自分は1959年 (昭和34年) 、静岡市で自営のデザイン業を営んでいた父親の元に生まれた。 決して裕福ではなく自家用車も持っていない庶民だったが、父親の仕事関係で出入りするカメラマン達が皆クルマ好きで、家の 壁には彼らが日本グランプリ等で撮って来た生沢 徹のポルシェカレラ6や高橋国光の日産R380U, 川合 稔のトヨタ7等の写真パネルがかかっていた。

そんな中で育った自分は、中学生の頃からオートバイ少年で、バイク雑誌のGP結果を食い入るように読んだり、解体屋から買って来たスーパーカブのエンジンをバラしたりして遊んでいた。
当時は、今のようにF1の生中継はおろか国内のモータースポーツもTVで流されることはほとんど無かった頃で、レースの結果は月遅れのバイク雑誌で知るという時代だった。

その後、ごく自然に工学部機械科を専攻し自動車メーカーに就職してもう25年になる。
今更ながらに自分の乗って来たクルマ達を振り返ると、大したクルマには乗っていないがどれも思い出深いものばかりである。
残念ながら一枚の写真も残っていない車種もあるが、手元に残っていた昔の写真とともにご紹介したい。(枠付きの写真はクリックすると大きな画像が表示されます)
ホンダCB50(年式不明)
高校2年の時 初めて買ったエンジン付の乗り物。
当時の原付がどれもプレスバックボーンフレームに前傾エンジンを積んでいた中で、パイプダイヤモンドフレームに4サイクル単気筒エンジンを直立に搭載し、タコメーターも装備したスポーツタイプだった。
 
ホンダCB250T(年式不明)
中型自動二輪の免許を取ると同時に知人から譲り受けたオートバイ。
先代のCB250セニアの流れをくむ4サイクルツインエンジンをほぼ直立にマウントしたオーソドックスなツーリングバイク。 兄貴分にCB360Tがあった。
コンチハンドルを付けて色んな所にツーリングに行った。

 
ホンダCB125T(年式不明)
友人から預かっていたバイク。
125ccながら4サイクル2気筒のエンジンを積んでいた。
この頃 家には50, 125, 250ccの3台のホンダCBが並んでいて、気分で乗り分けていた。
S45 (1970) ホンダ1300クーペ7S

四輪の免許を取って最初に買った車。
ホンダ独自の強制空冷+ドライサンプエンジンを搭載したFF車で、初心者が乗るにはクセの強い車だった。
クーペ7はシングルキャブだったが、兄貴分に4キャブレターの「クーペ9」があった。このあたりはオートバイ屋の発想である。
写真は、'78年8月 霧が峰ビーナスラインにて。
前オーナーがレモンイエローとブラックのツートンカラーに全塗装したばかりのきれいなクルマだった。

 

写真の建物は、'81年当時の静岡大学工学部(浜松市)自動車部の部室兼ガレージである。
S47 (1972) トヨタカローラ1400SL

大学の自動車部に入部し、ラリー参加を目指してチューニングパーツが豊富で整備も容易なカローラ1400SL (TE25型) に乗り換えた。
この頃のJAF戦等ではTE27型レビン・トレノが全盛であったが、貧乏学生には手が届くわけもなく1400ccの安価モデルを中古で購入し、ラリー用のサス・バケットシート・ロールバー・LSD等を入れて、毎晩のように浜松の林道で練習した。
非力ながら、草ラリーや学生ラリーで何本かのトロフィーを残してくれた。
'80.年11月の愛知工大自動車部主催AITAC Day Rallyのひとこま。
学生ラリーながら、ハイアベ区間もあるJAF公認戦だった。
戦績はJAF公認部門4位。
今にして思うと、学生時代にラリーに出会ったことがその後の自分の人生に深く影響したことは間違いない。
自分が学生だった約30年前、静岡・浜松周辺には名だたるラリーストが割拠していて、元日本ラリーチャンピオンの山内伸弥さん、チームアドバンの大庭誠介先生 (本業は歯医者さん)、チームマジョルカの竹平素信さん等々、毎月の自動車雑誌に載っている錚々たるメンバーが住んでいた。 そんな雲の上の人達の走りを間近に見て、運転の練習に明け暮れる毎日だった。
また、当時 静岡にGGMC(ゴールデンゲート・モーターリスト・クラブ)という古豪のラリークラブがあり、毎月のようにラリーやダートトライアルのオフィシャルに駆り出されていた。 その中でチーム・アッスルの金子繁夫さんや前出 竹平さんのナビシートに乗って、尋常ではない高速ダートドライビングも経験できた。
今から思うと大変ラッキーな経験をさせて頂いたと思う。

その延長上で(?)、会社では車両実験部で操縦安定性のテストに明け暮れた。 テストと称して雪道や凍結した湖の上まで、日本だけでなくアメリカやカナダまで走りに行った。
仕事の中で北海道在住の元全日本ラリーチャンピオン 鎌田 豊氏(現在スバル・インプレッサで活躍中の鎌田卓麻選手のお父様)とご一緒する機会があり、旭川の林道で雪道のドライビングテクニックをご教授頂いたり、現在日本ラリー界のトップドライバーである奴田原選手をご紹介頂いたこともあった。(当時 奴田原選手はタクシードライバーをされていたが、後に2005年度全日本ラリーチャンピオンとなり、2006年のモンテカルロラリーではPCWRCクラスウィナーに輝いた)

学生時代にラリーに出会っていなかったら、これだけの方々とお会いすることもなく自分の仕事も違っていたかもしれない。 少なくとも、自分の車生活 - My Motoring Days - は異なるものになっていたことだろう。
ここからは、自分が社会に出てから乗り継いだクルマ達である。
My Motoring History
ホンダCB90JX(年式不明)
大学の先輩からタダで譲ってもらい、主として通学や近くの買い物のアシに使っていた。
但しそうは言っても、ハンドルは極端に短いコンチハンドル、ハイスロットルに吸排気チューンと、それなりに手は掛けていた。(金は掛けていないが・・・)
高々90ccとは言え、ファンネル付キャブやアルミのシリンダーフィンを見ると一人前の“4ストシングル”の造形である。
ステップ位置との関係でキックアームを取り外していたので、エンジン始動は常に“押しがけ”というスパルタンな(?)バイクだった。
S53 (1978) ヤマハSR400

社会人となって初めて買った乗り物。
4ストシングルの音と振動にはシビレたが、特に初期型はフレームの振動が大きく、走行中にセンタースタンドやマフラーの消音器、果てはナンバープレートまで良く落ちた。(後期型はシートレール後端の形状が改善された)
下左の写真は初期型のカラーリングが復刻された1998年式のもの。
下右は会社の同僚と箱根にツーリングに行った時の写真。
この時はまだほとんどノーマルだったが、後にブルックランズのシングルシート,トライアンフ用キャブトンマフラー等を装着し、ビンテージ・シングルレーサー風に仕上げて楽しんだ。
S44 (1969)
Alfa Romeo 1750 GT Veloce

思い切って、学生の頃から憧れていたAlfa RomeoのGulia系を手に入れた。
ウェーバーφ40キャブの豪快な吸気音とトルクフルなエンジン、意外に大きめのロールを許しつつも路面に貼りつくようなサスペンション、特に高速から抜群に効く4輪ディスクブレーキ等、国産車では決して味わえない美点に満ち溢れていた。
また、最近の国産車のように“ゴマカシ”が効かず、ドライビングの基本に反することをするとしっかり“しっぺ返し”の来る車だった。 箱根の下りでスピンしたりしながらも、自分はこの車に『育てて貰った』という感謝の念が強い。
写真は '83年の鈴鹿8時間耐久オートバイレースを観戦しに行った時のスナップ。
Gulia系はボンネットとフェンダーに段差のある通称“段付き”が有名だが、1750/ 2000GTVと1300/ 1600 Juniorは段の無い造形だった。
運転席の眺め。
比較的立ったステアリングコラムと、コンソールから斜めに伸びるシフトレバーが当時のAlfa Romeoの特徴。 相対的にステアリングが遠くペダルが近い、『イタリアの手長猿』と呼ばれるポジションである。
オリジナル装着のヘレボーレ製ウッドステアリングは逸品で、MOMOやNARDIに交換する気の起きない良質な作りであった。
写真では分かり難いが、ブレーキとクラッチのペダルは床下に支点を持つレーシングタイプである。
S54 (1979) Alfa Romeo Alfetta 1.8 GT

1750GTVはクーラーも無かったため段々と日常使用には辛くなり、『クーラー付のクルマを買おう!!』と乗り換えたのがAlfetta GTである。(ヤレヤレ・・・)
エンジンは1750GTVと同じオール・アルミの1779cc 4気筒DOHC ウェーバーキャブ2連装だが、重量増もあり操る楽しさはGulia系GT Veloce の方が上だった。
とは言え、そこはAlfa Romeo。高速での直進性やブレーキ性能はさすがと思わせるものがあった。
また、驚くことに当時から既に運転席と助手席で別々の空調温度設定が可能だった。
下左は上越国際スキー場の駐車場にて。 この頃は14"のカンパニョーロを履いていた。
下右は箱根の芦ノ湖スカイラインでのスナップ。 横浜ゴムさんにお願いしてPCD 98の15"ホイールを作ってもらって履いていた。 BILSTEINのガス・ショックアブソーバーを装着していたために、若干車高が上がってしまっている。
 
S63 (1988) いすゞGemini Irmuscher-R

会社の同僚達とジムカーナにチャレンジすることになり、初代FFジェミニの1600ツインカムに乗り換えた。
チョイスしたイルムシャーRは、エアコンもラジオも付いていない代わりに固められたサスペンションやビスカスLSDを備えたモータースポーツベース車両だった。 (これまで買った中で唯一の新車である。さすがにA/CとFMラジオはOptionで付けた)

  写真は、'89年10月 日産平塚車両置き場で行なわれたニュートンランド・ジムカーナでスタートを待っているところ。 ホイールは当時最軽量のPOTENZA Super RAP、タイヤもPOTENZAのSタイヤを履いていた。
エンジンは7800RPMのレッドゾーンまでキッチリ回るが、1stのギヤ比が低くコースによっては苦戦を強いられた。
ホンダTLM200(年式不明)

SR400を手放して以来久しくオートバイには乗っていなかったが、昔から興味のあったトライアルマシンを手に入れた。
FRPのコンペ用タンク・シート,小型ライトと、ツーリング・トライアルにはピッタリのマシンだった。 相模川河川敷や平塚の山奥で毎週のように練習した。 転倒は数知れず急な坂を登り切れずに後転したりもしたが、本当に楽しかった。 最近のトライアルはパワーが無いと勝負にならないセクションも見られるが、バランス感覚とテクニックを磨くにはトライアルは最良のカテゴリーと思う。

 
H1(1989) いすゞFARGO LS 4WD

トライアルマシンはギヤ比が低くスピードが出ないため、練習場までの移動も大変である。 そこでGeminiを手放してトランスポーター用のファーゴに乗り換えてしまった。 初めての1-BOX、初めてのディーゼルエンジン車である。
3列目のシートを外して、床にダイニング用のシートを貼りアンカーボルトを追加してトランポに改造した。 ヘルメットやウェアも積んで、いつでもトライアルの練習に行ける状態にしていた。

  
H9(1997) 日産ホーミーロングバンVX

なかなかトライアルの練習に行く時間が取れなくなったことと、日常的に乗れるオートバイが欲しくなって来たことから、再びロードモデルに戻ることにした。
ところが、ロードモデルはホイールベースが長いのでファーゴには乗らない。 そこでまずオートバイの“車庫”となる1-Boxバンから買い換えた。 この車は“ロングバン”というだけあって確かに長く、なんと1ナンバー登録であった。 保険も東名も西湘バイパスも4・5ナンバーよりすべて高かったが、広大な荷室容積はトランスポーターとして実に重宝した。
 
H5(1993) スズキGoose 250

そのトランポに収めたのは、探して探してやっと見つけた4ストシングル・スポーツ、グース250であった。 オリジナルでもセパハン・バックステップの戦闘的モデルに、ヨシムラエキゾースト・バクダンキット・オーリンズRrサスペンション・Dunlop TT900GPタイヤ等を組み込み、痛快なコーナリングマシンに仕上げた。
悲しいかな歳とともに前傾姿勢のポジションがキツくなり手放してしまったが、もう一度手元に置いておきたいバイクであった。

 
H15(2003) 日産 ELGRAND Highway Star

現在の我が家の愛車である。
装備・乗心地・快適性、どれを取っても 過去手元に置いた乗り物の中で“一番”の出来である。
さすがに飛ばすクルマではないが、3.5 Lの排気量のおかげで、高速道路では意外に速い。
 
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