入院と手術
入院前に、検査のために病院へ行き、胸のレントゲン、血液検査、採尿、心電図をとりました。
入院1日目・・・問診など
入院2日目・・・散髪、記憶のテスト、MRI
どれも不随意運動で身体が動いては困るので、薬の切れた状態で行います。薬の時間を考えなくてはいけない。首の固縮が強くてつらかった。
手術当日、本当なら、前日の夜で止めなくてはいけなかった薬ですが、夜の固縮が強くでるので、朝の7時まで飲ませてもらいました。その薬も、8時30分、部屋を移動する頃には切れていました。頭に固定具を付けた時、自分ではそれほど緊張はしていないと思っていたのに、貧血を起こしてしまいました。頭に局部麻酔をしたので、痛みを感じることなく、CTを撮り、10時頃には、手術室へ入りました。名前の確認をすると手術台へ移り、導尿のためのカテーテル、血圧や脈拍をはかる器具を付けられ、目にはテープのようなものを貼られました。頭皮を切られるときは、麻酔が効いていても、痛みを感じました。頭蓋骨に穴をあけるために頭皮をクリップで止めていたのでしょう。この痛みは鈍く外されるまでありました。頭の骨を削っているときの、何ともいえない音と、ガリガリと削る感触は、自分が自分でなくなってしまうような恐怖感もありました。
針を頭に通し始めました。痛みも、刺されている感じもありません。針の位置や深さに反応するモニター画面、音を診ながら先生達の声が聞こえます。「これから電流を流します。しびれとか何か変な感じがしたらいってください。」と言われました。固縮から腕にしびれが出ていて、電気でしびれているのか、どうなのかよくわかりませんでした。電流を流すと、顔の筋肉がつれたり、足の筋肉がつれてねじれるような感がしたり、いつもより強い痺れを手や足に感じました。何度か、電流を流す針の場所を移動させて、「○ボルト、どうですか?」
「ちょっとしびれます。」「これなら・・」「大丈夫です。」などと会話を交わしながら、反応を見て、位置を慎重に決めたようです。
片側が終わると「大丈夫ですか?今なら少し体勢を変える事ができますよ。」と先生が言ってくれました。私が、一番気にしていたのは首の固縮でしたが、それは全然平気でした。動かすことのできなかった腕のしびれと、頭痛がありました。看護士さんが、腕を少し揉んでくれました。頭痛は、頭の中に空気が入ったものによるらしい。
「急ぐからね。」と反対側に移りました。
最後は縫合です。「もう終わったから寝てしまってもいいですよ。」と、先生の声が聞こえました。縫合は、麻酔が効いていたはずなのに痛みを感じました。私は、眠くなってきました。ストレッチャーに移され回復室へ運ばれました。その時、両親と夫が、そばに来てくれましたが、暫くそのまま寝てしまったようです。どのぐらい時間が経ったのでしよう。目が覚め固縮もなく体は軽く感じました。でも傷口が、痛くて思うように動けません。寝返りも傷口を気にしながらゆっくりしてました。目が覚めたあとは、眠れずとても長い夜でした。朝食が運ばれて来ました。食事はおいしくいただきました。数日はこのまま動けると思っていました。投薬は、ペルマックス100μgを1日3回と言われました。昼食が、終わって大部屋に移りました。暫くすると、固縮が始まりました。だんだん身体が、固くなり、動けなくなってきたのです。
私は、信じられませんでした。手術が終わったら、動けると聞いていたからです。すぐにナースコールを押して、先生を呼んでもらいました。先生は、「L−ドーパはつかいたくない。」と言われました。しかし、固縮が強く、私はもう我慢の限界でした。夜には、ドーパも加える事になりました。電気の刺激も1日早くなりました。頭から出ているリード線をカセットウォークマンぐらいの大きさのボックスにつなげ電流を流します。その発信器は、まとめて丁度収まる袋に入れられ、ベッドを離れるときは持ち歩かなくてはいけません。電気を流しているのにドーパは、増えていきました。入院時に4錠だったドーパは多いときには5錠にもなっていました。自分でも気にはなっていましたが、先生にも薬が多すぎると言われました。それでも、薬が効いてくると出ていた不随意運動は気になりません。オン、オフはまだありました。私は、不随意運動がなくなっただけでとても楽になりました。オフ以外の時間は、本を読んだり、手紙を書いたりしていました。頭の手術の1週間後、胸に発信器を埋め込む手術です。執刀医は、1時間ぐらいで終わる簡単な手術と言っていました。通常は、発信器を鎖骨の下に埋め込むのですが、私の場合は乳房の中に入れていただきました。まだ若いので、胸の傷が見えにくいようにとの先生の温かい配慮でした。麻酔が効き私はぐっすり寝てしまいました。「高橋さん。目を開けてください。終わりましたよ。」と声は聞こえます。目を開けようと思っても、瞼が重くて目を開けることができません。私は、少し息苦しさを感じました。意識がはっきりすると呼吸も落ち着きました。私はこの後、個室に移してもらいました。胸に入れた発信器の傷口と、頭から首を通って、胸につながっているリード線がつっぱって痛くてたまりません。
痛み止めは効かず、筋肉注射をしてもらいました。痛み止めの効果が切れてくると、涙が出てくるほどの痛みが、しばらく続き、何度ナースコールをおしたことでしょう。先生は、「退院したら大丈夫かな?」と心配されていました。抜糸も終わり、退院の日が来ました。調整が終われば家に帰ることができます。
私は、すっかり帰り支度をすませ、調整の時間になるのを待ちました。メドトロニックの方が、アタッシュケース(電圧を調整する器械)を持ち、脳神経外科の加藤先生が先に来ました。診察中だった神経内科の藤本先生も調整のために来てくれました。
「薬が切れてしまうと、足に力が入らなくなってしまうので、可能な限り電圧を上げてください。」と願いしました。薬の切れた状態でもとても楽になり、子供たちの待つ家にやっと帰りました。寝返りはできる、オンオフもなくなり、ドーパは、1日1錠から1錠半になりました。体が軽くて、うれしくてたまらず、じっとしていることができません。家族に文句を言われながらも、夜中に今までできなかった家の中の片づけをしました。ところが、退院して1週間ほどたつと左手にねじれるような痛みがでました。主人に腕を揉んでもらっても楽になりませんでした。 |