「盗まれる」ことは、日常茶飯事

「センドウダ」は仙藤駄菓子店の略か
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 「センドウダ」というのがその店の名前であった。
 子供のころは、この名称になにも疑問は感じなかったが、一体どういう意味だろうと、ふと思う。

 一間あるかないか、狭い窓で販売する駄菓子屋で、お婆さんが番していた。小学校低学年にはよく行っていた。
 
 第二中学校から昭和町、国道(宮町)、桜町とまっすぐ下りて来て本町に出る手前右、寿司屋「かねけ」、大山文具店の前にあった駄菓子屋である。中学の仙藤先生の親戚だという話だったが、確かめて聞いたことはない。

 「センドウダ」の繁盛振りを羨んでか、精肉店いろはのハス向えの角に「中村」という駄菓子屋ができた。自宅の前庭の空き地にバラック建ての店を作った。子供心には何も感じなかったが、ライバル店ができて大人の目からは感じるものがあっただろう。

 好きだったのは一円クジだ。
 クルクルと巻き込んだ紙をほどくと、特等、一等、二等、三等が当るクジだった。当るかもしれないという射幸心をくすぐる魔力、これに勝てない。

日本大正村所蔵(岐阜県明智町)
 二等で5円分の店の品物がもらえたことは覚えている。多分特等が20円、一等が10円だった、と思う。1円でずいぶんトクする気持ちだった。それが、子供の心を引き付けていた。
 ただし、ハズレが七、八割以上で、ハズレると1円が半分の五十銭になった。

 お婆さんが店番だから、ごまかすワルがいた。
 アタリクジを隠し持っていて、クジをむくふりして落とし、拾って「当たった!」といって高価な商品を持っていく。そういうヤツがいたようだ。うわさが流れたいたのだから、きっとやって成功したのがいただろう。


 新聞紙の袋の中の野球選手の写真を引くクジで、運良く2等に当ったことがある。小学2、3年のときのことである。
 ギョンバ(8月14,15日の「おいでん祭」)の集まりに行く途中、センドウダで買ったら大当たり。賞品は「東映フライヤーズ」の三番打者、大下弘のB5サイズのプロマイドであった。今の子供でいえば、アバレンジャーのフィギュアーでも当たった気持ちだろう。

 ちょうど大下選手の全盛期で、その年はホームラン王(25本)だった。バットを振る雄姿は小学生にはまぶしく、すっかりとりこになった。

 私の心は、この2等のプロマイド以後、大下が東映から西鉄に移籍してもフアンとしてついていった。西鉄の黄金時代、大下、中西、豊田、若い稲尾が獅子奮迅の活躍した日本シリーズの対巨人七連戦。日本シリーズでの逆転優勝。この奇跡には、全然関係ない地域のオレがしびれ、一喜一憂していた。それも小学年で当たったプロマイド1枚がそうさせたのだった。

 大下選手のプロマイドが当たってうれしかったので、ギョンバの大将、(成瀬)聖ちゃんに見せた。そのうちみんなが見たがり、あちこちにプロマイドが回っているうちに戻って来なくなった。
 聖ちゃんに
探してもらったが、結局誰か持って行かれたかわからず仕舞。羨ましいと思われたのだろう。せっかく当たったのが、その日のうちになくなってしまった。

 買ってもらったばかりの布グローブもバットもなくなった。盗まれたのだろう。こう思って間違いないというのが、そのころの常識だった。
 「盗まれる」ということは、日常茶飯事だった。


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