敗戦間際に地震が続いた

「負け地震」その夜も名古屋へ大空襲
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 中津川の町は、木曾山脈の西端、恵那山の麓フモトにある。
 恵那山は休火山で温泉はでないが、このあたりの地盤は花崗岩の地層でできており、地震がきても揺れは少なく、あまり地震の被害はない地域だと実感している。

 木曽川を見れば、流域は花崗岩の巨石が多く、奇観をなしている。火山が何万、何億年もかかって冷えた石が地面の下にあることの証明である。平らな平野を作った弱い堆積地面とは、東濃地域の地盤は固さが違う。中津は、土地も、人間も、ゴツゴツでスマートさがなくても、中身は頑健というところだ。


 我が家は、国道沿いの戦前の建売住宅だった。
 敷地面積は五十坪はあった。二階建てで、一階は表座敷8畳、奥座敷8畳、板の間食堂6畳、玄関と食堂に続く廊下3メートル、玄関3坪、セメント床台所5坪、風呂場+脱衣場6畳、トイレに続く屋根付き廊下5メートル。二階は、表座敷10畳、裏座敷6畳と3畳。

 国道沿いだから、車の振動でよく揺れた。二階建てだから余計に揺れたが、そういうものだと思っていた。しかし、二階によく兄たちの友達が数人から十名くらい集まったときは、下の部屋にいると家がギシギシいっていた。


 私が五歳のときのことである。1944年(昭和19年)12月7日昼頃、正確には午後1時40分、日曜日だったか、みんな学校へもいかず家にいた。
 その日、私は次女セツ子姉と二階の10畳の部屋で縄跳びをしていた。二人で飛び上がるのだから、家がかなり揺れた。そのときの揺れは大きかった。我が家は、父は仕事に出てなかなか帰ってこないし、母が入院していたから、子供の行動に誰も文句いう人はいない。


 突然、部屋が揺れた。
 大きなトラックが近くを通ったようだった。私も一緒に遊んで飛び上がったりして遊んでいたが、その異常さに縄跳びを止めた。大きなトラックが家の前を通ったより揺れた。ガラス戸はビリビリいうし、柱がきしんだ。


「セツ子!縄跳びするのを止めて!」
 縄跳びの揺れだと思って、下の部屋から長女の姉が叫んだ。
 姉は十八歳だった。
「まだ、縄跳びしているのか!」
「(縄飛び)飛んでない!」
 揺れの中、私は座って二人の姉のやり取りを聞いていた。


 縄飛びを止めているというのに、まだ激しく家はゆれていた。外には車が通っているわけでもない。やっと地震だとわかった。一分八秒続いた、と記録には残っている。

 これが東南海地震である。

 近来にない大きく揺れた地震だった。三重県、和歌山県あたりは、津波もきてたいへんな被害だった。敗色濃厚になった軍部支配の戦時下では、被害の状況等は、一般に知らされなかった。



 また、東南海地震の一ヵ月後の明け方、三河地震が起こった。
 昭和20年1月13日午前3時38分に、渥美湾を中心に、マグニチュード7.1の直下型地震であった。私は熟睡していたので、揺れているのに気づかなかったが、そのまま父に負ぶわれて外に出たのだった。


 戦争はますます激しさを加えていた。
 アメリカ軍の空襲が毎日あった。まあ言ってみれば、日本は殴られぱなしの喧嘩みたいな状態だった。


 その夜も名古屋へ大空襲があって、四つ目川の土手を父に負ぶわれて歩いていた。昭和町、祖父の家の防空壕に避難のためである。四つ目川土手で立ち止まって、父は暗い空を見ていた。名古屋一帯が燃えてその炎で西の空が赤くなっていた。

 うちの父はこれらを「負け地震」と言っていた。

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○東南海地震
 昭和19年(1944)12月7日に起きた東南海地震は、三重県に大きな被害を与えた。マグニチュード 8.0で、関東大震災のマグニチュード 7.9を超える大地震でした。
 震源地は、志摩半島南々東約20キロ沖の海底で、この地震による被害地は静岡・愛知・三重の東海三県をはじめ、長野・山梨・岐阜・和歌山・大阪・兵庫などの各府県に及び、1,223 人の死者・行方不明者など大きな被害が出ました。
『昭和大海嘯記録』という記録を見ますと、「午後1時40分前後に遠州灘を中心とする一大地震が突如として起こり1分8秒に及んだ。町民一同驚き戸外に飛出津波の襲来を心配したが、10 数分にして大津波が押寄せた」と書かれている。
この地震による被害地は静岡・愛知・三重の東海三県をはじめ、長野・山梨・
岐阜・和歌山・大阪・兵庫などの各府県に及び、1,223 人の死者・行方不明者など大きな被害が出ました。

○三河地震
1945年(昭和20年)1月13日午前3時38分に、渥美湾を中心に、マグニチュード7.1の直下型地震で死者2306名 負傷者3866名 全半壊した家屋 23776棟。


参考文献
* 中央気象台『東南海大地震調査概報』昭和20年
* 吉田惣次郎『昭和大海嘯記録』昭和20年
* 山下文男『隠された大地震・津波』新日本出版社 昭和61年