一九五四年(昭和二十九年)六月〜九月まで続いた |
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| 参考資料 近江絹糸争議 働く者の人権守れ 一九五四年(昭和二十九年)六月から九月まで続いた近江絹糸の「百六日争議」は、同年六月十日付本紙社説が「労働争議というよりも、会社の異常な封建制に対する人権闘争である」と断じたほど、特異な出来事だった。近江絹糸に関する投書は六月中だけで九本も掲載され、読者の関心がいかに高かったかを物語る。 「スト決行中」ののぼりが立つ近江絹糸彦根工場(1954年8月13日) 近江絹糸は当時、滋賀や大阪などに七つの工場を持ち、従業員約一万三千人。カネボウなど「十大紡」に並ぶ大企業だった。その従業員らが六月二日に組合を結成し、無期限ストに入ったのだが、その要求が信じられない内容だった。 信書の開封や仏教の強制反対、外出の自由、結婚の自由を守れ、密告者報奨制度反対――。本紙記事は"憲法擁護闘争"とも表現した。 「『信書の開封、私物検査を即時停止せよ』(略)など実に悲壮である。(略)よくもこんな会社が存在しているとあきれざるを得ない。(略)戦後起こった労働組合のストには国民の不自由も不便もかえりみない一方的な行き過ぎストもあった。(略)しかしながらこの近江絹糸のストには全面的に援助を惜しまないものである」 以後、「監督官庁はその職務を尽くせ」(十三日付)「近江絹糸労組鹿児島県人へ」(十四日付)など、連日のように投書が載る。やがて僧侶(そうりょ)が十六日付で登場し、「かれら(経営者側)のために仏教は非常に迷惑している」と説いた。全繊同盟近江絹糸争議対策中央本部委員は「近江絹糸の人権闘争と全繊」(二十一日付)と題して国民に理解を求めた。滋賀県の職業安定課長も二十四日付で「労働の民主化にはいま一層の努力をつくしたい」と投書せざるを得なかった。 ついには戦時中に近江絹糸彦根工場に勤務した経験がある会社員が「井の中の会社側の皆さんへ」(二十九日付)で呼び掛ける。 「つくづく感ずることは九年前の会社の状態と少しも変わっていないということです。(略)社会は日一日と進化しつつある。そして近江絹糸も同様発展しつつあるとせば、同時に労使双方の考え方も日一日と進歩して然るべきではないでしょうか」 その後、乱闘事件や代議士の現地調査を経て、中労委が▽十大紡績並みの労働協約を結ぶ▽人権に関する事項について会社側は諸機関の指示に従い改める、などのあっせん案を提示、双方がこれを受け入れ、九月十六日に争議は収拾された。 |
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