TSUTAYAの女(2003/5〜2003/10)
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TSUTAYAの女(1)

金子玉美は大学の浪人生だ。小学校のとき、クラスの男子から「金玉」と云うあだ名を付けられ、性格が暗くなった。毎日のようにうつむいて学校から帰って来る玉美を見かねた両親が、何か部活動を始める事を勧めた。それで5年生のとき、クラスの担任がコーチをしていたバレーボール部に入った。

バレーボールは市立の中学校に上がってからも続けた。玉美は物覚えは悪かったが根が真面目だったので、そこそこの実力も付けて、コーチからも好かれて居た。3年生では副主将を務め、その年、玉美のチームは全県大会で3位という成績を収めた。

県立高校の推薦入学に合格した玉美は、試験勉強の必要は無く、バレーボールの練習も無かったので、高校が始まる4月までの間、暇を持て余した。テレビばかり見ていたが、日曜日の昼間に伊丹十三の「お葬式」を見てから映画と云うものを気に入って、近所のレンタルビデオ屋に通うようになった。借りたのは専ら邦画だった。黒澤明と塚本晋也が好きだったが、とにかく時間が余ったので仮面ライダーBLACKを全巻借りて徹夜で見たりもした。その明け方、エンディングのスタッフロールをずっと画面に近付いて読んで居る自分に気が付いた。視力が下がっていた。高校が始まる前に眼鏡を作った。

高校が始まりバレーボール部に入ったが、眼鏡のせいで遠近感がおかしくなり、まともにボールに触る事さえ出来なかった。それでコンタクトレンズを作った。ところがそのコンタクトレンズになかなか馴染めなかった。学校に居る間は目の中の異物感がずっと気になり、ゴミが入ると痛くてボロボロ涙が出て、バレーボールどころではなかった。毎日急いで帰って、コンタクトレンズを外してほっとするのだった。そして眼鏡をかけてビデオを見た。そのうち少しずつ慣れて、レンズの洗浄液のボトルを2ダース使い切る頃には丸一日付けて居ても平気になって居たが、その視力が再びバレーボールの為に使われる事は無く、それは専ら黒板かモニターを見る為に使われた。

玉美は物覚えが悪かったので、大学の入試には落ちた。それで、今は予備校に通いながらTSUTAYAで深夜のバイトをしている。(続く)





TSUTAYAの女(2)

目が覚めたとき、外で雨音がしたと思った。ややあって、それは車が砂利を踏む音だった事に気が付いた。

金子玉美は地下鉄の駅から歩いて10分の1Kに一人で暮らして居た。予備校までは地下鉄に乗る必要があったが、バイト先のTSUTAYAは地下鉄のホームに降りる階段の目の前にあったので、深夜のバイトには都合が良かった。TSUTAYAの隣と向かいはコンビニで、自宅に向かう途中には24時間営業のファミレスがあった。予備校へ通う他、玉美の生活圏はTSUTAYAから自宅までの道のりに殆ど納まって居た。

深夜のTSUTAYAは閑散として居る事が多かったが、棚で四角く囲んで隔離されたアダルトビデオのコーナーには人が居ることが比較的多かった。いつも22時頃に、アダルトビデオを3本か4本返却しに来る客が居た。中肉中背、3種類のカッターシャツを着て居て歳はたぶん20代後半、3センチ位の黒い髪を逆立てたその男がビデオを借りる所を、玉美は見たことが無かった。いつも返して行くだけだった。バイトはだいたい週に5日だったが、少なくとも3日のうち2日位の割合で来て居るように思えた。朝借りているのだとしたら、それらをいつ見て居るのだろうか、そしてそれ以外の時間に何をして居るのか、色々と想像した。余計な事を考える時間は沢山あった。

天井のスピーカーから有線放送が流れる静かな店内の雰囲気は、しばしば酒に酔ったサラリーマン達に因って乱された。彼らは店の中をただ闇雲に歩き回って出て行くか、ラーメン屋の場所を聞くか、ビデオをカウンターに持って来るにしても会員証を持って居る事はまず無かった。彼らに会員証の手続きをさせるのは大変な仕事だったが、そうしてやっと借りられたビデオが「ローマの休日」だったりすると、玉美は何だか可笑しくなってしまうのだった。(続く)





TSUTAYAの女(3)

金子玉美の1Kを訪れる者は少なかったが、その中でドアを開けられる者はもっと少なかった。自らをはっきりと名乗らない来客の9割は新聞の購読の勧誘、残りの1割は怪しげな宗教団体の勧誘に違いなかった。

玉美の居るTSUTAYAには2、3日前から、何処かで見覚えのある顔があった。その男は輪ゴムの掛けられたレンタル済みのケースをいたずらに手に取っては眺めたりしながら、ちらちらとこちらを見て居るようで気になった。そんなある夜、返却されたビデオテープを棚のケースに戻す作業中、誤ってケースを棚から落とすと、その男は落ちたケースに猛然と駆け寄り、拾い上げた。その男はぎこちない笑みを浮かべ、高村と名乗るのだった。高校3年の同級生であった。高村は会員になりたいと言いカバンから健康保険証を出した。会員証を渡すとき、久しぶりだから今夜一緒に食事がしたいと言ってきた。バイトが終わるのは遅いからと断ろうとしたが、良いよ明日休みだから、バイトが終わる頃また来ると言い残して、行ってしまった。明日、高村の何が休みなのかは知らなかったが、少なくとも玉美の予備校は休みではなかった。

バイトが終わると、高村が店の外に居た。虫に食われたのか、足をボリボリと掻いて居た。ファミレスまで歩きながら、彼が玉美と同じように大学受験に失敗して予備校に通っている事を知った。玉美とは違う予備校だったが、彼は最近そこをサボりがちだと言う。郊外にある住宅展示場でポップコーン売りのバイトをして居るらしい。玉美にはそれが中々魅力的なバイトの様に思えたが、予備校をサボらない限り出来ないバイトだと聞き、諦めた。玉美は根が真面目だった。

ファミレスに着いて、禁煙席に座った。玉美はラザニアを注文した。彼女は、漫画やアニメに出てくる食べ物が旨そうだと思っている。オバケのQ太郎の小池さんのラーメン(彼女はアレは明星のチャルメラだと思っている)や、ブラックジャックのカレーライスがそうだ。ラザニアは、彼女が幼い頃によく見ていた宇宙船サジタリウスというアニメに出てくる蛙のキャラクターの好物だった。ラザニアという食べ物が実在する事をファミレスで知って以来、彼女はよくこれを注文する。高村はキングサーモン定食を注文した。

高村は高校時代の事をあれこれ話した。特に高校3年の時の事は、同級生だった玉美とは共通の話題が多いはずだった。しかし彼女は、上の空というわけでもないが、はあ、へえ、と相槌を打つだけの何だか生気の無い反応をした。慢性の寝不足で厚ぼったい瞼の間からのぞく彼女の伏目がちなその目線は、いつもぼんやりと相手の腹のあたりに向けられ、話し手に話術の自信を失わせた。実際、玉美がどう頑張ってみても記憶の引き出しから引っ張り出せない事ばかり語られたし、バイトが終わった後で疲れて居て眠かった。高村のキングサーモンが運ばれて来た時、鮭の胴体を輪切りにしたその形状を見て、ああ、あそこに内臓が入って居たんだ、気持ちが悪いな、などとそんな考えに頭脳を占拠されてしまい、高村の話は本当に上の空になって居た。

食事が済んだ頃、高村は殆ど無口になって居た。食後のコーヒーを飲みながら、もう高校時代の話は諦めたと見えて、何かお勧めのビデオを紹介して欲しいと言った。どんなジャンルの物が良いか尋ねると彼は、映画は矢張りハリウッドだと答えた。ハリウッドはジャンルなのか、いやむしろジャンルなのかもしれないなどと考えながら、先日TSUTAYAの店員に薦められて見た「ヘルレイザー」が面白かった事を話した。「ヘルレイザー」がハリウッドかどうかは自信が無かったが、それは些末な事だと玉美は思った。食事代は高村が払ってくれた。玉美はお礼を言い、歩いて帰った。

次の日、玉美のバイトは休みだった。その次の日、店に高村が来た。「ヘルレイザー」を借り、彼女に軽く会釈をして帰って行った。(続く)





TSUTAYAの女(4)

バイトと店員は、ビデオを1本50円で借りられた(ただし旧作のみ)。金子玉美のバイトは20時から24時まで、仕事から帰ってビデオを1本か2本観た。2本観終わる頃には明け方近くになった。玉美の部屋はフローリングで、観て居るうちに体がのあちこちが凝ってくるので、座ったり横になったりうつ伏せになったり、ビーズの入った大きなクッションをあちらへやりこちらへやりしながら、深夜のその時間を過ごした。ビデオがつまらないとき、そうして姿勢を変える頻度は上がった(玉美が姿勢を変える回数をカウントしておけば、シネマの出来を定量的に評価したデータベースが出来上がるだろう)。近頃は、ビデオは割合で云うとつまらない事の方が多かった。

玉美の働くTSUTAYAは客の入りが良い方ではなかったので、22時をまわると仕事は本当に閑になった。立ったまま手だけレジの下にやって携帯電話のミニゲームに興じたり、無闇にビデオテープの棚の整頓をしたりして時間が過ぎてくれるのを待ったが、この時間にビデオが観られたら寝られる時間が増えるのに、レジの画面にスクリーンセイバー代わりに適当な映画を流して欲しいと思って居た。ある日の帰り際、店員の岡野が玉美のその考えと同じような事を言ったので、はあ、といつもの素っ気無い返事を返しながらも、この人とは気が合うかもしれないと思った。

岡野は30を少し過ぎたぐらいの、どちらかというと小柄な、華奢な男だった。黒ぶちの眼鏡をかけて、いつもシャツをズボンに入れて居たが、いわゆるオタクのような雰囲気は無く、むしろ垢抜けていた。彼はいつも帰り際に、洋画と、洋物のアダルトビデオを1本づつ借りた。ホラー映画には特に詳しく、玉美のビデオの選択の大きな助けとなってくれた。詳しいとは言っても、この作品は何という監督がどうのこうのとか、何年代の時代背景がどうでとかそういった事は語らず、ただコレが良いよとしか言わなかった。そんな所が、岡野の良い所だと彼女は思って居る。

岡野と2人で飲みに行ったことがあった。言い出したのは岡野で、バイトが終わってから晴れた夜を歩いて雑居ビルが並んだ通りある庄屋に行った。彼も玉美自身も自分の事をべらべらと話すタイプでは無くて、映画の話やTSUTAYAに来る客の事を、ぽつり、ぽつりと話す静かな席だったが、居心地はそんなに悪くなかった。岡野が洋物のアダルトビデオばかり借りて居る事を思い出してその事を尋ねると、彼の母親は風呂上りに裸で歩き回る癖があり、日本人が出ているアダルトビデオでシャワーシーンになると、そのときの事を思い出して萎えてしまうのだと言った。そういうものか、と玉美は思った。

一時間と少しで店を出て、岡野が車で来ていたので玉美は部屋に泊める事にした。道すがら、岡野がふざけてロメロ監督の映画に出てくるゾンビの歩き方の真似をした。それは本当にゾンビに似ていて、気味が悪くて、玉美は岡野が死ぬような気がした。(続く)





TSUTAYAの女(5)

TSUTAYAのバイトのとき、金子玉美の休憩時間は21時から22時までの間に30分間だった。店内に誰も居なくなるといけないので、15分ずつずらして交代で休んだ。大抵バイトの先輩か店員が先に休憩をとって、玉美はその後だった。それは別に年功序列というわけではなくて、彼女はいつも先輩や店員に先に休むことを薦めた。先輩を立てる行為にも見えるが、誰かが自分の後から休憩に入ると何か責付かれる感じがして落ち着かない、というのが理由だった。

休憩時間になると彼女は、先ず黄色い制服を着たまま表の通りを渡ってセブンイレブンに向かう。TSUTAYAの隣にもファミリーマートがあったが、そっちは店の中で鶏肉やらパンやらを揚げるので、油の臭いが制服に付く気がして敬遠していた。セブンイレブンでは、菓子パンと、野菜ジュースと、それと時々ミントの強烈なガムを買った。コンビニ弁当は体に悪いと思って居た。特に理由も無く漠然とそう思って居た(コンビニ弁当に比べたらカップラーメンの方がまだ体に良いと信じて居たが、これにも根拠は無い)。雑誌を手にとってみる事もあったが、表紙をめくった途端に読むのが面倒になり、パタンパタンと数十ページずつページをめくって、ほんの数秒で棚に戻してしまうことが殆どだった。

その後TSUTAYAの休憩室で、いま買ってきた物と、その日バイトを始める前に同じコンビニで買ったペットボトルの残りで軽い食事にした。休憩室は店員とバイトのロッカールームとそれに倉庫も兼ねていたので、ロッカーと掃除用具入れ、販促グッズ、ビデオテープ、備品の箱、何かのトレイ、プラモデルや人生ゲームの箱(何に使うのだろう?)、そんな物が乱雑に積まれており、人の居られるスペースは、2人がやっとすれ違える程度にしか無かった。事務用の机が1つあったが椅子は無く、玉美はいつもその机にお尻を載せるようにして寄りかかり、立ったまま食事をした。

ロッカーの中に1つだけ型の違う背の低いのがあって(開かずのロッカーと呼ばれて居た、中に何が入って居るかについての論争は、しばしば退屈凌ぎの手段となった)、その上にはタイムカードと並んで小さなテレビデオが置かれていた。テレビの方は何かがざらざらと写る程度で、ただし音は良く聞こえたが、ビデオの方は完全に壊れて居て、再生や早送りのボタン類はガムテープで封印され、デッキには「子猫物語」のテープが入ったまま取り出せなくなって居た。金子玉美は、大自然という言葉から小学生の頃にテレビのロードショーで観た「子猫物語」の映像を連想する。1度見たきりでストーリーは全然覚えて居ない(それも多分途中で寝てしまった)けれど、子猫を乗せた箱が流されて行った小川、北国の控えめな春の日差しの中で、涼しそうな風に揺れる低い草、きらきらと眩しい木洩れ日、彼女の持つ様々なイメージのレパートリーの中で、それは美しいものだった。狭い薄暗い休憩室で野菜ジュースを飲みながらそのテープが目に止まる度に、いつか北海道に旅行できたら素敵だろうなと、いつも思った。(続く)





TSUTAYAの女(6)

バケツの底が抜けたような大雨で、TSUTAYAはいつも以上に閑散として居る。ガラス張りの建物の何処かに隙間が有るらしく、水の粒子をたっぷり含んだ細い空気の流れが、頬を撫でて行く。ビデオテープのケースのビニールも、半袖の黄色い制服も、肌も、しっとりと水気を含んで居るようだった。ずぶ濡れになるのは好きではないけれど、建物を強く打つ雨音を中から聞いて居る分には、悪くない夜だ。

金子玉美は小学生の時に「金玉」というあだ名を付けられて以来、暗い性格が直らずに居て、めったに笑わなかったが思い出し笑いをする癖がある。さっき土砂降りのなかを夜食を買いに隣のコンビニまで走って行ったとき、割り子蕎麦が売られて居るのを見て、昔誰かが言った「蕎麦ージュ」という駄洒落を思い出した(「ソバージュ」という髪型が流行った事があった)。「蕎麦ージュ」の事を考えて、今も独りでカウンターに立ったままクスクスとして居る。

玉美の視界の端のほうに、何か小さな物が動くのが見えた。その瞬間、彼女は「うわ」という音を発た。背後の壁にどんと手を突いた。「身の毛も弥立つ」という言葉が脳裏を過ぎる。今夜のバイトにもう1人はいって居た西井という男はそのとき、ズボンからはみ出したウエストの肉が棚に当たらないように注意しながら、ビデオテープを棚に戻す作業をしていた。彼女の発した音に振り返り、その目線の先(ちょうど自分の足元だ)を黒い小さな楕円形のそれが通過して行ったので、ぎょっとして、抱えて居たビデオテープを全部床に落としてしまった。

落下したビデオテープがそれに当たらなかったのは、幸運と言うべきか、それとも不幸か。西井がそこらを探し回ったが、もう見付からなかった。玉美は、それが嫌いではあったが、映画やドラマに出てくる女の子のように絶叫してパニックになる事は自分には無いと信じて居たから、さっき咄嗟に驚きの声を発してしまった事は不本意であり、悔しかった。もっといつも落ち着いて居よう、そうだ、お寺をイメージしよう、京都へ旅行したい、そんな事を考えて居たら、バイトが終わる24時になった。

倉庫とロッカールームを兼ねた休憩室の机の上に、封を開けたやきそばパンが放ってあった。西井が休憩時間に食べかけて、口の近くまで持っていった所で、ふとダイエットしようという気になり、食べるのを止め、そこに置きっ放しにした物だった。しかし彼はそんなことはもうとっくに忘れて居て、ちょうど小腹が空いた所だと手に取った。玉美は蒼くなった。彼女の中に、先ほど見失った生物が、西井が今手にして居るその丁度あつらえむきの寝床に潜り込んで居る妄想が湧き上がったからだ。食べる所を見たくなかったので、ぺこりと一礼して、制服のまま早足でその場を去った。着て来た私服はロッカーに入ったまま。帰り道は前だけ見て歩くことに集中して、雨上がりの星空にも気が付かないのだった。(続く)





TSUTAYAの女(7)

金子玉美は寝て居るのが好きだったがビデオを見てしまうので睡眠時間は少なかった。だから予備校もバイトも何も無い日(そんな日は本当に稀にしか無い)は一日中寝て居ようといつも思って居るが、いざそんな日になると部屋の片付けを始めてしまったり、そうして居るうちにラベルの無い古いビデオテープが出てきて、ビデオデッキに挿入してみたら録画して観るのを忘れて居た「X−FILE」のしかも第1期の日本語吹き替え版だったりして、ああそういえばテレビで放映したときは風間杜夫がモルダーの声を吹き替えて居たんだっけ何だか違和感だなあ、なんて思って観ているうちに夜になって、それから部屋の片付けの続きをして洗濯をして食器を洗って、折角洗った食器を使うのが勿体無くてコンビニにカップラーメンを買いに行き、そしてそのついでにまたビデオを借りてしまったりするので、やっぱり睡眠時間は短いのだった。

何時間か寝て無理矢理起きる、フローリングの中途半端な位置に寂しげに置かれた2リットルのペットボトルから、烏龍茶をラッパ飲みにする。玉美は冷たい物を飲むとすぐに腹を壊してしまうので飲み物はいつも常温で部屋に放置して居る。そして玉美はあまりたくさん飲まないので、それはたいてい古くなっている。来客があると、飲み物から変な臭いがするし何か浮いている、と指摘されたりもするが、そういう物を摂る事に関して彼女の体には耐性があるようだ、が、やっぱり冷たい物には弱い。玉美は「天はニ物を与えず」という言葉を思い浮かべるが、何だか凄くどうでも良い「ニ物」だと思う。

TSUTAYAのバイトが始まる20時頃は客が多い。忙しいので巻き戻さないで返して行く客には腹が立つ。2台ある巻き戻し専用の機械にテープをセットしながら、いつかあの客のビデオテープを「シリアル・ママ」にすり替えてやろうかと思う(「シリアル・ママ」にはビデオテープを巻き戻さないで返す客が撲殺されるシーンがある)。しかし玉美は物覚えが悪いの何に腹を立てたのか忘れる。ただ無意味な腹立たしさだけが残る。

22時をまわると、いつの間にか店内はがらんとして居る。今日は西井もバイトに入って居る。彼はNHKでやるような生き物のドキュメント番組が大好きで、何となく心持ちの良い夜は玉美にその話をする。今日は、サハラ砂漠の岩山の谷間に隠れた湖があって、そこにワニが棲んで居る話を、楽しそうに話した。西井は話術が巧みな方ではなかったが、楽しそうに話すので聴いて居て楽しい。仕事が落ち着いてほっとするこの時間の、こんな雑談のひと時を彼女は好きだったし、またとても大切なものだと思って居た。(続く)





TSUTAYAの女(8)

金子玉美の働くTSUTAYAの店長は鈴木という男だ。歳は30代の後半位で、腕も足も太く、ずんぐりとした体格をしている。体重はおそらく西井の次にあるだろう。背丈は180センチもあるのだが、顔が大きいため、離れた所から見ると背が高いようには見えない。しかし近寄ると矢張り大きい(宇宙空間では遠近感が狂って大きさの目測を誤るという。彼が居れば地上でもその感覚を体験することが出来る。)。そのごつい体格のため、正面に立たれると熊と対峙したような圧迫感を受ける。いつもスーツにネクタイという姿で出勤し、仕事中は黄色い制服に着替えて、仕事が終わるとまたスーツを着て、ちゃんとネクタイを締めてから、愛車のエルグランドに1人で乗って帰って行くのだった。髪は真っ黒で濃く、かっちりと固めた前髪を、右の方だけくるりと跳ねさせて居た。

鈴木はフレームの無い型の眼鏡をしており、顔の油で滑るらしくいつも鼻眼鏡になって居て、つるを親指と薬指でつまんでは位置を直す。そのとき小指が立つので、たまたま見てしまうと何だかぞっとする。堀川は鈴木が男色だと決め付けているようだ。堀川によると、鈴木は西井と2人で遅番だった夜、仕事が終わった後で西井にマッサージを頼んだらしい。鈴木が机の上に仰向けに寝そべって、西井は指図されるままに太腿や腹や二の腕を揉まされ、最後に5000円貰ったそうだ。(もっとも堀川という男はそういう噂話が根っから好きでどこまで信憑性があるか分からない。玉美もその話を頭からは信じなかったが、「5000円貰った」のところは良く出来て居ると思った。)

玉美は一度、風邪をこじらせてバイトを何日か休んだことがあった。病院でインフルエンザと診察されたので、感染しないように配慮したのだ。彼女と親しかった店員の岡野が何度か仕事の帰りに見舞い寄って、食べ物と飲み物を持って来てくれた。そんなある日、ノックされたドアを開けると、店長の鈴木が覗き込むように立って居たので本当に驚いた(驚いて鼻水が出た)。岡野が遅番だったので店長に差し入れするよう頼んでくれたのだ。鈴木は差し入れを玄関に置き、おだいじにと一言挨拶して帰って行った。差し入れは冷凍の鍋焼きうどんとビデオテープが一本、黒澤明の「生きる」だった(何かひどい病だと勘違いされているのだろうか?)。「生きる」は既に何度か見た作品で、折角なので再生してはみるものの、薬から来る眠気に落ちてしまって、目が覚めた時モニタにはラストのブランコのシーンが映って居た。うどんは旨かった。(続く)





TSUTAYAの女(9)

折角の3連休をビデオテープでしか埋められない人間が世の中に沢山居るおかげで、木曜にもかかわらずTSUTAYAは大いに繁盛した。新作という新作には貸し出し中であることを示す輪ゴムが掛けられ、色あせた背表紙が並ぶ怪獣映画の棚でさえ、ずいぶん埃が払われたようだ。その日TSUTAYAの店員やバイトは沢山のビデオテープを抱えた客を見て、休日に他にする事は無いのかと思いながら、忙しく働いた。

金子玉美はTSUTAYAでバイトをして居る。彼女は明日からバイトも予備校も2連休だった。滅多に無い連休だったので(それは単に彼女が自ら進んで連休をとらないからだが)、何をしようか考えて浮き足立って居た。日中は予備校、夜はバイトという生活になってから、休みと言っても何かをしようと思った事はなく、せいぜい掃除や洗濯をしたり、あとはいつもより早く眠るだけだった。しかし2連休だ、1日寝て居たってもう1日あるのだから、きっと何かしよう、そう思って考えて考え抜いたけれど、何も思い付かなかった。毎日ビデオテープの選択ばかりして来た彼女にとって、自由という選択肢は、だだっ広く、そして殆ど空白だった。

次の日は良く晴れて、玉美はとりあえず出掛けた。商店街を少し歩いて、先ずは何か食べようと思って蕎麦屋に入る。店のテレビで「笑っていいとも!」を見ながら山菜おろし蕎麦を食べて、それから休日らしくしようと思って、一番小さいサイズのビールを1杯だけ飲んだ。昼間から飲むビールが胃に染みて、蕎麦屋を出たあとの足取りはふらふらとして居た。

建物の壁とブロック塀で囲まれた小さな公園で休む。ベンチが1つあって、お稲荷さんがあって、細い木が2本あって、あとは何も無かった。雀が2羽飛んで来て、玉美の足元から2メートル位の所で何かしきりに地面を突付いて居る。1羽に比べてもう1羽は一回り小さく、大きい方がチョンチョンと跳ねると、小さい方が少し遅れてチョンチョンと付いて行く。玉美はきっと親子だと思った。子供の方は、頭も小さくて、くちばしも薄く弱々しい感じがした。親鳥が地面から何かを拾い上げてそれを子供に与えると、子供は何かを覚えたと見えて、親鳥と同じように地面を突付いた。親鳥はそれを確認すると、またチョンチョンと跳ねて、少し振り返ったように見えた。それから2羽は塀の所まで飛んで、そのあと屋根の向こうへ飛んで行ってしまって、もう見えなかった。屋根のあたりから視線をもっと上に移すと、空は赤く染まりかけて居た。

食器のお店で小さな青磁のコーヒーカップを1つ買う。それから電器店でBRAUNの4カップサイズのコーヒーメーカーを買い、スーパーでコーヒーを挽き、それからお米を5キログラムと、2リットルの烏龍茶を買ったので、大変な荷物になった。彼女はそれを両腕で引きずるようにして運び、地下鉄に乗り、アパートの自分の部屋に戻った頃には日が暮れて居た。彼女の華奢な両腕は、明日はきっと筋肉痛でガクガクになるだろう。

夜はご飯を炊いて、いつだか分からないほど前に買ったレトルトカレーを食べた。それから買ったばかりのコーヒーメーカーでコーヒーを淹れて、テレビのスイッチを入れてみたら金曜ロードショーで「魔女の宅急便」が放送されて居た。キキみたいな真っ黒いワンピースを一度着てみたいと思って居たっけ。そうだ、明日は久しぶりに両親に会いに行ってみようと、エピローグを見て思った。(続く)





TSUTAYAの女(10)

金子玉美はTSUTAYAで深夜のバイトをして居る。21時をまわって店内の人影は疎らだ。今夜は堀川という男もバイトに入って、カウンターに2人並んで居た。

堀川は中途半端な長髪で体の線が細く、後ろから見ると女のようだ。そのわりに老けた顔をして居て、太い眉毛の下に奥二重の大きな目玉がぎょろりと見開いて、およそ髪型とは似つかわしくない顔立ちである。彼は誰かと居るときに、黙っては居られない性分のようだ。下らない噂話が好きで、それはTSUTAYAの店長が男色であるとか言う身近な話題から、フセインが実は日本に来て居て、鎌倉の煎餅屋の二階に身を潜めて居るというような突拍子も無い物まで様々であり、節操が無かった。少なくとも、金子玉美はそういった話に殆ど興味が無かった。

どういう経緯があったのか(とは言っても堀川の一方的な経緯だが)、気が付くといつの間にか彼の話題は、大昔に流行った「フォルクスワーゲンを1日に3台見ると願いが叶う」という迷信の事になって居た。懐かしいな、と玉美は思った。あの頃の「願い」って何だったのだろう。洋服が欲しいとか、遊園地に行きたいとか?私はそんな普通の子供と同じような事を願って居たのだろうか。そうかもしれないし、もっと下らない事を願って居たような気もする。何を願って居たのかがはっきり思い出せない。子供の頃に何をしたのかは覚えて居ても、何故そうしたのかは思い出せないのだった。何故、そもそも何故なんて事はあるものか、玉美は取り留めも無く思う、それは大人になったって、何故なんて問いに根本的な答えなど無いのだろう。例えば今の願いは、ひっきりなしに開いたり閉じたりする壊れた引き戸のようにやかましい堀川の(それは少し言い過ぎだが)話題が尽きてしまう事だったが。

その時、にわかに雨が降り出して、雨音が、周囲の音を少し遠ざけた。雨音が紡ぐ糸のようなノイズに耳を傾けると、意味のある音は天から垂れ下がった無数の糸の中に埋もれて無くなり、それどころか建物も自分の体も、いつの間にか無くなって終うのだった。(続く)





TSUTAYAの女(11)

怪談とまではいかないが、近頃どこにでもあるような奇妙で薄気味悪い話が、金子玉美が働くTSUTAYAにも有る。

其の一つ(そういう話がいくつあるのかは知らないが)はゴミ捨て場の話だ。店の裏に今は全く使われていない関係者用の通用口があり、外からその通用口を開けてすぐの所がゴミ置き場になって居た。レンタルビデオ屋なのでそんなに沢山ゴミは出ないが、店員やバイトが食べた物の殻やティッシュ等、普通の家庭ぐらいにはゴミが出る。ゴミがゴミ袋いっぱいに溜まると、それを持って外からぐるりと裏にまわり、通用口を開けた所に置いておく。仮にも通用口なのだから一度外に出なくても中から通じて居るはずなのだが、なぜかそうする者は居なかった。

これは玉美が店長の鈴木から聴かされた話だ。

数年前、鈴木がTSUTAYAの店員として働き始めて間もない頃、その頃もやはり今と同じで、先輩の店員もバイトもゴミは外を回って通用口に捨てて居た。何故わざわざ外から回るのか聞こうと思ったがなんとなく機会を逃してしまって居た。中から通用口へ中から行くには、業務員用のトイレの手前の通路を廃材とダンボールの空き箱をたたんだのが山積みになった脇を通って、その先の角を曲がって進んだ突き当たりだ。ごく短い距離だが、どうも暗くてカビ臭くって陰気だし、何より誰も通らないというのが不気味で敬遠して居た。古株のバイトが居て、鈴木と1ヶ月くらいの入れ違いで止める事になり、ささやかな送別会が開かれた。その場で、やっと例の通用口のことを聞いた。

6月頃、何日も雨が続いた事があって、ゴミを通用口まで持っていくのが億劫だったのでロッカールームに置きっぱなしにして居たら、だんだん臭って来たので、止むを得ず通用口まで運ぶことにした。やっぱり雨だったので、通用口まで中を通って行ってみようと思った。業務用のトイレの手前の通路から、、、廃材とダンボールの山のさらに上をゴミ袋を通して、なんとか曲がり角の手前まで来た。曲がり角の先は本当に真っ暗だ。

頭を押さえ付けられる様な重い闇。埃が水気を帯びて苔のようになって居ることが想像でき、壁には触れない。空気自体が腐って、そこに沈殿して居るかのようである。明かりのスイッチを入れると、通路の真ん中あたりで小さな電球が灯った。恐る恐る進む、何か固形の物と粘性の物を踏む感触、壁には黒い斑点が無数に出来て居て、カビの胞子を吸って居る事を感じる。マスクをして来なかった事を後悔した。酸味と気味の悪い甘さの有る臭い。部屋の中央の灯りの下まで来て、壁の黒い模様が全部、蜘蛛であることが分かった。壁にも天井にも足元にもクモがクモが居て体長は3センチから7センチ程あり黒くてさわさわと動いて居た。それらはさわさわとうごいていた。無数の短い体毛のびっしりと生えたクモに囲まれて自分の肌の触れるか触れないかのところを遅い遅い速度で撫で上げられて居るような感覚だった。包囲による圧迫感のため殆ど体を動かせなかったが、やっと思いで持って居たゴミ袋をその場に落とす事に成功した。落ちた途端に無数のクモが恐ろしいスピードでそれもバラバラの方向に動き出したので、いよいよパニックに陥り、しかしそのおかげで走って逃げる事ができた。

喉の奥にねばねばのものが詰まって息が詰まり、明るい所まで辿り着いてから暫く咳き込んで居た。その日自宅へ帰りシャワーを浴びていると、腕や背中などに何箇所か腫れ物が出来ているのを見つけた。それを全部カッターナイフで切り落とし、その日は部屋の真ん中で一晩座って居た。

その傷を見せて貰ったというのがこの話のオチである。つまるところ「知り合いの知り合いの話」であり、玉美はそういう話を信じる方では無かったが、実際、店の中には結構大きなクモが出ることがあるし、気味が悪いのでゴミは外を通って捨てて居る。(続く)





TSUTAYAの女(12)

金子玉美はTSUTAYAで深夜のバイトをして居る。今夜のシフトは彼女と店員の岡野の2人である。店舗によっては夜中の22時を回ってから客が増えて忙しくなったりするそうだ。しかし少なくともここは、毎日20時を回ると閑古鳥が鳴く。

返却されたビデオの処理も棚の整理もとっくに終わって居る。有線放送は売上の高い曲ばかりでもう完璧に覚えてしまった、カラオケになんか行きはしないのに。岡野はカウンターにフリーペーパーを置いてぱらぱらとめくって居る。玉美はその横につっ立って、携帯のストラップを弄んで居る。彼女の携帯のストラップには小さなキリンが2つ付いて居て、雌を取り合って首と首をぶつけ合って居る。キリンの雄同士がこうして1匹の雌をめぐって争うのだということを、バイト仲間の西井から聞いた。どうでも良いが西井は太りすぎだと彼女は思う。彼は4時間のバイトの間に必ず1.5リットルのジュースを飲み干し、その他に缶ジュースを飲む。あのでっぷりした腹にジュースが詰まって居るのだとしたら、ホヤを切り開くようにして中身をバケツに空けてしまったら良い。バケツの中身はきれいなミックスジュースでしょう。

こうして何もしないで立って居る時間に対しても給料は振り込まれる。時給という制度はおかしなものだな、と彼女は思う。時は金なり。ファーストフードや出来合いの弁当を買う時、出費の何割かは時間を買う為なのだろう。店員が自分の時間を使って食事を作り、時間が無い人はお金を払って食事と店員の時間を売って貰う。今こうしてただつっ立っている私の時間は、お金のある誰かに買われて居るのかな。

ファーストフードと言えば、そういう店の店員達が狭い厨房やカウンターの中をくるくるとぶつかりもしないで動き回って居る姿を見て、玉美はいつも関心する。吉野家の店員が味噌汁をこぼさないのが不思議でたまらない。話は逸れるが、彼女は吉野家に行くと、草原で草を食む牛が投げ縄で捕まって、肉にされて、日本通運のトラックで運ばれ、大きな工場で自動的にスライスされ、風呂桶ほどもある大きな鍋で牛丼の具にされるまでを想像しながら、牛丼を食べる。

バイトの帰りに岡野と2人でファミレスに寄る。煮魚定食の煮汁が彼女のお気に入りのシャツに飛んだのでがっかりした。(続く)





TSUTAYAの女(13)

朝が一番暑い気がする。体が火照って居るのか。何もして居ないのに。水を飲めば良いのか。そうして金子玉美の一日が過ぎて、夜のバイトに向かう。日の出て居る間については思い出が無い。

TSUTAYAの駐車場に堀川の車が留まって居て、運転席と助手席に堀川とその恋人が座って居る。堀川は玉美とTSUTAYAのカウンターに並んで居る時は世の中の出来事や身の回りの出来事や嘘みたいな話を延々と喋るが、恋人と居るときは全然喋らない。逆に恋人が延々と喋って居て、堀川はそれをうんうんと聴いて居るだけである。恋人は延々と喋る。堀川はそれをテープレコーダーに記憶して居るのだろう。そして後でそっくりそのまま再生して居るのだろう。私もその話を何割かは録音するだろう、私が話したことも誰かが録音して居るのかもしれない、それが廻り廻って、結局いつかまた自分の耳に入るのだ、そう考えると何だか喋ることは全部が全部バカみたいだと彼女は思った。

人間は覚えて忘れて行くから、情報は個人にとって一瞬の物でしか無い。しかし止せば良いのにそれを人に伝えるから、情報はぐるぐるとループを廻って在り続ける。個人が死んだ後も情報は、新しい誰かに伝達され続けて消えやしないから、人類はいつまでも余計な事を忘れられ無い。頭の良いコンピュータの記憶装置だってそんな下らない行為の模倣に過ぎ無い。

高校の同級生だった高村がキューブリックの「2001年宇宙の旅」を借りて行った。玉美はこの映画は分かり難くて嫌いだった。同じSFならゴジラかガメラのほうがよっぽど好きだ(ゴジラがSFかどうかはさておき。スーパーXは多少SFらしいけれど)。SFと言えばサムライ・フィクションと言うのがあった。あれは良かった。サムライ映画と西部劇はどこか似て居る。彼女は近頃、西部劇ばかり立て続けに観ている。昨夜はバイトが終わって寝る前にヤングガンとヤングガン2を観たので、2時間と少ししか寝て居ない。寝て居ないと体がおかしくなって妙な物を食べたくなるので困る。現にいま彼女は松前漬けが食べたくなって居た。あのしんなりとなったスルメの切れ端が。店長の実家が和菓子屋なので時々差し入れに落雁やら金つばを持ってくるが夜中に食べるとたいてい胸焼けする。

23時になって24時が来るとバイトは終わりになる。帰ってビデオを見て寝る。愛すべき何もない日々は続く。(続く)





TSUTAYAの女(14)

金子玉美は腹を壊しやすい。冷た過ぎる飲み物もダメだし、エアコンをONにしたまま寝たりすると、起きた時には下腹が騒がしくなって居る。かと言って暑さが得意と言うわけでもないので、夏が近づくにつれ寝不足は酷くなっていった。

24時にTSUTAYAのバイトが終り、自宅に帰って「雨あがる」を観て居た。エアコンを入れて、腹が冷えないようにクッションを抱え、胴体をくの字に折り曲げてクッションの上に顎を載せて、テレビの対面の壁際のいつものポジションに居る。「雨あがる」のタイトルの通りに、フィルムが始まってからずっと雨のシーンが続いた。氾濫した川をながめる渡しの人足の蓑を羽織った格好が、まるで河童のようだと思った。

注文したホットケーキをずっと待って居たが、水さえまだ運ばれてきて居なかった。デパートの地下フロアの隅にある喫茶店には4人掛けの席が1つあるだけで、それも階段の真下にあるので天井がおそろしく低かった。玉美の目の前の白いテーブルの上には塩も胡椒も紙ナプキンも載っておらず、芯の切れたシャープペンシルで引っかいたような文字のような跡があったが、何を書いてあるのは読み取れなかった。右手の壁に、スポーツ新聞よりひとまわり小さい位の鉄の板がついていた。鉄の板は肌色の塗装が施されており、中央の左寄りに丸いリング状の金具が付いていた。金具の位置からしてそれは扉であるようだった。鍵は付いて居ないようだったので金具を引いてみると、少しの重みがあってスッと開いた。扉の向こうは一面の川原だった。川原がどこまでも続いて川は見えず、空は灰色がかった雲がうねうねとして居て、石と雲だけの色彩の無い世界で、行者のような白装束の男達が一列になってぞろぞろと歩いて居た。その連中はいつのまにか扉の近くにまで来て居て、玉美は腕を掴まれて引っ張り込まれそうになった。

そこで飛び起きた。テレビを載せて居る棚に頭をぶつけた。居眠りどころか寝返りをうって体の向きが180度回転して居たのだ(彼女は妖怪枕返しの存在を想った)。テレビの画面の中で雨はもうあがり、フィルムが終わりに近いことを予感させた。

玉美はデパートの夢をよく見る。しかもその殆どが、エスカレータのシーンだった。夢の中で玉美はいつも誰かを探しながら、エスカレータでどこまでも上っていくのだ。エスカレータと踊り場以外の風景は白くもやがかかっており、どこまで上っても、どこにも着かないのだ。(続く)





TSUTAYAの女(15)

金子玉美が働くTSUTAYAに、今夜は男子高校生が群れをなしてやってきた。連中はいつも群れている、地下鉄でもコンビニでも。群れるのは勝手だが、少なくともレンタルビデオ屋は、もっと孤独な場所だと思う。ビデオカセットを選ぶ後姿には悲壮感があるくらいが丁度良い。男子高校生の群れは全員でAVコーナーに入り、何も借りないで出てきて、誰かが早く卒業したいと言った。けれど卒業したら、そのお気に入りのボロボロのローファーは履けなくなるんだぜ。

今夜、玉美は西井と2人でカウンターに立って居る。西井の厚い脂肪のせいでカウンターの中が狭い。これでもダイエット中だと言うが、それならば少なくとも、休憩時間に飲んで居る1.5リットルのジュースは烏龍茶に変えるべきだろう。筋肉ダルマの鈴木店長と西井が2人でカウンターに入ったら、暑苦しくて、夏場なら西井の脂肪が溶け出して床がツルツルになるかもしれない。西井の血を吸った蚊が、溶け出した脂肪に固められて、煮こごりのようになって、それがいつしかジュラシックパークの琥珀のようになって、人類が滅びた後で宇宙人に発見されるかもしれない。そして血に含まれたDNAから再生された人間は、宇宙人の得体の知れない食事をもりもり食べて、やっぱり太るのだろう。(ところで、どうして映画に出てくる宇宙人の食事はいつも不味そうなのだろうか。宇宙人の食事と言えば、「第5惑星」のドラコ星人が食っていた緑色の玉が印象的だった。)

男子高校生の一団と入れ違いで、長い黒髪を縦巻きにカールさせた若い女性が入ってきた。色白で体の線が細く、顔の部品だけにボリュームがある。どこかで見た顔だ、有名人かもしれないが、しかし誰だか思い出せない。西井も「誰だっけ・・・」というような顔をして居る。玉美はモーニング娘。の脱退した誰かだと思ったが、西井はNHKの朝の連続ドラマにナース役で出てた人だと言っている。そんなの全然知らない。それ以前に、NHKの連続ドラマでナースが出てくるような話なんてあったのか。リング0の序盤で死んでしまう人にも似ている気もしたが、どうもしっくりこない。縦巻きカールの女性は「トイ・ストーリー2」と「ショート・サーキット2」を借りて行った。「2」が好きなようだ。会員証を見たが、本名を見たところでやっぱり分からない。そして西井は人さまの顔をじろじろ見過ぎである。

店長が知っているかもしれないと思ったので、次の日の引継ぎの時にたずねてみたが、そんな女性は知らないと言った。有名人なら、88年のソウル5輪で金メダルをとった鈴木大地が来店したことがあるそうだ。どうでもいい。顔を見て鈴木大地だと分かる店長がすごい。(続く)





TSUTAYAの女(16)

テレビはビデオ入力の青い色をして居る。金子玉美は漫然と白い壁を見て居る。27時。

蛍光灯の明りと云うもののせいで私の部屋は昼のように明るい。眠いのに起きて居る。

明りを消すと、テレビの発する青い光が辺りの白いものや自分の肌に映って、深海のようになった。

玉美はその日、にきびを掻き過ぎて血を出してしまう夢を見た。

次の日のバイトは堀川と一緒だった。この男は夜中でもよく喋るばかりか、動きもきびきびと素早く、しゃがんでから立つ時に掛け声を必要とせず、腰の曲げ伸ばしもスムーズであり、とにかくいつも全く眠そうな気配が無いので驚く。玉美は自分と同じ弱点を見出せた他人には気を許せるタイプの人間なので、堀川のような元気はつらつとした奴とは馴染めそうも無い。それに比べて岡野はいつも眠そうにして居るので同じ人種として安心する。休憩時間に夜食を買いに行くついでにミントのガムを買ってきてあげると早速開けて、味が無くなると次、次というように、一箱分続けて噛み続ける。味の無くなったガムはきちんと紙に包んで、シャツの胸のポケットに溜める。悪い奴に追われたら、ポケットから出して地面に撒くのだと思う。悪い奴が踏んでくっついて転ぶのだ。ガムまきびし。

夜食の焼きうどんのかつぶしでむせた。

やっと今夜のバイトが終わるが、眠すぎて今夜の分のビデオを手にとる勇気が無い。準新作の、途中で眠ってしまっても良さそうな、予告編だけでもうストーリーがわかってしまって居るような物を借りようかと思う。夏になるとテレビでホラー映画を紹介するが、本当に怖がりたいのならそんな物をあてにしてはいけない。いかにもB級というようなパッケージの聞いたこともないようなタイトル、それも10本のうち9本はハズレで、たまたま本当に怖い1本にあたった時が最高なのだ。退屈な日常に突如として牙を剥くスリルが良いのだ。ホラーに限ったことでは無く、例えば「アカデミー賞受賞作品」と銘打たれて居るような良いと分かっている作品は、コースを見るだけで足がすくむジェットコースターに近い。それよりも、気まぐれで乗ってみた100円のアニマルライドがイカれて暴走をはじめたとしたら、ずっと深く心に刻まれるだろう。

自宅までの道のりに上り坂がある。上り坂では立っている自分に対して地面が近くなるので、そのまま倒れてしまいたいという欲求を抑えるのに必死である。(続く)





TSUTAYAの女(17)

岡野が店に財布を忘れて行った。その日バイトをして居た金子玉美がトイレの窓の縁のところにあるのを見つけて、携帯に電話してやったら、岡野は取りに戻ると云った。

岡野の白い中古のサニーがTSUTAYAの駐車場に入って来たのは23時を少し過ぎた頃で、3日に1度は着て居る水色のチェックのシャツと膝丈のカーゴパンツを履いて居た。店の外の自動販売機で缶コーヒーを1つ買って、もう客の入って来る気配もないTSUTAYAのカウンターで、西井とだべって居る。岡野は西井が撮りためたNHKの「生きもの地球紀行」全巻をレンタル中であり話題は主に海洋生物に向いて居る。その横で金子玉美はレジのお金を勘定して居る。

バイトが終わってから水族館に行こうと云う話になった。バイトが終わるのは24時なので水族館はとっくに閉じて居るがイルカのプールぐらいは見られるかもしれない。とにかく岡野と西井がなぜか異様に盛り上がって居るので、玉美もつられて無意味に盛り上がって、行くことにした。ここで働いている連中はみな仕事が終わってからビデオを観るのでろくに眠っておらず体内時計がおかしい。そのため変な時間にものすごく元気にになることがあるが逆に突然動けない位にテンションが下がる事もあるので不便だ。

サニーは夜の国道を走って行く。岡野が運転し、助手席には玉美が、後部座席には西井がでっぷりと幅をとっており、窓を全開にしてピンクレディーのベスト版のテープをかけて居る。モノラルのスピーカから流れる「カルメン’77」の音が響いて、真っ暗闇に寝静まった家々の家族を起こしはしないかと少し心配して居ると、「SOS」が始まったところで西井が熱唱し始めて、岡野まで唄い始めたので、玉美も羨ましくなってダメダメだめよとやり始めた。いつの間にか、あたりは田んぼか畑のようで暗闇は果てが見えず、ぽつんぽつんと立って居る街灯は宙に浮いて居るようだった。

やがて車は高速道路に乗った。どこまで行くのだろう。窓を閉めると、オレンジ色の明かりが静かに流れて行くのがとても綺麗だ。ピンクレディーのテープが終わってラジオに変えて居たが、音楽が流れているのに静かな感じである。それは景色がオレンジ色と夜の深い紺色に統一されて居るせいなのだろうと玉美は思った。深い紺色の空と道路の地平を、オレンジの集中線をなびかせて走って行く。そんな夜の景色を見ているうちに玉美は、どういうわけか胸がいっぱいになって、ラジオから流れるオペラ音楽を聴いて居るうちに、悲しいわけでもないのに泣きそうになって居た。目じりのあたりが薄らと濡れて、何と言う言葉でも表せない気持ちが、確かに胸のあたりに大きな塊となって体を圧して居た。玉美はその感じが、特に根拠はないけれど、とても良いものだと思った。

岡野の小便が近くなり、サービスエリアに向かってポンコツは全力で走り始めた。並走する巨大なトラックが象で、ちょっとした気まぐれでポンコツをゴロリと押し潰してしまいそうだったが、そうなる前になんとか抜きさった。

サービスエリアで夜の雲の黒い輪郭の隙間から星を見ていたら、薄ら夜が明けてきた。西井がいつの間にか車の中で眠ってしまって居たので、もう帰ることにした。

帰りに吉野家に寄って、岡野と玉美の2人でカウンターに並んで座り、牛丼に紅生姜を山盛りにして食べた。つゆだくにもつゆ抜きにもしなかった。そういえば注文の仕方には「ねぎ抜き」というのもあるらしい。盛り付けるのが随分面倒なような気がするが、店員に言わせればそれよりもお茶おかわりのほうが頭に来るらしい。早朝の吉野家にはジャージを着た初老の男性と作業着の若い男2人組の他に岡野と玉美だけで、傍からは訳ありのカップルのように見えるだろう。西井はサニーの後部座席で眠ったままだ。

西井は起きそうも無いので自宅まで送ってやることにする。自宅に着いても一向に起きようとしないので、岡野が反対側のドアをあけて蹴り出したら地面に転がった。玉美はそれが可笑しくて随分久しぶりに大笑いした。(続く)





TSUTAYAの女(18)

金子玉美は今日もTSUTAYAでバイトをして居る。22時を過ぎて店内に客はまばらだ。パンチパーマが来て居る。パンチパーマとは最近バイト仲間の間で話題になって居る客である。ほとんど毎日、夜やって来てアダルトビデオを4、5本借り、翌朝、開店直後にやってきてそれを返して行くのだ。ダビングするのか早送りで見るのか、とにかくそれだけの量を単純に自分の為に借りて居るとは思えない(何しろ翌朝返してしまうのだから)。何かそういうビデオを大量に見なくてはならない仕事なのではないかと想像する。食べたくない時でも腹に詰め込まなくてはいけないような、そういう仕事は辛いだろうと思う。今夜、パンチパーマはアダルト4本と「ピアノ・レッスン」を借りて行った。めくるめく女体の山盛りで胸焼けして疲れた心を島とピアノが癒すのだろうか。

数週間前、金子玉美の自宅のポストに1通の手紙。ダイレクトメールと公共流金の領収書以外の郵便物が届くのはここに引っ越してから初めてのことだったので、何もプリントされていない白い慎ましい封筒は、彼女の目には新鮮だった。あて先が実家になって居る・・・両親のどちらかががわざわざ持って来てくれたのだろうか?彼女は日中は予備校に通って居るし、バイトは週に5回あるので鉢合わせる確立は低いだろう。

手紙の中身は、中学校の同窓会の誘いだった。どのクラスの、ということではなくて同じ学年全員が招待されて居るようで、ホテルのホールを1つ借り切って盛大に催すらしい。玉美は同窓会の誘いというものを受けたことが無かったので、そういうイベントを企画したるような人種の方に自分が嫌われて居たのかもしれないと考えた事もあった。なにか嫌われるような事をした覚えはないけれど、例えば彼女のバイト先でも、レジに立って居ると良い客悪い客気に入らない客というのが居るのだから、人間どこでどう思われているか分かったものではない。だから、手紙を受け取って、何だかほっとした気持ちになって、きっと懐かしいだろうから行ってやろうと思い、鞄から筆箱を出して来て、同封されて居た返信用の葉書の「ご参加」をボールペンで丸く囲った。

彼女は中学生のときの事を考える。小学生の頃から続けていたバレーボールを、朝練習と放課後の練習合わせて1日に4〜5時間、それに休日もわざわざ学校の体育館に通って、寝が真面目だったから、コーチの言う通りにひたすらやった。頭が悪かったので、なぜこんな事をするのかという事を考えた事は無く、自分がバレーボールをやって居る事にも父が会社に行く事にも「理由」や「動機」というものは存在せず、例えば両側を壁で遮られた1本道を、「壁の向こう」という概念も持たず、「戻る」事や「進む」ことの概念もなく、ただ歩いて居たのだろう。そういえば、小学生でバレーボールを始めた時の事はあまりはっきりと覚えていないが、どの部活動にするか悩んだ覚えが無いので、おそらく母親と担任の教師の間で何らかのやりとりがあって勝手に決まったのだろうと想像する。担任の教師がバレーボール部の顧問を勤めて居たのだ。

そんな事をぼんやりと回想して居ると、時刻は23時30分の少し前になって居る。ビデオテープの棚の整頓をしながら、今夜借りるビデオテープを選ぼうと思う。

店長の祖父が倒れたのはつい4日前の事だ。店長の実家は和菓子屋で、息子つまり店長の父親が店を継がなかった為、祖父は今年で米寿を迎える高齢にもかかわらず現役で老舗の和菓子屋を切り盛りして居た。どこが悪いのかは聞かなかったがどうも危ないらしく、親類一同集まって、先ずは和菓子屋をどうするか会合が開かれる事になった。それが今日で、玉美は今日のシフトではなかったのだが、店長に頼まれて、最悪の場合は岡野が1人でなんとかするから断っても良いと云われたのだけれど、玉美は少しだけ考えて、良いですよと言った。その日、というのは今日だが、中学校の同窓会の日だったのだけれど、玉美は少しの間、目の前の店長と、岡野と、同窓会とを天秤に載せて選んだ。

バイトが終わり自宅に戻ると、留守番電話に今日の同窓会の幹事からの事務的なメッセージが入って居た。それを聞いて、玉美はどういうわけか晴々とした気持ちになって、口の端のところが緩んだような気がして、急いで鏡の前に行ってみたら、やっぱり少しにやけた顔をして居た。そのまま鏡を見続けて居たら、鏡に映った顔が色々の変な顔をするので、おかしな女だと思った。(続く)





TSUTAYAの女(19)

B級ホラーやパニック映画には「雛型」がある。はじめに予兆があり、最初の犠牲者が出て、そのうちに被害者が増え始め、最後には善良な市民の腕がちぎれ首が飛ぶ地獄絵図、それを爆発か何かで無理矢理収束させてエピローグへ(しかしそれは大きな事件の幕開けに過ぎないという場合もある)。27時に「スクワーム」を観終えた金子玉美はそう思った。思いつきで作ったような仕方の無い映画を彼女は好きだから、思いつきでも何とか作品に仕上げられる「雛型」があることは良いことだと思う。そしてパニック映画やホラーでそういう「雛型」にあてはまらないものは、名作と呼ばれるかもしれないし、意味不明の駄作と呼ばれるかもしれない。良い物と悪い物というのは往々にして紙一重でそうなるのかもしれない。特別に良くも無いがそんなに悪くもない物がB級なのだろう。

近頃、玉美のバイト先のTSUTAYAに少し変わったお客さんが来る。青い瞳をしたお婆さんで、いつも黒いショールを肩からぐるりと巻いて居て、そして髪の毛が1本も無い。英語を話すからイギリス人かアメリカ人かもしれないが、紙のように真っ白な肌にところどころ青い血管が透けて居て、つるりとした頭も相まって吸血鬼ノスフェラトゥを連想させる。そのお婆さんはいつも店長の鈴木が居るときにだけやって来て(おそらく外から覗いて鈴木が居るときにだけ入って来るのだろう)、鈴木店長と英語で立ち話をして行く。お婆さんと店長が喋って居ると、ノスフェラトゥはともかくとして店長の鼻眼鏡のしたの口からへろへろと英語が発音されるのは聞いて居ると耳が痒くなる感じがする。あんなに筋肉質で菓子屋の息子でしかも英語も話せるのにビデオ屋の店長をやっているのは何か特別な理由でもない限りおかしい。

店長がノスフェラトゥから自家製のイチジクのジャムをいただいたそうで、そのおすそわけをいただいた。店長はわざわざバイトのメンバーのためにタッパーにわけて持ってきたのである。店長と2人して英語で何の話をしているのかと思っていたが、ジャムの話をしていたのか。

イチジクのジャムをスプーンですくって舐めながら「トレマーズ」を観る。玉美は一度観た事があったのだが、この間ドライブした時、岡野がこの映画のラストで巨大なミミズを輪切りにして焚き火の上でぐるぐると回しながら焼いて皆で食べるシーンがあると言い張り、彼女はそんなシーンは無かったと言ったのだが、あまりにも岡野が熱弁をふるうのでなんだかそんなシーンがあったような気がしてきた。それで気になって、今見終わったのだけれどやっぱりそんなシーンは無かった。これから寝るのだけれど、あと2時間程で朝の太陽が昇るのだろう。(続く)





TSUTAYAの女(20)

ショートカットして駐車場の真ん中を通り抜けると、アスファルトの割れ目から芽吹き真夏の光線を一日中浴びて藪のようになっていたのが、いつの間にか干草の束になりかけて居る。金子玉美は予備校生で夜はTSUTAYAでバイトだから夏の真昼の日差しを浴びることは殆ど無いけれど、日が暮れてから空気が冷たくなるのと、コンビニ弁当のメニューで秋を感じる。

TSUTAYAのビデオテープを並べた棚の間を通るときに左右の腹の肉がビデオテープに触ってしまうほど肥えていたバイトの西井は、いつのまにか、ダイエットと夏バテの相乗効果で引退した関取と同じくらいにまで引き締まって居た。もう棚のビデオテープをバラバラと落としてしまう事も殆ど無くなるのだろう、そう考えると玉美は何か寂しい感じがしたが、なくなった腹や背の脂を懐かしく思うなんてどうかして居ると思う。しかし実際、渡辺徹がダイエットで痩せてしまったときはやっぱり少し寂しい感じがしたし、ゴミ屑が散らかった部屋をきれいさっぱり片付けてしまうと寂しい感じがするから、寂しいなどという気持ちは、要るものでも要らないものでも何かしら無くなると少なからず湧いて出るいい加減なものなのかもしれない。

そんな事を考えながらTSUTAYAのカウンターに立って居たら、いつの間にかカウンターにほっぺたを押し付けて体をくの字に曲げて居眠りして居た。ほんの一瞬、意識が正常な枠の中から転げ落ちたと思ったら、カウンターの上にトロリとした唾液の水溜りが出来て居たから、10分くらいは気を失って居たのかも知れない。そうしたら西井に、そんなことをやって居るから店が潰れそうだと云われた。冗談かと思ったら、居眠りの事は冗談だけれど、この店があぶない事は店長がそんなことを漏らしたらしい。店長は体中に筋肉がもりもりと多いから、西井のはぜい肉だけれど2人はどこか通じるところがあるらしく変に仲が良いし、西井は多少は冗談は言うけれど嘘は言わないような気がするから、きっと本当の事なのだろう。大変な話なのだろうとは思うのだけれど、なぜだか他人事のように思えて、記憶にだけ留めて今は何も考えないでやりすごした。

玉美はここ数日、ミスター・ビーンのビデオを端から借りてバイトが終わってから見て居る。面白いのだけれど、初めて見るのに懐かしい感じがすると思ったら、このパターンは志村けんのコントにどこか似て居るのだと気が付いた(志村けんは自動車を本物の戦車で潰したりはしないけれど)。今夜もミスター・ビーンのビデオは折角面白いのに、不意に西井が言った事を思い出してしまって、それからは、尻の辺りがむずむずして、今夜はもうビデオを見て眠るだけのはずなのに落ち着かなくなってしまった。ビデオはちっとも面白くなくなってしまったから、もう諦めて、ビデオデッキとテレビの電源をブツンと切って、いいちこをコップに半分まで注いで、それを一息に飲んで無理矢理眠ってしまった。(続く)





TSUTAYAの女(21)

笑っていいとも!の「慎吾のびっくり双子」のコーナーに出るためにアルタ前にやってきたのに、ひどい濃霧で何も見えない。今まで知らなかったけれど私には私にそっくりな双子の姉が居るのだ。しかしもう11時45分なのにタモリも姉も現れないし、もし仮に姉が現れたとしても、霧に映った自分の姿かもしれない。ドッペルゲンガーだったらもっと恐ろしい。

今のうちに何か食べておかなければ、収録が長引いて夜遅くに腹を空かす事になってしまうかもしれないから、何か軽く入れておきたいけれど、辺りにはのっぺりとしたコンクリートの壁が上の方にも横にもどこまでも続いて居るだけで、その中に一箇所だけ四角く入り口が開いて、脇に「吉野屋」と小さな看板が下がって居る。他には何もないのだから、仕方が無い。

階段を下りカウンター越しに牛丼を注文したら笑われた。牛丼は牛が食うもんだ。見ると牛が何頭か、バケツほどもある丼に顔を突っ込んで何か食べて居る。牛が食うのが牛丼だ、馬が食うから馬丼、キジが食うからキジ焼き丼さ。ほれそこの水槽を見てみな、マグロが周遊しながら漬け丼を食うのが見えるだろう、人間さまが水槽に入って泳ぎながら飯を食らうなんて事があるなら、それこそ莫迦げて居る。水槽の中を覗くと、砲弾みたいなスピードでマグロが泳ぎ回り、それに丼が当たって粉々に砕けて居る。人間さまは人丼さ。出てきた丼には冷え切った白い飯の上に、いかにも冷たそうな、白っぽい肉の薄切りから一度脂が溶け出して、それが白く固まって、煮こごりのようになった塊が乗っかって居る。その上から申し訳程度に白胡麻が散らしてある。

どうしたってこれを食べようという気は起きないけれど、勿体無いから、丼を両手で抱えたまま、連なる山々を尾根伝いに歩いて行く。岩でごつごつして居る上に両手が塞がって居るから大変歩きにくい。家族連れの登山客とすれ違うときに、子供を避けようとして転びそうになり、丼が手から転げ落ちた。岩に当たって真っ二つに割れた丼の白い飯の中から、鰻の蒲焼が出てきた。

絶望して、その場に座り込んで呆けて居ると、遠くの方に、天にも届こうかという身の丈の巨大な鈴木店長が裸にまわしをつけて、四股を踏んだり地面を掘り返したりして居るのが見える。何をして居るのか、ぼんやりと見て居たら、岡野が来て、ほれ、あの掘り返した所からお湯が出ただろう、あれが道後温泉さ、それから彫った土を放ったのが山盛りになって、あれが讃岐富士と呼ばれて居るんだよ、と言った。(続く)





TSUTAYAの女(22)

金子玉美のバイト先のTSUTAYAがあと1か月程で閉店する事を店長から直接聞かされ、人づてには聞いていたのだけれど、何故かどこかで本気にして居なかった自分が、どろりと溶けたような気持ちであった。いつだって日常は日常のままいつまでも続くと思って居るけれど、いつまでも続く日常などありはしない。それはとっくに分かって居るつもりでも、やっぱり慣れない。

この晩は珠美と、ここのバイトで最もよく喋る堀川という男がカウンターに立っている。ところで堀川のある日常が、つい先日お終いになった(堀川にとっては合わせて2つの日常が終わる事になる)。閉店になるくらいの店だから、22時をまわる頃には閑古鳥がすえすえと鳴いて、堀川が玉美にとっくりと時間をかけてその話をするのには最適な環境であった。話は延々2時間も続いた。この男の喉ちんこは鉄で出来て居るのだと思う。

長い話の内容だけを書く。恋人の実家にお邪魔したそうだ。恋人の実家は養蜂業者だった。

古い大きな家で、十何畳かある和室がいくつもあった。そのうちの一部屋が居間として使われて、冬は炬燵として使うと思われる低いテーブルと、骨董らしい調度品やテレビの上には日本人形、それからひときわ目を引いたのが、異様に大きな、身の丈ほどもある茶色の甕であった。堀川がたずねて行ったのは夕刻で、すぐに居間に通されて、旦那様と奥様につつがなくご挨拶を済ませると、奥様はお夕飯の支度があるからとすぐに台所に引っ込んでしまったけれど、恋人がそうであるように父親である旦那様はとにかくよく喋った(恋人は堀川が黙ってしまう程のお喋りであった)。お夕飯のお皿が並ぶまで喋り続けて、ずいぶん色々の話をしたらしいけれど、この話に関係があるのは甕のことだけだがら、他のことは省略する。備前焼の骨董で先祖伝来の大切な物らしかった。

要するに、その古甕を割ってしまったのである。旦那様は口も早いがお酒を継ぎ足す手も早くて、堀川は自分が喋られないものだから飲み続けて、酔っ払って小用に立つときに引っ掛けたらしい。しかも何のつもりか知らないがその養蜂業者のお宅では備前焼の甕に蜂蜜を満たして居たのであった。まず派手に甕が倒れて、テーブルのお料理と奥様が蜂蜜漬けになり、ビデオデッキにもかかって、どこかショートしたようで火の手が上がった。堀川は真っ青になって慌てて床から蜂蜜をすくってビデオデッキにかけたそうだ。壁に味噌を塗って火事から家を守った話は聞いたことがあるけれど、はちみつで火を消したのは堀川が日本人では最初の事と思う。テーブルからナイアガラの滝のように蜂蜜が流れ落ちて畳に染み込んでゆく情景を、玉美は見たかったと思う。甕が調度品をいくつか道連れにしたので、居間は半分が瓦礫の山に、半分は蜂蜜の海になったそうである。その後の事は、どうでもよいから省略するが、とにかくその日のうちにタクシーを呼んで帰ったらしい。

どうして甕に蜂蜜なんか入れておいたのかは分からない。とにかくどこまでが本当の話なのか知れないけれど、その後、恋人は会うのを親から止められると言って会って貰えず、旦那様がカステラを好きだから沢山持って謝りに来てはどうかとアドバイスを受けたから、その通りのしたのだけれど玄関で突っ返された。あとでもう一度恋人に電話したら、カステラは底にざら目糖のついた福砂屋のでないといけないと言って叱られたそうで、それでなんだかもう疲れてしまって、それ以来電話して居ないのだそうだ。疲れて居る割にはよく喋ったと思うけれど。

その話がちょうどお終いになったところで帰る時間になった。玉美はやけにカステラが食べたくなって、TSUTAYAを出て道を渡ったところにあるコンビニで2切れだけ入ったのを買い、歩きながら食べた。(続く)





TSUTAYAの女(23)

風の匂いがすっかり秋らしくなったと思ったから、枯葉色の長袖の上に紺色のカーデガンを着て出かけたのだけれど、歩いてみると暑くて、着すぎたような気がする。ところが袖をまくってみると今度は寒くてすかすかする。まるで古いホテルのシャワーのように、どうひねってみても丁度心地の良い温度にならない。だからと言って片方の袖だけをたくしあげたりしたら落ち着かないに決まって居るから、それはやらない。

金子玉美がそうやって余計なことをしながらバイト先のTSUTAYAにてくてく向かって居ると、いつも真ん中を通ってショートカットする駐車場は、コンクリートが剥がされて更地になって居た。茶色の土と小石とコンクリートの欠片がまだらになった上に、畳に寝転んだ跡のようにキャタピラの足形がついて、周りをぐるりと囲んでいた枯草の茂みもきれいに刈り取られて居た。かまわずに歩いてみたら、案外やわらかくて踵が埋まるので歩き難い上に、今までより強く風が吹き抜けて寒いような気がする。更地になったということは、近いうちに工事が始まって何か建物ができるということだろうか、そうなったらショートカットできなくなるけれど、あとすこしでTSUTAYAは潰れてなくなってしまうので、そうしたらここを通るのは予備校に通うときだけになる。 予備校だって、大学の受験に合格したらもう行かない。もう少ししたらセンター試験の願書を提出して、そうしたら本試験まであと3か月である。何も考えていなかったけれど、結局どちらにしてもバイトは辞めなければいけなかったのだと思う。辞めますなんて言おうとしたら舌がもつれそうだし、真顔になるのも億劫だろうから、それをしなくて済むだけ運が良かったと思う。

TSUTAYAのカウンターに居たって、今夜一緒になって居る岡野に、ここが無くなったその後の話とか、そんなことを聞くのは億劫だから、携帯電話のストラップのキリンの首をねじる。

いつもの通り殆ど立って居るだけの仕事が終わる。少し前までは殆ど毎晩来ていたパンチパーマの男もここのところ見ない。岡野がまた洋物のアダルトビデオを借りて、古くなった板かまぼこみたいにオンボロのサニーをぼろぼろ言わせて帰って行く。駐車場をぶらぶらと歩きながら背中でそれを見送って、古いエンジンのひしゃげた音が聞こえなくなると、冷たいほどの静けさが体を刺すようだったから玉美は歌いながら歩いて行く。

〜発狂した飼い猫を 川へ捨てに行って 念仏唱えてさようなら 中古の戦車を拾って帰る Aという名の野良猫は 3丁目でくたばった 泣いてるボーズの野球帽 マンガのバッジがとれかかる 風鋭くなって 鉄の鋲打たれた橋 オレ いま橋の上 鉄風あびて 鋭くなって 夕焼けあびて 侍 余裕の花遊び 風鋭くなって にっこり笑った芸者の少女〜 (続く)





TSUTAYAの女(24)

岡野が最初に言い出して、TSUTAYAの営業が終わる幾日か前に宴会を催すことになった。日時と場所は口から口への伝言だけだったのにもかかわらず、ちゃんと皆に伝わって、その日の夜中の24時30分にはいつもの庄屋の玄関前にいつもの面子が揃った。いつもの面子と言っても仕事のときは2人か3人ずつだから、こうしてずらりと揃うと、ひそひそと噂をして居るところに本人が出て来てしまったような、妙にばつの悪い感じがする。金子玉美はおよそ宴会などというものに縁の無かったから、変になってしまって、シャツの裾をズボンの中にしまうか出すかで迷って結局出して居るのがしわくちゃだし、いつもはスニーカーなのに今日は押入れのダンボール箱から引っ張り出したやけにぴかぴかのローファーを履いて、おまけに止せば良いのに庄屋まで走って来たから、排水溝の蓋ですっ転げて、手のひらを擦りむいて居る。それなにの変な風に笑って居て、何から何までおかしいと自分で思って居る。

乾杯の音頭を岡野がとって、後は適当に飲んで食べた。枝豆やお新香や薩摩揚げや、お刺身の3点盛りがなんかがへらへらと運ばれてきて、夜も遅いから皆そんなに食欲もなく、しかも眠いものだからすぐ酔う。岡野は自分で宴会を企画しておきながら、部屋の隅っこの積んである座布団の間に頭を突っ込んでもう寝て居る。居眠りと言うよりもこれは眠らんとして眠って居る態度であるから、これはもう本当に今日は何がしたかったのか分からないけれど、人が近くに居たほうが良く眠れる人も居るには居るようだから、それかもしれない。とにかくどう言う理由で眠って居るのにしたって、起こすのは悪いし面倒である。

夏場にダイエットを成功させた西井はいつの間にかダイエットどころか馬のように引き締まって、ぴったりとしたTシャツを着ているから体がもこもこして居て気持ちが悪い。店長の鈴木と同じジムに通って、筋肉の具合を見せ合って居るらしい。店長は店長で張り合う相手ができたものだから、頑張ってしまって、ギリシャの彫像の顔だけを何とか原人とすげ替えたような、それでいて髪の毛だけは昆布みたいに平たくて、目の前に座っているとお酒が酸っぱくなるような気がする。店長はTSUTAYAが無くなったら実家の菓子屋で、継ぐかどうかは分からないけれど、少なくとも働くことになって居るらしい。それが、ここに来て張り切って居るようで、ドイツにお菓子の修行をしに行くとか何とか分けの分からない事を言い出すし、西井の方は、おれはこの肉体を鎧のように鍛え上げて、憧れのサバンナで動物を追いかけて暮らすつもりっす、そうか次は海外で出会うかも知れないな、その時はきっと俺たちの男の勲章を、それでがっちりと握手をしたかと思えば、ちからくらべが始まってしまい、危ない。

堀川は恋人と別れてから段々と口数が少なくなって、急速に歳をとって居るかのようである。気のせいか顔つきまで爺様のようになって来て居るのは、恋人は養蜂業者の娘だったから、いままで貰って飲んで居たローヤルゼリーが貰えなくなったせいかもしれない。玉美の隣に座って、はじめは大人しかったのが、お酒を飲むにつれ俺と付き合えとか乳を揉ませろとかどうなって居るんだとか煩くなってきたから、そのへんにあった麦酒のジョッキで殴ってやったら、また大人しくなった。

そのうちに岡野がおもむろに起き上がって、カラオケに行くのだと言って聞かない。どうせ最後だからと言う雰囲気があって、すっかり大人しくなった堀川は店長が担いで、向かいのカラオケ屋に移動して、岡野にデュエットをやらされたり、店長と西井の仮面舞踏会を2回も聞かされたり、膨らんだような、萎んだような、うとうとして居るうちに曖昧に時間過ぎて、やがて薄暗く朝になって居たから、各々もう良いかという気分になった。玉美は少しだけ汚れたローファーを履いて、饐えたような自分の匂いを嗅ぎながらつめたい空気の中を、てくてくと家まで歩いて帰った。(続く)





更地の女

自分ひとりの引越しは2回目だから少しは慣れた気がして居たのだけれど、さすがに引越しの前の日からでは到底片付かなかった。住んだのはたったの1年間だし、そこに居るときは白い壁に木目の梁ばかりが目立つ何も無い部屋だと思って居たのだけれど、いざ片付けはじめてみるとベッドの下や押入れから、紙くずやら布切れやら、要るんだか要らないんだか分からないものがぞろぞろと出て来て、それを要るものと要らないものに分ける体力なんて無かったから、用意したダンボール箱に次々に突っ込んでいったらすぐに一杯になり、それでもまだ良く分からない物の山がおよそ2箱ぶんもある。それに、そもそも引っ越してきたときのダンボール箱も開けていないのが3つもある。開けて居ないということは要らないという事になりそうな物だけれど、本当にそうかという事を考え始めると、それを開けるのが面倒だという考えと戦ってしまって、動けなくなる。けれど動けないままでは終わらないから、考えるのは後回しということにして、そのまま次の引越し先まで赤帽に運んでもらうことにする。

金子玉美はそんな調子の女だから、とりあえずその日の引越しでは生活するのに必要と思われるものだけ赤帽で送ることが出来たけれど、ダンボール箱に入りきらないものが山盛りに残って、それを片付けるためにもう一度来る羽目になった。だから今日は、映画サークルの泊りがけの研修会があったのだけれど、立ち退きの期限が明日だったから、1年間浪人生活をしたこの部屋でほこりにまみれて居る。

もし要るものがあったら持ち帰ろうと思って、持っている中で一番大きな鞄を持ってきたけれど、既に新しい部屋で生活を始めて居るのだから、ここに残ってあるものは無くても足りるということになる。だからペンとかゴミ袋とかの消耗品だけとって、殆どの物は捨てる事にする。ゴミの日は明日だけれど、今夜捨てていく分は許してもらうことにする。

物がすっかり片付いたら夜になった。地下鉄の駅に向かっててくてく歩いて行くこの道は少し懐かしい。いつもショートカットに使っていた駐車場はいちど更地になって、いまはパチンコ屋になって居る。そしてあのTSUTAYAがあったところは更地になって、舗装道路に囲まれた間抜けな四角い土地は赤剥けのようで、真ん中に寂しく売地の看板が差さって居るだけだ。ここで働いて居た頃はビデオテープの棚がたくさん並んで広いと感じて居たけれど、売り場があった辺りを踵で溝をひいて囲んでみたら、随分せまい所にがんばって並べて居た事が分かって、何だかおかしい。蜘蛛が出ると脅されて近付かなかった裏口の辺りもきれいに片付いたもので、蜘蛛の足一本まで蟻が持って行ったようである。ここは地下鉄の駅から近いから、すぐにここも売れて、スーパーか、パチンコ屋か、それとも懲りずにビデオレンタルが建つのかもしれない。

あの頃のバイト仲間や店員はもう誰も居ない。居ない代わりに、映画サークルのセンパイが居るようになったり、同じ講座の顔見知りと一緒にお昼を食べるようになったりして、そういうのは、馴染みのお店が無くなって、更地になって、同じ場所に代わりのお店が出来るのと同じようなことなのだろう。昔ここに、浪人しながらバイトしたTSUTAYAがあった事を想うと寂しいけれど、サバンナに行きたがって居た西井がどうしたかにも興味はない。西井だって、新しい仕事が見つかっていれば、例えば私が大学に受かったことになんて興味は無いだろう。代わりができるまでは寂しい感じがするけれど、いまここは更地だから寂しいけれど、新しく何かが建ってしばらくすれば、そんな気持ちもどこかへ行くのだろう。

だから代わりが出来るまでの、更地の間だけの寂しさを見つけられた記念に、弔いではないけれど、少しここでしゃがんで行ってやろうかと思う。(続く)





ネパールの女

金子玉美は小学生だった頃にクラスメートから「金玉」のあだ名を付けられた。それで性格が暗くなった。もう「金玉」と呼ぶ人は居なくなって久しいけれど、性格の暗さはなおらない。そればかりか、どこか陰のあるような自分の雰囲気を気に入っているから、おそらく死ぬまでこのままである。

バレーボールは中学校まで続け、全県大会まで行ったから、推薦入学で高校に上がった。けれどレンタルビデオの見過ぎで視力が落ちたのでバレーボールは止めた。高校にとってみればこんなのは詐欺かもしれないけれど、生身の人間が相手のことはどう転ぶかわからぬものだし、女心と秋の空は関係無いけれど、とにかくそうなってしまったものは諦めていただく他は無い。本人といえば、そのままレンタルビデオばかり見て暮らして、大学の入試に落ちた。根が真面目だったから勉強は人並みにはしたのだけれど、人より物覚えが悪かった。

予備校に通い始めるのと同時に1Kのアパートで一人暮らしを始めて、その近所のTSUTAYAで深夜のアルバイトもしたけれど、センター試験の3か月前にそのTSUTAYAが潰れて、そちらには悪いけれど試験勉強には集中できた。おかげで一浪で済んだのである。

大学の近くに住まいを変えた。それから映画サークルに入ったのだけれど、サークルの歓迎会を兼ねた泊りがけの研修会で、バスが山道から逸れて谷底へ落ちてしまった。たまたま用事で研修会へは行かなかった玉美を除いて、サークルのメンバーはその事故で全員亡くなった。

それで玉美がどうなったかというと、どうもならずに、昼は真面目に講義を受けて、夜は近くにレンタルビデオの店が無かったから、オンラインでDVDを買って自宅で見て暮らした。真面目に講義を受けるうちに、若い助教授と懇意になって、同期の連中が就職を決めるような時期になると、彼女はその助教授に連れられてネパールに渡った。今は、昼間は牛を眺めながら助教授の研究を手伝い、夜はケーブルテレビかDVDを見て暮らして居る。(終り)






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