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競走の難しさ
競輪の競走は常に少差で決まるらしい。つまり競馬や競艇の様に後続をぶっちぎって勝つレースというの
は展開がよほどはまったか、あるいは全く脚の違う新人がベテラン選手と混じって走った
時ぐらいと考えていい。多くのレースはゴール前、5〜6人の選手がひと塊になって
流れ込んでくるのだが、同タイムで入線した数人が全く同じ力なのではなく、例えばタイヤの皮一枚
の差にも明確な力差が存在したりする。だからこそ勝負はいつも非情で残酷であり、ほんの数センチの
差で優勝を逃し悔しがる選手もいれば、その数センチの差で万車券を取り逃してしまうファン
がいるのではないか
極限の中で勝負の裁決が下される競輪。一見してたった9人のギャンブルですから簡単
に当たりそうな気がしてしまう。例えば競馬の9頭立てはいかにも
簡単そうだし、波乱は殆ど望めないのではないでしょうか。なぜかと言うと紛れが生じにくく、各馬が
力を出し切れる条件だと考えられるからです。では競輪は堅いのか? 答えは明らかです。競輪は
堅くないのです。むしろこの世で最も荒れるギャンブルではないかと思います。なぜ競馬の9頭
立ては荒れないのに競輪の9車立ては荒れるのか。それは先ほども言いました様に、少差の中で
裁決が下されるからなのです。そこでは紛れが生じ、力のある者が力を出せないで終わるからな
のです。そしてレースの仕組み(仕組みっていうか・・)として構成されるライン戦とは相手に力を出させないで
自分達が力を出し切るというプラス−マイナスの相反性が作用されるものなのです。この「極限の
少差」と「相反性」2つが同時に働けば、むしろレースが荒れないわけがない。よく窓口で180円
とかそういう車券に大枚をはたいている方がいますが、非常にナンセンスなことです。競輪という
ものは荒れる事を前提に行われる競技であり、小銭を数十万にするためのギャンブルなのです。
もう何年も競輪に手を染めている方には蛇足の前置きではありましたが、時にこういった事を思い
出していただきたいと思います。紛れが生じやすいギャンブルに「絶対ある」も「絶対ない」も
無いという事を。同時に、そこに競輪の難しさが凝縮されているという事を
オッズとの対話
私個人としては前述したように競輪とは小銭を万札にするものだと
考えていますので、オッズは大変重要なものです。ある設定した目標金額があればオッズを
見ながら厚薄をつけるのが本来ですが、当然誰しも予算が限られていますので
予想外に低いオッズに直面した時、そこに比重をかけた際に全体を通しての歪みが生じてく
る事があります。
ポイントはその車券で決まる可能性なのです。オッズは必ずしも可能性
をはじき出したものではなく。例えば6番車の頭で決まる可能性は極めて低いです。ところ
が6番車が一着になったと仮定した際に2着は「可能性」の問題が実に深刻になってくるの
です。これが競馬であれば2着には一番人気の馬を厚めに抑えておけば済む話でしょうが、
競輪は並びで走ります。2着にはその6の後位を走る選手が流れ込むケースの方が「可能性」
としてはより現実味を帯びてきてしまうのです。ですから競輪の車券を買う人はどうしても
「並び」を可能性の最重要なファクターとして考えてしまいがちです。当然それこそが正しい
姿だと思います。競輪のオッズは「選手の強さ」と「展開」の2つを示します。スジ違いで売れて
いる「力=力」の車券はどれも配当がつきますし、スジで売れてる車券は配当が期待できませ
ん。どう転んだってその可能性に見合うだけの概算率を示していないのです。
さて競輪は勝ち上がりの競技ですので、GP以外はレースの前売りがありません。
あるていど大きなレースであれば当日の昼頃には正確なオッズを把握することができますが、
現実には前売りを買って帰る人は少ないです。競輪はあんましテレビでやってないですからね。
現場へ足を運ぶ人はわざわざ前売りのオッズが設置されている場所で信憑性のないオッズを
見比べてあーでもないこーでもないと模索しなくてはなりません。フタを開けてみて締め切り
20分前のオッズを知る事ができます。まず誰もが「何が売れているのか」を気にすると思います。
そして、なぜ、それが売れているのか。あるいはなぜ、ここまで売れているのか(売れていないのか)を考えます。
穴党の方はそこから2通りの考えに達すると思います。一つは配当がつかないからという理由で
別のラインを狙います。もう一つは2車単だと配当がつかないから3連単を狙おう、となるでしょ
う。これはどちらも正しいです。競輪は荒れるギャンブルなのですから律儀にオッズに従って
マークカードを塗る必要などないです。欲が左右すべきものだと思うんですよね。ただ、この際に
ヤケクソに高い配当のみをピックアップして100円ずつマークするなどというのは情けない事です。
与えられたオッズという材料から、もっともおいしく期待値の高い選手を選んだら、そこから可能性
を考えて配分に厚みをつけていくのが正しいやり方です。697−132という並びで9−1と9−7
が同じ配当だった場合、これは迷わずに9−7を厚めに買うべきです。それが競輪のオッズと対話する
という作業だと思うのです。
ラインが示すもの
地乗り通りに走らなかった。コメントと並びがちがった。一番後ろを走ってた奴が
突然機関車をやり始めた・・・毎年この手の騒ぎが起こるのですが、なぜでしょうか。
競輪におけるラインとはタクティクスに他なりませんが車券におけ
るラインとは一体何者なのでしょう。ファンが大騒ぎするほど大事
なものなのでしょうか。競輪場にいるお年寄りの殆どがこのスジと言われる並び
に執拗にこだわっている気がします。AとBはどっちが強いのか。Aなら1=9で
Bなら5=2か、と騒ぎ立てている人の多いこと。当然そんな単純ではないのです。
逃げで決まる決着であるならば、別線の捲りか、その捲りに乗る
選手が短距離だけ自力を使って差し込んでくる競走は考えにくいと思います。しかし
捲ってくる選手を買う場合は、それを構成するライン二人ないし三人全員が通り過ぎ
るのを待ってくれるかどうか?そんな風に考えてみると、捲りラインのスジを買うの
は実は非常にムシがいい事だと分かります。現在全国で行われているレースの50パーセント
はもう筋違いで決まっているのです。
なぜでしょう。競輪の並びはそれが選手が勝手にそう名乗ってラインを構成して
いるからであって、最終周回の並びとは限らないからです。
しごく当然のことですよね。一番重要視すべき事は、そこに数名の連携が存在すると
いう事だと思うのです。例えば村上が逃げたとして、その3番手をラインの先頭選手
がキープすればこれを捲って勝つ可能性は一気に高くなります。なぜかと言うと番手
の選手も直後からの捲りをブロックするのは困難だからです。列車の短いラインを
捲るのは困難ではないが、列車の長いラインを捲るのは困難なのです。だから捲りの
ラインの後位に取り付く選手はラインによって恵まれる可能性は低いのです。ですが
そこは発想の転換にもなり、逃げるラインが長くなるのでなく、長くなったライン
にこそ逃げる利点が生まれてくるわけで、だからラインなのです。捲りが主体の選手でも後ろがラインを固めて
くれる様であれば思い切って仕掛けてみようという気にもなります。仮にそれが3着権利
のレースや特選であったとしたら、後手を踏んでお客さんの罵声を浴びるよりは十分
やり甲斐があるでしょう。ですから、並びとは、どう並ぶかという問題以前に、そこに
ラインが存在するか否かという点に注目すべきだと考えます。後ろが縁もゆかりもない地区
の選手がマークしている場合、それはラインでないのです。選手が勝手にラインと名乗って
いるだけで、何の意味もなさないものなのです
そしてこれを余計に複雑にさせているのが、自力選手のいないラインなのです。追込み
選手同士が隊列を組んで好位を狙ってくるという事がしばしあります。これに関しては
「捌き」とは何か。というコラムで詳しく説明しますが、ただこういうライン
が出来る時は大方2分戦なので、番手で競ったら片方の捲りをアシストしてしまうために
中団確保から直線勝負という作戦を狙ってくるのです=番手勝負なら一人でやります。ライ
ンを組んで来る時は中団確保の可能性が高くなります。それでも彼らは両方に構えられる様
に周回中は誘導員の直後を走ってくるでしょう。自力含みのないラインを抑えてもしょうがない
ので後続の仕掛けが遅れ、最終的に過度の牽制状態に入ってしまう事があります。これも
そのラインが存在するという理由だけで起きるハプニングだと言う事です。ですから我々はそ
のラインが競走に支障を来たすだけのレゾンデートル<存在意義>があるかどうかを見極め
て車券対策を立てるべきです。選手が勝手にラインと名乗ってるラインのスジ車券は買うに値
せず、仮に自力選手がなくてもそこに存在意義が認められれば、そのラインのスジ車券を買う
だけの価値があるのです
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