異聞火星物語 〜ドワーフの闇〜
●第十話●
『完璧な人間なんていない。だから人は人を好きになるのさ』
一、
「ふんふ〜ん♪」
ぼんやりしたオレンジ色の部屋で一人の女性の鼻歌がふわふわ漂っていた。
今日は公演が無いはずのセロ劇場。それなのに楽屋には明かりがついている。
そこにいるのはたったの二人。
一人は昨日までの売上げを帳簿につけている劇団の座長。
そしてもう一人は、滅多に人に見せたことの無いかっぽう着姿のノンコだった。
数えで23歳のノンコのその格好は、彼女の若さに比べてひどく年寄りっぽく、
座長はそれを見て時々吹き出していた。
「もう、ノートン叔父さん、いちいち笑わないでちょうだい」
針仕事の手を止めて、顔を上げたノンコが座長のノートンに向かってふてくされる。
「いやなに、君のその格好があまりにもかわいくってな、ふふっ」
仕事はとっくに終わってしまっている帳簿をようやく閉じると、ノートンはノンコの傍まで膝立ちで近づく。
ノンコの格好と同じくらい年齢不相応ないたずらっ子ような目で、ノートンが彼女の手元を覗き込む。
「で、何を縫っているんだい? …ん、これは昨日までの公演で君が使っていたドレスじゃないか」
繕いならレンツに任せればいいのに、とからかうように言うノートン。
基本的にセロ劇団の衣装はすべて仕立て屋レンツの仕立てたもので、その補修も彼女に任せられていた。
ただ一人、ノンコだけは同世代の女性のレンツへの対抗心なのか、補修だけはいつも自分でやろうとしていた。
結局、いつも失敗してレンツの所に持ち込むことになるのだが…。
ノートンもこの辺のことを知りつつ、わざとからかっている。
「公演は終わったんだから、今すぐ補修する必要も無いだろう?」
「…あの劇ね、シャルちゃんが好きだから…あの子に合わせて縫い直してからプレゼントするの」
ちょっと名残惜しそうに手元のドレスを見つめる。
……私はシャルちゃんに大切なものをいっぱいもらってるから…と小さくつぶやくノンコ。
そんな彼女の様子を見て、優しい女性に成長してくれたことがノートンには嬉しかった。
結婚しないままこの年齢になってしまったノートンにとって、
彼女は死んだ兄夫妻が遺した大事な一人娘であり、ほとんど自分の娘同然に育ててきたのだから。
「まあ、今日は君のその姿と鼻歌のおかげで楽しい仕事になったよ。外の雨音も気にならなかったしな」
…まさか、この格好を見るために隣の支配人室じゃなくて、わざわざここで帳簿つけてたの…?
と、ノンコは訊きたいのを飲み込む。
「降ってるの?」
「気付いてなかったのか。結構激しく降ってるぞ。今日は珍しく気温が低いから雨も冷たそうだなぁ」
やれやれ、といった様子でノートンは外に出るための扉の傍にかけてある外套を取る。
「あまり遅くならないうちに帰るんだぞ…」
ノンコに声をかけて扉を開けた。
ヒューーっ、と冷たい風が扉の隙間から楽屋に入ってくる。
風と共に入ってくる雫と雨音がノンコにも外の天気を教えてくれる。
「お疲れ様〜」
返事をして、ノートンが行ってしまったのを確認すると、彼女はふうっ、とため息をついていた。
手元のドレスは、やはりレンツの手を煩わせることになりそうだったのだから。
「…やっぱり、私じゃだめね〜。一度くらい、私が繕った服をシャルちゃんに着てほしかったんだけど…」
“……他のことは全部うまく出来るのに、お裁縫だけはサッパリなのよね、ノンコさんって”
いつものシャルのあきれた顔を思い出してノンコは苦笑いするしかなかった。
それでも、出来るところまではやろう、と再び針仕事に戻ろうとするが…
(「姫様っ、どうしてこんな所で突っ立ってるんですっ。早く中に入って下さいっ!」)
扉の向こうから聞こえてくるノートンの声。
尋常ではない叔父の声にノンコも耳をそば立てずにはいられなかった。
「どうしたのかしら。姫様…ということはシャルちゃんよね……」
二、
たった今ノートンが出たばかりの扉がまた開いて、彼に連れられたシャルが入ってくる。
劇場入り口の軒先に立っていたせいでシャルの前髪からは冷たい雫が落ちていた。
明るい部屋の中でずぶぬれの彼女を見るとノートンは再び驚いた様子を見せた。
「まったく…姫様らしくも無い。風邪でもひいたらどうなさるんです」
「うんとね、何かノートンさんたちが楽しそうだったから入りづらくって」
雨に濡れているため、体をちょっとぶるぶる震わせながらも、無理に笑おうとする。
「普段、姫様はそんなこと気になさらないじゃないですか」
「ノートン叔父さん、あとはわたしが何とかするから…」
ずっと黙ってシャルを見つめていたノンコがノートンの話を遮る。
「しかしなぁ…」
「お願い」
渋るノートンを無理やり帰らせると、改めてシャルの方に向き直る。
「まあ、事情を聞く前にその濡れちゃった体をどうにかしないとね」
タオル取ってくるから…と言ってノンコは楽屋を出て行く。
一人残されたシャルはうつろな瞳でぼんやり目の前を見ていた。
ふと、ノンコのいたところにあるドレスが目にとまる。
淡い薄紅色のドレス。
シャルが好きな色だった。そして彼女の好きな劇の衣装だった。
所々ほつれた糸と、縫い直しに失敗した跡が見える。
(ふふっ、ノンコさんまたお裁縫失敗したのね)
濡れた冷たい体も、ここに今いる理由も忘れて、くすくす笑う。
しかし、それも束の間のことだった。
一瞬明るくなった蒼い瞳もすぐにこの部屋に入ってきたときのそれに戻ってしまう。
揺れ動くシャルの心を知ってか知らずか、戻ってきたノンコは楽屋に入るべきかどうかをためらっていた。
シャルの悩みが何となく予想できたから。
そして、自分の力では何もできないことも。
それでも、いつもの顔をしながら楽屋の扉を開ける。
片手にタオル、片手にマグカップを持っていた。
「はい、シャル。とりあえず髪拭いて、これを飲みなさい」
「…うん」
小さな声で返事をするとシャルはタオルを受け取って力無く頭を拭いていく。
しばらくしてノンコが差し出してきたカップを受け取って口に近づける。
「熱い……」
「………………………………………」
シャルがカップの中のミルクを飲み終えるまでの間、ノンコは一言も発しなかった。
静かに、自分の妹のような存在を見つめ続ける。
今まで自分に見せたことの無いシャルの様子。
つらいことがあっても務めて明るく振る舞おうとするのがシャルの常だったから。
ノンコは三年も前のことを思い出していた。
三、
この王国の王妃が亡くなった年。
シャルの母親が亡くなった年。
国中が喪に服した。
劇団の公演も中止になった。
誰もが王妃の死を悲しんでいた。
政略でも、政治的パフォーマンスでもなく、ただ偶然に街で出会った当時の王子と市井の娘。それが今の国王と王妃。
二人の恋愛の末の結婚は王宮の一部の者に反対されはしたものの、国民には歓迎された。
婚礼の儀が終わり、王妃と呼ばれた彼女は何故かいつも街のどこかで見かけられた。
まるで王宮のことなど関係無いように。
無論、王妃としての仕事は問題無く行っていた。それに安住することもできた。
しかし、それでも彼女は街にいた。
婚礼の前まで行っていた仕事を続けていたのである。
娘が生まれて後もそれは続いた。
朗らかで、優しくて、いつも相手のことを優先した彼女を国民の誰もが愛した。
シャルはそんな彼女を見て育った。
そして悲しい運命は、王国から彼女を奪った。
……………………。
あの時…国中が真っ暗だったわね……。
それなのに…いきなりシャルちゃん楽屋に入り込んできたのよね。
劇団の人たち、みんな驚いたし、もちろんわたしだって…。
王宮ではまだ葬送の式典が続いていたんですもの。
あのときのシャルちゃんの顔忘れられないわ。
「どうしたのよ、みんな。劇やらないの?」
「どうした…って、シャル様何を言って……」
「お母様が亡くなって何日経ったと思ってるの。一週間よ、一週間。
いつまでも、みんな暗い顔してちゃダメじゃない」
「はぁ…?」
「だ・か・ら、劇、やりましょ? みんなの劇で国を明るくしましょ?」
…静まりかえる劇団の人たち。みんな分かっていた。
シャルが無理に明るく振る舞っていることを。
だからそれ以上何も言わなかった。
王妃様の愛したこの国を思いっきり明るくするような劇をやろう。
シャルの悲しみを紛らわせられるなら。
五日後、即興で作られた演劇の公演が始まった。
たった20分間の演目。全編笑いを取るための脚本。
ただ一人の少女の願いを叶えるためだけに。
そして、このローラル王国は笑顔と共に喪を明けた。
シャルちゃん無理してたわね…。
でも、シャルちゃんが一番つらいことって、結局、好きな人たちが暗い顔をしていることだったから…。
自分から「元気」を創り出せる女の子。
それを他の人に分けることができる女の子。
そんなシャルちゃんだからみんな大好きなのよね。
四、
「落ち着いた?」
「…ええ」
「無理に事情は聞かないけど…話す気になったら遠慮なく話してね」
「……うん」
消え入りそうな声で返事をするシャル。
空になってもまだ熱の残ったマグカップを手の中で転がしながら、いつまでも彼女は迷っていた。
(話せない。…でも、それなら何でわたしはここに来ちゃったの……?)
「シャルちゃん」
「え?」
(ぽんぽん)
いつの間にか目の前に座ったノンコがシャルの頭をぽんぽん撫でる。
「ノンコさん…?」
「何で悩んでるのか、はっきりとは分からないけど、わたしはシャルちゃんを信じているわ。
だから出来ることを全力でやってみましょ? 失敗したらしたでいいじゃない」
「失敗したら…」
…この国が滅ぶのよ…と言いかけてシャルは止めた。
ノンコに言ったとして政治問題は動かないからだ。ただ不安にさせるくらいなら…。
「この質問には答えなくていいわ。シャルちゃんが悩んでるのは帝国のことでしょ?」
「っ!? ノ、ノンコさん?」
「答えないでいいわ。ただね、いろんな国の間を動く商売をしている人間にはね、それなりに情報も入ってくるのものなのよ」
シャルは我が耳を疑った。
いつものんびりとしながらも鋭く何かを見ているのはこの女性のすごいところなのだが…
今回のことまでとは思ってもいなかった。
「あなたは自分に課せられた責任の重さにおびえているのかも知れない。
でもね、この国の人はみんなシャルちゃんが大好きなのよ。
もし、うまくいかなかったとしても、それでシャルちゃんを嫌いになったりしないわ。
だから、あなたは出来ることをやるの。そうしないと、あなたを信じてくれる人たちに失礼でしょ?」
ゆっくりと、一言、一言、諭すようにノンコは話を続ける。
ノンコ自身この国が滅ぶのは怖い。それでも逃げる気は無かった。
シャルが好きだから。
同性・異性を問わず、その人を好きになるということは、その人の考えや行動、
そしてその結果を受け入れる覚悟を持つことだと、彼女は考えていた。
シャルがそうであるように、ノンコもシャルが暗い顔をしているのは嫌なのである。
五、
「そ・れ・に、そんな顔してちゃ、アルト君に逢えないでしょ?」
「わっ、何でそこでアルトが出てくるのよ」
「うふふ。恋する乙女の悩みなんて簡単に分かっちゃうんだから」
「恋するって…わ、わたしは別に、アルトのことなんか…」
しどろもどろになり始めるシャル。
まるでそれが予定通りでもあるかのように、ノンコはにこっと笑って、
「ほら、いつものシャルちゃんに戻った」
「えっ?」
「悩むのはいいけど、暗い顔してたらうまくいくものもうまくいかなくなっちゃうわ。
アルト君だって元気なシャルが好きなはずよ」
「でも…この間は来てくれなかったし…」
「アルト君にだって事情はあるんでしょう。
でも、今度来てくれた時にそんな顔してたら、アルト君、その次から来づらくなっちゃうじゃない。
だから、そんな顔してちゃダメよ」
やっぱりここに来て良かった、とシャルは思う。
何も話さなくても分かってくれる。本当の姉のような大切な存在。
だからこそ、ノンコやみんなのいるこの国が守りたい。どんな方法を使っても…。
「さて、わたしばっかり喋っちゃったわね。今度はシャルちゃんの番よ。
女の子同士のお喋りは二人とも話さなきゃね♪」
「……仕方ないわね〜。そうだ、ノンコさんまたお裁縫失敗したでしょ」
「あっ、出しっ放しだったわ……」
二人して顔を見合わせてくすくす笑い出す。
いつの間にか外の雨は上がっていた。
速い流れの雲間からは月が顔を出していた。
その光もどこか優しげで…ローラルの街を静かに照らしている。
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第十話あとがき
こんにちは、ブタベストです。いつの間にやら7月になってしまいました(汗) このお話のことを忘れた日は一日として無いんですけどねぇ。そして7月ということでこの連載『ドワーフの闇』も一年になってしまって…。卒業式までには終らせるつもりだったんですが〜。遅筆なブタベをお赦し下さいませ。
さて、今回は主人公が出てきませんでした。第6話でのラスト同様シャルとノンコのお話は描いててすごく楽しいです。前話のラストとの連絡がうまくいってないように一見すると感じられますが、逆にその辺のシャルの心の揺れ動きを想像していただけると作者としても嬉しいです。
次回でもまたお会いできれば嬉しいです。それでは。 (02-07-04)