2004.02.08最終更新

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あるパーキンソン病患者の出産の記録
◆ はじめに ◆
この方の場合は、パーキンソン病治療薬を妊娠から出産までやめたわけですが、 妊娠中のパーキンソン病治療薬の内服の可否については担当の神経内科医及び産婦人科医と充分に相談されることをお勧めします。
症状によっては内服の中止そのものが困難なこともあります。
また、パーキンソン病治療薬すべてが妊娠に対して禁忌になっているわけではなく、内服しながら妊娠しても重大な影響のあまりない薬もあります。飲んでいた薬を一切辞めると悪性症候群になる可能性もあります。
それぞれのケースで異なりますので、かかりつけの主治医との話し合いが必要です。
また、妊娠中のことだけではなく出産後のこともよく考えて、家族及び周囲のかたともよく相談の上ご協力をお願いすることが大切だと思います
●担当●よしこ


予感
1991年初夏のある日、小さな産院の前で戸惑う私がいました。
前月に結婚したばかりで、ある予感がありました。
それを確かめるための来院でした。
妊娠の可能性のある場合、薬はその間止めるように
と結婚前に忠告されたのに、新婚旅行でナイフ・フォークが使えないので、やむなくアーテン1個、飲んでしまったことが悔やまれてなりませんでした。
このことで赤ちゃんに悪影響がでたらどうしよう、
妊娠でなければよいのに
と思う気持ちがふと湧いてきて、戸惑いはつのるばかりです。
でも予感は的中しました。
P病であるというと、お産は断られ、設備の整った病院に行くよう薦められました。

覚悟
エコーで見る限り、赤ちゃんは順調!
大学病院の診察で、そう言われて一安心でした。
ただ、薬のことを打ち明けた時、ものすごく叱られました。
アドバイスを受けたのに私が守らなかったから。
動けない苦しさがいかほどのものか、医者には、わからない。
このジレンマと悔しさに耐えていかねば、この先はないと思い必死に耐えしのぶだけである。強靭な忍耐、この一言に尽きる。出産とはそういうものだと覚悟を決める。

決意
医師は、薬の中止を強要はしなかった。
どういうことになるかは、わからないので、本人にまかせると言っていた。
赤ちゃんへの影響が全くないとは言わなかったので、私は薬を止めていたのだった。
無論、動きは悪く、つらいこと、この上もない。
精神的に追い込まれるようなら、薬の再開を薦められた。12週までやめていたら、まず問題はないだろうと言われる。
が、私は結果的に出産直後まで飲まなかった。
母の責任がなしたわざであろう。万にひとつのミスが怖かった。すでに、ひとつミスをおかしていたから・・・。そして、祈りつづけた。わたしの体とひきかえにしても、無事な赤ちゃんを授けてくださいと。
8ヶ月は、かなり長い。
体調は悪くなるいっぽうでした。
バランスも失われた。
寝たりおきたりの毎日。食事は姑が作ってくれました。ありがたかった。食べて寝るだけの繰り返しのようでもありました。大きくなるお腹が支えてくれた日々でした。はしをもって食べるだけでもしんどいほどの私を見て、母が出産などとても無理だと言うのが、胸にこたえてつらかったのを思い出す。

薬なし!
もう?決めたことなのだ。あともどりなど出来ない。この命を殺すことなどできない。
それが私の答えでした。
起きるのもすわるのも歩くのもあやうくなってきたのがそろそろ臨月を迎えるころでした。洋服を着るのも脱ぐのも手伝ってもらうようなことでした。
入浴は、夫の介助でしました。
体重の増加と妊娠中毒症の疑いに運動など薦められるがとんでもないことでした。P病の妊婦に運動など、いつ転ぶかもわからないのに。食事療法しか考えられなかった。塩分を減らし、野菜とタンパク質をしっかり摂るようにしました。
卵は食べませんでした。アトピーが心配だったから。
薬なしの生活は想像を絶するものなので、身体的にも精神的にもかなりタフでないと続かないと思います。
私の場合は使命感でなんとか耐えることが出来ました。
その代わり、出産後にそのつけがまわり、高熱が出てダウンし、赤ちゃんの世話も出来ずにうつ状態におちいりました。
これは、かなりのダメージでした。張り詰めたものがぷちんと切れてしまったからでした。

出産直前
 出産を4日後に控えて入院しました。モニターで異常が現れたからです。赤ちゃんが動かないので仮死状態ではないかと疑いがもたれました。実は、寝ていただけだった。入院してからは、車いすに乗って移動しました。とくにFICU(妊婦専用ICU)では、24時間モニターをつけて過ごしました。その前から寝返りがうてないのでつらかったけれども、ベルトが巻かれてますます身動きとれなくなり大変さが増しました。窓のない部屋で寝たきりは、かなりストレスになります。隣に三つ子をお腹に入れた妊婦さんがいたから、話相手に困らなかったけれど、ひとりじゃとても耐えられなかったように思う。

出産!
出産は陣痛微弱で誘導分娩になりました。
帝王切開でなく自然分娩になったのは、曲がりなりにも私にいきむ力が残っていたからです。
薬を止めなければならない時期は、最初の12週と出産直前の週だけだと思います。最低限でそこは止めるようにと、医者に言われました。
私の場合、大学病院で神経内科医と産科医が連携をとって、出産に備えてくださいました。
症例がなく、私を含めて手探りの状況のなか、最善の体制で臨んでくださったと感謝しています。特に主治医は、結婚する際に産科医を紹介して妊娠への配慮をしてくださいました。守れなかったけれど、前もって知っているかいないかでは、ずいぶんちがいます。

出産は8時間半かかりました。苦しかったけれど医者にいわせると安産だといいます。
出産後2時間でLドーパを倍量、飲まされました。主治医の配慮です。
電気が走るような感じがしました。8ヶ月やめているとそのように刺激を受けました。

感謝
薬を再開したので母乳はあきらめざるをえませんでした。
出産にあたり3週間程度の入院をしました。(出産前後あわせて)普通なら5日で退院ですが。
3150グラムの女の子でした。小児科チームの先生が、検査をしてくださって、神経内科的にも異常なし、全く健康そのものの赤ちゃんだと太鼓判を押してくださいました。
8ヶ月の苦労が報われた瞬間で、神に感謝しました。
周囲の協力と強靭な忍耐、これがないと出産はできません。そして主治医のバックアップがなければ出来なかったと思います。信頼できる医師に幸運にも恵まれて、なしえたことです。私ひとりの力では到底難しかったと今あらためて思うのです。

1992年早春のことでした。
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