2003.07.13更新
| 脳深部刺激術(DBS)を受けて | by 伊豆悦子 | |||||||
【パーキンソン病の手術報告】 平成14年7月3日 伊豆悦子 私は昨年(平成13年)12月に パーキンソン病の電気刺激の手術を山口大学付属病院で受けました。 術前 術後の話を聞いて下さい。
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【その1】 私のうちは菓子屋です(和菓子 洋菓子 製造販売)。私はこの病気になりまして 7年になります。それまで病気という病気はしたことはありませんでした。 50歳のとき(12年前)市の検診で、血圧が高いので病院で見てもらうように言われ、近くの内科に行きました。 3年位経って、なんだか手が震える、足が震える。体の変調がでてきました。 先生にそのことを伝えたのですが、先生は「別に変わったことありませんよ」。 それから6ヶ月過ぎた頃、又先生に「手が震える。 足が震える。字が書けないんですけど」と先生に訴えたのですが、先生は「血圧も安定しているので心配ありませんよ。」 このような状態が2年くらいあったような気がします。 夏祭りの準備をしているとき足が動かなくなり、「おかしいな。どうしたんだろう」。 何とか夏祭りも終わり、脳外科(開業医)で診てもらう事にしました。脳外科では レントゲンCTなど、一通りの検査をした結果、病名はパーキンソン病(以下P病)と言われました。そのとき私はP病がどのような病気かしりませんでした。P病の説明もありませんでした。帰りにMRIの予約をして帰りました。 出された薬を飲み始めて15日たった頃、食欲がなくなりました。日頃薬を飲んだことの無い私は薬の名前や効能を調べるという事も気がつきません。 だんだんうつ状態になり、体重が減り始め、体力気力がまったくなくなりました。その事を先生に電話をしましたら「あ・胃が悪くなったのじゃ。 胃薬だしときますので取りに来なさい。」胃薬とP病の薬を飲みましたが一向に良くなりません。このまま行くと気が変になり、精神病院に入って死んでしまうのかな・・・自分はそう思いました。体重は5kg減ってしまいました。 MRIの結果については何も言われませんでした。「又6ヵ月後に検査しましょう。」帰って家族に話しましたら娘がすごく怒りまして、「こんなに状態が悪いのに6ヶ月先とは先生はなにを考えているの・・・」娘の怒りは収まりません。「お母さんもっと大きい病院に行こう。山口大学付属病院に行ってみよう」と家族が一致したので山口大学付属病院の神経内科へ行き、今までの症状を全部話しました。その時飲んでいた薬も全部持っていって先生に診ていただきました。「伊豆さん鼻炎があるの?」と聞かれ「ありません。」病人も勉強しないと とんでもない事が起きてしまうような気がしました。 先生は「パーキンソン病です。この病気は治りません。」とはっきり言われました。 難病です。私は頭の中が真っ白になり涙が出て言葉が出ません。「先生は特定疾患の手続をしましょう。」私には何のことか分かりません。先生は親切に教えてくれました。「特定疾患はね、国の制度で難病は医療費がいらないのよ」私はますます涙が出て止まりません。毎週行くたびにP病について話してくれました。「P病で死ぬことはありません。天命は全うできます」 こんなに辛いのなら 死んだほういいと・・・でもなかなか死ねるものではありません。 整体、針、漢方薬、温泉、遠赤外線治療など他の人がいいといわれることは全部やりました。 何が効いたのか少しずつ良くなってきました。気持ちもだんだん落ち着いてきて見違えるほど元気を取り戻してきました。 ある時2週続けて旅行に行った後、音を立てたかのように足が動かなくなりました。 それからオン・オフがはっきり出るようになりました。 先生はいろいろ薬の調整をして下さるのですがなかなか効果はでません。毎日記録をつけることにしました。先生は私の記録表をみて薬の調節をして下さいます。 先生は「新薬が出たんだけど、伊豆さん、飲んでみますか。」「はい、飲みます。」 新薬を飲んでもあまり効果ありません。 オフの時はまるで体が動きません。1,2m歩くのにふーふー。疲れます。トイレに行くのも一生懸命。ドアの前で足踏み。中に入れない。早く早くと思いながらしくじってしまう。情けないなぁ、悔しい。だんだん知恵が出てきて2時間おきにトイレに行く。これなら失敗は無い。寝るのも一苦労。ベットに横に倒れるとそのまま動けない。 情けないなぁ、何とかならないものかなぁ、くやしーい・・。洗濯は私がやる。体が動ける時をみて干すだけ。食事は主人が全部やってくれる。申し訳ないなぁ。感謝してます。外出の時は車椅子。あまり外出はしたくはありませんでした。 こんな生活が毎日続きました。 何とか考えないと、このままでは主人にも家族にも迷惑をかけると思い、先生に相談しました。 「先生何とかなりませんか。このままでは・・、手術は出来ないんですか。」「手術はありますよ。」 「できるのですか。」「九州の大学病院に紹介しましようか。」「九州ですか。遠いですね。少し考えさせて下さい。」 主人に相談しました。 「手術するとなると近いほうがいい。九大に通うのはたいへんだ。」 手術は断念することにしました。 また苦しい生活が始まりました。 一年位たって、先生が、「うちでもP病の手術出来る様になりましたよ。」 「え・・手術出来るのですか。」 脳外科の先生に主人と手術の説明を聞きました。 「頭の前頭に針を植え込み電気刺激をします。1週間してリードを介して皮下に延長ケーブルを通し、パルス発生器を前胸部に埋め込みます。体外にタバコのケース位の部品があります。」という説明でした。 脳外科の先生は「伊豆さんが初めてだから、決断したら3ヶ月前に知らせてね。手術の準備をしますから。」また主人と悩みました。病院で初めての手術、周りの人たちはみんな反対をしました。主人は体外に出ている部品に疑問を持ちました。「洋服を脱いだり、着たり、お風呂に入ったりするのに大変だぞ。」と主人は反対です。 相談した結果、手術は断念しました。(平成11年11月) それからまた、オン・オフの状態が続き、辛い毎日でした。店に出ていても座っているだけで何の役に立ちません。 そんな時邪魔になる荷物を交わそうと持って1歩2歩めにドタンこけました。立ち上がろうとしますが動けません。平成12年12月の事です。 救急車で病院へ。私はすぐに帰れると思っていたのに先生は「骨が折れて居ます。右足大腿骨骨折 3ヶ月入院です。」 骨の折れた右足を牽引して10日間寝たきり状態。その時の辛かったこと・・・。手術して人工骨を入れ、また動いてはいけないと寝たきり状態。今まで病気で寝たことの無い私には大きなお仕置きでした。1ヶ月寝たきり。それから起き上がる練習、リハビリと3ヶ月経ちました。車椅子で体力は落ち、P病の手術もあきらめて退院しました。 もうお店に出ることは出来なくなり、家の中の生活が始まりました。 何もやる気がおきません。ただぼんやりと毎日が過ぎていきます。 3ヶ月たったころから、なにかやってみようかなという気持ちになり、洋裁、小物を作りを始めました。 だんだん体力もついて、手術を考えるようになり、13年8月に手術の決断をしました。 【その2】 先生にベット待ち3ヶ月といわれ、病院から12月3日に入院の連絡がはいりました。 病院ではP病の人はトイレに一番近い部屋と決まっているようでした。入院して10日間毎日検査、検査のオンパレード。脳は、レントゲン、CT,MRIなど。さらに麻酔のための検査。なかでも知能検査には参りました。とても難しい問題が2日間ありました。 神経内科の検査が終わると、脳外科に転科します。 H13年12月13日、手術の日です。 朝6時、美容師さんが来られ、頭髪を剃り、丸坊主になります。主人も自宅を6時に出たそうですが待つ身になれば・・・早くこないかなあ。私は手術着に着替え、ストレッチヤーに寝ています。 7時30分、主人が来た。思わず涙がでて・・・ 主人は不安そうな顔をして、見送ります。 看護婦さんが注射をしに来られました。8時に手術室に入ります。 手には名札が付けてあります。 手術室に入り、看護婦さんがお名前は,「はい、伊豆です」。 こんどは手術台に移されます。看護婦さんがまた「お名前は」「はい、伊豆です」念には念を入れ名前の確認。 手術室の中は先生、看護婦さんをふくめ、10人はいたでしょう。 先生は私の頭元に来て、「伊豆さん、心配しなくていいですよ」「はい」 先生は器械を耳の中にいれ、頭を固定する作業です。 なかなか固定するのが難しいようです。先生の話はみんな聞えます。 頭を固定し額に麻酔注射をする。(痛い)麻酔が効いて眠ってしまう。 麻酔は半分麻酔です。 手術は8〜9時間かかったようです。覚えていません。 午後4時30分、目が覚めましたが眠くて眠くて、目があきません。 看護婦さが「伊豆さん、伊豆さん、目を開けて」。夢うつつ返事をする。 看護婦さんは、2時間おきに様子を見に来られます。 意外に手術は楽でした。麻酔も上手に切れ、痛みもまったく無し。 2日目から一人でトイレに行く。歩ける。歩ける。寝返りも出来る。でもまだふらつく。慎重に、無理はすまい。 手術は順調でした。頭の前頭を5cm切り開き、穴を開け17cmの髪の毛ほどの細い針をドーパミン(ホルモン)の出る急所、左右両側に針を埋め込みました。 術後の調子も順調で、1週間したら延長用ケーブルにつなぎ、パルス発生器を前胸部の鎖骨下に埋め込みの手術をします。 左右両側の胸にパルス発生器が埋め込まれています。 先生がアタッシユケース(発生器の調節をする器械)をもってこられ、胸にスイッチ板を当て、「伊豆さん?今からオフにするよ」「はい」「何ともないね」「はい、何とも無いです」「今度はオンにするよ」「はい。あ・・きたきた。指の先まで電気がきました」「大丈夫かね」「はい、大丈夫です」何度か調節をし、「2,5ボルトにしときますね。」 パルス発生器の埋め込み手術が済んだ後、胸の上に大きな物を載せられ、ガムテープでひっぱられているようでしたが、日が経つにつれ違和感はなくなりました。看護婦さんもとても親切で、よく面倒を見てくれました。感謝してます。私のリハビリは病院の廊下を朝は3周、午後は5周自主的に歩きました。きまったリハビリはありません。2週間で個室から大部屋へ移りました。 脳外科の先生は感染症が一番怖いと、いつもいっておられました。 体内に異物を入れているので感染症になるといけないと神経を尖らせていらっしゃいました。 おかげさまで傷口もきれいになり、14年1月9日脳外科から神経内科に転科しました。 神経内科の先生は「術前に飲んでいた薬を少し減らしてみましようね。マドパーを1錠減らし様子をみましよう。」 3日経ち、「調子はどうですか」「あまり変わりません」「もう少しへらしましょうか」「はい」マドパーを1錠減らす。様子をみる。少し歩きが悪い。「先生、少し足の出が悪いのですが」「1錠にしとくかね。」「そうですね」 薬の調節も済み、1月23日退院です。 長いようで短かった入院生活。あんなに動けなくて苦しんで居た時の事を思うと嘘のようです。車椅子は要らなくなり、杖も要らなくなり、スーパーに買い物にも行ける。 主人と食事にも行ける。最高に嬉しいです。いい先生がたに恵まれ、看護婦さんからも 親切にして頂きました。手術に不安はありませんでした。 最後に手術の費用についてお知らせしましょう 特定疾患医療受給者証を適用していますので医療費はかかりません。 基本料金として14、000円プラス個室料です。 <山口大学神経内科根来先生からのコメント> 伊豆さんの刺激部位は視床下核です。 山口大学では現在までにパーキンソン病に対してのDBSは8例(術後経過期間は最長3年で、大多数はまだ1年以内)で全例、両側視床下核刺激です。当院では淡蒼球はターゲットとしていません。 効果は全例でオフ時間の短縮とウェアリング・オフの改善を認め、ジスキネジアも軽減されます。すくみ足や姿勢反射障害も今までのところ6〜7割程度の例で軽減しています。 伊豆さんは中でも著効例の一人で、全員が伊豆さんのように改善したわけではありません。 山口大では脳外科で手術する前に、神経内科にまず1〜2週間入院して、手術の適応について検討します。 適応条件は下のようにしています。 1,パーキンソン病で、原則は75歳以下。 2,パーキンソン症候群ではなく、他の神経疾患を除外できること。 3,痴呆、重篤な精神疾患がない。 4,重篤な合併症がない。 5,MRIで異常を認めない。 6,薬物治療だけでは効果が不十分である。または副作用のために充分な薬物治療ができない。 手術をうける時期としては次のような時が適応の時期と考えられます。 1,薬でのコントロールがうまくできない振戦で困っている方はいつでも適応となります。 2,神経内科医が充分な薬によるコントロールを行っても、なおウェアリング・オフやジスキネジアがコントロールできなくなったとき。 3,消化器症状、精神症状などの副作用のため、今以上の薬の増量が困難になったとき。 レボドパなどのクスリによってパーキンソン症状の改善の反応のある方でなければDBSによる改善は期待できません。 従って症状が進みきって寝たきり状態に近くなった方では効果は期待できません。 また、高齢者よりも若年者の方が効果が良いような印象を持っています。 山口大神経内科のHP http://www.neurol.med.yamaguchi-u.ac.jp/ http://www.neurol.med.yamaguchi-u.ac.jp/menu/perkinson/index.htm も参考にして下さい。 伊豆さんの手術体験談の掲載にあたり、山口大神経内科の先生方にご協力をいただきました。どうもありがとうございました。 |
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| 平成14年7月3日 伊豆悦子 | ||||||||