奥州の相馬岡田氏の所領の一つ。
ここに隣接する柳戸の弘誓院は、室町時代に「平胤弘」によって奉納された梵鐘がありましたが、おそらく豊臣秀吉と北条氏政の対立時、北条氏に提出を求められたものの、途中の武蔵国で紛失したと思われ、昭和になって東京都の地下鉄工事現場で発見されています。
戦国時代は柳戸は手賀原氏の所領となっており、天正7(1579)年4月7日、宗家・原胤栄が攻めてきたとき、ここに砦を築いて重臣・粟飯原左衛門を入れましたが、彼が内通したため陥落しています。
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