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| いくら包みますか? |
四年間、学生に住まいをを世話した。その学生、就職して郷里の群馬に帰ったが、今年めでたく華燭の典を挙げると知らせがあった。ぜひ来てくれと言う。 しかし、女房殿は、その結婚式に私が行くとなると、形式を重んじる田舎の出身だから、ケチって恥を掻くのではないかと、先制が来た。 『結婚式行くの?』 『ご祝儀、今一万円じゃないわよ』 『着ていく物、ある?』とか… 2発、3発と、攻撃は続く。マイナスの要因を並べ、私の意気阻喪するのをねらって言う。マイナスの要因は、私にはバリヤー(障壁)になって迫る。しかし、信念の人、私は負けられない。自分流でここは押し通すしか、行く道はない。 祝儀に関して、私はあしき伝統を破るべきだと考えている。 現在日本人は世間体におそれてか、この祝儀を現金遣り取りの場と考えているようだ…。豪華なホテルで華燭の典を挙行しようと、それは主催者の考えであって、それを招待される者に費用負担させる魂胆があってはならない。ケチつけようというのではないが、なぜ祝うのか考えて出席すべきであり、祝う側でも現金を贈る風習は考えるべきである。その改革はさわやかで、現金を贈る伝統より優れていなければ、主張の説得力が欠けてしまう。 今までの招待された結婚式に私は、主婦向けの雑誌一年分や、図書券とかいろいろ贈った。しかし、いまいち自分の考えが伝わらなかったようだ。 今回から決めたのは、岩波新書14冊と国語辞典である。現金では『自分らしさ』が発揮できない…という一念で、これに決めたのである。 贈る本を決めるのには、かなりの思い入れと時間が必要であった。 二十代の若い世代に真剣に考えてもらいたいテーマ…、 平和、国際問題、現代社会、日本の伝統、言語… これらを知り、人間としての意識を高める本に決めた。結婚を期にしっかり日本を担ってもらいたいという思いを込めた。理屈屋と言われようと、『若者への愛情』であると同時に『大人の警告』でもある。 結婚式の前前夜、スピーチの草稿を考え、ワープロで打ってコピーした。岩波新書14冊と小学館の国語辞典のプレゼントをメッセージを添えて、梱包した。一段落するまでに五時間、包装した本はちょうど食パン2斤分のサイズになった。 こんなにも私が彼の結婚を祝福しているが、この隠れた好意が伝わるのかどうか…、『精神、頭脳の食糧だヨ…』と言ってプレゼントするといいな、と持ち上げると、ずっしりと重みがあった。 彼らの結婚式の日までに、背広を新調。ワイシャツ、ネクタイ、パンツ、シャツ、靴下…予想外の出費だ。当日は、高津から八千代台、八千代台から船橋、船橋から上野、上野から高崎(新幹線特急)の経路で行く。高崎駅からタクシーで、結婚式場へ駆けつける。 「はい、祝儀」と単にお金を渡すのとは違う。私のお祝いの心は誰にも負けない。これだけの真心を尽くしたお祝いの気持ちがあっても、上野で新幹線に乗った時から、岩波新書14冊と小学館の国語辞典の食パン2斤分の荷物は、ずっしりと心にも重い。世間の慣例を破ったという意識は、心にわだかまっていた。祝儀を持ってきていないという思いが、バリヤーのように私の心を取り囲んでいた。 『招待されたら、ホテルの格にあわせて、ン万円の祝儀が世間の相場だ…』と言う 世間の常識。伝統。因習の重みがのしかかっている。一個人がこの風習を破るのは、変わり者というレッテルを張られること覚悟しなければならない。少数、異端になることを避けるのが、上手な生き方。 『長いものには巻かれろ』式の日本の社会で、個性的であることが、こんなに大変だとは…。敢えて異を唱えることの摩擦を自分の中に感じていた。みんなでやれば、怖くない…が、先駆者の蛮勇にも似た気持ちを味わっていた。 しかし、タクシーを結婚式会場の玄関で降りて、『信念で自分の考えを通すのだ…』と、 背筋をのばして颯爽と歩いているが、こだわりの心が緊張感を高めていた。玄関の入口に近いところの段差に気か付かず、大きく踏み外して転びそうになる。オットトトットト…という感じで、正面入口の受付に近づいてしまった。 椅子に坐っていた受付、左側の女性二名、右側の男性二名が、一斉に立ち上がった。筆で書く芳名簿を差し出された。住所、千葉県八千代市…と、書いていると、その横に、先客の置いて行った、金糸の水引の熨斗袋二三枚、これみよがしに置いてある。ただそれだけの光景であるだけだが…、なかなかのプレッシャーである。 緊張感で喉が乾くような気分に陥っていた。…この小心もの!と心の底から聞こえる。落ち着いたふりで、筆書きの住所を書く。 「ここで祝儀をお預かりします」…と言うのだろうか。おもむろに顔を上げて、さも今祝儀の袋に気付いたように、 「お祝いの品は、会場の中で直接渡してもいいですか。」と、問う。 「はい。どうぞ」といわれ、 「あ、そう」と答え、心の葛藤は終わった。 主催者の側には、変革を受け入れる度量はある。祝儀にこだわるのは、お祝いする側だだろう。真剣に相手のことを考えたら、『相手を祝う』気持ちを伝えることを一番大切にするべきだと思いませんか。 一番自分の気持ちを伝えるとしたら…どうするべきか。 そうしたとき、『お祝い=お金』とする因習に、何も疑問を感じませんか。'90.12.21 目次へ |