あるメーリングリストで「助産婦が産婦のお腹に乗り胎児を押し出すことについて、無理やり押し出して大丈夫でしょうか?」との投稿があった。
それに応えて、赤ちゃんの心音の低下という緊急事態においては、命を救うためにやむおえず行う場合があるし、施設によって判断基準はまちまちだとのことだった。
この出産方法のことをクリステレル児圧出術と云うらしい。
心音が落ちるにも、いろいろな原因があるようで、赤ちゃんが仮死状態にある場合や、何らかの原因で臍帯が圧迫されている場合、あとは、お母さんの状態(長時間一定の態勢で血流を圧迫)が悪い場合…。
この方法で無事に誕生できない場合は、帝王切開になる可能性が高くなる。
この手技によって産道を降りることが出来たとしても、最後は吸引で誕生を締めくくる。
最初の投稿にはクリステレル児圧出術によるトラウマはないのか?というニュアンスがあり、このような方法が取られたことへのショックが覗えた。
心音がさがるという事態は現場の出産関係者達の肝を冷やす。死への怖れや不安に駆られるからだ。
信頼の置ける助産婦さんからも、その話しを聞いたことがある。
二人掛りで必死に胎児を押したとのことだった。馬乗りにはなっていないが、半端な力ではとうてい無理らしい。みんな命がけである。
馬乗りになる、ならないによっても身体的心理的な影響は違ってくる。
つまり母親は出産後、それぞれ個人のフィルターを通すことにより、
どのようにクリステレル児圧出術を受け止めるかで感じ方の違いが出てくるだろう。
そして、その印象の違いが子供へと伝えられる。
その時、子供達はどのように自分の出産を受け止めるのだろう?
やむを得ない処置として受け止めるか?耐えがたい体験として受け止めるか?母親に苦痛を与えたのは自分のせいではないか?助産婦や看護婦に命の恩人として感謝したい?と、様々だろう。
ある母親はその時の体験を押しつけがましく、そこまでして産んだのだと武勇伝として語り、ある母親は傷ついた思いを語るつもりが当事者の我が子に責めて立てるような口調で訴えてしまう。
そのような場合、母親の気持ちが子供の小さい胸では抱えきれないほどに押し寄せることもあるだろう。
『お母さんは私のことが迷惑なのかな?』『生まれてきてよかったのかな?』と、自分の存在価値を問うてみる子供もいることだろう。
母親が体験した出産への様々な思いが、母子関係にまで影響しかねない。
しかし、母親達の感じ方の良し悪しに言及するつもりはもうとうない。それどころか、母親自身が出産体験によって傷ついてしまっているかもしれないからだ。だとすれば母親の出産の労を充分ねぎらうことの方が先かもしれない。
ちゃんとできなかった、失敗した、自分ではどうしようもできなかったという敗北感の中で傷ついた気持ちが巣くってしまうと、卑屈になったり、重苦しい気持ちを一掃するために誰かにあたってしまう。
その矛先が子供に向かい、子供にあたってしまう自分をまた責める。
クリステレル児圧出術で誕生した人達は人生の節目節目で大きなコントロールに出合う可能性がある。
例えばどんなコントロールなのか?その一例を先のメーリングリストに投稿した私の文章を引用したい。
☆ ☆ ☆
高校、大学、就職と人生の節目でことごとく先生の進言や後押しで進路を決定して来た、クリステレルふにゃららで誕生した女性を知っています。
彼女は第三者からのコントロールを素直に受け入れてきました。
彼女の母親は皮肉まじりに云います『あんたはなんにもしなくていいわねぇ』彼女は心底思います『私はほんとにラッキーなんだ』と、感謝すらして。
実は結婚もコーディネートしてもらっています。
受け入れることを通して人生に感謝して来た彼女にとって、人生の節目に自分の意思による選択が出来たとき、さぞ喜びは大きいことでしょう。
彼女はいずれ彼女らしい男性性と向き合う時期がやってくるだろうと、希望的観測で考えています。
それは、ただ従うのではなく、受け入れることに自分の意思をきちんと反映させる男性性かな?とも考えるわけです。
自身の選択の意思を受容の中にすら、見出せるバランスかもしれません。
この時、彼女にとっての誕生の意味は完璧なギフトとなり、必然となることでしょう。
☆ ☆ ☆
実はMLでは語りづらかったことに触れたいと思う。
彼女のお母さんのその後の出産と彼女自身の出産についてである。
母親は第ニ子を無痛分娩で出産する。その理由は彼女を産んだとき
2度と出産はしたくないと思えるほど、その体験が苦痛だったからだ。
長い時間がかかった上、最後馬乗りになられて屈辱的だったそうだ。
第ニ子を宿した時に医者へ相談したところ無痛分娩を勧められて、
それを選択したのである。
その経緯を中学生の娘に告白している。つまり彼女は自分の誕生について母は苦しくて辛い思いをしたのだと、受け取ってしまう。
彼女にもやがて母となる日がやって来る。第一子は帝王切開で出産。
そして、第ニ子を出産するときに今度こそはちゃんと産みたいと思う。
前駆陣痛の段階で異常な痛がりようから、本格的な陣痛はとても耐えられないかもしれないとの看護婦の言葉に、医者が帝王切開を決断する。
この処置に対して彼女は感謝している。耐えがたい痛みの世界から解放され無事に出産できたことへの感謝である。
しかしながら、実はちゃんと産めなかったという敗北感と罪悪感も生まれていた。その感情を見事に刺激したのが母の一言である。
『私も無痛分娩にしたけど、一度くらいは下からちゃんと産んでもいいんじゃないの?』
母は無痛分娩を体験してみて、苦しくて辛い思いをしたクリステレル出産のほうが産んだという実感が持てたことを娘に伝える。
実はクリステレル出産で感じた敗北感よりも無痛分娩後に感じた敗北感とダルマさん状態で産んでしまったことへの罪悪感が、娘の気持ちを刺激し揺さぶる。
『やっぱり、一度は下から生まなきゃ・・・』と。
お互いの敗北感と罪悪感が見えない形で響きあっている。
かくして彼女は前回の病院から今回も帝王切開だと言われ、トライアルのできる病院を探し当てる。
しかし、またしても帝王切開となってしまう。
この時の彼女はどんな気持ちになったのだろう。実際に話しを聞けていないのでなんとも言えないが、ぐっと肩を落としている彼女の姿がよぎるのはあながち想像の中だけではないかもしれない。
そして、彼女が我が子に出産の話しをどう伝えていくのだろう。
母と娘と孫達に出産を通して伝承されていくものは、一体なんだろう?
出産には少なくとも痛みが伴なう。この痛みはただの痛みではないことがとても厄介だ。陣痛の痛みそのものというよりは子供時代からの痛みの個人史がそれぞれに出てくるからである。だから厄介なのである。
痛みの世界はとても個人的だ。
彼女の帝王切開の原因になった前駆陣痛時の痛みは、母親の出産話が
刷り込まれているように思えてし方が無い。
『出産は辛くて苦しくて痛いもので、それを超えていかなければ誕生はありえないかも・・・だって私が今日あるのは母親が苦しんだ対価だもの』
中学生の女の子の潜在意識に刷り込まれたのは、母親の苦痛にあえぎながら
自分を産む姿である。
癒されることなく引き継がれていく思いは、痛みに対するイメージさえも変えていってしまう。そのイメージが自分の出産時に思わず顔を出す。
だが、これは癒されるチャンスを覗ってのことである。
ならば痛みにくっついた様々な思いやイメージを癒していくチャンスが出産には訪れているかもしれなのである。
しかも世代を超えてである。
どんな出産も祝福され、癒されてさえいれば、『産んで良かった』
『生まれて良かった』と、お互い思えるはずだから、その日が誰にも訪れるために、新しい命は生まれつづけるのかもしれない。
それぞれのギフトをたずさえて。
(メルマガ「KEEP BREATHING」vol.5 バックナンバー 2004/03/01より)
私は中毒症の母親から37週で誕生した、1.800グラムの未熟児である。
医者からの温情で200グラム水増しされ、母子手帳に2.000グラムと記載されている。
まっ、気持ちだから受け取っておくけど、この時一体誰の気持ちを軽くしようとしたのだろう。
大きくなったときの私か?その時の母親の気持ちか?案外お医者さん自身の気持ちかもしれない。
出産にはいろんなドラマがあり、赤ちゃんの誕生と共にいろんな思いがくっついているものである。
さて、生まれてくる当事者達はどうだろう ? 実際にはこの世に存在する全ての人がその対象となるわけだけど、どうだったと聞かれることも稀なので忘れてしまう。忘れてしまうだけに潜在意識のなかへと眠り続け、意識下にあがってきたとしても、これこそが胎児時代から持ち続けた感情だとは思わない。
しかし、生まれてくる前に胎児は母親の気持ちを共有し、それに共感している。
血流を通じてそれぞれの感情に応じた情報伝達物質達がひっきりなしに流れ続ける。
こうして母親の気持ちを受け取ることができるのである。
体内の心臓音も血流の音も外の世界の家族の声も聞いている。
これは結構な情報量かもしれないが、いずれにしても母親を通じて得られる情報である。
この環境が胎児を母親の一番の共感者としてくれる。
さて、胎児時代の私と私の母親との間に共有された気持ちとは一体なんだろう ?
腎機能が弱まり腎臓内の血管が細くなり、毒素が越せない状態が母親の身体に負担をかける。
身体はむくみ、同時に倦怠感が襲ってくる。
中毒症の母親の感情は張りのない淀んだそれである。しかも血管が狭くなることで血流量は減る。
その結果乏しい栄養と乏しい酸素量、それに伴った起伏の無い感情、しかも主流な気持ちが倦怠感ときた日にゃ・・・その気持ちは察して余りある。
身篭った事をうれしく思っていないのではないか・・・
愛されていないのではないか・・・
このように愛情に関してとても疑り深くなり自信を失っていくのである。
否定されているかもしれない、拒絶されているかもしれない私・・・
こんな思いの中で羊水に浮かんでいる日々は悲しい。
そして、中毒症の子宮内では寒いという話を聞いたことがある。
この体験から私は拒絶感にことさら敏感な人間になった。
しかもこの味わいたくない感情を避けるために拒絶される前に拒絶するというテクニックを身に付けてしまった。 思春期も大好きな女の子をあえて無視する。
しかし、表立って無視しながら声をかけられるのをじっと待っている身なのである。ナンタルチーヤ。
愛情の臆病者が被る仮面は、ぶっきらぼうで傍観者のようにリアクションが乏しい。
声をかけられても、うかつにしっぽを振っていることは、サトラレてはならない。
なぜなら本音が透けて見えた後で味わう拒絶感はよりいっそう大きいだろうと、想像できるからである。
愛情の保険は慎重に吟味し、多額のものをかけないと気がすまない。
愛情に関する恐れが大きければ、目の前にある愛情は目に見えてはっきりしていて分かりやすいものが私のニーズである。それが傷つかない方法だから。
だから・・・私は積極的な突っ込みタイプで、ダイレクトな好意を示す女性を引き付けて来た・・・引き付けている ? かな・・・。
これが中毒症胎児の恋愛事情かもしれない。
このことに気づいたのは7年前である。わたしの中に巨大な拒絶感が巣くっていると知れたのは。
しかもそれは母親から一番感じていた感情でもあることを。
あることをきっかけに今までに味わったことのない拒絶される悲しみを体験した。
その体験があったおかげで拒絶感のルーツが母親との関係にあることを理解したのである。
しかし、拒絶感ありきの私が気づきによって前向きに変わってきたのは、誰かから過敏に勝手に拒絶されたと思いがちな、私の癖があるという事実を受け入れたからである。 もしかすると相手によっては壮大な一人相撲をとっていたかもしれないと、笑えたことも大きい。
そして、先ごろ拒絶感の先にある感情にも気づけたのである。手前かもしれないが。
それは無力感と敗北感である。
ここ2・3ヵ月、拒絶感を感じたり無力感を感じたりと何をやってもうまくいかない状態が多くあった。
時には自分のふがいなさを責め、八方ふさがりな状態に苛立ちもしたが誰かに当たったところで何も解決しない。
誰かにサポートをお願いしてもタイミングがうまく合わない。
こればかりはいたし方ないのは分かるが拒絶されたようで悲しい。
実に根強いパターンである。そんな気持ちを繰り返しながら身動きできずに、ほんとに無力である自分に行き当たってしまった。
これは無力感をとことん感じなさいということである。
この間、それでも自分にとって一番クリエイティブだと思えることを実行していた。
ちょうど一年前に収録した自宅出産のビデオの編集である。
私の生きる糧はクリエイティビティだから、自分を何とか維持するためには、創作活動=生命活動を続けていく必要があった。それが拠り所となった。
その喜びを感じながら、感じること、自分でいることを辞めるわけにはいかない。
そして、無力感とも離れずに居続けた。トレーナーとは因果な商売である。
すると、周囲の人たちも私と同じような無力感を感じているかもしれないと、ふと思ったのである。
力になりたいけど力になれない・・・私は無力だという想い。
そんな折、子どもにイライラをぶつけたり、突き飛ばしたりする自分を虐待じゃないかと責めさいなむ、あるお母さんの投稿を2つ読んだ。彼女達のシェアに共通したものは敗北感が強いことだった。
そして、敗北感を感じることの情けなさや不快さを怒りで払拭しようとする姿だった。
私は虐待のとば口に立ったこともあるので、虐待する側の感情を思い出しながらアドバイスしたいと思い、当時の様子を思い描いた。
母を求めて泣き叫ぶ我が子に感じてしまった無力感。あやしても泣き止まないので無力な自分を責めたこと。 母のようにおっぱいがあれば、泣く口をふさげるかもしれないが無理だ。そして、「泣くな! 俺じゃ駄目なんだな!」と叫んでいたこと。
無力感が拒絶感に変わった瞬間である。
あるいは母親との間で癒されなかった感情が突然姿を現した瞬間である。
さらに無力感だけではなくて、その果てに感じる敗北感もそこにはあったのである。
先の彼女達の中に見えた敗北感はわたしの中にもあると、改めてわかった。
出来上がった自宅出産DVDを何枚も試し焼きしながら、私がなぜリバーシングとか誕生のパターンとかを専門的に扱う仕事をし、妊婦さんと関わり、今は出産映像まで仕上げようとしているのだろうと考えてみた。
答えは、そこに私と母親との関わりや、私の心のルーツがあるからだ。
そこを紐解きたいと思っているのである。そして、癒されたいと願っているからだ。
母と子のつながり、家族のつながりを描きながら、私には生まれたばかりの弟を戸惑いと愛情とともに自然に受け入れた二人の兄弟がとても印象的だった。
そこで私の母親が妊娠中のときの状態と3歳に満たない自分自身の姿を想像してみたのである。
私の下に弟が生まれる予定だった。またしても中毒症の危険性があるので医者が出産は諦めたほうがよいと勧めたらしいが、私のとき上手くいったので今度も産むと、言い張ったようである。周囲も猛反対したが産むと、母は決めたようである。
実際にひどい中毒症となったようで丸たん棒のように太くむくんだ両足は、ベツドの両端から八の字になって投げ出されていたらしい。
胎児時代は内側から母親を感じていたのだが、今度は実際の母親を目にした私は辛くて悲しい思いにかられたことであろう。感情の鈍い反応の無い母親を目の前にして、無視しないでよという気持ちと、再び思い出したくないあの拒絶感。
でも悲しい気持ちに出来るだけフォーカスを当て続けると、二人を何とかしてあげたいと思ったに違いないと強く感じられた。
目の前の母親と弟に元気でいてほしいと思いながら、無力感で一杯の小さな自分が想像されたのである。
そして、突然その時の私に襲って来たのが敗北感という感情だった。
残念ながら二人とも亡くなってしまった。なんとか二人を助けたいと願っても無力の果てに敗北感へたどり着いてしまったのである。
そして、母親も中毒症から抜け出せない状態から敗北感を感じていたに違いない。
母は2度目の敗北感にまみれながら、産むことが果たせなかった。
そして、父をはじめ母の姉、兄弟に自分を責める気持ち、無力感、敗北感は伝播していったのである。
死なせてしまった・・・助けられなかったという思いである。
私をはじめ周囲の家族は敗北感を感じてしまうくらい、一生懸命に助かって欲しいと願ったはずである。
その気持ちは愛以外のなにものでもないと思ったら慟哭していた。
こうして私は敗北感から自分の愛を見つけることが出来たのである。
私はこれまで自分のしていることが、みんなのためになるからとか、誰かのためになるのだからという言い方は、してこなかった。口幅ったく大儀名文のようでまたこそばゆく感じたものである。世の中には偽『みんなのためになるから』が溢れてもいるし、この言葉を意識して封印してきたのである。
その抵抗の歴史のルーツは、私が実は長い間闇の中に封印してきた敗北感という感情だったことが、今では白日のもとにさらされたのである。
敗北感の中に深く降りて感じてみると、自分の中に強い愛情が出口を失って苦悩している姿が現れてきたのである。
母と弟を紛れも無い愛情から救いたかったんた゛と正直に受け入れることは、これから私が手放していく愛情の新しい誕生でもある。
私は今日から、みんなのために手放していく自分の愛情を疑うことはないだろう。
みんなのために何かができることは、私の愛の成就となるからだ。
これこそが私の誕生から見えてくるギフトなのかもしれない。
(メルマガ「KEEP BREATHING」vol.6 バックナンバー 2004/06/21より)
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