小学二年生の時に杉野町の親戚、「丸仙」から雌の子犬をもらった。名前は深くも考えないで"エス"とつけた。
柴犬の雑種で、毛は全体に短くて茶色、耳はタレ、足先は白足袋をはいているように白かった。親戚のよしみで、六匹生まれた中で一番かわいい犬をもらった。生後1か月だった。
やっと目が開いたばかりで、座布団の上で丸まって背中を震わせて寂しそうに鳴いていた。寝ている背中を撫でてやると、まだ幼犬独特な香ばしい匂いがした。
犬と人間の関係はおおらかだった。
昼間、本町通りを犬が一匹で歩いていても、町の人は「○○、どこへ行く?」と人に話すように声掛けていた。すると、犬はこっちへ顔を向け何か言いそうな表情を見せ歩いて行く。
大抵この頃の犬は放し飼いだった。つながれていたのは魚仲(横清水町)で飼っていた黒のシェパード、ジョンくらいのもの。そんな昭和二十年代半ばの町の風景だった。
下町(シモマチ)のM酒造にはセンという大型秋田犬がいた。付近では最強の犬と知られていた。
ある日、本町の近藤家具屋の前で、逆毛を立てて立ち向かう無謀な雄犬がいた。ところが、センが低い唸り声を上げて近づくと、途端に戦う前に戦意を喪失し、尾を丸めて家具の下の狭い所に入り込み腹を見せ、オシッコ漏らし恭順を示した。
犬社会、特にオスは上下関係が非常に厳しく、その秩序を破ると上位の犬から攻撃れさた。それに勝たない限り上の位置に行かれなかった。
エスがうちの犬として慣れて、二三年、成長した頃、どういうわけか、ある日いなくなった。おかしいな、ヘンだなと思っていた。子供の私には説明なしに十キロ以上離れた大井(恵那市)へ貰われてしまったのだった。
ところが、数日たった昼過ぎエスは戻ってきた。大井から中津への道を知るはずもないのに帰ってきた。その時、数匹の雄犬を付き従えていた。その日から、以前のように飛びついて喜ぶふうでもない。何か違っていた。
エスのある部分が見たこともないほど腫れ上がっていた。その時、犬には発情期というのがあると知った。大井から戻ってきて以来、見たことのない雄犬たちが夜な夜なやってきて、エスを誘い出そうとしていた。エスは外へ出たくて、クークーン悲しそうな声で鳴いていた。
外に出せばヘンな雄のタネを貰ってしまうと、出さないようにしてしていた。家の前へ雄犬たちが入れ代わり来ては、家の戸板や玄関にマーキングのオシッコをかけていく。臭くて臭くて......。これが始めての発情期だった。エスの発情期をどこで知るのか、あちこちから数多くの犬たちがうちに集まって来た。
ちょっと油断して目を放すと、道路の真ん中で、ところ構わずコトを始める。すると、近所の三十代、四十代のおばさんたちは通りに立って、恥ずかしがってはいたが、それでも興味深そうに見ている。
尻と尻がつながっている二匹にウチの親父はバケツで水を掛けた。水を掛けられても、逃げながらもまだ離れない。つながったまま、二杯、三杯と水を掛けられてようやく二匹は離れる。
そのあと、逃げるようにオスが去っていくと、そのあとをエスも付いて行ってしまう。これは人間にも通じるような、示唆的なシーンだった。
M酒造ではセンをつないでいないのか、エスの女盛りには、センはよくウチに来た。エスはM酒造のセンの愛人と呼べばいいのか、平安時代なら妻問いというか、そんな関係だった。
同居していた叔母は、まるで源氏のご落胤でも頂戴するつもりか、男振りのいいセンをひいきにし、家に入れエスと仲良くさせようとした。しかし、エスは気分が乗らないとプンと横向く。「きょうはイヤだそうだよ」とセンを帰らせるのだった。
エスは生涯十数回出産したが、その中でセンの子を相当数生んだはずだ。人間なら「養育費を出してくれ、認知してくれ」とトラブルが起こるところだが、何事もなく時は去ってしまった。向こうは立派な秋田犬、こっちはかわいいけれど雑種。だから正妻としては認めてもらえる関係ではないかもしれない。
しかし、気安く過ごせる雑種のエスのところへよく通ってきた。センに愛されていたのかな。センの墓があれば一緒にさせてやりたい、と過ぎ去った四十数年前を回想している。
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