背中に哀愁
男のダンディズム

  人は背中に重い荷を負いながら、かつ、夢を追い求めています。
 夢を追うことは、言い換えれば『カッコつける』ことてす。ですから、『カッコつける』生き方を捨てては生きられないのです。男も女も、『カッコつける』生き方に生き甲斐をかけているから、それをたやすく下ろせと言っても、ハイとは答え難いでしょう。

 肩の荷物を下ろして、お互いに無理しないで互いに労り合うと言うと、これで人生の伴侶と分かりあえるような気が一見するけれど、本当にそうでしょうか。これを、背中の荷を下ろして地のまま生きたら楽だという。しかし、そう出来ないのが人間です。

 何もかも、自分の苦を全部語ってしまえば楽になると、女性なら思うし、悲しい時には思いっきり泣けば、スッキリすると思うでしょうが、『カッコつける』男には、それが出来ないのです。どうして?と聞かれても答え難いのです。多分、多分ですよ、女性のリアリスト、現実主義者に対して、男性のロマンチスト、夢追い人だからだと思っています。

 『カッコつける』夢を追う…ということを捨てたら、現実しか残っていないじゃありませんか。『食うために、生きる』生活ではなく、『食うためにのみに、生きるにあらず』を信条にして生きることに、意義があるのではないですか。

 人間の責任を分け合うことは、大いに必要ですが、そのように解決することを指摘しているのではありません。むしろ永遠の課題として、各人が背負いつづける覚悟を認識しないといけないのです。

 夫婦といえども、他人です。自分の領域に入って貰いたくないし、私自身もいくら親しい仲にあっても相手の領域を侵さない、不可侵の部分を尊重することで、お互いの精神的な独立人格を認めることが可能になると思います。

 ボロを見せあう、傷をなめあう関係で何でも許しあえる、それは演歌の世界みたいでいいかもしれませんが、ちょっと考えてください。おまえは俺の物、子供を親の所有物…これと軌を一にする考えで、夫婦を一体と考えるのは間違いです。自他の存在の独立を無視した考えです。

 元気に二十四時間ビジネスマンをやっていても、日が暮れると肩の重みを感じ、そこに人生のBGMバックグランド・ミュージックが響く。この響きは哀愁であり、時には悲壮感でもあるのです。

 こうして重荷を背負って、そして引きずり、人間の存在そのものは根っこから
 さびしーいッ!
 のであって、現実の生活の問題とは違うのです。

 負の部分を秘めていてこそ、人間は味がでると思えば、決して泣き言いつつも、それを楽しめるのです。それが男の生き方なのです。背中に哀愁が漂うのは男のおしゃれであり、生きることはそのダンディズムに殉ずることです。これがなかったら、生きていても、死んでいるのです。
                   平成二年十月


  
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