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相馬氏の居城の一つで、室町時代後期の城址と思われます。城の北崖の下には手賀沼に注ぐ染井入落が流れていて、川を挟んだ対岸には原氏の居城という鷲野谷城がありました。
城址は低湿地に北西方角に突出した台地上にあり、土塁跡、空掘跡だけでなく、昔ながらの小路は「く」の字形になっていたり、直進を避ける食い違いとなっていて敵の侵入を防ぐ備えが各所に見られる実戦的な城塞でした。
さらに「中城」という小字名から、幾つかの曲輪からなる城であったことが推測され、さらに城の周りには「馬場」「玄場」「鉄砲下」「松葉」などの小字が散在しており、かなり広範囲にわたる城域として機能していたと考えられます。
中城には北の鷲野谷城への対応のためか、突出した台地上に物見台が築かれていました。江戸時代には妙見社の社域とされていたようで、江戸時代の鳥居(現在は倒壊)が残されています。毎年二月二十二日、二十三日には邪気を払う儀式である鳥ビシャ(鳥歩射)が行われます。
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標高
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15〜20メートル
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比高
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10〜15メートル
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面積
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不明
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城郭
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複数の曲輪からなる本格的な連郭城塞と思われる。
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