《自己紹介》
私は、『若年性パーキンソン病』患者で35歳の女性です。
症状は左半身のふるえで、そのために歩行困難になってしまい、特別仕様の靴(補装具&杖)を愛用しています。
発病は、7年前です。5年間も病名が分からなくて、病院を転々としていました。
その間も通勤時間が1時間半ぐらいの新宿で販売のお仕事をしていました。ふるえがひどくなりだんだん歩行も怪しくなってきたので、通勤ラッシュを避けて各駅停車で座っていき、駅から徒歩20分ぐらいの職場にタクシーで通勤するようになりました。
職場では私のことを理解してくれて、協力してもらいながら自分が出来る範囲で大好き♪な接客のお仕事をさせてもらいました。自分の外見に恥ずかしいと思うこともありましたが、来店されるお客さんからのクレームはなく、むしろ私が応対するのを喜んでもらえてとてもやりがいのあるお仕事でした。
2年前、父も入院したことがある公立の救急病院にダメもとで診察してもらいました。そこの神経内科医(大学病院の出向医)に『若年性パーキンソン病』ではないかと言われ、1ヵ月の検査入院をすることになりました。いろいろな検査をした結果『若年性パーキンソン病』と診断された時は、なぜか『ホッ!』としました。主治医からは、「難病の中でも一番研究が進んでいるこの病気の10年後はもっと解明されるはずだから前向きな気持ちでいて下さい。」と言われました。家族や友だちには「やっと解ってよかったねぇ」と言ってもらえて、私はなんだかとってもすっきりした気持ちになりました。難病だけど受け入れることが出来たのは、今にして思えば病名がすぐにわからなかった時期が長過ぎたからじゃないかなぁと思います。
ただ、リハビリに専念するため職場を離れるのはすご〜く寂しかったです。
今は、気合と根性をモットーにカメ並みのスピードで歩いて、マイペースで専業主婦をしています。
《運転免許を取ろう!と思った理由》
リハビリのために週1回の通院をするのに、父と舅が交代で送り迎えをしてくれるのですが、1年半経った頃から『いつまでも高齢の父たちに甘えてばかりじゃいけないなぁ。』と考えるようになりました。
ある日、福祉事務所の駐車場で、車イスの男性が一人で大きな車に乗り込んでそのまま走り去っていくのを偶然に目撃した時、「す・すご〜い! 私も免許を取れば一人でどこにでも行けるかも♪」とヒラメキ☆、『車は乗せてもらうモノ』としか考えていなかった私が、『自分で車を運転してみたい!』と思うようになり、一大決心をしました。
《教習所探し》
インターネットで教習所を探して、新座にある『身体障害者運転能力開発訓練センター 東園自動車教習所』という所を発見☆しました。
そこには、いろんな障害に応じた改造車が完備されていて、身障者雇用促進のための無料教習制度もあります。
私は、いろんな障害を持った人たちと一緒の方が一般の人に混じって習うよりもなじめそうだし、先生方にも安心感が持てたので、通うならここにしよう!と決めました。
《適性審査》
運転できる能力があるか?車はどのくらいの大きさでどのような装置をつけたら運転できるか?を調べてもらうのに府中運転免許試験場に行きました。
適性審査は、ゲームセンターにあるようなシミュレーションゲームみたいに車の運転を行うモノで、ハンドルが回せるか?急ブレーキ(右足)が踏めるか?クラッチ(左足)が踏めるか?のテストをしました。
私は、クラッチ(左足)が踏めませんでした。急ブレーキも反応がニブかったのですが、教習所で普通のオートマ車をまず練習してみて、ダメだったら手動にしよう!ということになり、適性審査は合格できました♪
試験場の警察官は、みなさんやさしく親切な方たちで、あまり緊張しませんでした。
《訓練生として入所》
ハローワークに求職登録をしているので、訓練生として7月から入所することになりました。期間は3ヶ月間で、教習費用は無料です。
入所するまでは、体力が持つのかなぁ?とか、友だちも出来るのかなぁ?と不安でたまらない気持ちと、免許をすでに取ったかのようなワクワクした気持ちが入り混じっていました。
7月1日、ドキドキ☆の入所式。20人の仲間と出会いました。
みんなそれぞれいろんな障害を抱えていました。
私がハマっている『動物占い』によると、7月1日の運勢に「友だちができる♪」と書いてあったので、その言葉に勇気がわいて、話しやすそうな人からしゃべりかけてみました。
そしたら、みんな気さくでおもしろい人たちばっかりなので、すぐに打ち解けることができました。
《通 学》
行きは主人に火、木、土、日曜日、舅には水曜日、父には金曜日に送ってもらいました。
主人はトラックの運転手をしていて、朝6時に家を出て会社まで行き、7時にトラックで私をうちから教習所まで配送してくれました。
帰りは、自力でバス→電車→バス→バスと乗り継いで帰宅しました。ときどき主人が駅まで迎えに来てくれたこともありました。
最初は家事もがんばっていたのですが、だんだん疲れがたまっておろそかになってしまい、炊事・洗濯も主人が文句一つ言わずに手伝ってくれるようになりました。
家族の協力がなければ、多分途中で辞めていたと思います。
《運転教習》
ハンドルを片手で楽に回すことができる旋回装置・手動のブレーキとアクセルの改造車や左足で操作できるようにアクセルが左側についている改造車などを運転する人がいました。卒業生の中には、足でハンドルを回して運転する人が3人もいるそうです。
そういう人たちに比べて私は、両手右足が動くし、普通のオートマ車だからカンタン♪と思っていたら甘かった!!…。
ハンドル操作は、左腕がふるえてしまうので、左折する時にハンドルを戻すのが遅れることがあって、対向車線側に何度かおじゃましました。
緊張すると筋肉がかたくなりやすいので、焦ったり疲れていたりすると、アクセルを踏む時に『ブォンッ!』とさせてしまったり、ブレーキを踏む時には『キュッ!』となったり、スムーズに足が動かしづらくなります。主治医からは、『パーキンソン病患者さんは、反応が遅いから車間距離をなるべくあけて早めにブレーキを踏むようにしなさい。』と言われていました。要は、『安全運転!』です。
クランクや方向変換のようにブレーキを踏んだり緩めたりを何度も繰り返す動作をしなければならない時は、足がツリそうになるしヒザが痛くなるので大変です。
2時間続けての教習は、かなりキツくて凹んだりポロポロッと涙したこともありました。
そんな時にいつも仲間たちから「大丈夫?!一緒にがんばろうねぇ♪」と励ましてもらい、先生も「リハビリだと思ってがんばれぇ〜!」と応援してくれました。
《辛かったこと》
私は、ちょっとしたことでも緊張すると途端にふるえの症状がひどくなります。よく言えば、誰が見ても外見だけで私の気持ちに気づくのです。
だから、何よりもシンドかったのは、緊張するようなことをやらなければならないことでした。特に、効果測定(学科試験)・仮免・卒検などで、ふるえがひどくなる状態をみんなにさらけ出すのが、本当にイヤでした。
イヤでイヤでしょうがないのに、途中で投げ出さなかったのは、本当に免許を取りたかったからです。
私は、同じ『若年性パーキンソン病』の患者さんに言われた「たとえふるえがひどくても、がんばっている民ちゃんの姿を笑う人なんていないよ!開き直って堂々とふるえてらっしゃい♪」という言葉を自分に言い聞かせながら、『堂々とふるえてみせる大作戦!』と名づけて、心の中でいつも自分と戦っていました。
だけど、ふるえがひどくなって周りの目を気にしてしまい落ち込むこともありました。まだ開き直りきれない自分がいるからです。そんな時にも仲間たちはやさしく声をかけてくれました。「練習すればそのうちにコツをつかんで上手くなるんだからがんばろぅ〜!」って??? 周りのみんなにはどうやら私が運転を上手く出来なくて落ち込んでいると思われていたみたいで…(笑)、ふるえを一番気にしているのは自分自身で周りはそんなに気にしていないんだなぁと思いました。
それと自分が『若年性パーキンソン病』だということを忘れてしまうこともありました。例えば、免許のことだけで頭がいっぱいになっていたり、仲間たちと楽しく過ごしていたりすると、ふるえていることが全然気にならなくて、夕方、そろそろ帰ろうと思って送迎バスに乗り込んだ瞬間『がぁ〜ッ』とふるえている自分に気づいて「あっ!私『若年性パーキンソン病』だったんだっけ。薬!薬!飲み忘れてたぁ。」と思う日もありました。
《免許取得!》
イヤなことをやり遂げる度に、『やったぁ〜♪やったぁ〜♪』と嬉しさも2倍でしたが、免許証を頂いた時の嬉しさは100倍でした。
あっという間の3ヶ月間でしたが、免許を取得したことをがんばれた自分に少し自信が持てました。
《仲間たちとのエピソード》
落ち込むのは私だけはでなく、みんなが交替で落ち込んでいました。
特に学科でつまずいてしまう人が多かったです。耳が聞こえない人のために学科の授業で手話を交えながら行う先生もいましたが、ほとんどはOHPのスライドに教科書の重要なポイントを写しているのを見ながらの授業でした。だけど、例えば『最高速度60`で走行しなければならない』が正しいかどうかという問題があったとすると、これは道路が渋滞していても60`を出さないといけないという意味になるので×です。けれども、『○○しなければいけない』という手話がないみたいなので理解するのがとても大変で、学科試験に何十回チャレンジしても受からず辞めてしまった人がいました。
でも、ほとんどの人はあきらめずに免許をゲッツ!しました。
私は、、自分でも笑っちゃうぐらいユニークな発想をすることが時々あって、いつも励ましてもらっているお返しには全然ならないけど、駅前で配っていたウチワに白い紙を張り替えて『がんばれぇ〜っ!』とかいろいろ書いて必勝ウチワを製作したり、何曲か替え歌を応援歌にして唄ったりしていました。これはあくまで自分で楽しんでやっていただけなのになかなか好評だったみたいです。
訓練生なので定休日(月曜日)以外は、ほとんど毎日朝7時半から夕方5時まで教習所にいました。3ヶ月目になると夜7時までいることもありました。
訓練生は上は60歳、下は18歳と普通じゃ考えられない仲間たちで、空き時間は食堂でみんなと何時間もおしゃべりしたり、脱け出して焼肉を食べに行ったりもしました。
それぞれいろんな障害を持っているけど、みんな前向きにがんばっている人たちばかりです。難聴の『Mちゃん』は音が聞き取りにくいのですが、子供の頃親からとても厳しく発音の練習をさせられたお陰で何の障害を抱えているのかわかりませんでした。手話のわからない私は、全く耳が聞こえない『Aちゃん』とどうやってコミュニケーションを取ればいいのかなぁと思っていたら、彼女はな・な・なんと私の唇を読むことが出来るんです。生まれつき右手がない『Maちゃん』は、水泳・鉄棒・跳び箱・縄跳びも出来るスポーツ万能な女子高生です。腕がひじから上にあげることの出来ない『Sちゃん』は私の病気をインターネットで調べて理解してくれたやさしい子で、足に障害を持っている『Yちゃん』は、私にお揃いの布でスカートとバッグを縫ってくれました。右手両足マヒのYaさんは、私と同じ市内で一人暮らしをしていて、たいていのことは自分で何でもこなしてしまう人で、いつも私のことを気にかけてくれました。他にもいるんですけど、とにかくみんな明るくてスゴイッ!人たちぞろいでした。
《最後に…》
私の周りにいるみなさま、本当に本当にどうもありがとうございました。
私を支えてくれる主人と、じっと見守っていてくれる主人のご両親、私を叱咤激励してくれる両親と妹がいなかったら絶対通えなくて挫折していただろうし、友だちがメールや電話で応援してくれたからあきらめなかったし、いつも全力投球で先生方が教えてくれたので物覚えの悪い私でもストレートで合格することができ、仲間がいたから本当に楽しい♪3ヶ月間を過ごすことができました。
これからは、日本のみなさまに迷惑をかけないよう『安全運転』を心がけて、少しずつ行動範囲を広げていきたいです。
この3ヶ月間を通して学んだことを励みに前を向いて歩こうとは思っていますが、落ち込んだ時はまた私に勇気を下さい。どうぞよろしくお願いします。
そして、私のチャレンジ精神!に火がつき、今度はピアノを習うことにしました。指のリハビリのためと弾いてみたい曲があるからです。
『レッツ、トライ!!』
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