喧騒に消ゆ

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野次馬の馬鹿に載せたいヤジ投稿お待ちしております
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PAST,NOW,FUTURE
函館ふるダビ最終日の負け戦のメンバーと並びを見ていておやと思った人は多いのでないか。幾ら地元 と同期 とは言え88期のぱっと出の山田敦也が73期青森の佐藤康を後に回して武田の番手である。88期と言えば むしろ佐藤を引っ張って武田を捲らせない様に走る立場であってもおかしくない。また佐藤康も近年 不調ではあったが前回の函館ふるダビでは決勝に乗った選手。しかも武田の番手を回るなんてチャンスは まず滅多にない。ここは実績と格でどう考えても前を主張しないとならない立場。競輪ってこういう ものだったっけ?それほど番手に固執していないのであれば、今まで彼が番手回りの時に車券を買って いた我々は一体何だったのだろう。いつも書いてる事だが誰よりも積極的に逃げた選手にこそ、ここぞ という場面ではその選手は自分の競走をする事が許される。そして誰よりも積極的に駆けた選手にこそ 後になって彼には大きなチャンスを周囲が与えなければならない。これが競輪における貸し借りの清算 だからだ。弥彦記念で強引に藤原を引っ張りきった矢口だが、かといって矢口が地元の時に今度は藤原が 機関車やってくれるわけでもないし、これからは逃げ屋とマーク屋の公平感が一方に偏り、ある選手の 貸しを別の選手が返さなければならない、というおかしな風習が生まれそうだ。

SUMMER DAZE
最近PCにインストールされていたSISという基本プログラムを削除してしまった為に やたらとアイコンや字がデカイ・・このHPも見るに耐えない状態だったのでなかなか予想も できずに居ました。もっとも現在もその状況は変わらない上に何度再インストールしても関係 ないドライバをセットで抽出してしまい???PCをリストアする予定です。バックアップ作業は 辛い。失敗するとCD−Rもその都度飛びますからね。
西東京市在住の恋愛小説家K氏の子供がバスケットボールの試合をやるので観に来いと言うので 仕方なく途中から見にいったら、もう交代させられてました(笑)俺が「点なんか入らないじゃない ですか」と言うとK氏は笑って「子供だからな」と言った。しかし隣のコートでやってる小学生のチ ームはやたらと背が高く、バンバンシュートを決めていく。俺はそれを指さして無言のアピールをしよ うとしたが、K氏は子息の出てない試合に目を細めていたので何も言うのはやめた
帰りに田無のサンマルクカフェで、K氏は熱っぽく競輪について語った
K「あの永井(サマーナイト)のスピードを見たかい?あれは永井がそうと決めて走ったら後ろは 一巻の終わりだ。サドルに尻を乗っけたままあの周回をされたら、例えば手島も伏見も荒井もそうなんだけど 無傷では回ってこれないんだ。本当にスピードというものは武器になる。あれだけは真似できないし ああいう選手がいよいよレースを支配するようになっては、競輪はもはやただの徒競走になる」
私もそれを聞いて、あの夜同じ事を考えていた。誘導員のピッチが著しく遅くなった為に スピードのある選手はどこからでも駆けれる様になった。昔の競輪は周回中にイン切りなど出来なかった。 逃げるために動いて出た選手をイン切る事はできても最初にイン切りを行う事など有り得なかった。 さらに言えばSを取った選手が中団を取る事もできた。今は前々に踏んでいける機動型が中団を取れる システムになっている。だからSを取る事の意味が今と昔では180度違う。安易にスピードを求めていくと 結果その競技はギャンブルとしては成熟期に入ってしまう。いや、今ある競輪は正に成熟期であって これ以上先には何も進まないのではないか。


One more song もう一度歌って
One more time もう一度輝いたあの時代を蘇らせて
でも、この道はもう行き止まり

何かオールド・アメリカンが考え出した賛美歌が頭の中を駆け巡る様に不吉な予感を覚え何とも 嫌な汗をかいた。帰ろうと思って腰をあげたとき、K氏は自分の車券哲学の話をしていたらしい。 俺は何も聞いていなかったのだ。


K「だからよ、俺にとっての予想は、まず展開。展開が全てなんだよ競輪。自分で展開を推理 するんじゃない、その選手を買いたいと思ったとき、その選手が勝てる展開を考えるんだ。そして その展開から結果として出るだろう車券を導き出すんだ」
俺「バッカヤロー、そんなもんどうやって・・」
K「決まってんじゃねーか。金網んとこでその作戦をそいつに教えてやるんだよ」
俺「・・・・・」
K「この最後の作業が大事なんだ。ここまでやって初めて予想って言うんだぞ?」
俺「あのな・・」
K「ただ、この作戦にも一つだけ欠点があってな・・
つまり、その作戦、他の8人にもバレちゃうんだ」


選手は誰のために走るのか
日記も実に久々になってしまいました。この間吉岡が引退したり、有坂がGPを勝ったり、山崎が競輪祭を逃げ切ったり 佐藤が8番手から捲って奈良記念を獲ったり、と実に色々ありました。S級の強いところだけに注目してみると、手島は 相変わらず元気でレースに行ってもタフな所を、小野も徐々に調子をあげて気合の入ったレースを見せている。 岡部は相変わらずだし、神山はマーク屋として日に日にその存在感をアピールしつつある。有坂がついにダービーのタイト ルを獲った事によって、ついに有坂の時代が来たのかと思うと少し疑問に感じる。あのダービーは最終バック手前4番手で 通過した稲村は勿体なかった。稲村は残った5名の中で唯一自力を使える選手だった。あれを後ろから有坂に先に追い抜かれる というのは判断を誤ったし、明らかにレースを見すぎた。誰しも直後からの捲りに切り替えるというのは無理な話だからだ。 有坂はその直前で玉野記念Vと勢いがあった。勢いをモノにできるのはマーク屋であり、逃げ屋は勢いでは逃げ切れない様に できている。逃げ屋は逃げ屋を選んでいる時点で運とは無縁なものと思う。浦山が逃げる。あるいは増成が逃げる。 金山が逃げ、松尾が逃げ、未だ倉岡が逃げる。その一方でもっと強かった逃げ屋は気づかない内にマーク屋になっている。 有坂だって名うての短距離走者だった。でも、それがどの時点で追い込み屋に変わったのか、今となっては記憶にない。 ただ、彼らより格は劣っても未だ逃げ続けている選手は、それは間違いなく逃げ屋としての天分があったからで、有坂が、小野 が、加藤が幾ら稼ごうが、彼らが自分のつける逃げ屋にケチをつける事などできないと思うのだ
平塚の最終日、ちぎれた廣川が峠に先着し、ちぎれた加倉が北津留に先着する。どうしてこの様な理不尽な事が起こるのか。 こういった事が頻繁に起こるのでは逃げ屋は一体誰のために走ればいいのだろうか。以前乾準一選手のインタビューにこんな 事が書いてあったのを思い出した
逃げて一番嬉しいのは逃げ切った時よりも、いの一番に風を切って一本棒にして最終角まで誰にも捲らせなかった時です。 そのレースに参加した逃げ屋の中で自分が一番強かった事の証ですからね
私の場合、ふだんの生活で何かを熱っぽく語ったり、誰かが何かに固執して語ってるのを見るのが凄く苦手なのだ。どこか 不安な気持ちにさせられてしまう。ただ、乾選手のコメントを読んで感じるのは逃げ屋が逃げにこだわっているのでなく マーク屋がいかに金にこだわっているかという事だ。こだわりがあったら逃げられない。実は逃げ屋の潔さっていうのは まるで無垢の赤子のような稚拙さ、頭脳の凡庸さに等しいのではないか。
準決勝、力を振り絞ってインコースを突いて伸びてきた木村貴と村上がハンドルを畳み込んでゴール。これを見ていた平原 はどういう気持ちだったのか。3着が木村なら決勝では自分が逃げイチになりしかも木村は援軍である。村上になれば 大変な難敵になり、この差は正に歴然だ。そして、決勝戦最終バックを通過した集団に・・逃げ屋は一人もいなかった。
いま、逃げ屋が競輪の華として扱われている要因とは実はほど遠いところに逃げ屋の生き様はあり、本来は華だから、と 言う色気など介在しないからひたむきになれるのではないだろうか。村上はともかくとして平原はその認識が非常に薄い気が する。一番前を走ってる人間が一番ゴールに近い。そう信じて疑わない人間でないと より多くを望むこともファンに多くを望ませる事もできないのではないだろうか

人生とは、大いなる川のせせらぎの様に...
思えば初日いの一番に登場し落車し左肘を痛め帰還した飯嶋は何を思ったか。神山にすれば自分がGPに出場する事 は同時に自分がGPで使えるウマがいない事を暗示している。とは言え先の松山記念でマーク屋としての変身に手ごたえを 感じていたのは事実だろう。一方伏見は結局4戦すべて番手回りとなり、その間2度藤原にマークを外された。選手が自力 選手の番手を回るというのは後ろの選手に対しても前の選手に対しても神経を膨らませなければならない。2日目に強烈な カマシを決めた後位から村上博は車を開けてしまう。本来叩かれた荒井が真後ろなのだから自分一人が勝ちあがる為には車 をあける必要は無かった。追いついた勢いを結局荒井にも与えてしまう。しかも内を一度締めにいく時に先に踏まれるので あれば、これはマーク屋としては完全に失格と言われてもしょうがない。若い選手ですら逃げ屋がマーク屋に変身するのは これほど大変なのに38歳を迎える神山に何ができるのだろうか。その決勝戦で見せた神山のパフォーマンスは確かに多くの ファンを唸らせるものだった。まず鐘で粘ってきた荒井は横にも強い選手だが、神山の威圧感にまけて何もせずに下がって いった。ここがホーム線上だ。外追い上げていた手島だがもたれかかったのはコーナーの入り口でいかにもタイミングが悪かった。 数えると1発、2発。平原はここでペースを一気にあげた。神山はそこで一度真後ろに入ってきそうな兵藤を牽制するために戻り アウト粘る手島に3発、いや4発を食らわした。これが2コーナー手前である。兵藤は神山の後にも内にも入れず、あげくに お尻を被せてきた手島を入れてしまう。これで群馬作戦は完全に崩壊した。そして急追する荒井に脚がなかった事を神山は よく分かっていた。これにトドメを刺しにいかなかった事は神山の学習能力の高さだと思われる。結果最後合志にダシ抜かれた 敗因は分かっている。それは手島を張りに行った帰りに一度内を締めに行き、そこでもう一度手島を飛ばしたからだ。今回舞台 となった平バンクは内を締めにいく際に急激に重くなり直線の伸びに影響してしまう事が分かった。もっとも分かったのは開催 も終盤に差し掛かった頃だったが。あの腕白小僧の手島に追随も許さず襲い掛かり着外に沈めたのは見事だったが、やはり関東 ラインが結束できていれば3発目以降は3番手の選手がやってくれた。合志もそこで絡んでいたかもしれない。この一件を持って 考えさせられるのは、いかに競輪というものにおいて横に動くという事が大変なマイナス材料である事が分かる。ちょうど全日本 の翌日から大宮でカスメンバーのF1戦があるので私もこの経験を糧にしてタテ脚で直線勝負してくる機動型を買い続けようか なーと思っている。ただ財布には4000円しかないので、誰かにもたれかかるかもしれないのであります。

他人は弱くない
本日は恋愛小説家K氏と大宮競輪に行き、その帰りの電車での話。武蔵浦和で乗ってきた二人組の サラリーマンの会話です。ちなみにこの二人が現れるまでは私どもは「カマシ」は逃げなのか捲りなのか で言い争っていた最中だったのですが
「おい、あのさ、お前タバコを鼻から吸った事あるか?」
「え、鼻?」
「マジマジ、うめーんだよ。鼻タバコ。本当だって!」
「いやー、俺はさ、なんつーかダンディズムで煙草吸うからさ・・それはちょっと」
(この間10秒の沈黙)
「そのさ、何?片方の手はズボンのポケットに突っ込んでもう片方の手は上着のポケットに突っ込むのも ダンディズムなのか?」
「え・・いや・・」

お前ら本当にバカだろ!!!!!


いわき平のG1レースの資金稼ぎにと11月最後に大勝負をかけたのが岐阜のFT戦、とくにA級は肥後公の 動きを3日間見ていたのですが、初日は鐘からスパートそて植松を引き出し、初日も鐘から引いて藪ー山下に差され ました。逃げてしまえば、という理屈でレースを組み立てる新人はいいですよね。結果最終日の決勝は肥後を逃がさない 様に早めにペースを上げざるをえなかった坂元。おまけにこのケツを宝満と古川が取り合うという始末。捲った肥後 の上がりラップは12秒0、驚く様な数字ではありませんがこれがレースの中身の濃さを教えてくれます


井上は素敵だった
井上は嵌(はま)り込み狙いだ!
これはオールスター競輪最後の夜に残したあくせるの言葉です。そもそも褒めてるのかけなしてるのか分からない 発言ではありますが、ただ一つ言える事は井上の自力完全否定。捲りさえしないだろう。と知人にも豪語した結果 ですね。えーと彼の奥底に秘めた未知の実力の前にねじ伏せられた格好になりました。ではあくせるはどんな車券を 買ったのかと言うと実は井上の頭を買っていたのです。応援車券の佐々木の頭の他に4の頭の車券を数10枚持っていました。 ところが2着の所に高木の数字がありませんでした。では、なぜ4−2の2が無かったのでしょうか。それは武田が ペース駆けすると思ったからです。市田Sの読みですから後方動く武田後位を佐藤、手島が奪い合う展開。これを前で イン切って待つ井上であれば二虎競食というわけでタテ脚でどう考えたって踏み切るでしょうに。そんなゴチャゴチャ っとした展開で高木君がついていけますか。幾らなんでもその後ろは手島か佐藤、諸橋らが凌ぐと思いますよ。 だったら別線の仕掛けはなく遅めにスパートした武田を井上がゴール前差しきるか。早めに追い込む佐藤あたりかと。 逆に!逆にですよ!?井上が泡くって捲っていくようであれば高木に食われて当然。だから2−4なら買って買えない 事もなかったのですが、大嫌いな高木の頭(つまりハゲということか・・)なんか買いたくなかったからなんです。 ありもしない展開のありもしない車券の話。それはそれでいいのですが、阪神が横浜に対し 18勝4敗。なんか気持ち悪いです。何年か前のビルに飛行機が突っ込んでいく映像を見て胃がムカついてしまいふと 感じた事がありました。人間はその目に見た映像の気持ち悪さではなく、あまりの非日常なものに対し不快感を覚える のではないだろうか・・?ここ数週間で私の買ったハズレ車券を見ていると本当に気分が悪くなってくるんです

煌きの夏
この夏は岐阜、小田原、そっから戻って静岡静岡という旅に出ていました。カン照りとスコールに交互見舞われ 最後の方なんか着てるものもヨレヨレ髪もボサボサ、ホームレス状態でなんとか帰還しました。途中新幹線の時間まで ヒマ潰しに寄ったパチンコ(海)で6万勝った以外は小田原の2日目渡部ー西浦の車券を当てただけで散々の内容でした。 印象的だったのは焼津という辛気臭い駅で降りてバスに乗り意味もなく南の森の奥に入って行き発見した石津浜という 美しい海岸線でした。漁港が点在する駿河湾でもこんな素敵な海があるんですね。
さて本日の立川では笠松(愛知)の逃げイチという爆笑ものの番組がありました。オースルター前で前田拓も前日 狭いところをこじ開けようともしませんでした。それでも帰らずここで競る(大渋滞)のですから選手の格とかプライド とかはどこへ行ったのでしょうか。皆様もただ乞食のように車券を買い漁るのではなく人間として車券打ちのプライド を持ち、自然を愛し動物を愛し、そして選手を憎み。愛を、情熱に走りすぎない愛を大事に大事に温めて、日々世界 平和を望みですね、函館競輪の6番車の事でも考えてれば暑さは忘れると思います

立川は前にテレビがあるだろう
皆さん、生きてますか。暑いです。今日は7月29日土曜日。まだ梅雨はあけてません。私はというと 毎晩帰宅後にナイターのネット投票で済ませています。いくつも残ってないので金がさほど減らないで済みます。 このまま一銭も使わずに競輪辞めたろか!とよく思いますけどね。あとそう言いながらも取手と立川には2度ずつ 行きました。ここ数日東京は風がほとんど無く、まるで自分が蒸された肉まんかふかしイモにされた様な気分にも なってしまいますがそれでも金網では選手を凝視しております。なぜかと言うと暑いのは選手も一緒でありだから こそ真面目に練習してる奴とサボった奴はすぐ分かるからです。個人名を羅列させてもらうと栃木の鶴蒔将隆君、 静岡の中川司君、同じく静岡の川口大志君、神奈川の野村純宏君、埼玉の安藤孝正君、平野秀行君。あと福島の 中野良君、山梨の小林一也君、ついでに東京の山口健治君と徳島の高原仁志君。君らは練習をサボりました。 言い訳なんか聞きたくもありません。練習してないのに試合に出ないでください。いい 位置で回ってきながらも全く車が出ない。これはお客さんに対する大変な背信行為です。反省してください。 反省すると同時に突然思い出した様に穴をあけないでください。
もう数ヶ月前から「残り一周のホーム線の25m手前(発走地点)以降での先頭選手の後方確認を重大走行 注意適用及び、残り一周半のバック線通過における誘導員後位選手の後方確認を走行注意として違反点に加算して 欲しい」というメールを日自振充てに送っているのですが、なぜか2通とも返事は選手会からのものでした。
「意味がわかりかねます」とのこと

恋愛小説家K谷氏の苦悩
先日13歳になるメスの飼い猫が死にました。苦しそうにして暴れて逝きました。生まれつき病弱な猫で ある日を境に全く外には出ない様になりました。きっと自分は長生きは出来ないだろうと本能的に悟り、常に体力を 温存してじっと寝ていた猫でした。それでも彼女は最期まで「生きたい」という執念を見せて息を引き取ったので、 飼ってる私としてはうっすらと感動を覚えました。
翌日田無のサンマルクカフェでその話をするとK谷氏は
「猫は死ぬ時は一人になりたがるっていうからな。暴れたというか、どっか行きたかったんだろう」とつまらない事を 言うので「毎日競輪なんかやってたらロクな死に方はしないし最期は無縁仏だよ!」と辛らつに言ってやると、それに 対しK谷氏は別段何も答えなかったが、かわりに隣のテーブルに居た見知らぬ親父が「賛成!」と一言残して去って いきました。
とにかくまとわりつく様な湿気で東京は曇り空から時折小雨がパラつく毎日で、家に居るのも鬱陶しく、外に出るのも 煩わしい。これがむさ苦しいラーメン屋かなんかに入るとテーブルクロスとコップの間にじわりと水がたまって、コップを持ち上げ ようとすると一緒にめくれてくる。こんな時はテーブルごとひっくり返したい衝動に駆られる
「今よう、ネット投票でさ毎日どっかのレースの1000倍くらいのを必ず1000円買ってるんだ。一点で。でも、いつ か当たるぜ?」とK谷氏が長い沈黙を破り切り出した。6月14日から競輪データプラザは廃止になり、代わりにインターネット 投票のアドバンス投票画面にデータプラザの成績欄がそのまま使われる様になった。今まではブラウザが最低でも3窓必要だった。 まず投票画面、それからデータプラザ、そして競輪中継(ネットライブ)画面である。しかし実際は投票照会がかったるいので 投票内容の確認画面はそのまま固定していたし、購入する競輪場選択の画面も別に用意していた。この状態でメールやメッセン ジャーで話しかけられるとXPはあっという間にブラウザがバタバタと畳まれてしまい、もう何が何だか分からなくなってしまった。 だからデータプラザを見る必要が無くなるのは嬉しいが、新投票システムは初日からスクリプトの脆さを露呈し、回線障害を引き起こし 今なお使い勝手は最悪の状態にあると言っていい。それでもレース毎にログインしなければならなかった5月までと比べれば 大変な進歩だろうか

内林久徳選手の引退について
今回のびわこ競輪をもって引退した内林久徳選手について少し。これだけの名選手はなかなかいないと思うのだが、 本人が言う通り脚力の絶対的な衰えが明らかでやめていくのだから仕方ないというか、ボロボロになるまでやらない で良かったのかな、と。ポイントレースで国体を総ナメにし、社会人も経験してからプロ転向。シビアな位置取りと 豪快な横の捌き。そして息の長い末脚を武器に活躍した彼だが、とにかくその横の動きの大きさゆえに大魚を幾つも 逃してきた。やはり競輪というものは前に踏まないと頭は取れない仕組みになっているし、そして彼の場合失格・失格 ・失格に悩まされ縛り付けられ万全な状態で特別の決勝を迎えられた事など殆ど無かったのではないか。実力的には 互角でも児玉広志が特別を勝ち捲った事にも言える様に、ここぞと言う時に前に踏み込む勇気がもう少し内林にあれば 時代は大きく変わっていたかもしれない。その内林の力が衰え特別を諦めた頃に大垣の全日本を勝ってしまうのだから 皮肉な話だったとも言える。「岡部が外に来ていた」「村本に一発もらったのがきいた」等、先輩以外の選手は全て 呼び捨てで言うところが好きだった。内林選手の今後を応援しましょう

佐藤普也に殺される!!!!
先日立川競輪場で選手と金網ごしにちょっとした事件を起こしてしまったことを報告します。
まず初めに申し置きしておきますと選手とケンカしました(笑)
あれは4月18日前検の立川S級シリーズだったでしょうか。金網で相も変わらずバカ話に 花を咲かせていたとき知人の誰かが「この本命の佐藤って選手さ、前に京王閣で客と喧嘩したんだよ。 斡旋とまったらしいからな」という話をして、いっちょ金網でからかってやろうと思ったわけです。 この北海道の69期佐藤普也選手はS級の常連選手ではありましたがA級に落ちていまして、ちょう ど先の西武園ではブッ壊れていたんですよね。だからおちょくり甲斐があったわけです。また運が悪い 事にその日は9番車でした。中央通路を横切ってさぁ発走台に進路を変えようとクルっと向き直った 佐藤選手に私が発した言葉は「佐藤、バーカ」でした。どうも競輪選手という商売は大声で罵倒される のには慣れてる様なのですが、当日風邪気味で低く、く曇った私のこの声が佐藤選手の脳中枢をスパーク させた模様。その場で立ち止まって私をギロリと睨み付け3秒ほどそうしていたでしょうか。再び自転車 をこいで発走機につきました。それを見ていた数人が大騒ぎして、誰からという事もなく佐藤選手に汚い ヤジを飛ばしました。
極めつけは先程私に「佐藤が京王閣で喧嘩」というネタを教えてくれた張本人が「オイ、佐藤!お前 京王閣で客とケンカしたな!またやってくれよ!」と叫んだら直後佐藤選手は「うるせ!」と誰の耳にも 聞こえる様に叫びました。さすがに皆これにはビックリしてシーンと静まり返りレースは始まりました。 佐藤選手は本命人気に応えここは勝ち上がり(選抜落ちしてたのだから勝って当然なんですが) この日はそれ以上事は発展しませんでした。しかしその日の噂はあっという間に広がり、2日目は佐藤選手へ のヤジを飛ばすために大勢の客が金網の前に集まり大騒ぎしました。何せ私がその日聞いたヤジの中で一番 上品だったのが「ロシア人!」という蔑称でした。このレース千葉選手の捲りにブッちぎれた佐藤選手は 6着でゴールしましたが、再び回ってきたところで自転車を放り投げて歩いて敢闘門まで引き返すという これまた信じられないハプニングがあったのです。そして去り際、この騒動の発端である私を血に植えた野獣 の様な目で睨み付けていったのが実に印象的でした。ご存知の通り北日本の選手は開催が少なく冬場は殆ど 関東近辺で走ります。本当に怖かったのでもう佐藤選手が走る時は後ろの方で見てようかと思います。 街中で会ったら本当に殺される様な気がします。。ところで以前こういう事件がありました。辛口のヤジで有名 なTという爺さんの所に警備員が来て「あんた、もう佐藤悦夫君を罵るのやめてくれ」と注意したのです。 こんなことってあるんですか?新人の頃ヤジで発走機の所で泣き出した悦夫君はTさんという名前を知らないはず なのに、姿格好を説明してそれが上から警備員に通達され、警備員は「ああ、あいつだな」と判断してTさんに 注意しにきたわけです。情けないというかバカというか、平和ボケした話じゃありませんか。 東北の選手をもうからかうのは止める事にします。泣き出したり激高したりあの人たちはどうにも肩透かしを 食らわされてやりにくい。デブ!バーカ!と叫んでもニコッと笑ってくれる廣川が正しいというわけでも ないんですが・・というか、その4月20日を最後に佐藤普也君どこも出走してないのだけど、まさか。。

高松町
ダービーは結局初日、二日、準決勝の3日間だけ本場に通いあとは電投(インターネット投票)で 楽しみました。6日間実によく荒れたと思うし、468が立て続けに飛び出しました。優勝した吉岡 に関しては、あそこまで誘導を使った逃げ切りというのは認める認めない以前に、あれを決勝の内容 として評価してしまうのは彼自身のキャリアに対し失礼だし、あくまで人気選手としてそれに応えた 事だけを称えたいと思います。それより何より一番痛切に感じたのは立川特有の午後の風の強さ。 3時を回ってバンクが日陰に入ってしまうと猛烈にバックが向かい風になってしまい。鐘から動いた 先行選手もバテるし捲りにいったラインも伸びないし・・で追い込み選手ばかりが突き抜けてしまう。 象徴的だったのが準決勝の手島で捲ったのちに3名に差された。これはもう立川をよく知ってる人間 しか取れない車券で、そういう意味で売れていたのかなと考える。ところで吉岡は京王閣記念で優勝し 立川ダービーを取った。神山も立川記念を勝ち西武園のオールスターで復活した。両横綱は東京の 競輪場で見事なまでに昔の名前を語ってくれる。これを思うにやはり神山はグランプリを勝てるのでは ないだろうか。今年の京王閣か、来年の立川か。思えば37歳にして選手としてまだ夢があるという のは羨ましい事だと思う。目標がある限り頑張れるのだから、そこは前向きに考えて頑張って貰いたい ところだ。彼らは漕ぐのをやめたら倒れちゃうんだからね

Born head
今日は野球を観ていて試合が長引いたので西武園は決勝しか間に合いませんでした。 日本のあんなお嬢様野球じゃキムチパワーにはとても敵わない様な気がします。その西武園 は何と昨年頭0本の小沼君が完全優勝。ダービー前のカスメンバーとは言えビックリです。 本人も相当嬉しかったのか金網で「おい、ハゲ!お前どうしちゃったんだよ!」 と声をかけたらニコッと笑ってユニフォームを脱いで投げてくれました。選手のユニフォームを 貰ったのは初めてなんですが、デオドラントの匂いが凄い強烈で・・ つーか地元の恵まれ番組で汗なんかまるでかいてないんだろう。
この開催に出場してた新井親子ですが未だにアライと呼ばれてます。まぁ、こんな奴 アライで十分なのですがそもそも新井と書いてシンイ。とか小嶋と書いてオジマとかふざ けすぎでしょう??わざと間違えさせてこっちを気まずくさせる気なのか。
帰りにバスの中で見た光景なのですが女子高生とかが数人で自転車のってるとき 必ず横に並んで走りませんか?それも3車ぐらい。狭い道や歩道とかで本当に迷惑なんですよ。 あれって仲間外れになりたくないというさもしい意識の表れなんでしょうね? 奇数だと必ず横に並ぶんですよ。4人とか偶数だと2×2で並ぶんだけど奇数だと 必ず余った一人が無理に追い上げマークかましていきますよね。あんなに隊列短くしたら 捲くられちゃうだろうが!ちゃんとライン組んで走れ!

ブラック・マンデー
「白夜行」をちゃんと観てます。ドラマの内容は話がとっちらかってひどいものなんですが 武田鉄矢センセの演技は相変わらず力強いですねぇ。何というか引き込まれるものがあるわ。
ところでそろそろ新しいコラムを書こうと思ったのですが、もう話の種が何もないんですよね。 それどころか以前書いたものもかなり古くなって最近の競輪に照らしてみると非常に違和感が あったりする。自分でこんなの書いたっけ?という様な屁理屈ばかりじゃないですか。
新提案としては、かねてから申し上げている通り、この2点
@差すか差さないかのすりかえの論理
A最終日の選手のパフォーマンス残量計算
とにかく真面目に地乗りも見て頭を悩ませている車券師と、その日の気分でやったりやらなかったり する選手の心理的な錯綜はどうなっているのか。ここはちゃんと解明していかないとダメだと思います。 そうでないと競輪というものは3日のうち2日目しか勝負できなくなってしまうからですよ。 @に関しては問題ないですよね。目標が捲り切った時に本命の格上選手の「わざと差さない」という行為 が「捲りだから差せない」という論理に擦り返られてお客さんが納得してしまう点。Aに関しては 明らかに何らかの数値を標本にして取り組んでいきたいと思うのですが
立川の日本選手権競輪が迫ってます。まず要らぬ金をどっぷりと注ぎ込んでしまうのは目に見えてます ので、何とかそれまでに当たり障りのないところで資金を少しでも増やしていかないと。先日田無のサン マルクカフェでK谷氏はかく語りました。
「競輪ははまりこみだけを買ってれば必ず儲かる」と。これに対し私はこう言いました
「そんな事言ったら得点の高い選手の3人だけ買ってれば絶対儲かりますよ」と
つまり二人は知らず知らずのうちにA級戦の話をしているわけです。だからS級戦の日は 場内で喧嘩が多いのではないでしょうか

竿の行方
最近ビリヤードをやり始めたんです。近所のゲーセンにビリヤード場があるので よく練習にいくのだが、テーブルの間隔も狭く、まだショットが安定しないので 竿の根元でしょっちゅう他人を小突いてしまう事が判明。年末にカップルの女の方の ケツを突いてしまいあわやトラブルに・・
灰皿を下げにきた店員の兄ちゃんもキューミスで跳ね上がった先端の被害にあい
「また、アナタですか! 気をつけてくださいよ」
とか言われた。また、でしたか。。スミマセン。さらに先の土曜日は後ろで遊んでた 3人の・・・高校生でしょうか。30分間でよりによって同じ奴を3度もキューの根元 で小突いてしまい。そいつは痛いのと悔しいのでパニック寸前になっていた。自分でやっといて さすがに同じ奴に3発というのは笑ってしまった。だって確率27分の1ですからね。
気の毒だったので1000円だけ渡して帰ってきた。

ところで7〜9日の西武園のFUなんですけど、これね。もうどうにかならないものかと 思った事があって書かせてもらうのですが、栗原勉選手いますよね。往年の実力者。初日4番手回って 追い上げマークにすら千切れて9着。準決勝も3番手で何もせずに7着。もうやる気ねえのかと思ったら 最終日本線の3番手から捲って1着でした。さすがにお客さん怒ってましたよ。 何のヒントも残さずに最終日捲って一発なんて、バカにしてるにも程がある。 他の8名は明らかに昨日まで頑張りすぎちゃった人たちですよ。 これだから競輪というのは発想が大事になる。選手が1つの開催に発揮できるパフォーマンスには必ず 限界があって、その在庫を使いきっちゃった人は買うべきではないんですよ。 脚を余して負けた奴を買わないと絶対儲からない。吉岡なんて、もうその配分を間違えて失敗する典型的 な選手でしょう?昔から捲り3連発は無い、という古人の教えがありますが正にその通りですよね。 競輪はやはり人間が走るのだから

PERFECT IS'NT EASY
美恵子婆さんが死んだという話を聞いたのがちょうど免許更新のために前の晩から東京郊外にある実家に戻って た一月の中旬である。近隣の豪族であり荘園主でもあるS宮という名前は市議会議員にも数名いる。その苗字だけ で大地主の農家である事がわかり、自分が通っていた小学校でもその苗字をした奴があちこちのクラスで威張り散らし ていた。しかし美恵子婆さんをS宮さんと呼んだ事はないし、彼女もまた農家の寄り合いや祭りに顔を見せることも 殆どなく分家の後妻であったように、死ぬときも恐らくごく数人の身内でのみ葬儀をあげたのではないだろうか。 今は集合住宅が立ち並んではいるが、我が家の周囲は空き地や草っぱらが多く毎日バッタや蝉を取り、夕方にはコオロギ やスズムシ、朝方にはカブト・クワガタを取って遊んだ。子供の頃の話だ。美恵子婆さんはとにかくおっかない人で 悪さをみつけると他人の子でも容赦なく引っ叩いて叱った。うちの祖母が美恵子婆さんとは仲が良かったのだが 「それがどうした」といって大根で頭を叩かれた記憶がある。何もしてなくてもうっかり畑仕事の最中にその家の孫息子 のところに遊びにいこうとすると目ざとく見つけられ農作業を手伝わされた事も何度もあった。隣町の子供にすらオ ニババァと畏怖されたあの美恵子婆さんを最後に見たのはいつの日だったのか。まさか死ぬとは思わなかった。 その晩線香をあげにS宮の家を訪れて私は今の言葉をもう一度呟いてしまった
「そうよねぇ、お母さんも子供が大好きでね。とにかく子供がうちの敷地を走り回ってるのを見て、いつも 嬉しそうにしてたのよね。でもアンタやうちの子が高校にあがる頃にはこの変もアパートやら大きなスーパーが 建ち始めてね。圏央道の話もあったし・・で、子供たちの遊び場なんて殆ど無くなっちゃったから。母さんもその あたりから急に元気なくしちゃってね。ここ数年はもう一日に一度しか食事摂らなかったぐらいだから。それでも 長生きしたと思うわ」とお嫁さんは言った。
しかし本当にそれだけであのクソババァが死ぬのだろうかとやはり疑念が残った。あんなタフな人が死ぬのでは どう考えても競輪でしか生きられない自分など後数年の命ではないのだろうかと思った。家に帰って布団を被りこん だが目が冴えて眠れず、勝手に親父のビールを持ち出して飲んだ。酒は飲めないのだがこの家には珈琲というものが ない。インスタント珈琲の一つも用意してない家など燃えてなくなればいいのだ。
スピードチャンネルが観られないので仕方なくお笑いを観ていたのだが何も頭に飛び 込んでくる様なことはなかった。たしかに美恵子婆さんは子供が大好きだった。彼女には自分自身の子供がいなかった という事実はその日初めて知ったのだが、やはり子供は好きだった様に思う。彼女は一人で遊んでる子供を見かけると
「坊や、お友達はどうしたんだい。お友達がいないのかい」
と詰問してきた、しまいには自分からお友達を探しに行ったり呼びに行ったりしたのを覚えてる。でも突然お友達 が出来るわけもない。その少年とは私であり当時私は一人ぼっちだったのだから。全く顔も知らない子供を数人連れて きた美恵子婆さんの得意顔と、その後どうすればいいのか全く分からずに立ち往生した気まずさと照れ臭さは今でも覚 えている。彼女は子供が一人で遊んでいるのをとてつもなく嫌った。
翌朝は府中の試験場に行く予定だったのだが起きれずに仕方なく昼から立川に行った。どういうわけかその日は 怖いくらいに良く当たり7千円台の3連単を2つ、一万八千円の3連単も仕留めて最終レース前に早々に大幅プラス を決定させた。こんな事がそうそうあるわけない。一体今までと何が違ったのだろうと思った。答えは歴然で、私は 前の晩美恵子婆さんの仏壇の前で手を合わせたのだ。仏様が私に当たり車券を与えてくださった。まさに信じる者は 救われるということなのだ。
かと言ってその事情を説明してもう一度仏前に上がらせてくれとは言い辛いのでお墓の場所を家族に聞いて 夕方に出向いてみた。仏壇であれだけ儲かるならお墓の前で祈れば効果は正に倍増ではないか!と 心を躍らせて墓地に駆け込んでみるとそこには無数の墓石があった。当たり前なのだが。そこにはまだ死んでない人 の墓まであったことに驚いた。地元農家の檀家で、家族に一つではない。一人に一つ大きな墓があり、その他の 市民はまるで小っぽけな墓で以て隅に追いやられているのを見て寂寥の思いがこみ上げた。 人間は死ぬとこんな小さい墓にまで収まってしまうのか。産まれてくる時より小さくなるのではないか・・・ 辺りはすっかり暗くなり美恵子婆さんの墓は結局見つからなかったのだが、白い百合の花が一本活けられていた様な 薄白い光沢のある墓石がそれではないかと今では思っている。

この冬いちばん騒がしい海
近所のガキんちょが群がってきたので、一人2000円ずつお年玉やったら破産したあくせる です。会社でもほぼ全員にシカトされてるので最近は子供相手に粋がっていたのですが こんな落とし穴があるとは。それでも今年は良い事がありそうな気がします。九日の日にぶらっ と千葉のほうまで買い物 に行っていたのですが、その帰り飯岡町というへんぴな所に迷い込んでしまい仕方なく そこで夜を明かしたのです。当然朝は確信犯的にバッテリーがあがってしまい。JAFを呼ぼう としたのですが、近所の漁師さんでしょうか。近寄ってきて
「あんた、やっぱそこで寝てたのか。ずっと停めてあるから変だなと思ってねえ。何ならウチ に泊まっていけばよかったのに」
カーセックスでもしてるかもしれないと思い声をかけずらかったらしい。いや、ぜひとも声を かけて欲しかった。ハナ垂らしてるんだから。というわけでショック療法でエンジンをかけて もらい20分ぐらい海岸線を走ってから元の公園に戻ってくると、さっきの漁師さんが家に 招待してくれた。そこで朝飯を御馳走になりながら、付近の民家全てにそうなのだが玄関に必ず 栗だとか山芋だとか筍だとか。そういった山の幸が籠に入って置いてあるのを不思議に思って 尋ねてみた。すると親父は急に箸を置いて語り始めた。
この飯岡町は対馬守盛清(松代藩真田家)が奥州を支配してた戦国の頃より水害が多く 現在は合併して旭市となっているが一昨年までの海上郡飯岡町という名称が表す通り台風のたびに 海の底に埋まってしまう集落だったのだと言う。多くの若者が防波堤を築くために働き 事故で死んだ歴史もあり町の至る所に供養塔が建てられているのも見た。 その当事は山から沢山の土を運び要塞を作っていたので、飯岡町の西側にある山はなくなって しまい、代わりに運んできた土から筍などが獲れる様になったのだと言う。毎年正月には先祖 供養のために玄関や軒先に山の幸をお供えする事によって感謝を表すのだそうだ
お礼を言って自分の食器だけでも洗えばいいのにそのままテーブルに放置し立ち去ろうと するとその親父は寂しそうに
「あんた、これからどこへ行くんだね」と聞くので
「大宮競輪(場)です」と答えると顔色が変わり
「ああ。博打かね。わしも昔はようやっとったね。でも血は争えないものだねえ。 わしの息子もあんたと同じくらいの年なんだが競輪やら競馬やらと働きもせずに遊び あるいて、今じゃどこでどうしてるかも分からんよ」
「千葉競輪場じゃないですか」と答えると
「あんたみたいなヤツとせがれを一緒にするな!」と叱られてしまった
帰り道、海岸に車を停めて先刻親父が言った山の土を運んで防波堤を作ったという 場所を訪れてみた。今はコンクリートの下にあるのだろうか。筍も山芋も芽を生やす事もなく 長い年月の重荷を下ろし安らかに眠っているものと思いたい
ところで海を眺めていて感じたのだが、本当に太平洋の先にはアメリカがあって 日本海東シナ海の向うには中国や北朝鮮があるのだろうか。そういった国々があるのは確かだが 実際に海を渡って確実にそこにあると確認できた人間が何人いるのだろうか。 今度生まれ変わったら船長になりたいと思う。皆からキャプテンと呼ばれる存在になって 日本に帰ってきたら家族が年老いていたら嫌だな。
果てしない海を見ているとこれから吹き溜まりの狭い競輪場を訪れることが急速に不愉快 になってしまった

魂の鐘
新年明けましておめでとうございます。神山はGPを勝てませんでした。あのまま914で 回ってたら多分勝てたでしょうね。私の車券も149は大本線で270倍ぐらいついてたと 思います。武田は暴走しすぎずに警戒しすぎず良く逃げたし、後閑も小嶋を不発にしたのだ から加藤に内すくわれるのはしょうがないです。私はそこも想定内だったのだが神山はまさ かケツが4だとは知らなかった様で。前走ってる人が次々と無血開城とは加藤も並の恵まれ 方ではなかった。戦前「小嶋最強論を証明したい」って何様のつもりだよ!と言いたくもな りましたが、入れずにあっさり捨てるのだから頼もしい限りです。
昨年は西武園のアンケートに『西武園ナイター競輪開催が実現されればあなたは行きま すか』という項目があって驚いた。というのもその2日ほど前に埼玉事業検討委の聴聞会に おいて最終答申があり大宮競輪を2年間存続させるが廃止の方向で事業を縮小させるとの決案 が成されたばかりだったので。事業を縮小させるというのは簡単に言えば場外発売を増やして 開催を減らすという事になる。であるから年間予算を西武園に使えるのであればナイター競輪 を開催してファン層の拡大を促そうと言う考えもあるようだ。どういう事かというとナイター の発売設備があれば、ナイターの場外も売れるという事になる。開催主が開催によって西武園 は変わっており権益は圧倒的に手薄になっている。大宮はスポーツ公園の中にあるのであちら が国体用の用地施設として保存しなければならないのであれば、西武園競輪場は今後大宮の分 まで赤字を背負わされる可能性があったりする。その他にも立川と京王閣の合併なども噂されて いたり、「なぜ選手を減らそうとは思わないのか」と頭をひねってしまう
しかしオートレースの様に開催を減らされるというのは競輪ファンにとってあまり望ましい ものではない。もっとも中国地区は今でも月に10日以上競輪の開催がない日がある。しかし それらの競輪場はすべて売上格付によって最下部におかれ最初から小規模な開催と賞金でスター トしていた。開催が減ると、遠征が多くなり追加や補充が多くなる。ヒラ開催であれば当然 多くの選手は遠くて安い競輪の斡旋を断る事にもなり、選手は余ってるのにレースに行って 走る人間が足らないという事にもなる。そうなると当然本来そのクラスでは足りない選手が 繰り上がって走るケースも出てくるわけで、客が迷惑こうむるのは目に見えている。
そう考えるとやはりギャンブル税は必要なのではないかと思う。競輪を開催する市町村は 儲かってようと無かろうと必ず地方債を借り入れてその返却期限が来たら車券、馬券に増税 するというのはどうだろうか。借り入れた金で開催して、利子は本命を何百万と買う人が払え ばいいのだから、もしくは加藤に金を借りにいくというのも・・

最後の蝉
「最後の蝉ってどこにいるのか」
とK谷氏が言い出したのは 田無のサンマルクカフェで「各国蝉展示会」のパンフレットを熟読していた矢先の事であった。 どうも蝉の一生は夏だけと思われがちだが、実は産卵から羽化まではアブラゼミやミンミンゼミで 5年ということらしい。アブラゼミ・ミンミンゼミは産卵された卵はそのまま冬を越し翌年孵化。 ニイニイゼミ、ヒグラシなどは産卵された年の内に孵化するとのこと。つまりCの字をした幼虫が 約5年間は土の中で寝ているのだ。彼らは土の養分で大きく育ち、自分らの排泄物で周囲の土を 大きな肥やしとし、セミは幼虫の姿をしたままセミの繁殖基盤を作っているのだ。であれば蝉とは 幼虫時代そのものを言う。夏のたびに朝からミンミンと喚いている奴らは一体何なのだろう という話を俺がしたのに対しての答えがK谷氏のこれだった。
ハッキリ言って答えになってないし話を聞いてもいない。俺は目の前の空っぽになったグラスを 何度ブチ撒けてやろうかと思ったか。
「日本中でバッタバッタと蝉がバッタみたいに死んで、最後に死ぬ蝉はどこにいるんだろう」 以前関東平野のド真ん中。牛久のあたりを旅していたときに10月近くまで鳴いていた蝉の話をしてやった。 すると
「うーん、でもさ。蝉の本体は今オマエが言ったみたいにさ、外で鳴いてるのは 嫁さんを探す期間みたいなもんだろう。早くに外に出てきちゃった蝉は梅雨にさらされて死んじまったり するし、あるいは蝉自体が少ないから交尾できないうちに死んじまうわけだよ。でもさ 最後まで鳴いてた蝉が、確実に最後に生まれた蝉と言えるかなぁ?どうかなぁ?俺にはそんな事を言える 自信がないなぁ」 生まれるのと土から出てくる事は違う。しかし人間は土の中にいる蝉を蝉とは呼ばないだろう。 9月の中ごろになってノコノコ土から這い出してきた蝉に果たしてお嫁さんはできるだろうか。
「あとよ、競輪は練習が仕事でレースは集金?そんな事言う奴がいるけどそれは違うよなぁ。全くさぁ ふざけたレースしやがってさぁ。分からんなぁ、俺には蝉のことをとやかく言える自信はないなぁ」 家に帰って競輪の電話投票した結果を調べたが的中したのは一つも無かった。風呂に入ってコンビニに 行く途中。果たして俺は関東平野などに行った事があっただろうかと考えた。牛久に行った事はあったが そこで蝉の鳴き声を聞いたという記憶はまるでない。なのになぜ喫茶店でK谷との会話中 「10月に蝉の声を聞いた」などと嘘を言ったのだろうか。 ふと「各国蝉展示会」に行ってみようかとも思ったが部屋には例のパンフレットはどこにもなかった。

もうすぐ没になる編集後記
ラインが示すもの ある競輪場で地元地区のラインが本番で並び通りに走らなか
オッズとの対話 私個人としては前述したように競輪とは小銭を万札にするものであ
車券が変わってくる ラインを重要視するか、得点を重要視するか。並びを重要視す
競輪競走の難しさ 競輪の競走は常に少差で決まります。競馬や競艇の様に
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