持法院(沼南町藤ヶ谷 字大作)

 登慶山如意輪寺持法院。下総三十三観音霊場の第二十七番の札所で、藤ヶ谷相馬氏の菩提所。

 谷津の裾野に建立された天台宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。国道十六号線の藤ヶ谷交差点から南の県道に下り、四百メートルほど入った先にあります。藤ヶ谷交差点は、かつての下総相馬氏の居城・藤ヶ谷城内にあり、国道の南脇に香取神社が祀られています。

 境内は舌状台地のふもとに広がり、台地上には観音堂と相馬家が納めた地蔵が安置されています。

 寺院に創建に関する記録は伝わっていないようですが、開基は新田義貞に仕えた名将・相馬忠重といわれます。相馬家ゆかりの観音堂のふもとに藤ヶ谷相馬氏が寺院を建立したのかも?藤ヶ谷地区の薬師堂からはちょうど忠重が活躍している貞治3(1364)年建立の阿弥陀尊板碑が出土しています。

 階段を登った先にある観音堂には、千葉介常胤が寄進したという如意輪観音像が祀られています。建久元(1190)年、鎌倉の千葉館にあった常胤は、霊夢によって梅の古木をみつけ、奈良仏師・運慶にこの梅木を用いた観音像の彫刻を依頼し、屋敷内に観音堂を建てて安置し、観音堂の管理は二男・相馬師常が受け継いだとされます。

 承久3(1221)年の「承久の乱」では、相馬義胤・胤綱・胤継らが上洛して活躍したとされますが、この時相馬家は、運慶の従弟・登慶に如意輪観音像を鎌倉から相馬郡番場村へ遷させ、草堂を結んで安置し、藤の花で草堂を覆ったことから、番場村は「藤萱村」と呼ばれるようになったと伝えられています。

 貞応2(1223)年、相馬家(相馬義胤か)は観音堂を建立して観音像を安置し、観音像を遷座した登慶にちなんで「登慶山」と号するようになったと伝わります。

 持法院には「三葉葵」の紋章とともに初代・徳川家康から七代・家継まで歴代将軍の位牌が伝わっており、家康直系の将軍家と持法院が何らかの関わりを持っていたことが推測されます。天海僧正は天台宗の僧侶であり、そのことが関係している可能性も?

 現在の堂宇は明治初期、藤ヶ谷相馬家重臣の家柄である勝柴家の母屋が移築されたもので、持法院塔柱の「登慶坊」「順慶坊」を解体して、格天井と欄間(龍と天女)が付されました。
 

宗派 天台宗
祭神仏 阿弥陀如来(本尊)、観世音菩薩、勢至菩薩
如意輪観世音菩薩(観音堂本尊):町指定文化財
 
 
−持法院−
 

 ▲持法院
 
 ▲観音堂への階段