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「母国語」という用語の問題性について
 

 「母国語」という用語には大きく分けて二つの問題がある。第一に、「母国語」という言い方そのものである。日本では、生まれた国である「母国」と、その母国のことばである「国語」が複合して「母国語」というという用語が成立したと考えられる。つまり「母国のことば」である。本来個人との関係で捉えられるべき言語概念に、政治的な国家概念が紛れているということだ。他にも「外国語」や「二ヶ国語が話せる」という表現にも国が見え隠れする。また「中国語」や、「韓国語」と「朝鮮語」の使い分けにも政治的な概念が入っている。
 第二に、「母国語」ということばを安易に使ってしまう人々の無自覚さである。人間が生まれて最初に身につけることばは、母から伝えられることばである。その母のことばである「母語」は国家のことばである「母国語」とは違うものである。「母語」は政治とは無関係のところにある。しかし、多くの人がそれらを区別しないで使ってしまう。どれだけの日本人が「母語」「母国語」そして「国語」を使い分けているのか、違う意味として捉えているのだろうか。田中克彦(1981)は、それは「大多数の日本人のばあいには故国と祖国が一致するように、母国も国語も一致し重なり合う。そのときは、それらをかけあわせた母国語という表現に矛盾は起きないのである」と述べている。しかし、多くの日本人にとって、「母語」と「国語」と「母国語」を同義語として指し示すものは同じでも、ことばの意味は同じではない。田中は「母国語」ということばを安易に用いた例として鈴木孝夫氏の著書を引用している。ドーテの短篇『最後の授業』について氏が「…ドーテの短篇は、母国語を奪われそうになる人々の悲しみと、死んでもそれを奪われまいと決意する、自分たちの言語への愛着を見事に描き出しているのである」と述べている。また別の例として、北海道の少数民族ウイルタ(オロッコ)人がオロッコ語で「自立への宣言」をしたことを新聞記事に「母国語による訴え」と書かれたことをあげている。それを書いた記者、その編集統括者、そして数百万人の読者が、その矛盾に気が付かないことに問題があり、「ことばはすべて国語であると考える日本人の考え方に根深く宿っている盲点」だと、指摘する。私自身も安易に使っていた一人である。今までこのような問題に無自覚でいた。第二言語としての日本語を意識することによって、やっと「第一言語」とか「母語」と呼ぶようになった。
 世界に目を転じると、二言語併用、三言語併用の生活をしている人は多い。また多言語国家もある。中島和子(1998)によると「カナダのように多言語で成り立っている国では国勢調査などで母語についてどう聞くかというと、『あなたが初めに覚えたことばで、今でもわかることばは何ですか』」だそうだ。さらに、バイリンガルについて考える場合は「母語を子供が出会う『初めてのことば』『土台になることば』『ベースになることば』という意味で使いたい」と述べている。このような場合、おそらく「母国語」という表現は矛盾していることばとしてあぶりでてくるだろう。
 そこで私の友人で日系ブラジル二世の女性に「母語は何か」と質問してみた。彼女とは日本の会社で一緒に働いていた。日本へ来る前からかなり高い日本語力はあったようだが、日本人と結婚すると同時に日本へ来てもう15年以上になる。ビジネス文書を書くのを苦手としていたが、日経と朝日新聞を購読しているぐらいの読み書きと日本語力を測ることが失礼なぐらい話すことも上手である。彼女は即答せず「母語って何?両親とは日本語、兄弟とはポルトガル語、幼稚園ぐらいの頃から通っていた日系人の学校では授業以外はポルトガル語」と答えた。「じゃ、母国語は?」というと、「母語と同じでしょう」と母語と母国語の区別の意識はなかった。それは彼女が日本人の両親と日本語で話してきたからかもしれない。三世になると、それはだいぶ変わってくるだろう。
 それでは、もう一度「母国語」という用語の問題性を考えるとき、私たちは何をしなければならないのだろうか。それは、母語に自覚的になることだと思う。母語である日本語と向き合ってみることだと思う。当たり前である「ことばを話すこと」を改めて見直してみることだと思う。そこで、何が生まれるかわからないが、無自覚であった時よりは豊かな日本語話者になると信じたい。

引用・参考文献  

小池清治他編(1997)『日本語学キーワード事典』朝倉書店
田中克彦(1981)『ことばと国家』岩波新書
鈴木孝夫(1975)『閉ざされた言語・日本語の世界』新潮選書
中島和子(1998)『バイリンガル教育の方法』アルク
 

(2001.9.27記)