「恵那Ena」という名前

ヨーロッパでも違和感がない

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「恵那Ena」という名前はヨーロッパでも違和感がないかった。

「Ena!Ena(絵奈)!」と、ドイツ人の彼の母からも父からも、気安く呼ばれていた。
「お父さんの英語はわからない、Ena、来て!」
 私が英語で皆に話すと絵奈は引っ張れ出され通訳をさせられ、花嫁は多忙だった。

「Ena」という名はヨーロッパでもありそうな名前なのでごく自然に溶け込んでいた。おしゃべりな娘は日本にいても、ドイツへ行っても変わっていなかった。

「きょうからEnaは我が家の一員だから、洗濯も掃除も遠慮なくやっていいんだよ」と大学生の妹Sophieにジョークを言われていた。ドイツ語で会話されては私にはわからないが、「Ena!Ena!」「ヤー!(はい)」というのだけはわかった。

 「ドイツへ行って理学療法を勉強する」と絵奈が言った時、若い時の夢だろう、と私は軽く考えていた。それから数年後ドイツに渡り、仕事をしながらドイツ語を習得し、おまけにドイツ人と結婚すると言ってきた。


 この三月絵奈の結婚式に出席のため、私たちは、絵奈の兄、妹夫婦と乳児、妻の合計六人でヨーロッパへ出掛けた。


 デュッセルドルフ駅で待っていると、大きな荷物を胸と背中にリュックを背負った娘婿のクリスチャンがやってきた。
 我々は合流し、彼の実家に向かった。
 クリスチャンの実家はドイツの北、オスターフォルツシャームベックというブレーメンの北隣りの町である。人口は3万人、中津川市の規模とほぼ似たり寄ったりだ。ブレーメンがドイツの名古屋なら、オスターフォルツが中津だ。

 オスターフォルツ駅のホーム降りた時、ドイツ時間で午後10時を過ぎていた。日本から持ってきた大荷物を下ろした頃には、列車は行ってしまった。列車が出てしまうと、ホームは閑散としていた。
「切符は?」と聞けば、「見せる必要はない。ふだん駅に駅員は誰もいないのだ」という。
 確かドイツの駅には改札が一度もなかった。どの駅も構内からホームにつながっていて、切符は車内で調べるだけだった。

 急ぎ足で階段を駆け上がって来た人がいた。クリスの父がホームへ迎えにきてくれたのだった。
 彼のお父さんが皆に順に握手していく。
 私はドイツ語を早速使ってみた。英語のI'm glad to see you.をドイツ語でなんと言うのか、絵奈とクリスに教えてもらった通りにいう。

あとから来たお母さんは
グーテン アーベント!(こんばんわ)」という。すると、おおげさに驚いてくれた。

 ライトバンに荷物を載せて、駅から出て数分走ると、車の通らない四つ角の信号でストップした。
 「Ena 、ここはわが町のメンインストリートだ」とジョークが飛び出す。ドイツの良さは田舎にあるというが、通りは伸びやかで車が走りやすい。絵奈とこのクリスの父には何回か会っており、親しみがある会話が飛び出す。
 お父さんはクリスに伴侶ができたことを喜び、言葉は分からないが、ウキウキしている気分が伝わる。 

 ジャンボジャットで成田から十二時間、その上、電車で4時間掛けてドイツの片田舎まで日本から珍客がやってきたのだから、エキサイティングな夜になったかもしれない。


 結婚式の日は、三月といえどもドイツ北部、空からはダイアモンドダストの雪が降っていた。花嫁のウエディングドレスとショールでいる絵奈は肌があらわで寒そう。

 我々が来たのは、ドイツ政府の役所である。
 広々とした公園の真ん中に煉瓦作りの建物があり、AD1575年とプレートが入口にある。日本でいえば戦国時代の建造物である。ここがドイツの役所、セレモニーホールである。

 結婚する当事者(絵奈とクリス)が長いテーブルの真ん中で、ドイツ政府の係官一人と向き合う。絵奈の隣が新郎の友人、クリスの隣が絵奈の友人のアンケ、合計四人が担当係官に向き合って座った。
 結婚式担当係官はドイツ人らしい大柄な体格、四十前後の男性である。係官が教会の神父の役目である。約二十分から三十分、役所で作成した文章を読み上げて進行する。

 列席者は新郎新婦の後ろに椅子が並んで、クリス家と野沢家の両家が並んだ。前日到着した絵奈の友人、メキシコの女医も列席した。全部ドイツ語だから理解できないまま、日本人は聞いている。クリス家側の列席者から時々笑いが起きた。


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ドイツの旅