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天徳山龍泉院。本尊は釈迦如来。 建長5(1253)年に建立された古刹。室町後期に泉城主・相馬小次郎師胤(茂山玄林大居士)が量指長英(1555.10.24示寂)を開山として再興したと伝わります。師胤は天正19(1590)年の豊臣秀吉と北条氏の戦いの中で自害したと伝えられ、彼の菩提のために新井堂・辻堂が建立されました。 ただし「泉」は相馬領最古の地の一つであり、建長5(1253)年当時の相馬次郎兵衛尉胤継(下総相馬氏祖の一人)、もしくは相馬五郎左衛門尉胤村(下総相馬氏・奥州相馬氏の祖)が関係している可能性があります。また、胤村の子・胤顕(五郎)は泉村を知行しており、彼が関わっているのかもしれません。 ―相馬氏略系図―
【下総相馬氏】
相馬胤綱―+―胤継 +―胤氏―――――師胤――・・・
(次郎) |(次郎)|(次郎) (五郎)
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| |【奥州岡田氏】
+―胤村―+―泉胤顕――――康胤――・・・
(五郎)|(五郎) (五郎)
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|【奥州相馬氏】
+―師胤―――――重胤――・・・
(彦次郎) (孫五郎) 寛永9(1632)年、領主である駿河田中藩主・本多豊前守正貫が五世・幽谷機雄に帰依し、寺領寺域を寄進しました。その後、享保19(1734)年、旧地よりも百メートルほど東にあたる現在地に移されました。その際、低地にあった堂宇を、現在の高さまで二メートルも盛土をして移築。そのとき千人もの人夫が参加しています。 写真に見える山門は、寛政6(1794)年、十八世・大愚賢道の建立で、総欅造の四脚門。瓦には相馬家ゆかりの九曜紋ならびに月星紋が刻まれています。この月星紋は、一般的な左に月が開けた月星紋ではなく、右向きにひらけている珍しい形をしています。 明治12(1879)年6月、現在の県道(柏印西線)を挟んだ反対側に、二十七世・浄心が不動堂を造営しました。当時は「タニシ不動」として親しまれ、境内に湧く清水は眼病に霊験あらたかとして多数の参詣人が訪れましたが、柏印西線の工事によって湧き水は埋め立てられ、衰退しました。
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