>>編集後記<<
(果たして打鐘は鳴ったか?)

競輪競走の難しさ
オッズとの対話
ラインが示すもの
並びが示すもの
明日なき結論
捲りの価値体系
逃げと捲りの連対
捲りが死んでも番手が生きる!
捲り選手の逃げ
スピードかパワーか
2車だから生きるカマシ
勝ち上がりと選手の格
今日もどこかで3連単
3連単のシナリオ
燃えつきた客
残り目の運動学
どっちが競り勝つ?
三番手選手の連絡み
自転車選手の体
地元は何割増??
競輪場を旅打ちする
戦闘誘導員
スタートの合意
脚の違う選手がいる
車券が変わってくる
中団はどの選手か
穴車券は誰が出す?
はまりこみ1
はまりこみ2
我らが太田真一
捌きとは何か
漠然とした自在戦
分断へのアプローチ
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今日もどこかで三連単
ただえさえ荒れる博打である競輪に三連単が出来たのは2001年の秋だった。競輪もつくづく 変わったと思う。もう車番単勝のなかった時代など、自分がどんなモチベーションで競輪をやって たかを思い出せない。三連単では万車券がでるのは当たり前であり、むしろ三連単が3ケタ 配当で決まった時のほうが場内がざわめく。なぜざわめくのかと言うと
「(せっかく当たったのに)そんだけしかつかねーのかよ〜」
という落胆の声なのだ。競輪場で知り合う人の中には、三連単 しか買わないという人までちらほら居る。それぐらい大勢はこの三連単に完全にのめり込み、 高配当を日々夢見ているのである。
これを書いている日も午前中競輪に行っていたのだが、 隣にいた初老の方が16万車券を特券で的中させ奇声をあげていた。券を見せてもらうと、確かに 入線した6−2−1という目を千円購入している
「すごいですね。確かに6−2−1だから 、160万ですよ。。」
と私が答えると、その男性は券を持つ手が震えて、顔を真っ赤にして恍惚の 表情を漏らして言う
「そうだろう、ほ、本当は9にしようかと思ったけど、今日は6の目が強いんで ボックスに、ろ、6を絡ませたんだよ。。ホラ、この新聞にも」
と講釈をし始めたかと思うと、突然「やったー!」と大声を張り上げてどっかへ走り去った。
実際勝てば何とでも言える。私は今のレースはその9番から勝負して一文なしだ。 その男性の一部始終の騒ぎを周囲は黙って見て途方にくれていた。皆苦笑いだが、目は笑ってない。 かく言う私も他人の車券にえらく興奮し顔が引きつっていた。公営競技ではやみくもに射幸心を煽る様な賭け式 を導入する事は原則として許可されない。しかし例外があり、それは代替として当たりやすい賭け式 を同時に販売することだ。競輪で言うところの車番複勝とワイドがそれに当たる。射幸心とは当たりにくい 車券を当ててやろうとする心理であり。単純に大穴を当てようとする心の事だと思われる
確かに 一度でも3分間で千円を100万にしたら、もう一生競輪はやめられないだろう。その味を覚えてしま った人間にとっては本当に麻薬になる。穴というのは人間の心に潜む悪とされているわけだ。
では、どういった悪の限りを尽くせばそんな車券が当たるのだろう。私は次のレースの予想も上の空 で考えたが、すぐに無理だと結論に達した。 去年の競輪場の流行語大賞
「二連単も当たらないのに三連単が当たるわけねえべ」に加え
「三連単なんて買ったら金が幾らあっても足りねえべ」というハードルが越せないのだから。 前者はそうとも言えない部分があるが、後者は間違いなく言える事だ。私にとっては競輪など ポケットのジャラ銭で遊ぶものだ。狙って取れるものでもない車券に払うリスクが多すぎる。 さっきの親父はたまたま運が良かったからであって、10万車券など、もはや宝クジの域を出ない。 誠実に2車単を買っていればたまに補助的に三連単が当たるかもしれない。 私は自分にそう言い聞かせて西武園を後にした。
その夜スピードチャンネルのダイジェストをぼうっと 見ながら「3.4.6.9」などと適当な目を呟いていた。どこか遠くの競輪場の知らない選手ばか りが走っているA級戦、当然並びも力も分からない。8レース目にして初めて私が呟いた4つの数字の うち3つで入線した。お、当たったと思い体を起こすとそこには38万6240円の文字が・・ 私はうなだれ、そのまま寝入ってしまい、なぜか1600円の三連単の当たる夢を見た。 三連単とは夢であり、それは宝くじなのだ。でも宝くじの何が悪い。 遊びは遊びとして、人の欲には限りが無い。 それは自分に対してもまた無限の可能性を信じているから買える車券なのだ

三連単のシナリオ
書き忘れたが三連単とは123着を正確に当てるものである(笑)
的中率は1/9×1/8×1/7=1/504となり、これは同時に三連単の車券が 全部で504通りある事を示している。504分の一じゃ、如何ともし難いが、2点買えば 的中率は1/252になり、3点買えば1/168、10点買えば50.4分の1になる。 ここまで来れば現実的になり、14点買えば1/36になる。おお、何となく当たり そうな気がしてきました。なぜ14点という半端な数字に注目したかと言うと、この1/36 という的中率は通常の2連単を2点買いで的中させる労力に等しいからです。 この2点という数で十分だと考える人と、無理だと考える人は、それぞれが本命派なのか穴党 なのかで分かれる。前者の本命派の方は問題ないでしょう。本命車券の表裏から他の7車に 14点買えばいいだけの話です。三連単の配当もそれほど高くはならないでしょうが、可能性 を追求していく側面からは一番の正攻法となる。
後者が問題で、2点で穴が取れるか!となるでしょう。本命車券より穴車券の方が圧倒的 に数が多いんですから無理というか無謀です。つまり三連単で夢車券をゲットするためには とてもとても14点買いでは的中しえない理屈になるわけです。じゃあ何点買えばいいんだ? 20点か?30点か?50点も200円ずつ買えばそれで一万円だし、仮に当たった車券が2万 ぐらいの配当だったら1万円を4万円にしただけ。本命派の人に笑われます。 となると、当然宝くじの領域にあっても、その可能性をグッと高める何かを発動して、点数 を控えねばなりません。そんな事が可能なんでしょうか
可能性を高める何かとは−1 三連単の厄介なところは二車単では買えない様な弱い選手 でも3着に流れ込んで来る可能性が生じてしまう事です。例えば特別競輪でもダービーの3着に 古原、寛仁親王杯の3着に細川、全日本選抜の3着に戸邊、こんな選手が入って穴になりました。 「来ても3着」という事は、裏を返せばこういった選手が2着内に入っている様な車券を全て 削ってしまえばいいのです。今は流し&ボックス投票シートがあるので依存してしまいますが、単純に穴 を絡めたボックスで「2.4.5.8」などとマークすると幾ら何でも有り得ない 様な格下選手の頭を無意識に買っている事があります。4車の三連単ボックスは24点 ですが、その中の一人の連対を除外すると、何と半分の12点になるのです。半分になったという 事は額を倍増できるという事であり、あるいは浮いた資金でまた別の組み合わせを買い足せる余裕 が出来るという事です。これで奇跡的に3着じゃなく2着や1着で来てしまった時は諦めればいい のです。可能性を高めるという作業はそういう些細な気配りなんだと思います。
可能性を高める何かとは−2 3着選手を探す。これは実に当たり前の事ですよね。出走表を 見て連対率に比べ複勝率がやたら高い選手がいて、それが自在か捲り選手であった場合、最後に捲 って3着に届く選手だという事です。こういう選手の3着流しが狙い目となるのは特に準決勝で、実際の 思惑は4,5着狙い(翌日の順位決定か特選狙い)だったが、うっかり3着に届いてしまう。この際に それをマークする選手はまずそれを差せないのだから、点数も大幅に絞れてくるわけです
可能性を高める何かとは−3 ある1つのラインを切る。たとえば3分戦で3つのラインから 一人ずつ送り込んでの三連単決着というのは少ない。だから一番手っ取り早いのは任意の1ラインを 構成する全ての選手を切ってしまう。夢車券を狙うなら当然本命ラインを全部切り捨てて、残った6 人のうち5車のボックスを買う。
以上の1〜3を徹底していく事が夢車券を狙う上で最も効率的だと考えます。まとめておくと 勝ち上がりのシステムをよく知り、選手の思惑や戦法を探り、些細な事にも気を使い、時には大胆になる。 こうやって口で言うのは簡単だ。まだ「競輪だから何があるか分からない」とか言われた方がよっぽど 説得力ありますね



燃えつきた客
沿線に競輪とボートがある場合。薄汚い格好をしているオッサンが混同して電車に乗ってくるが、 このとき顔を見ると、どっちへ行く客なのかよく分かる。典型的なのがボート客で、これって何でなんだろ う?本当に間の抜けた顔してるんですよね。それに比べて競輪客はこう、何ていうのかな。一癖 も二癖もありそうなこすっからい感じの顔をしている。他でいうと競馬客はスケベ、パチンコはバカ。 オートは行った事がないので分からない。もっとも間抜けとバカの違いを説明しろと言われたら言葉 に詰まってしまうのだが。。とりあえずボート場で降りる客ってのは一発で分かる。
競輪場の客はガラが悪いというのが定説だ。さしずめ東京近辺では毎日ボートも競馬もどこかで やっているのにわざわざ競輪場に来てる客だから実にコアなファンが多い。立川と川崎は今でもヤジ の激しい競輪場で、選手にしても賞金が安ければ絶対に来たくない場所だろう
西日本は競輪 の人気が低く、ボートも競馬もない日に仕方なく競輪行くか、という客がバラバラといるだけ。 その多くが高齢者で、金網の前には誰もいない。活気がなく売上げも低い。古い施設が残り大きな レースなど誘致できない。実に難しい局面を迎えているのだが、そもそもファンが少ないのであれば 無理に競輪をやる必要もないと思う。
面白いのが前橋といわき平で、供になかなかの業績を残してい るのだ。 前橋はそもそもが高級住宅地が多く都内に工場を持ってる様な小金持ちが多い。いわき平は 漁師の町でやはり金持ちが多い。入場人員に比べ売上げが安定しているのだから、やはり公営競技は 客あっての商売という事になる。
では競輪場に金を貢ぎ続けるファンとは一体どんな人間たちなのか。確かに見た目は美しくはない。 デートスポットとしての競馬場の様にカップルがいるわけでもない。ピクニック気分で訪れる子連れの家族など もちろんいない。いるのはガラガラ声で同じ事を何度も連呼する予想屋と金網の前で選手を苛めるのだけが生き甲斐 のチンピラ、なぜそこにいるのかさえ分からないオカマ、まだ若いのに完全に頭が逝ってしまい自分の世界に入ってらっしゃる兄ちゃん。 窓口でおばちゃんに噛み付いている中年。差せるか差せないかの論争が喧嘩にまで発展する仲間達・・ 彼らの多くは優しいのだ。甘いのです。その優しさが致命傷になって今ここにいる人たちではないかと思う
その証拠に私は優しいではないか。殴り合いの喧嘩などしたこともないし、口喧嘩でも「これは言ったら可哀相だな」 などと思って出がらしになってしまう。どうだ、私は優しい
競馬をやる人間の方がむしろ信用できないし、そういった産業に関わっている全ての人間を軽蔑する。 勝手にこの世に生みだされ、むりやり鞍と人を乗せられ走らなかったら処分される。そんなか細い命が大群で 4コーナーを回ってくる姿など想像すると吐き気がする。「馬が好きだから」なんて人間が本当に競馬を やるはずもないし、そこにあるのは間違っても「夢」などではない。人間の愚かさが何者にも具現化されずに 転がっているだけなのだ。
ギャンブルとは自己責任でやるものだし、競輪は選手だって自転車一台。体ひとつ。他の誰かを傷つけないものだ。 人間が人間と向き合って生きると、どうしても避けて通れないものがある。でも、それを避けずに 当たるには相当な勇気が必要だ。時にはそれから逃げ出してもいいと思うのだ。全てを大きな優しさで 包んでくれるようなものが競輪場にはあると思うのだが。。いかがなものか


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