読みました。とりわけ(高島さんの)評判の高い『父のお詫び状』を。

 『父のお詫び状』は「銀座百選」の昭和51年二月号から53年六月号にかけて隔月に連載された全二十四編のエッセー集である。

 これを書いたのは乳癌の手術の直後。輸血が原因で血清肝炎にかかり、右手がまったく利かなくなったころだそうだ。書くきっかけについて次のように語っている。

 テレビの仕事は休んでいるので閑はある。ゆっくり書けば左手で書けないことはない。こういう時にどんなものが書けるか、自分をたしかめてみたかった。テレビドラマは。五百本書いても千本書いてもその場で綿菓子のように消えてしまう。気張って言えば、誰に宛てるともつかないのんきな遺言状を書いて置こうかな、という気持ちもどこかにあった。(「あとがき」266頁)
 結果としてこの左手で書いたことが功を奏しているような気がする。右手なら勢いに任せて書き飛ばすことも可能だが、左手ではそうはいかない。気持ちがいくら焦ろうとも手が追いつかない。次第に頭も手に合わせて動くようになる。文字にするのはじっくり練りあげてから。その結果、落ち着いておさまりのよい文章が生まれた、のではなかろうか。

 各編は、縦に貫くメインの文章といくつかの挿話により構成されている。各々の挿話はそれぞれが独立していて、一見脈絡がないようにみえる。前の話を受けてしりとり式(直列)に繋がっていく場合もあれば、同じテーマの挿話が並列的に並んでいる場合もある。ところがおのおのの挿話には見えない糸が張られていて、一見バラバラな断片も最後に糸を絞られると見事に一カ所に束ねあげられる。卓越した構成力である。

 各編では個人的な事情を語り、どの話にも、父や母、祖母、そして多くはないが兄弟の影が現れる。祖父は徹底して出てこない。実の祖父についていろいろと思うところがあるためとのこと。『七人の孫』を除けばテレビドラマにも祖父という存在はほとんど登場させていないそうだ。

 昭和の生活も描かれる。とはいっても決してノスタルジアにふけることなく、単なる事実として淡々と描写されている。感傷に陥らない乾いた文章である。それがかえって古き時代を蘇らせる。

 また、著者自身はけっこうおっちょこちょいのところがあるようで、自宅前でタクシーを降りるときに料金ではなく玄関の鍵を渡そうとしたことなど、「うっかり」が巻き起こすユーモラスな事象も楽しく綴られている。いろいろの面から愉しむことのできる一冊である。

 なお、本書には数回飛行機事故の話が出てくるが、結果を知って読むと少し不気味なところもある。ちなみに本書は昭和53年に文藝春秋より単行本として出版され、同56年十二月に文庫化されている。その文庫が出る直前、昭和56年八月に著者向田邦子は台湾上空の飛行機爆発事故で急逝する。それを知って読むと飛行機事故に関する無邪気な冗談がいたたまれなくなってくる。先に引用した「あとがき」の不吉な一語「遺言状」という言葉が現実になってしまった。合掌。

向田邦子『父の詫び状』(文春文庫)古書


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