神谷農園 イチゴ狩り


 昭和24年夏は母の気分はおだやかだった
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 「神谷農園 いちご狩り」
 夏近くなると、到る所にと青一色で書かれたポスターが貼り出された。毎年梅雨明け、町の電柱は、白い紙に青い文字がやたら目だっていた。

 電柱に堂々と貼るのだから、今なら警察に注意されるだろう。ポスターはB4位の紙に青で「神谷農園 いちご狩り」という文字が学校の行き帰りにいやでも目に入る。

 食糧が少なく、特に甘い果物などは少なかった。
 いちごを食べたことないな。いちご食べたらうまいだろうな、と学校の行き帰り、ポスターに私は見とれていた。
 

 4年生の6月末、日曜日だったと思う。母は姉と弟と私を連れて行ってくれた。

 神谷農園は湖
(通称、神谷の隣接地にイチゴ畑が広がり、庭にテーブルが置いてあり、多くの人が来ていた。広々として、斜め下に湖が見え景色がよかった。

 そういえば、中津にいる間は、山河の景色など、あまりに気が回らなかった。人ごみの中に暮らしていると、山、川、空気、緑がいかに大切かとわかる。
 中津在住の人は景色の良さに気づいていないのではないか。地元の人の意識は今もそうだろうか。

 子どもだから景色のよしあしより食うことが先、そのときイチゴを食べるのは初めてだった。

 農園に着くと、係りの人が畑へ案内してくれた。
 取ったイチゴは畑の中で食べていいことになっていた。ミルクかけないで食ってもそう甘いものではない。

 畑でイチゴを摘んで小さな竹カゴに入れていたら、
 
「コラッ!」と大声が聞こえた。イチゴ畑の上の方でおじさんみたいな人が少年を追いかけていた。少年の走る姿がチラッと畑の上の方に見えた。中学生くらいの男の子だった。

 大勢の入場者の中でたった一人の無料侵入者をよく見つけたものだ。

 平成の時代、サクランボ泥棒、スイカ泥棒、みな商売で売り飛ばして稼ごうとするものばかりだが、この頃の泥棒は自分が食いたい、食うための窃盗だった。
 
 生理的欲求から発生する盗み、それが昭和20年代の窃盗だった。当時よく洗濯物が盗られたが、それは自分で使うためだった。

 畑で摘んだイチゴを持って行くと、庭に出されたテーブルの上でミルクをたっぷりかかけてもらい、スプーンでつぶしながら食べた。とろとしたミルクが甘くてなめてしまいたかった。
 都会で暮らしに慣れていた母は無作法はゆるさなかった。こういう機会に礼儀を教えようとした。中津という井の中から出れば困るとよく口にしていた。
 
 まだまだ世間の人々は麦飯を食う時代だったから、精麦会社も忙しく、親子になって数年、母も子どもを引きつけようとしていたし、母の気持ちに余裕があった。
 昭和24年の夏はおだやかだった。


 タクシーで行ったという記憶はないから、1時間の距離は歩いて行ったのだろうか。

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