一年一組(担任西尾岩夫先生)の女子は、人材豊富だった。
「子」という名前の女の子が多い時代だった。
高校でも同じクラスになったW子さんは、のちに音楽担当の先生と結婚した。同じく、時の記念日6月10日まれのT子さんは警察署長の娘でで英語がよくできた。
かけっこが速いM子さんは、牧師の娘で学校内の注目の人だった。南小学校の近くのM幸さんは美少女(卒業と同時に名古屋へ引越し)だった。
ひかえめのK子さんは、高校教師の娘で西新町の美少女。Y子さんは、一族が実業界で活躍していることで知られていた。後に「準ミス君の名は」になった女の子もいた。
それに引換え、中1の男子は無邪気だった。
昼休みになると窓から飛び出して、学校の脇を流れる川で、草の葉を石で叩いて色水をつくり、瓶に詰めて楽しんでいた。
学校の回りは田んぼだらけ、殿様ガエルのおたまじゃくしがいっぱい。今はほとんど見かけないタガメもめずらしくなかった。タガメは捕まえたカエルを抱え込んで、体液を吸出し餌にしているようだった。そんなシーンも見た。
席の左隣がM幸さんになった。
当時の私の心には男も女も意識なかったから、よく話をしていた。いまだに、一貫して私は男に女も平等に友達でありたいと思っている。
勉強でも、答え合わせなど、軽口を叩いていた。
「合っている」
「ちがうよ」とか、話をしていた。
右にいるT君より、左隣のM幸さんと話すほうが多かったかもしれない。彼女とは勉強の競争相手としても、話が通じ、楽しかった。
恋心があるわけではなかった。女の子の気持ちとしては、どんなだったかはわからないが、むしろ友人としての話ができる人だった。
坐って席を並べている分には、背の高さは意識することはなかった。
ところが、帰りの挨拶で立ち上がると、中一女子は男の子より発育がいい。立って並ぶと、彼女は10センチくらいは大きい。
悔しかったわけではないが、立ち上がって並んだついでに、私は手を伸ばして、彼女とどれだけ背が違うか、計るしぐさをした。家族的な意識だった。それが、私の後ろにいる男の子たちからまる見えだった。
その私の行動はヒンシュクを買った。
背の高さが女の子に負けている。男の子として釣り合わないのを悔しがっている、と解された。
M幸さんに好意を寄せる男の子たちが多かったから、嫌がらせで野卑な言葉で浴びせられた。M幸さんがクラス一、二の美少女だったから、やきもちだっただろう。
それ以来、私の行動がぎこちなくなってしまった。男女の意識してM幸さんと話ができなくなってしまった。
そのとき、私の憧れは別にいたから、M幸さんには特別意識はしていなかった。好きなタイプはひかえめな美少女だったけれど、いつまで経っても会話できないでいた。隠れたファンが多い人だった。
後年、同級会に行くと、シックな柄地の和服を着こなし、同じ生地で作ったハンドバッグを持って、おしゃれをしていた。話をしようにも先客男性が陣取って割り込めない状態。
こうなると、二のセンでは接近しにくいから、三枚目でアプローチしようと思うと、これが案外女の子には理解されにくいんだね。ご同輩。
何十年も過ぎてやっと話にこぎつけてみると、もの静かでも、芯の強い強いお姉さんだったりする。幼いころ夢見ていた美少女の実体は、違っているのに気づく。
一般に、同級生では元美少女たちからは坊や扱いされるのがオチか。
私が教育実習を二中で2週間やったとき、彼女の妹がいた。妹は活発で、姉のしとやかな性格とは違っていた。
高校卒業、3月末か、ヒマにまかせて落合の町を歩いていたら、国立N大経済に合格したばかりのS君と出会った。その隣りに隠れるように美少女M幸さんがいた。
中学卒業後、名古屋に転校して消息不明と思っていたら、S君、付き合っていたのだろうか、仲良さそうに歩いていた。
中学三年で本田先生のクラスだったころ、M美さん、S君の熱烈なファンで、気づくと、彼の家の前に立っていた、というほど。S君はスポーツも勉強も万能型だったから、憧れの的だったかも。
その頃を去ること、50年後のつい最近聞いた話。
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