栄町の三井金物店にテレビがある、と学校内でうわさだった。中津に始めてテレビが来たのだ。こんな面白い話はない。子どもの好奇心を刺激した。
見に行こうと相談が持ち上がった。もちろん、行く行く。私は乗り気だった.
晴れた秋口の午後、学校が終わると、私は栄町の三井金物店へTちゃんと二人で出かけた。なにしろ、栄町は一中の校区だから、二中の生徒には未知の土地への一大遠征の気分だった。Tちゃんとはお互いチビで、二人で一緒にバスケットに入った仲だったから、さそった。
学校の文化祭で中2の生徒たちが「テレビの一日」という出し物をやった。黒柳徹子がデビューしたころだろう。
テレビの朝はまるで家の中の出来事みたいにやってみせてくれた。体操を見せたり、ご飯を食べるシーンを見せ、一年生の我々になーんだと言われそうな仕掛けだった。
テレビは昼間は放映しないで休みで、夕方からまた放送していた。
三井金物店の店内の高いところに大きなテレビが据付られていた。当時は、カラーはない。白黒のテレビで相撲をやっていた。
周りには買い物しない子どもが結構いた。始めてのテレビを見に集まって来ていたのは、私たちだけではなかったから、私たちも気兼ねなく潜り込んでテレビを見られた。好奇心だけでこういう遠慮なく行動できるのは、中1くらいまでが限界だから、大きい子はいない。
今でも中津の中でも、恵下など山間部にはテレビ写りが悪い地域がある。視聴者の少ない地域には、NHKは中継アンテナ塔を作っていない。
しかし、始めて見たテレビはそれどころではない。当然中継アンテナができていなかったのだろう。写りは悪い。
そのとき見た大相撲テレビは、大関横綱あたりの取組だった。時間は6時前だったと思う。
やっていた対戦は横綱吉葉山、栃錦だ。中継される画面の土俵上は雪、大粒のボタン雪が降っているように力士の輪郭がはっきりしない。画面一杯、白い雪でボケているけれど、相撲とわかる。動いているが人物の顔が判然としないが、音声は聞こえている。今見たら耐えられるものではないだろう。それでも終わりまでみんな見ていた。誰が勝ったのか、全然覚えていない。
ラジオで相撲を聞いたときの方が印象的だった。
照国と羽黒山、千秋楽14勝全勝同士の対戦で、熱の入った一戦だった。照国が勝って全勝優勝。昭和22年か、21年だ。ラジオで音声だけなのによく覚えているものだ。
ところが、テレビは画像付きにも拘らず、記憶に残らない。なぜだろう。雑多な情報がむやみに多すぎるのかな、と思っている。
暫くしたら、ウチの向えの近藤家具店でもテレビを買った。長男のテルちゃんは、家の後継ぎで自分で決めて買っているようだった。
リヤカーで家具を運んでいた時代、ホンダの原付自転車を買っていた。あれでリヤカーを引っ張ったかもしれないが、ただ乗って乗って遊んでいるように見えた。
近所の小学生や中学生が「乗せて乗せて」というと気前よく貸してくれた。本町から横町、横清水町、あたりまで行って戻って来た。テルちゃんは家で親父さんと仕事をしているから、かなりお金を自由にできたようだ。
テレビを買ったことが分かると、途端に近藤家具店に夕方、子どもが集まってきた。居間の中まで子ども達は入り込むし、なかなか帰らない。近藤家具のお母さんが亡くなって、仕切る人がいないことも原因だったかもしれない。
家具作りの工場になっていた家の中は、商売繁盛していたのか、どこも木の匂いで一杯だった。
「テレビ見せて」と言えば、テルちゃんは人がいいから、ケチケチしないでみんなに見せてくれた。次男のアキちゃんも文句はいわなかった。親父さんは別棟にいて出てこなかった。毎日、テレビ始まると、どこからとなく子どもが集まって、近藤さん宅は一杯だった。
テルちゃんは無類の酒好きで、家具作りが斜陽になっても、アルコールが切れることはなかった。店先は松村さんに貸間にしていた。松村さんは製材業で会社を興し、家を作り出て行った。
店先で家具作りが絶えてなくなっても、テルちゃんは本町の赤提灯で飲みつぶれていた。向えの家だったから帰るのは造作ないはずが、それが帰れない状態だった。
テルちゃんは亡くなり、今近藤家具店の跡地は、隣りの田口医院の駐車場になっている。
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