
T・宇都宮里親傷害致死事件の控訴審を傍聴して
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(養育家庭 舟山 恵子)
3月30日、東京高等裁判所で傍聴しましたが、これは初めての体験でした。与えられた時間が50分程の控訴審では、被告のリ・エイシンさんは日本語が不自由で通訳がつき、進行にはとても時間が掛ることを知りました。
この事件は、順子ちゃんが生後すぐに乳児院に収容され、また別の里親家庭への委託も失敗し、3歳で被告人夫妻のところへ委託、正式委託から4ヵ月も経たず虐待死するという痛々しいものでした。順子ちゃん自身が、それまでの体験から傷つき、他人を受け入れられない精神状態になっていただろうということは、容易に理解できます。検視では「彼女の体には多数の古いアザがあったにもかかわらず、わずか死の2日前に児童相談所の福祉士が訪問した時には、リ被告の膝に乗るなど、虐待の有無を見分けることは出来なかった」とあります。
彼女は時折見せるリ被告の優しさに愛着を感じ、自分も兄のように愛されたいと願い、自分の生きる場所を全身で掴もうとしていたのではないでしょうか。心の底に大きな傷を抱えた里子は、里親の心を逆なでし、かき乱し、ときにはかきむしるといった言葉が適切なほどの激しい言動をする子どもがいます。しかし、そのような子どもでも体罰を与えれば、里親は後悔と、自責の気持ちに苦しみます。
やすらかな寝顔を見て、子どもの心情を察し、新たな気持ちで子育てするのが里親の道だと思います。
すべての里親が受託したその日から、心の底から湧き上がる愛情で子どもを抱きしめられるわけではありません。里親にも、子どもを実親がお腹に育むように時間が必要なのです。しかしこの間、里子は急激な生活の変化を体験し、見知ったばかりの大人の間で敏感にアンバランスな状態を感じ取り、赤ちゃんがえりや試し行動を繰り返し、不安な日々を過ごしているのです。
アン基金プロジェクトの理事長へネシー澄子氏の「マッチングはアートであるとアメリカでは言われているのよ」という言葉を思い出します。
聞きなれない発音の日本語、子育てに疲れ感情に駆られて出るリ被告の韓国語の叱咤の言葉を、言語発達の遅れていた順子ちゃんは何処まで理解できたのでしょうか。リ被告は真面目な人柄であると説明されています。 里親が真面目である場合、その為に、真剣に考えすぎ、教育者的な子育てになるという危惧があります。 里親は、家庭経験の少ない子どもに家庭生活を提供すること、子どもの求めているのはゆったり流れる穏やかな家庭の時間であることを常に覚えていなければなりません。
兄が委託されてわずか7ヶ月目に順子ちゃんが委託されました。この頃、里親は最も子育ての疲労を感じているときです。何故このような事が起きるのかは、里親の日々の子育て、里子の心情が、真に人々に理解されていないからです。この制度に係わる人々が深くこのことを理解すれば、この制度の何処に不備があるのか、里親になるには何が必要なのか、委託後どのようなケアが必要なのかが、明白になるのです。
これほどの事件ですが、傍聴者は、控訴審の1回目が18人、2回目は高等裁判所見学の高校生11人を含め34人でした。
順子ちゃんのご冥福を心からお祈りいたします。
☆ 宇都宮事件についての詳細な情報は下記のホームページをご覧ください。
http://foster-parent.hp.infoseek.co.jp/utsunomiya/ (宇都宮事件を考える会)
II・宇都宮里子事件に対する考察
(社会福祉学博士
ヘネシー澄子)
宇都宮里子事件は、予防可能な事件であったために、まことに残念でたまりません。 亡くなった順子ちゃんの冥福をお祈りすると共に、御自分を責めて苦しんでいらっしゃる李さんのためにも、事件の原因を究明して、二度とこのような、悲しい事件がおきないようにいたしたいと思います。
乳児院の記録及び児童相談所の報告に加えて、洪教授(直接韓国語で話した)の李さんとの面接の結果を拝聴し、乳幼児の愛着形成と発達の研究をしているソーシャルワーカーとして、意見を述べさせていただきます。洪教授の報告によりますと、李さんは、順子ちゃんがなぜ泣くのかわからず、そのストレスで入院をなさったようで、順子ちゃんとコミュニケーションが問題の一つであったと思います。これは日本語・韓国語の問題でなく、順子ちゃん自身が、言語の発育に遅れがあったことが、乳児院の記録にも書かれています。李さんと夫は、まず順子ちゃんの兄を里子として引き取り、兄弟を離散させないようにという夫の父親のアドバイスから、順子ちゃんを引き取ったとのことでしたが、兄と順子ちゃんは発育に非常に違いがありました。
人間の発達段階で一番大切なのは、出生から3歳までで、この時期の大人の関わり方がその子の一生が左右されるといっても、過言ではありません。とくに最初の一年間が大切で、兄はその時期に、家庭内で実母に育てられましたが、順子ちゃんは出生と同時に乳児院に預けられたということです。 この乳児院では担当保母さんが一対一で関わったようで、養育者との愛着の絆の形成には問題がなかったようですが、乳児院の記録では病気がちで、最初の一年は他の院児から離されて過ごすことが多かったようです。 私の推測では、順子ちゃんの言葉の遅れは、ここから来ていたのだと思います。
赤ちゃんは百四十億もの脳細胞(ニューロン)を持って生まれてきます。 出生時には、脳細胞間をつなげ、情報処理をする脳神経回路がたくさん出来ていて、環境の刺激によって、あるものは強化され、使わないものはどんどん消えていきます。これを脳の可塑性といって、0歳から3歳の間に脳の基礎的な部分が形成されます。脳の部分によって、発達期があり、これを感受期または臨界期と呼び、例えば出生から2〜4ヶ月間、視覚を司る脳神経回路を刺激しないと、その人は目を開けていても一生目が見えないことになります。言語の臨界期は6ヶ月から6歳までで、この間周囲の大人がしゃべっている言葉を何ヶ国語でも覚えることが出来ます。この言語の発達は段階があり、まずコトバをたくさん聴くことから始まります。ここで聴覚を刺激し、人間の音声を聞き分ける脳神経回路を強化します。
その次の段階が、音声には意味があり、簡単なコトバの意味を理解する脳神経回路が強化され、更にそれを真似ることで、単語を一つ一つ獲得していきます。最後に、自分で考えてしゃべる脳の部分が育ちます。この4つの機能は、脳内で別々の箇所でおこなわれるので、脳溢血などで話す箇所が損傷すると、人がしゃべる言葉の意味がわかっても、自分から言葉を返すことが出来ません。兄には、家庭で、そして乳児院でこの言語の正常な発達段階をたどる機会を与えられたのですが、病気がちで隔離されることが多かった順子ちゃんには、まず周囲の人がしゃべるコトバをたくさん聞く機会がなく、言語の発達が致命的に遅れたのでしょう。兄の場合、言語習得の臨界期に、日本語と韓国語の両方を習う機会があり、里親さんの励ましで、両方の言葉が話せるようになったものと思われます。日本語が分からない李さんにとって、兄との経験から、妹である順子ちゃんにも同じような意志伝達の能力があることを期待されたのではないでしょうか。
洪教授は順子ちゃんが出生から李さん宅に引き取られるまで、養育者が何度も代わり、そのつど養育者との分離を経験したことで、極度の分離不安(separation
anxiety)の症状があったのではないかとおっしゃっています。 私もその通りだと思います。二人の子供の養育のストレスで、李さんが入院しなければならなかったことは、順子ちゃんの分離不安を一層高めて、その気持ちを言語化できず泣いて、その泣き声がまた李さんのストレスを高めるという悪循環があったのでしょう。洪教授は、韓国の妻は文化的に、夫に自分のストレスを打ち明けることはしないとおっしゃいます。 一番支えになったであろう里親会は、李さんが日本語が出来ないために、そのネットワークに入ることが出来ず、児童相談所の職員にも相談が出来なかったことが、今回の悲劇の直接の原因だと思われます。
私はアメリカのコロラド州で、アジア太平洋人精神保健センターを運営しておりました。そのときからの経験で、言葉のしゃべれない外国で、新しい体験をするのは大変な冒険であることを知っております。もし李さんがアメリカで里親になられたのなら、里子委託をした児童相談所は、韓国語がしゃべれる里親さん(達)をみつけ、相互援助の輪を作ることをすぐにしたことでしょう。私は埼玉県で講演をしたときに、韓国人で日本語が出来て、里親を10年以上なさっている方に会いました。こんなに近くに、李さんの良き相談相手になれる方が存在していたとは!
順子ちゃんの死を無駄にしないように、児童相談所はこれから里親の訓練を強化し、里子委託後は連絡を緻密に保ち、里親の孤立を予防して、必要なサポートを与えることに重点を置いてほしいと思います。