小学5年生だったと思う。クラスの可愛いA子チャン宅(松田地区)へ行くと、近くで土器が拾えるといって、O君が先頭になって出かけた。その日は秋のいい天気で、子供が集団で出かけるにはちょうどいい日よりだった。お供は3人くらいいたかな。
彼は体も大きくマセていた。女の子とお近づきになることが多分に目的だったかもしれない。行く途中で「好きな子」の話を盛んに言っていた。
ある日、O君が子雀を教室に持って行ったら、
「見せて、見せて!かわいい!」
N子ちゃんがそれを見つけて、オレの手に触ってくるんだぜ。好きになっちゃった。と、トクトクと語っていた。
供のわれわれは黙って聞くしかなかった。
N子ちゃんのお父さんは合板製造の仕事をしていたかな。
細身で目がぱっちり、糸切り歯のありそうな子。その後、二中にいたはずだが、急に東京に転居した。昭和34年、中央大に行ったK君の中野の下宿に遊びに行ったら、都会慣れした、年頃の美しい彼女がいたのには驚いた。オジャマ虫は早々に退散した記憶がある。
松田地区への坂を登り、A子チャン宅へ着いた。
ちゃんとO君は彼女の自宅を知っていたし、玄関で呼ぶと彼女がすぐ出てきた。すでに約束していたのだろう。
A子チャンとこは、両親そろって参観日にくる教育熱心な一家だった。ふつう、子供は兄弟5、6人で放任されていた時代、お父さんは三菱に勤めるサラリーマンで典型的な核家族だった。小学4年では学力優秀で学年総代で賞状を受取る役目に選ばれた。
今はどうしたものか、音信不通で同窓会にも顔をみせない。優等生であるのが当り前の育ち方すると、小さな蹉跌が大きく感じるのかな。
松田地区の畑道をA子チャンは先頭になって案内してくれた。一面赤土の畑からかけらを拾って、こういうのが土器だと説明してくれた。自宅には相当数の土器を集めていると話していた。
百姓さんにとっては畑にある土器のかけらは邪魔なんだろう。畑の周りを探すと、土くれの中に素焼きの鉢のかけら、縄文土器が案外転がっている。形の整った土器は見つかるはずはないが、両手に一杯、ポヶットに詰め込んで帰ってきた。
素人目には土器かそうでないか不明だが、引出しにしまっておいた。
「歴史の時間に土器を見せたい」
中学生の姉がいうから引き出しの土器を貸した。
吉田三郎先生(旧姓柴田)に本物の縄文土器だといわれた、と姉は喜んで帰ってきた。
「本物の土器だと判断されて良かったね」という態度だった。
ところが、土器は見るだけではなかった。
戻ってきたオレの縄文土器は、調べるためコナゴナに割られて、無残な姿になってしまっていた。自分のために壊されるならまだいいが、姉の勉強のために壊されるのは納得がいかない。
その気持ちをその場では言わなかったが、宝物だった縄文土器をそういう扱いされて、不満が残った。
先生と呼ばれる人たちには、縄文土器のかけらなんか、ありあまるほど見ているし、感傷などありえない。とは、わかるが、小5の男の子には、一日かけて集めた縄文土器への愛着というものがある。
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