私たちの頃は、教科書は無償ではなかった。
お金を貰って新学年の教科書を買いに行くのが春先の行事であった。教科書をまとめて買うのは、親の負担になっていることは感じているから、子どもながら色々考えるものだ。
西新町の中央にある梅村書店へ行き、教科書購入用紙を出す。おじさんが積み上げてある教科書からコレとコレ、といってそろえて渡してくれて、お金を払った。
教科書はだいたい10冊くらいになった。どういうものか、市内では梅村書店が教科書販売を独占していた。
家に持ち帰って新しい教科書をペラペラとめくって、読めそうなところ、絵のあるページを見て楽しんだ。一人、教科書を抱えて楽しい気分だった。印刷インク、紙の匂いは、一種新学期を知らせる風物詩であったような気がしたものだ。
ところがドッコイ、学校が始まると、楽しかった教科書が苦痛になるから不思議だ。
中学生になると知恵がついてきて、先輩から使った教科書を譲ってもらい、新学年の教科書を買わない。親からカネだけ頂こうと考えた。こういうことは、案外多くの人がやっていたのではないか。
悪いことだけど、今の価値基準からすれば、車の来ない道路を横断する交通違反程度のことだと思っていた。ウチだけだったかかもしれないが、親は子どもの教科書まではのぞかなかった。
今中津高校OBの同窓会会長でもある、運送会社のGさんが兄(中津高校4回生)の友達であった。Gさんは高3頃、よく夜になるとウチにおしゃべりに来ていた。この人はいつ勉強するのかと思うほどよく来ていた。
Gさんの弟は二中で私より一級上だった。マンモス学校の一級上では遠くで見たことはあっても接点はなかった。
兄がG家で親しいから
「教科書(理科)を譲ってもらえないか聞いて」と頼んだ。
この頃ウチは精麦会社が不振で景気が悪かった。しかし、母には教科書を買うからとお金はちゃっかり貰っていた。
兄はよく知っていても、弟の私はG家へ一度も行ったことないし、もちろんG家の誰も知らないから、当然兄貴が教科書を貰って来てくれるだろう、と軽く考えていた。
ある日、Gさんの弟が我が家へ直接教科書持って訪ねてきた。
見知らぬ先輩が私を訪ねて来られても戸惑う。ニガ手なんだな、こういうのは。出られなくて、私は隠れてしまった。
兄貴が対応してくれたが、
「つねお、つねお!」
騒がしく呼ぶのだ。私は最後まで出られなかった。
困った性格で、いまだに人見知りはなおらない。
3歳になる孫がその傾向にある。声を掛けられても人の影に隠れて返事ができない。シャイな性格は矯正しようとしても、なかなかなおらない。困った遺伝である。
騒動になってしまったから、母親は教科書代を渡したのに教科書を譲り受けたことに気づいた。怒られて返金を迫られたが、ついに返さなかった。
教科書は、中2の男子が1年間使ったものだから、落書きはあるし、破れたページはあり、随分よごれていた。中古教科書はこんなものだろう。
しかし、新品でない教科書を使っている生徒は案外多くいて、私も1年間この中古教科書を使ったが目立たなかったし、誰からも何も言われなかった。
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