2003.11.10up

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記事を読んで2年半後に by isoiso

マイケル ホールマンさんの「脳の音を聞きながら」という体験記を読んで、感動し、その2年半後に同じ脳深部刺激術を受けました。

手術を受けた理由
手術前はひどい状態でした。
薬の効いている時と効いていないときの差が激しく、効いている時は、一見何処が病気なのというくらい普通に動けたのに、薬が切れると動けなくなり、そのうえ左足に大きな震えがおこり、口までパクパク動くときがあった。この薬がオフの状態が昼間にも午前中と午後に1回ずつくらいおこり、夜は7‐8時頃から足が震えだし、ほとんど動けない状態だった。薬が効いていない時は本も読めないし、テレビも見られない状態だった。
薬が効いている昼間も眠気が襲い、眠くなり、乗り物に乗ると、たとえ公共の乗りものであろうがなかろうがかまわず眠ってしまい、パソコンを打っていようが、食事中であろうが、とうとう手術前には電話をしながらも眠ってしまっていた。手術前の試験の最中まで眠ってしまって、試験担当の先生をおどろかせたという状態だった。
手術前に手がけていた翻訳はひどいもので訳出もれ、誤訳等が多々あり、驚いたことに読み返したつもりであっても気づかなかった。そんなわたしの翻訳を見るに見かねて、知り合いの人が急遽要約を作ってくださった。知らない間に意識が途切れるのではないかと思われた。
疲れるとバランスが悪くなり、後方突進がでたり、前につんのめったりして転ぶのが日常茶飯事であった。歩くより自転車に乗る方が安定していた。
記憶力はおち、79歳の母と一緒にテレビを見ていても、母の方がよく覚えているくらいだった。
軽い失見当がおき、時間や日付に関する感覚がずれていたようだ。
また計算力も落ち、手術前の簡単な算数のテストはさんざんなものだった。
薬が効いている時と効いていない時では考え方がまったくちがい、その落差に自分でも翻弄されていた。決断力は鈍り、いちいち人の伺いをたてないと何事も決められなかった。一度決めた事も、朝と夕方ではま反対のことを考え、夜約束したことを朝になって断るという事態がしばしば起こった。
このような私の状態がわかるのは24時間生活を共にしている家族だけである。外にでるときは薬切れにならないように早めに薬を飲んで、一時的に体調のよい状態のときなので、体調が悪いといっても実際に悪い時を見た人にしか信じて貰えない。体調の良い時は自転車を乗り回してニコニコしている私を見ている人には、こんな状態は想像できないだろう。しかし、私と家族には地獄のような毎日だった。
このような状況の中でもう残っているのは手術だけだと思ったが、記憶力の低下など明らかに精神症状も出ていたので手術は無理だと思っていた。それでも主治医の先生にこのひどい状況を母と共に訴えた結果、すぐに入院の待ちリストに載せてもらった。ベッド待ちは3ヶ月と言われたが、1ヵ月後に病院から入院の知らせがとどいた。

というわけで、山口大学医学部付属病院で視床下核刺激術を受けることになった。
パーキンソン病歴18年(?)目、治療開始後12年目、52歳の夏だった。


8月4日 (月) 入院
神経内科に2週間入院して手術の適性の検査を行うとのこと。「お盆休みに入るので少し予定が遅れるかもわかりません」とのこと。
バランスが悪く、手術前に転んで頭を打ったら手術が出来なくなる恐れがあるので、病院では前後にブレーキのついた歩行器を用意してくださった。

8月5日 (火)
採血、心電図、レントゲンの検査

8月6日 (水)
特に検査なし お風呂に入る

8月7日 (木)
MRI

8月8日 (金)
特に検査なし

8月9―10日 (土―日)
週末

8月11日 (月)
14時からWAIS-R-(改訂ウェクスラー成人知能テスト)
別室で口答で行われるのだが、担当の先生が車椅子を持って迎えに来られた。

8月12日 (火)
午前中は昨日のテストの続き
今日の記憶力のテストと計算のテストはひどかった。私はテスト担当の先生に「これは痴呆かアルツハイマーの始まりではないでしょうか」と尋ねたが、「主治医の先生に尋ねてください」との返事だった。「薬をかなり飲んでいらっしゃるようなので、薬のせいかもわかりません」と付け加えてくださった。一般的には薬を飲んでいない状態でやるらしいが、私の場合、薬が効いていないと震えがひどく、テストを行うことができなくなるので、薬を飲んだ状態でやった。

8月13日 (水)
主治医の先生に「昨日の記憶力のテストと計算力のテストはひどかったのですが、アルツハイマーか痴呆の始まりではないでしょうか」と訊ねたところ「他のテストが出来ているので、痴呆とは考えられない」とおっしゃってくださった。手術はできるとのこと。ひと安心だ。また手術のために痴呆になる事もないそうだ。

8月14日 (木)
明日のMRIに関して主治医の先生から説明があり、パソコンに合わせて指あわせの練習

8月15日(金)
リズムに合わせて指あわせをしながらのMRI
この検査に関して主治医の先生にお訊ねしたところ「この検査は,必ずしも手術に必要な検査として,行っているのではありません。機能的MRIという,特殊な方法で,パーキンソン病の脳機能の病態解明の研究のために山口大学では行っています」というお返事をいただきました。

8月16、17日 (土―日)
外泊、自宅に戻る

8月18日 (月)
RI(ラジオアイソトープ)による脳血流シンチグラフィー
UPDRSという世界共通のパーキンソン病評価スケールによる質問

8月19日 (火)
UPDRSという世界共通のパーキンソン病評価スケールによる質問

8月25日 (月)
手術の日が決まるまで一時退院して自宅待機

9月4日(木)
病院から連絡あり

9月8日(月)
神経外科に入院

9月9日(火)
家族を交えての手術の説明
L−ドーパを飲んでよくなる症状は殆んど改善するが、自律神経関係の症状はよくならないとのこと。

9月10日(水)
採血、心電図、出血凝固の検査、
昨日の説明で、髪を全部は剃らないで、部分的にカットをしただけで手術をすると言われたので、美容院に行って、カットをして、すそだけでもそろえておく。「胸の傷も胸の開いた服が着られるように横にずらしましょう」と言われた。

9月11日 (木)
集中治療室へ持っていくための荷物をまとめる。
抗生物質に対するアレルギー抗体の検査。
麻酔科の受診。簡単に麻酔を効かせたり、切ったりできる新しい麻酔薬を使っているのでこういう手術が出来るとの説明があった。
夜、麻酔担当のもうひとりの先生が挨拶に来られた。

9月12日 (金)
手術の日。
朝早く母と叔母が来てくれた。手術着に着替えてストレッチャーに横になって待つ。
看護婦さんが迎えに来られた。みんなから「頑張ってね」と言われて、いよいよ手術室に入る。手術室の入り口で迎えてくれた看護婦さんは恵比寿様のような、やさしい顔をした看護婦さんだった。「isoisoさんですね」と言われ、「はい」と答えた。手術室に入るとBGMがかかっていた。『脳の音を聞きながら』と『自由への最後の賭け』でホールマンさんとミケラさんが手術室で聞いた音楽(音)はこれだったのではないかとしばらくGBMに聞き入っていた。小川のせせらぎのようなやさしい音の曲だった。これは私の勘違いだということが後で確認してわかった。麻酔科の人が挨拶された。それから主治医の先生が、「isoisoさん、Nです」と挨拶された。「よろしくお願いします」そのうち麻酔を打たれて眠ってしまったようだ。耳の辺りをキリキリ、きりでまわしているような痛みを感じ、「どっちが痛いですか」と問われ「右がいたい」、「左がいたい」といっている間にまた、眠ってしまい、後は覚えていない。
「よし、もうこれでおわりにしよう」という声で目がさめた。「よく頑張ったね」と言う先生の声が聞こえた。「先生方は食事もしないでこんなに遅くまで大丈夫かしら」とふと思い、「食事、まだなんでしょう?」と訊ねた。自分の事を言っているのかと思われ「今日は無理ですよ」と言う返事が返ってきた。私が「先生方ですよ」と言ったら「ああ、私たちですか」という声が笑い声と共に返ってきた。足先を動かすと動くので手術は成功したのだなと思った。CTを撮って手術室をでて、集中治療室へ入った。
集中治療室で気がつくと母の笑顔が大きく見えた。「みんな付いているから頑張ってね」と母が言った。その横で叔母がニコニコ笑っていた。兄と義姉と姪も来てくれたそうだが気がつかなかった。面会時間も終わり、後は朝まで看護婦さんが看病してくださった。薬を飲ませてくださったり、床ずれが出来ないように向きを何度か変えてくださった。

9月13日 (土)
朝になると 主治医の先生が見え、その後、見学の学生さんらしいひとたちが何人か集中治療室の前をウロウロしているのが見えた。その日の午前中、病棟に戻った。個室が用意され、母と叔母が待っていた。叔母が病室に2晩泊まってくれた。

9月14日(日)
電流を流す。
看護婦さんが胸に下げる袋を用意してくださって、そのなかに発信器を入れて首からぶら下げる。トイレに行こうと起き上がって立とうとしたところ突然、一瞬の間失神してしまったようだ。看護婦さんと叔母の呼び声で気がつくとベッドの横にうずくまっていた。後は何ともなかった。
用心のため歩行器を使って歩く。夜中でも歩いてトイレに行けるのが嬉しい。

9月15日 (月)
土、日、月と3連休なのに手術をしてくださった先生はその間も出てきてくださった。頭の下がる思いである。
看護婦さんがシャンプーをしてくださった。

9月16日(火)
教授の回診があった。「調子が良かったら胸に埋め込んでもらってください」とおっしゃった。
MRI、レントゲン
頭の中の針の入り具合を見るそうだ

9月18日(木)
午前中は集中治療室に持って行くタオルなどの荷物を準備して、午後から麻酔科の受診、夕方また麻酔担当の人が挨拶に来られた。わざわざ足を運んでもらってまたまた頭の下がる思いである。
夕方、近所の人が数人でお見舞いに来られた。みんなお年寄りで体調もよくないのにわざわざ来てくださった。ありがとうございます。「元気そうになったね。よかった、よかった、安心した」と言われた。

9月19日(金)
第2回目の手術(胸に発信器を埋め込む手術)の日
またストレッチャーに乗って同じ様に手術室に向かった。今度の手術室のBGMは英語のボーカルがかかっていた。 
手術が終わって「isoisoさん」という声に目がさめたが、眠くて目が開かなかった。

9月20日(土)
また集中治療室で一晩過ごして、病棟へ戻った。
病棟へ戻るエレベーターを待っているときに手術室の人が「2度とここへ戻ってこないように」と言われたが、「5年後に胸の発信器を入れ替えないといけないんです」と言ったら「ああ そうですか」と言われた。

土、日でお休みだったのに担当の先生は2日とも出てきてくださった。どうも有り難うございます。傷口の痛みも2日位で完全に癒えた。 電極の調整をした後、神経内科に戻って薬の調整をしてUPDRSによる評価を再び受けて、歩く姿をビデオに撮影し、10月16日に退院した。

手術後
手術後はONとOFFの状態がなくなり、震えと、無動がなくなり、24時間動けるということは大きな喜びです。自分でトイレに行けないということは大変辛いことで、手術後はその心配がなくなった。以前は夜7時過ぎには何も出来なかったが、夜十分に時間があるのがうれしい。
夜は次第にぐっすり眠れるようになってきた。昼間の眠気も少なくなった。
精神的にもずっと安定してきて、決断力も判断力も前よりはよいみたいだ。失見当はどうだろう?少しはよくなったような気もするがこれも今後の観察が必要だ。
薬はメネシットが5錠から3錠に減った。ペルマックスをやめ、カバサ―ル3錠とFPを2錠はまだ続けている。
右足と首の辺りに震えが少し起こるときがあり、バランスがまだ悪く転倒もするが、いままでのことを思うとなんでもないし、今後の調整に期待しよう。気分的にもすっきりしてきた。
まるで生まれ変わったような気持になる。大勢の人のお陰でうまれ変わったのだから、一日一日を大切に生きねばと思った。

主治医の先生であったM医師の感想です
isoisoさんは,手術前,ずいぶんとウエアリング・オフ現象とジスキネジアなどに困っておられました.
様々な薬物治療の調節でも,なお,isoisoさんのように,強いウエアリング・オフ現象がある場合は,手術により,オフ時間の短縮(場合により,消失も)が期待できますので,手術にはいい時期だったと思います.
この手術を施行するには,パーキンソン病でも,オンがあること,つまり,レボドパなどの薬剤には反応する時期であることがあることが大切だと思います.
伊豆さんの感想部分で根来先生が記していますが,手術の適応条件は下記のように,当院では行っています.

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山口大では脳外科で手術する前に、神経内科にまず1〜2週間入院して、手術の適応について検討します。
適応条件は下のようにしています。
1,パーキンソン病で、原則は75歳以下。
2,パーキンソン症候群ではなく、他の神経疾患を除外できること。
3,痴呆、重篤な精神疾患がない。
4,重篤な合併症がない。
5,MRIで異常を認めない。
6,薬物治療だけでは効果が不十分である。または副作用のために充分な薬物治療ができない。

手術をうける時期としては次のような時が適応の時期と考えられます。

1,薬でのコントロールがうまくできない振戦で困っている方はいつでも適応となります。
2,神経内科医が充分な薬によるコントロールを行っても、なおウェアリング・オフやジスキネジアがコントロールできなくなったとき。
3,消化器症状、精神症状などの副作用のため、今以上の薬の増量が困難になったとき。
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あとがき
ホールマンさんの記事で脳深部刺激術の詳細を知って2年半以上になります。新聞を読んだ時には「いつかフランスに行って手術をうけることが出来るだろうか。でも大変な手術で痛そうだし、フランスへ行って手術を受けるお金もない」などと思っていました。当時徳山医師会病院へ来られていた山口大学のN助教授に記事をお見せすると、「山口大学でもやっていますよ」と言われた。ちょうどその頃、MRIの映像を使って手術が簡単に早く出来るようになったというレポートを読んだのでN助教授に尋ねたところ、「アメリカなどではMRIを使って効率を考え、早く手術を行おうとするが、フランス式の方法でないと正確にターゲットが探せない」といわれた。それを聞いて私は「山口大學では効率よりも手術の正確さを重んじているのだ」と思い、「将来手術をしなければならないとき、フランスまで行くお金がなくても、山口大学で出来る」と心強く思ったのでした。
この夏、症状が悪化して、手遅れかもしれないと思ったけれど、思い切って手術に臨みました。
ホールマンさんは手術後2年8ヶ月を経過して、お元気でご活躍中との事。初めての小説(ケニヤに関する娯楽風刺もの)を書き終えたばかりで、来週はフランスへお母さまと行き、1週間滞在し、友人と過ごし、来月ナイジェリアのアブジャである会議に出席して取材しようと思っているそうです。というように全くお元気なご様子です。ミケラさんもアフリカに関するノン―フィクションを書かれているそうです。私がDBS手術を受けて経過も良好だというメールを差し上げたら、お二人からお祝いと近況を知らせるメールが届きました。


(注)M.ホールマンさんは若年性パーキンソン病患者で、英国フィナンシャル・タイムスの記者。2001年2月末にグルノーブル大学で視床下核刺激術をうけ、経過良好。現在再びジャーナリストとして世界を舞台に活躍中。彼がフィナンシャル・タイムスに書いたDBS体験記「脳の音を聞きながら」の日本語訳をホームページAPPLEに掲載してあります。
ミケラさんも英国フィナンシャル・タイムスの記者。ホールマンさんの手術の様子を英国ガーディアン紙に「手術、もうひとつの見方(自由への最後の賭け)」として掲載。この日本語訳もAPPLEに掲載してあります。



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