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| 時空を越える |
| 五十歳を越したら、生きてきた時間より残された命の方が確実に少ないのです。残り少なくなった時間、日々をいとおしく思います。 大それた望みを果たそうと言うのではないですが、この世に足跡を残したいのです。人の肉体は滅びます。自分の命が跡形もなく消えてしまうと思うと、何か淋しいのです。しかし、死期が告げられてあたふたとしたくないのです。肉体は滅んでも、精神は皆さんの心に生き残れたら、と 思うのです。私の魂、精神は受け継がれたら、うれしいの です。永遠に生きたいのです。 それを可能にするのが、文章ではないでしょうか。書かれたことがいつまでも生き続け、遠くの人、後世の人に時間と場所を越えて伝えられるのです。時間を越えるには、文章を書き残すことだと思っています。 私は、小学校の六年生以来、日記をつけて来ました。ある先生が、授業のついでに語った一言で触発されて、以後 、日記を付け始めました。途中書かなかった日が無いわけではありませんが、約四十年の間、日記を書き続けてきました。苦しさを逃れるため、うれしいことを語るため、秘密を共有するため、青春の葛藤の最中でも書き続けてきました。 家庭を持ってしばらく後、秘密めいた日記に頼るのはもうやめようと思った時期がありました。その時期が、ちょうど子供たちが成長している時でした。ですから、写真はあるのですが、文として残っていないのです。あとから書いても追いつきません。一年分の時間が、十ページにも満たないのです。ああ、しまった。一年間の時間が、忘却の彼方に行ってしまったのです。記憶の曖昧さに驚かされます。日毎に記録すると、一年の分量はたっぷりあります。それらの記録は、歳月を経てみると貴重になるのです。 学生時代の記録を見ると、自分の精神の若さに触れる思いです。日毎の動きが追体験できるのです。年を取れば取るほど、若さが羨ましくなるのです。自分の十代、二十代の時間を定着させた文章の威力をまざまざと思い知らされるのです。 改めて、残り少なくなった時間、日々をいとおしく思います。いとおしい時間を、私の思い『ラストメッセージ』として、時間と場所を越して人々に語り掛ける文章としたいのです。私のメッセージは多くの人の心に入り、『私の肉体』は滅びても、『私』は時間を越えて生き続けるのです。 ためらいつつ近づき、超高速で過ぎ去り、そして峻厳としてたたずんでいる。 ・・・それは時間です。 |
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