2003.07.01更新

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「オーストラリア旅行記」 by 福島県支部長 仲野辰雄

 私は平成5年3月3日に福島県立医科大学附属病院でパーキンソン病と診断され、それ以来今年で11年目を迎えることとなる。
 そのころは職場に知れるとまずいと思い、5年間3つの部署にわたり所属長として一所懸命毎日の仕事をこなしていた。 しかし,だんだん動作が遅くなり、びっこをひきながら歩くのが、組織の長の人の目にとまり、規定の定年まで1年3か月を残し、治療に専念せよと言われてしまい退職した。徐々に進む進行性の病気とは聞かされていたが、自分の風貌がそれと分かるほどになっている事を自分では全く気付かなかったのである。以来、私は、あの悔しさを乗り越えるのは病気に打ち克つしかないと思っている。
 今回の海外旅行は、妻から提案されたものである。妻は公務員として41年間勤めてきて、定年まで1年を残し昨年3月末に退職した。
 今までこつこつ働いてきた妻に対する慰労でもあった。
妻と一緒の旅は、お互いに言いたいことを言ってけんかしながら歩けるので気楽である。二人で行く海外旅行は、6年半ほど前にスペイン旅行したとき以来でる。あの時は、病気もかなり進んでこれが最後の海外旅行だろうと思い、アルハンブラ宮殿等、クラシックギターゆかりの地を満喫した。ギターは私と妻の昔からの共通の趣味であったが、妻は3年程前から再びギターの難曲に取り組んでおり、私は難病に取り組んでいる。
 ところで、旅行前の私のパーキンソン病の状況であるが、平成10年8月21日に、福岡県の貝塚病院において九州大学の島助教授の執刀により手術を受け現在に至っている。頭には電池が、又胸にはペースメーカーが埋まっている。
薬については、1月17日現在ペルマックス、各1錠朝、昼、夜、1日3回 マドパー各2分の1錠朝、昼、夜、カバサール1日朝1錠 その他腎臓の薬エブランチルを、朝、夜各一錠飲んでいる。その他、マドパーについては3時頃、2分の1錠を症状に応じて飲むよう医大の主治医の指導を受けている。
この旅行の状況に応じ、薬の量を増やさなければならない転換時期になるのではないかとも思われた。   
 今回の海外旅行については、予備知識を得ておこうと以前から何度も思っていたが、ついにその方の勉強をせず出発してしまった。



第1日目 1月17日
旅行社から仙台空港17時10分集合と言われていたので、家から、タクシー、電車、タクシーと乗り継ぎ、辛うじて我々と旅を共にする37名の人たちが待っている空港ロビーに到着した。 海外旅行に行く時は、必ず説明を聞き旅の目的、全行程、当日の時間等把握して行動しなければ他の参加者に迷惑をかけるので、しっかり聞かなければならない。それでも説明が始まると病気だから仕方がない、妻が聞いているから大丈夫などと安易な妥協をしてしまう。20時10分発のJALチャーター便に乗り
こんだ。夕食は機内食と缶ビール1本。先ず気になったのは薬だが、時間で飲むように言われていたので、いつものとおりに飲んだ。

第2日目 1月18日
 飛行機はほぼ予定どおりに空路8時間49分かけて、ブリスベーンへ朝5時50分に到着。日本との時差は1時間、睡眠は約2時間程度しかとっていない。 これからの行程が心配だ。
 私たちは、8号車のバスに乗り埼玉県所沢市出身の美人の現地ガイドさんにより観光案内された。バスはマウントクーザの展望台へ、そこの丘より見下ろす景色は正に真夏だ、はてしない大平原のなかの美しい市街地及び建物、右側に広がる南太平洋の姿は私の脳裏に焼き付いた。
 心配していた身体の方であるが、疲れと蓄積された寝不足のせいか歩くのに自分で信じられないほど大きくゆれ跛行した。しかし、これは心配かけるので妻には言わなかった。頼りは1本の杖だ。勿論、薬は決められたとおり飲んだ。さらに、これからはマドパー2分の1を追加し飲むことにした。ただし、昼夜のみ。移動前に必ずトイレは済ませた。
 その後、コアラ120匹他カンガルー、エミューなどオーストラリアにしか見られない動物がいる「ローンパインコアラ保護地区」に行った。ここでは、私は無理をしないで入り口近くのベンチに腰かけて皆の帰りを待つことにした。その脇の小道をオーストラリア人の家族連れが通って行った。1時間ほどして8号車の皆は暑さの中、それぞれ疲れた様子で戻ってきた。
 それから、バスで約1時間30分をかけてゴールドコーストへ向かい、「コンラッド・ジュピターズカジノゴールドコースト」ホテルへ疲れた体を引きずって到着。名前のとおりカジノの華やかな所であり、やろうと誘われたが、のめり込むからと断る。
夕食はバスで移動した後、お酒付きの日本食。心身ともに癒された。

第3日目 1月19日
 この日は、出発時間に余裕があり、朝8時出発「シーワールド」と「カランビン野鳥園」に向かう。当地の2大観光地であり、双方とも夏休み最後の週末と言うことでどこへ行っても家族連れでにぎわっていた。
 「シーワールド」園内の移動は、モノレール等の乗り物が乗り放題なので利用し、昨日とは違い跛行は少ししかなかったので、心の中でホッとした。イルカショーと水上スキーショーは海洋国ならではの大掛かりなもので、私たちを楽しませてくれた。
「カランビン野鳥園」では、昨日私だけが未だ会っていなかったコアラにも会った。
 夕食はバスでシーフード料理店へ行き、大盛りのロブスターと魚貝類の料理を腹一杯食べた。ホテルは昨夜と同じで疲れをとるため早く就寝、妻はオプションツアーの「土ぼたる」を見に行った。それは熱帯雨林の土の中に生息する生物で、土の断面一帯をほたるのようにピカピカと光を散りばめるものとか。
夜10時過ぎに帰ってきた。私の体調は良く、勿論、薬は決めたとおり飲む。

第4日目 1月20日
 朝5時、モーニングコールで2泊したホテルを出発。バスと飛行機でシドニーへ行き又専用バスで市内観光。シドニー市の名前は2000年オリンピックで随分知れ渡っている。いわば,オーストラリア文化の中心地でもある。
 コロンブス、マゼランが大西洋廻りで新大陸発見、世界一周を行ったのに対し、キャプテンクックは南へ航路をとり、オーストラリアを発見した。
 その18世紀以来、イギリスの植民地となっていたオーストラリアは1900年に、ニュージーランドは1907年に自己の政府を持つ自治植民地となった。それからわずか100年位でこのような大国に発展した事は驚異である。
 市内観光はハーバーブリッジ、オペラハウス等を回る。シドニー湾にヨットが浮かぶ真夏の風景と海は美しかった。夕方4時頃「ルネッサンスシドニーホテル」にチェックイン。夕食は6号車、7号車、8号車の合同でJA観光主催により、懇親会が開催された。キーボード、バンジョー、ギターによる3人編成のご当地バンドも雰囲気を
大きく楽しく盛り上げた。その後、夜のシドニー散策のオプションツアーが催されたが、私たちはホテルに引き返した。ホテルに帰って、毎日やっていたリハビリ体操を行った。バスに乗っても飛行機に乗っても、行った先々でのリハビリ体操は身体を解きほぐすのに、大きな効果があった。

第5日目 1月21日
 朝、8時15分発バスで一路、千メートル級の山々が連なり雄大な景観があると言われている「ブルーマウンテンズ国立公園」へ向かう。途中、シドニーオリンピックが行われた会場やマラソンコースを眺めながら、ラジオやテレビでの昔のオリンピック放送を思い出していた。特に戦後の冨士山のトビウオと言われた古橋選手は戦後の荒廃する世の中で、国民に元気を与えてくれた。また、東京オリンピックでは福島県出身の円谷選手の勇姿と挫折、何故か日本の現在の姿を象徴している気がした。最近のアトランタオリンピックの開会式においては、震える手で聖火に点灯したモハメッド・アリ。自らパーキンソン病患者であると告白し、私たちに大きな力を与えてくれている。頑張らねば…。そんな事を考えていると、バスは展望台に着いてしまった。
降りようとした所で、杖がない、いや、忘れてしまったのだ。思えば、随分とこの旅行中、パーキンソン病は俺に遠慮をしてくれたものだ。第2日目の市内観光の時は、バスから降りて、人前で歩くのが恥ずかしかった。歩くたびに体が大きく揺れて転びそうになっていた。このために、杖で重心を支え、転ばずに歩いていたのである。そして、その後マドパーを2分の1ずつ昼夜と増やした。3日目は少し揺れたが、4日目からはほとんど感じなくなった。むしろ、家にいる時より体調は良かった。そんな訳で、杖がなくても歩ける自信はあった。ブルーマウンテンは素晴らしかった。晴天の空を背にして、畳を敷き詰めたような地層の上に木々が生えていた。中国の桂林は石灰岩で出来ているが、オーストラリアのこの山々は堆積岩で出来ている。すごい急勾配のシーニック・レールウェイ・トロッコに乗り、降りてから1キロメートルほど遊歩道を歩きロープウェイに乗った。移動しながら、この国には温泉、火山、地震がないのかなぁ等考えた。
 午後になり、シドニー市内へ戻り、貴金属の店に案内されたが、ここは見るだけ。
ダイアモンドやプラチナの産地だそうだが、また買い物をしている人の表情を見ているのも楽しい。
 夜は客船に乗り、ショーを見ながらの夕食。世界三大美港の一つであるシドニー湾をゆったりと巡りながら、この旅行を締めくくる最後の夜を楽しんだ。

第6日目 1月22日
 この旅の最後の日となってしまった。朝食は5時15分から45分の間。すっかりお馴染みになったアメリカン形式バイキング。食べたいもの、飲みたいもの諸々が揃っている。でも、日本の家庭の味が恋しい。シドニー空港朝9時30分出発のJAL便で仙台へ戻った。それから新幹線で福島駅に無事着いたのは夜7時、娘が車で迎えに
来てくれた。

 ※追記:その後 2月10日現在の身体状況
1,足の跛行少々あり、疲れると目立つ。足指先の曲がってしまい、室内で歩く ときに支障あり。毎日、自分でマッサージを行っているが良くならない。 
 足に触ってみると違和感はない。足指の間からねばねばした油水が出てきた。
2,顔が油っぽい。
3,声が小さかったのが直っていると周囲の人に言われる。
4,薬は旅行時よりカバサール朝1錠追加。午後3時の2分の1マドパー追加は やめる。
5,眼瞼下垂は相変わらず時々起こる。

2003.05.24 福島県支部長 仲野 辰雄

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