OTIS RUSH
オーティス・ラッシュ (vocals, guitar)

シカゴ・ブルースに新たな息吹きを与えた直情型ギタリスト



Otis Rush 1935年4月29日、ミシシッピー州フィラデルフィア生まれ。8歳の頃、ギターを始める。48年にシカゴに移住。ウィリー・ディクソンの紹介でシカゴのコブラ・レコードと契約し、56年に"I Can't Quit You Baby"でデビュー。ビルボードR&Bチャートの6位というヒットになる。

ラッシュは、マディー・ウォーターズなどが作り上げた、デルタ直系のシカゴ・ブルースとは一線を画したモダンなブルースのスタイルで、シカゴ・ブルースに新たな息吹きを吹き込んだ。その特徴は、マイナー・キー(短調)の多用やギターをリード楽器として前面に押し出しているところで、これは当時としてはかなり斬新なものだったようだ。ラッシュやバディー・ガイ、マジック・サムに代表されるシカゴ・ブルースの新しいサウンドは、ウェストサイド・サウンドなどとも呼ばれるようになった。

左利きのラッシュは、右利き用に弦を張ったギターを逆にもって弾くという、変わったスタイルを持っている。(同様のスタイルのプレイヤーとしては、他にはアルバート・キングが有名。)そのような特異なスタイルだからこそ、ラッシュのチョーキング・ビブラートを効かせたプレイが可能になったとも言えるだろう。(彼のプレイは普通と逆なので、通常弦を持ち上げるようにチョーキングをするところを、下げるように弾く。このためチョーキングがより楽にできると言われている。)曲の雰囲気で洗練されていても、チョーキングで気合い一発、ラッシュは魂を直にサウンドにぶつける直情型のアーティストだ。その気合いが入ったときの音の凄さと言ったら、やはりただものではない。

しかし、反対にノッてないときのラッシュはファンでも見ていられないほど直接それが音に現れてしまう。自分の感情に正直なアーティストだからこそ、ムラッ気が激しく、それも災いしてか、彼のキャリアはその才能の割にはあまりにも恵まれていないと言わざるを得ない。

56年から58年までレコーディングを重ねたコブラでは、音楽的には見事に才能を示したラッシュだが、金銭的な面では待遇はヒドく、59年にレーベル自体が倒産してなくなってしまう。その後、チェス、デュークと渡り歩くが、ともに数回のセッションで終わってしまった。

71年に行ったキャピトル用のセッションは、キャピトルがアルバムをボツにしてしまうという、ラッシュにとって堪え難い痛手を被る。(その後、Pヴァインなどから"Right Place, Wrong Time"としてリリース。)その後、何枚かアルバムをリリースするが、77年の"Troubles Troubles"を最後に半ば活動停止状態に。このときのことを、ラッシュはインタビューで振り返り、「ひどい待遇続きで、音楽のビジネス自体が嫌になってしまったんだ」と語っている。

1985年には久々にツアーを再開。このツアーのときのライブは"Tops"と言うアルバムになっている。翌86年には11年ぶりの来日も果たし、ブレイクダウンをバックに全国ツアーを行った。この頃、ラッシュはルースター・ブルースから新作をリリースすべく実際にスタジオ入りもしていたが、結局アルバムは未完成に終わっている。更に同レーベルとの契約不履行の状態だったため、他のレーベルと契約することも出来ず、80年代は1枚もスタジオ盤のアルバムを作ることなく終わってしまった。ルースター・ブルースのレコーディングには、ルイス・マイヤーズ、ラッキー・ピーターソン、ケイシー・ジョーンズ等が参加したが、ラッシュは用意されたアンプの音が気に入らず、スタジオを出ていってしまったそうだ。

そんなラッシュが1994年、17年ぶりの新作"Ain't Enough Comin' In"を発表。ラッシュの完全復活、とブルース界の大ニュースとなった。1998年には、それに続く作、"Any Place I'm Going"をリリース。このアルバムは、ラッシュとしては初めてグラミー賞も受賞した。

このように活動が軌道に乗りつつあったオーティスだったが、グラミー賞受賞作は数年後には廃盤になってしまった。ツアーは積極的に続けていたものの2004年には脳梗塞で倒れてしまう。倒れる前に決定していた2004年の来日公演は中止にはせず、カルロス・ジョンソンを代理のリード・ギタリストに立てる変則的な形で公演を行っている。しかしながら、それ以降は時折公の場に姿を見せる程度で、活動を停止してしまっている。

ちなみに、彼の奥さんであるマサキさんは、初来日のとき(75年)に出会った日本の方。この後ラッシュは86年にブレイクダウンとのジョイントで久々に再来日。90年代以降は、ブルース・カーニバルへの出演を中心に順調に来日公演の回数を重ね、来日ツアーは計11回を数えた。

デビュー後、40年以上に渡って活躍した割には作品の数は決して多くなく、内容にもばらつきがあるのも事実だが、調子のいいときのラッシュには神がかり的なすごさがあった。また、彼が元気にステージに立つ日が来ることを願ってやまない。