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■東北の千葉一族■ 東北地方には「千葉」家がほかの地方に比べるととても多い。なぜ関東発祥の千葉氏が東北地方に繁栄していったのか。実は謎が多く、その詳細はわかっていないのが現実である。ただ、家々には様々な伝承(ときには歴史的に疑問があるものもある)があり、そういった伝承は文化として後世に伝えていくことが大切である。 千葉氏が東北地方に関ったのは、文治5(1189)年7月にはじまった源頼朝による奥州合戦である。この戦いは二度にわたって行われ、第一次奥州戦(対奥州藤原氏)では千葉介常胤が東海道大将軍、第二次奥州戦(対大河兼任)では千葉新介胤正が常胤に代って海道軍大将を務めるなど軍功があり、恩賞として奥州(おもに海道筋)に多くの所領を給わった。 9月20日、平泉における論功行賞で千葉介常胤は陸奥国行方・宇多・亘理・伊具・岩城・宮城・黒川郡内各地の地頭職を給わった。常胤はのちに子息六人(胤正・師常・胤盛・胤信・胤通・胤頼)に所領を分け与え、奥州相馬氏や亘理氏(奥州武石氏)は、このときに分与された土地を拠点として発展していった。 また、千葉新介胤正の手に属して活躍した葛西三郎清重は、平泉の統治と奥州御家人の沙汰の委任権(奥州の警察権・裁判権とされる)を給わり、奥州惣奉行職に就いたことが『吾妻鏡』からうかがえる。 葛西氏はもともとは下総国葛西御厨(東京都江戸川区葛西)の管理を行う荘官で、鎌倉時代には鎌倉に常駐して将軍の近侍を務めていた。その後、葛西家四代目・葛西左衛門四郎清時が奥州の知行地へ下向した。 一説には、建治2(1276)年、清時は千葉介頼胤の子・胤信を養子として迎えたとされ、頼胤は胤信に一族の臼井三郎左衛門常俊、千葉飛騨守胤常、千葉左馬助胤氏の三人を附けさせて奥州へ下向させたとある。葛西氏に入った胤信は「清信」と名を改めて太守となったことが伝承として伝えられている。そして諸千葉家に伝わる系譜等では、ちょうどこの時代―寛喜2(1230)年〜正安2(1300)年に奥州へ下向したという一族が顕著となる。 |
1.千葉泰胤を祖とする一族。(薄衣氏、松川氏、門崎氏、峠千葉氏、奥玉千葉氏、鳥畑氏)
2.千葉介頼胤が祖と伝わる一族。(長坂氏、百岡氏、伊刺氏、本吉氏、浜田氏、一関氏、星氏)
3.千葉胤親が祖と伝わる一族。(馬籠氏・矢作氏・浜田氏・高田氏・百岡氏・大原氏・星氏)
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