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| 母との戦いの中で |
『顔』… 自分の顔を自分で見ることはできない。しかし、精神的には、いつも自分を客観的にみる習慣を持とうと思う。自分のカラから抜け出て、自分を見つめる習慣を持っていたいものだ。 ニヤリストと高校生の私に名付けたのは、いとこの同級生K子だった。 自慢したり、大声で言える体験ではないのだが、ちょうどその頃が、私の人生の中で一番暗いトンネルを通っている最中だった。継母の権力が最高潮で、私はその母の下で耐えがたきを耐えていた。外敵の槍襖から保護されるはずの我が家が、一番安全な気持ちになれない場所だった。その中で成長しなければならない悲しみは、到底他人には分かってもらえないということが、この『ニヤリスト』という名を付けられた時に悟った。 周りの人達からは私が好き好んで、ニヤニヤしていたと思うのだろうか。不幸せなことは何もない少年に見えたのだろうか。そんなふうにしか見えなかったと思うと、人生の無情を感じる。 ニコニコ笑っていることで、相手の大人の心和ませ、大人の叱責を免れて、可愛がってもらおう。許してもらおう…と、必死の知恵を絞った作戦だった。子供には、そうする以外何も武器はない。感情のとんがり勝ちの母親の矛先が自分の方に来ないように、必死だった。自分の生んだ子でもない子供を裏表なく可愛いと思えるわけがない。まま親というものはそういうものだと思った。その人が自分の生殺与奪の力を持っていれば、反発するより擦り寄って可愛がられるほうがいいに決まっている。 しかし、関係のない他人から見れば、『ニヤリスト』だったのだろう。そんなあだ名で片付けられて、一顧だにされない。他人の目は冷たいものだ。親に可愛がられない子供は、実に立つ瀬がないものである。笑っていたが、寂しさの中に私は漂っていた。 それゆえ、自分の存在を他人という鏡に写し、客観的に見る習慣ができた。懸命に子供らしい顔を見せ、従順に見せ、かつ自分の意思を押し通すため、どんな顔しているといいのか、苦心した。このことは家庭内にあって、幼い時から一貫して私の命題だった。 怒ったり、わがまま言ったり、贅沢言ったり、拗ねたり、感情をそのままストレートに出すことは、自分の存在を危うくすることだといつも感じていた。自分の気持ちをそのまま表現できること、それは幸せ。大抵の人はこのことまでは意識しない。 継母の死によって、ようやく40年間のクビキから解放された。 『ここは、私の家だ。子供なんか、さっさっと出ていけばいい。』と、ここまではっきり言える人は、継母でも世間に余りいないのではないか。 真冬に小学生がタライに水を汲みズボンを洗わなければならないし、朝学校へ行くのに、母親が起きてご飯を作って呉れなかったり…。こんな経験をして来ると、一般の人達のいうことは、わがままや贅沢としか聞こえない。両親の愛情に包まれて育った人は、もっと人に笑顔を与えていいのではないか。 自分の顔について、地のままで可愛い人とか、美しい人というのは、人の愛を疑うことのない人は、案外努力を要しない。機嫌が悪ければ、機嫌の悪い顔をそのまま出している。自分の満たされないのは他人のせいと、心に化粧をしない。心不美人のブスッとした顔ほど頂けないものはない。折角の顔を悪くして平気の人がいる。何千円の化粧品で念入りに化粧するより、女は笑顔一つでもっと、もっと映えるのにそれに気づかないのだろうか。 幼い少年は一生懸命嫌われまいともがいて、大人の隙間に生きるには笑顔を作るしかなかった。周りを気にしつつ育ったから、いつも笑って人からはヘラヘラしていると思われていた。 自立までは、男でありながら、笑って笑ってと生きて来た。それは、奇しくも、仏の教え『施顔』に沿っていたのではないか。今、五十歳になって始めて気づいた。 不機嫌な顔見せると、回りの人十人が不愉快になる。ニッコリ笑えば、回りの人十人が楽しくなる。笑顔を大切にしない人が多すぎる。 自分の笑顔を大切にしなさい。笑い顔、笑顔を大切にすると、周りの人も楽しくなる。それが、仏の教え『施顔』なのだと思う。 平成元年10月 目次へ |