『「里山(さとやま)」とは』
- 「里山(さとやま)」とは、里(サト=人が住むところ)と、山(ヤマ = 山森林)が組み合わされた言葉です。かなり大雑把な解釈をすれば、人里近くの森林を意味します。
- 農耕を基盤とする日本には、古くから、手つかずの大自然と、人の住む場所の中間に容易に利用できる森林がありました。「里山」という言葉を文献で最初に確認できるのは250年ほど前ですが、現代考古学では、その存在が少なくとも5000年前の縄文時代中期にまで遡ることが確認されています。
近年、自然保護運動の盛り上がりの中で、「里山」は、よく耳にする言葉になりました。
- 「里山」は、一見すると天然自然に見えますが、実は人の手の入った自然です。「里山」では、椎(しい)、樫(かし)、小楢(こなら)、櫟(くぬぎ)など、様々な落葉広葉樹が「雑木林(ぞうきばやし)」と呼ばれる特有の混成林を形作っています。学術的に言うと、陽樹林から自然状態で進行する、ブナなどの陰樹(照葉樹)が形成する極相林への植生遷移を、人為的に中断させた陽樹林です。
「里山」では、落ち葉は田畑の肥料に、風倒木や毎年一定量伐採される木からは薪や炭が作られ風呂や煮炊きの燃料として利用されました。また、これらの落葉高木が、不作の年にも"どんぐり"と呼ばれる小さな木の実をつける性質を利用し、人々は飢饉に備えていました。
- 「里山」の中でも、より人里の近くには、栗、竹、茅(かや)などを目にすることが出来ます。これらは、食べ物を採取するほか、家を建てる際の構造材や屋根材として利用されました。よく手入れされた「里山」には、山菜やキノコが豊富で、アケビ、木イチゴ、野いちごといった果実をつける草木が数多く、春先には多くの花も見られます。「里山」は生産の場としてだけではなく、遊山の場としての役割も担っていました。
長い間、「里山」は、土地所有者の家族や親類はもとより、近隣の人々によって、落ち葉が取り払われ、下草が刈られ、不要な枝や倒木が取り除かれ、緩やかに共同利用されながら、大切に維持管理されてきました。人々の生活は、「里」、「耕地」、「里山」が密接に関係することで成り立っていました。
- ところが、日本が高度経済成長を始めた1950年代半ば以降、この半世紀余りの間に「里山」を取り巻く事情は一変しました。田畑の肥料は、化学合成肥料に代わり、日本の隅々まで行き渡ったインフラ整備は、燃料を、電気、石油、ガスに代えました。物流システムの近代化に伴って、家造りには鉄やコンクリートが多く使われるようになり、木造建築も加工しやすい針葉樹材が中心となりました。(現在、日本の木材輸入量は、世界第1位、全世界の木材貿易シェアの40%におよびます。)
日本の利便性と物質的豊かさが急激に増す一方で、農業との関係が希薄になった「里山」は、土地所有者に放置され、近隣の人々の利用も著しく減って荒れ果てるようになりました。経済的価値を急速に失った「里山」は、1960年から1990年までの30年間だけでも、全国からその30%が失われました。
近年まで、都市近郊にかろうじて残っていた「里山」も、防風林として、水害を防ぐ吸水地として、汚染大気の浄化装置として、その二次的効用は未だ多いにも関わらず、今日では、たんなる「未利用地」として、大型宅地造成や、郊外型大規模小売店舗の造成が行われ、次々にその姿を消しています。
- (文責:戸田裕介)
- (参考文献)
有岡利幸 「里山(さとやま)I、II」ものと人間の文化史 法政大学出版局
環境庁編 「平成7年版 環境白書」
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