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藤ヶ谷城ノ堀にあった城。下総相馬氏の一族、藤ヶ谷相馬氏の本拠地と思われ、現在は国道16号線によって南北に分断されています。室町時代の小金大谷口城主・高城氏の重臣に藤ヶ谷氏が見えることから、高城氏の支配が及んでいた可能性もあります。現在城域ははっきりせず、馬場・城之堀・戸崎・白幡台・中木戸などの字名のみが城の面影を残しています。
城の北側にあった物見台跡には現在、香取神社が祀られ、藤ヶ谷地区の鎮守として敬われています。境内からは永禄4(1561)年銘の阿弥陀三尊来迎図板碑ほか、中世の二十一仏板碑、十三仏板碑などが出土しています。現在の社殿は文政8(1825)年造営の建物です。
谷津をはさんだ対岸には相馬家の菩提寺・登慶山持法院(天台宗)が建てられ、寺の北山には千葉介常胤が霊夢によって寄進したと伝わる如意輪観音菩薩がまつられています。
藤ヶ谷は建武3(1336)年11月22日付『斯波家長奉書』(『相馬岡田文書』)によると、「相馬六郎■■九郎等跡」の闕所地として、奥州相馬家惣領・相馬親胤(出羽守)に与えられました。相馬親胤とその父・重胤は一貫して足利尊氏に従って南朝勢力(後醍醐天皇方)と争っており、南朝勢力に荷担したと思われる「相馬六郎」「■■九郎」らはその咎を受けて所領を没収され、親胤へ与えられたと思われます。
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