第3章 下宿するいさむ
| 1 いさむの下宿 |
「先生、どこか下宿ないですか。」 いさむは夏休みになるのを待ちかまえ、家を飛び出した。洗面用具と勉強道具をかばんにつめ、タイ先生が日直の日に学校へやって来た。 「どうしたの。また、やったね。」 思いつめた顔を見れば、家の中で一もん着あったことが察せられる。 「勉強できないんです、今の環境では。落ち着いてできないんです。」 家にいると、口を封じられたように息がつまる。休みになって、一日中母と顔を合わせていなければならない。 洗濯だって義理の母に洗ってもらうのは、嫌悪感が先立って、自分で洗っている。小さなほころびは母にたのまないで、自分で繕っている。 二間と台所の社宅に、中学生の男女と赤ん坊、夫婦の五人暮らしでは、狭くて、いらいらしてしまう。 「家にいたくないんです。」 いさむの言葉に真実味がこもっていた。 しばらく、彼の立場、気持ちについて、タイ先生は考えていた。今、困って泣きついて来ているいさむに、助けを差しのべてやらないと、どうなるだろう。邪険に扱って、彼を家へ追い返したら、どうなるだろう、と。 「夕飯、うちで食べていかない。」 先生は、いさむをうちへ連れて行って、いさむが家を飛び出したことを、手短かに母に話した。 先生の母と妹の三人、それに兄夫婦と子供二人の 大家族だから、いさむ一人増えても、大したことはなかった。 「かあさん、浅田君の下宿、田口の姉さんのとこに頼んでみようと思うけど……」 「そうや。あそこは、広いばかりで、無用心やから、浅田さんに居てもらえれば、心強い。」 田口の姉さんとは、先生の叔父の妻がやもめ暮らしをしている十一屋のことである。 翌朝も、先生宅で大家族と共に食事をした。和気あいあいとおしゃべりしながら食べているのが、うらやましかった。 「十一屋へ行って、交渉してきてあげるから」 食事がすむと、タイ先生は言い残して出掛けた。 「今、生徒が家出して来ているから、居させてあげてほしいのだけど、夏休み中だけでも。」 タイ先生は、田口の姉さんに頼んだ。 「居らせてあげてもいいけど、浅田さんって子、家出しているなら、なるべく、親御さんによう話して、家へ帰してやらな。」 「うん、そう思うけど。今は、冷却期間を置いた方が……。」 西日の当たる狭い部屋だけど、一日中母親とにらに合っているよりよいと判断した。それに、水島の家も近いから助け合える。 いさむもその部屋を見て、気に入った。 先生は報告かたがた、寝具をとりにタクシーを呼んでいさむの家へ行った。玄関の前にタクシーを待たせ、「浅田」の表札を確かめた。 「ごめんください。」 突然、入って来たタイ先生に、いさむの母は少々おどろいた様子であった。 「いさむさんの布団、出して頂けませんか。」 タクシーを待たせてあるので、タイ先生は気がせいて、挨拶のそこそこに用件を述べた。 いさむの母は、返答をしないで、黙ったままだった。先生は、妹のかつ子に頼んだ。 「かっちゃん、お兄さんの布団、出してくれる」かつ子は母の顔を見たが、母は無表情のまま駄目とも言わず、台所へ降りて行ってしまった。 兄の布団二枚と、本立てに残っている本を布団はさみ、大風呂敷に包んだ。 「奥さん、いさむさんの布団持って行きます…」 「はあ…。」 母は背を向けたまま、気のない返事をした。 「いさむさんは、十一屋の田口さんに居ますから……。」 聞いているのか、いないのか、反応がさだかでなかった。 「お兄ちゃんとこ、行ってやってね」 かつ子に頼んだ。荷物をタクシーに積み、運転手に言った。 「本町通りへ…。」 ちょっと強引にやりすぎたかなとも思ったが、夏休み中だけでも、親から離れて暮らした方が、双方とも休まる……と、考えた。 十分ほど乗っていると、本町通りの「十一屋」に着いた。タクシーから降りると、いさむが玄関から迎えに出た。布団を受け取って、いさむは自分の部屋となった奥へ運んだ。 「あんたも、大変だねェ。」 田口のおばさんが出て来て、給料分だけ学校で授業すれば済むわけではない、先生稼業に同情した。「向こうの奥さんに、ちゃんと断ったのかえ。」 「ちょっと強引だったけど、上がって持って来ちゃった。」 「いいのかえ。そんなことして……。」 あとあと悪い影響がなければと、年寄りの知恵で心配してくれた。 帰り際になって、先生は、 「これ使って。」 いさむに、千円札を握らせた。 「食事の材料も自分で買わなければならないし、お金はいくらあっても、邪魔にならないから。」 「いいです。困ります。」 辞退するいさむにお金を押しつけて、先生はて行った。 昨日からきょうにかけて、先生には迷惑をかけ通し、お金までもらってしまった。自分だけが、こんなに世話になっていいものか、いさむは気が重く感じていた。 「今夜は自炊もできないだろうから……。」 田口のおばさんは、お盆に載せてどんぶりご飯、じゃが芋の煮つけ、味噌汁、たくわんを持って来てくれた。 一人で夕食を食べるのはわびしいが、そんな弱気は言ってられない。 「さあァ、やるぞォ。」 ひとり言を言って気合ををかけた。 机・・机と言っても、リンゴ箱である。紙を敷いたらなんとか見られるが、貧弱だった。 電灯の真下へその机を持って来たが、四十Wではちょっと暗い。もう一つのリンゴ箱には、ちり紙、洗面用具が置いてある。 |
| 2 下宿ぐらし |
他にも下宿している独身の先生が一人いるらしいが、夏休み中なので、田舎へ帰ったとかで不在なので、館の中は昼間でも、静まり返って、油ゼミの声だけが庭から響いていた。 「下宿へ来てみないか。」 いさむにさそわれて、「十一屋」へ水島はついて 行ってみることにした。 「火を起こしてくれんか。」 彼に言われて、七輪に木切れと新聞紙を丸めて、マッチをすった。煙ばっかり出るので、下からうちわであおった。やっと、炎が出て来た。その上に、小さい炭を乗せて、また、あおる。 パタパタ、パタパタ、と、やっているうちに炭から、パチパチ、火粉が飛んだ。青い一酸化炭素の炎の強いにおいがした。 「この鍋、かけるんだ。」 いさむは鍋を渡した。四尾のいわしが二つに切ってあって、水が入っていった。次に、汁を作るために、ネギの皮をむき切っていた。里芋も皮をむき、ニボシと……準備していた。 「もっと小さく切ったほうが、里芋は早く煮えるよ。」 おばさんが、台所へ出て来て教えてくれた。さすが、男の気づかないところに、こまかな神経があると感心した。 鍋のふたをとると、イワシは、グツグツと煮えて、水が減っていた。 「これで、いい、と。次は……」 いさむは、てきぱきと行動した。 炭は真っ赤になり、熱くなった。七輪の空気口を 小さく締める。 イワシは皿に移し、鍋の中の汁は利用して吸い物を作ろうと、カメから水を汲んで水を足した。 「きょうは、二人で食事するの。仲よくて、いい ね。」 おばさんはうしろから、男の子がやることをおもしろい見せ物のように、ながめていた。 「これ、あげるから、食べてみて。」 食事の支度が終わるころ、金平ゴボウを皿に入れてもってきてくれた。 できあがった夕食を、西日にあたる三畳へ運んでいって、リンゴ箱の食卓の上に並べた。 皿や鍋、茶わんで賑やかになった。 「さあ、食べてみてくれ。」 ご飯は朝作った残りだが、お汁もほうれん草のおしたし、イワシの水煮、いさむが自分で作った作品なのである。自分で料理をやったことのない水島には、彼の手ぎわの良さは、驚きであった。 「ま、遠慮しないで、食べてくれ。」 と言われても、水島は彼の分まで食べてしまっては……。そんな気持ちだった。 「お代り、しないか。」 水島がうなずく。 「しない? じゃあ、な、オレ食べるから」 残っていたご飯を自分の茶わんに移した。 「こう、満腹になると『お茶が一杯こわい』」 突然、いさむが変なことを言い出したので、水島がけげんな顔をしていると、 「『まんじゅうこわい』知らんか、落語の。」 「うん、あれか。」水島は苦笑した。 『まんじゅうこわい』とだまして、まんじゅう腹一杯食べた後、『お茶が一杯こわい』といった落語を思い出した。 「おばさんに聞いてみようか。」 立ち上がって、お勝手の方へ行った。しばらくすると、いさむはちゃんと盆に急須と茶わんを載せて戻って来た。 「どうだ!やったゾ。」 手柄を立てたような顔。大人に甘える如才なさがある。大人と大人の隙間で生きていく、いさむの生活の知恵でもあった。 「ほれ、勉強だって、家にいる時より、はかどっ ている。」 今やっている数学の問題集を見せた。いくつか、△印のついた、解けない問題はあるが、かなりやっていた。 「この暑いのに、よくやっているよ。暑くないのか。」 「なんの、なんの。『心頭滅却すれば、火もまた 涼し』だよ、ハハハ……。」 狭い家の中は、赤ん坊がギャーギャー泣くし、母はキリキリして、一日中ぶつぶつ言って不機嫌だ。妹は、小言を一日中言われて、メソメソしている。中学生のいさむの神経には、耐え難かった。 暑ささえ我慢すれば、いさむにとって「十一屋」の三畳部屋は天国であった。お茶を飲みながら、優雅な気分で、いさむと水島は会話をかわしていた。「英語はやってもやっても、実力ついたという感じが持てないないなァ……。」 「どんなのをやっている。」 水島がリンゴ箱の机の上をのぞくと、ノートに英語の訳が書いてあり、重要語句に赤線が引いてあった。 「十一屋」へ来てからのいさむは、今まで勉強していなかった分を取り戻そうと、燃えていた。何を どうすれば、自分の未来が開けるのか、よくわからなかったが、やる気にはなっていた。 「オレ、三十才まで、鉛筆を放さない!」 勉強を続けたい。人負けたくない……現状からの脱出が、いさむの願いだった。 数学はまあまあだったが、英語は一日、二日勉強したからといって、実力がつくものではないから、いさむはあせりを感じていた。『学問に王道なし』とわかっているが、近道をさがしたくなっていた。 水島が帰ってから、ずっとリンゴ箱の机に向かっていたが、十時過ぎた頃から疲れを覚えてきた。 英語の単語も二、三個なら直ぐ覚えられるが、十五、六行の文に、二十個も意味の不明の単語があれば、遅々として学習ははかどらない。次のページも次のページも、わからない単語の海なのだ。 意味不明の単語の洪水の中で、いさむはもがいて いた。意志の力で、肉体をひきずるように、机に向かわせていたが、やはり頭に入らない。 「あァ、あァ……。」 背を伸ばしてから、立ち上がった。 小便をしに便所へ行くとジー、ジー、と地面でみみずが鳴いているようだ。広い館は、ひっそりと静まり返っていた。 台所で調理したりするのが、一日机に向かっている生活の退屈をまぎわしたり、体をほぐすには、ちょうどよかった。カメの中の汲み置きの水が少なくなると、庭へ出てポンプを押した。ブリキのバケツで、五、六杯で、カメの水はほぼ一杯になった。 庭に面した壁ぞいに、薪が積み上げてあった。それを燃えやすく小さくするのは、おばさんには容易でない。 「ちょうどいい運動になるから……。」 事実、運動不足で、ちょうどよかった。 小さな三角の脚立の上に、マキ一本を挟み足で押さえ、のこぎりを引く。両手に余る太い木を切るのだから、大変なエネルギー。上半身、裸でもしょり。二つに切った薪を立て、真上から、ナタをふり下ろして、二つ、三つに割る。これを二束、三、台所の土間や流しを念入りに掃除した。部屋の掃除のついでに、外の廊下の雑巾がけもした。気がついたことは、何でもやった。 薪わりは、のこぎりとナタのありかがわかってから、日課としてやった。割った薪は、もうだいぶ溜まった。 「ようやってもらって、スマンねえ。」 「体がなまってくるから、体操代わりに、気分転換なんです。」 せっかく下宿させてもらって、悪く思われては、 家出してきた甲斐がない。おばさんに良い印象を与え、気に入られること、これがいさむの最大の関心事であった。 身を挺して努力した。下男か、書生になって奉公していると思えば、楽なものだった。勉強の合間に仕事をしょうとすれば、仕事が負担に感じられるが、勉強は仕事の合間を見つけてやればよい・・と、 発想の逆転を試みてから、急に気分が楽になった。 便所の窓から庭を見ると、おばさんが庭の雑草を刈っていた。手水鉢で手を洗ってから、声をかけた。 「おばさん、ぼくがやりますよ。」 いさむが下駄をはいて降りて行くと、 「いろいろやってもらって、有り難いけど、勉強をしっかりやってもらった方が、私は嬉しいよ。」 「今、ちょうど休憩しているところですから、大丈夫です。」 鎌で草を刈りながら、話をした。 「たえ子にも、浅田さんにドンドン勉強してもらえるようにしてくれって、言われている。」 タイ先生は、おばと姪の関係だから、気やすく、話し合っていた。 「男はドンと構えていて、周りのことはクヨクヨしないこと。下宿代なんか気にしちゃ、駄目よ。」 「……。」 「いいのよ。あなたから頂こうとは、初めから思っていないから。」 下宿代をただにしてもらうわけには、いかんと思っても、現実にはそれに見合う料金を支払う余裕はなかった。それ故に、おばさんに喜んでもらえるように、必死で仕事を見つけては、働いてきたのだが……。 「才能のある男の子は、それを伸ばすことが、世のため、人のためなんですよ。」 おばさんの言葉に、グウの音も出なかった。 下男のようにコセコセ働く子より、一生懸命勉強する少年の方が、おばさんには頼もしく思えたし、世話してあげる張合いというものがあった。 おばさんの一人息子は、東京の医学校を出て、医師になっているし、姪がいさむの先生だし、遠縁のおじさんが市長だったとか、一族はできる人たちらしかった。いさむには、今の水準からは、及びもつかない気がする。 「ご苦労さん。冷たい麦茶でも飲んで、また、勉強して下さいよ。」 草刈りは半分も済んでいなかったが、きょうの分は終りとした。縁に腰掛け庭の木々を見ると、緑が濃く、広々とした庭が、昔はずい分栄えていた家だと思われる。 「将来は、何やりたいの。」 何気なく聞かれて、いさむは困った。当面の高校入試の関門も通っていないのに、と思ったが、 「法律を勉強して、司法関係に進みたいと思っています。」 希望としてなら、何とでも言えた。医学だって、工学だって、なれるのなら、どれでもいいと思った。 「そうね。浅田さんに向いているかもしれないね。」 スランプ状態の学力のことが、頭に浮かんで素直に喜べなかった。 そんな会話のあった次の日から、手伝いを控えて、勉強に力を入れなければと思ったが、適度の運動のため、薪わりの仕事は熱心にやって汗をかいた。いさむの自由意思で動けばよい。「自分の家にいるように」とはこのことか。おばさんによく思われて下宿代を……」などと、さもしい気持ちで働くわけではない。 |
| 3 祭りの出合い |
夕食の準備をしていると、祭り太鼓の音と子供の行列のかけ声が聞こえてきた。「十一屋」の玄関を出て本町通りを出ると、子供行列が来た。 先頭に神燈提燈を二基。高張提燈十五、六基。二人で太鼓をかつぎ、弓張提燈は二十数人から三十人くらいの小学生。全体で、四、五十人の一隊だ。 太鼓を打つと、 デンコ、デン!デン! 弓張隊が「ワーイショ!」 デンコ、デン!デン! 高張隊が「ヨーイショ!」 「もっと、大きい声出せ!」 中学生の大将、副大将が叱咤してる。 弓張、高張の提燈の前の部分に、「新町」「六区 」「中清組」「北野組」とか、それぞれの所属が書かれている。新興の工場地域の尾鳩には、地元の習慣が根付いていんだかったので、いさむにはめずらしかった。 町方は、賑やかで、いいナ……。津島神社まで行ってみよう。誰かに会えるかもしれない。「中清組」の行列に会えば、水島が大将をやっているはずだから……。 「九時半頃までには帰りますから、開けておいて下さい。帰って来たら、ボクがかぎをしめておきます。」 夕食後「十一屋」のおばさんに断って、すっかり日暮れてから津島神社に向かった。津島神社へ行く道筋は混雑していいたが、知っている人には誰も会わない。中三の男子は、祭の中心になって町を練歩いているから、雑踏の中にいるはずもない。 津島神社の境内は、アーク燈をつけた綿菓子屋、お面売り、輪投げ、べっこうアメ屋----と、並んで祭りに景気づけていた。 社の石段を上って行くと、その両脇に提燈に明かりはついていたが、足元は暗かった。子供連れの親子や高校生や大人……、雑踏の中にもまれながら、石段を上がって行った。人は多いのにいさむは誰も知らないし、誰もいさむを知らない。そう思うと、急に孤独な気持ちに陥った。 本殿は、石段を上り切った所の広場にあった。 (ご神体といったって、ただの石っころなんだろう……。福沢諭吉が稲荷神社の神体と石をとり替えた話があったナ。) でも一応、賽銭箱には十円硬貨を投げ込んで手を合わせた。 「あさだくーん」 本殿を出ると、いさむは呼ばれたように思った。 周りを見回しても、暗くてよく見えない。 「こっち。こっち。」 本殿脇の木立の横に、二人連れの女子中学生がいた。近づいてみると、亜紗子と雪子だった。 「石段上がる前から、見えていたんだけど、混んでいて近づけなかったの。」 「やァ、こんばんは。」 「お参りしている所まで来て、やっと追いついたのよ。ねえ。」 雪子に同意を求めた。ぼんやりした明かりの中では、昼間とは一種違った亜紗子の大人っぽさがあった。一瞬、ドキッとした。別人を見ている気になっていた。 久し振りに会って、いさむは何を話してよいやら だった。学校で注意を受けて以来、亜紗子はいさむを避けていた。 三人並んで歩くと、いさむの手は亜紗子の手に触れる。下りの石段は暗くて、足元がおぼつかない。 「あァ…」と、 亜紗子が石段でつまづきかけた瞬間、いさむは自とし、亜紗子は何気ないふりにしゃべっていた。 何を話したのか、相槌は打っていたが、いさむは上の空だった。ただ、握った手が熱くなって汗ばんでいるのがわかっていた、だけだった。 デンコ、デン、デン。 デンコ、デン、デン。 鳥居の下に「北野組」の一隊が休憩していた。高張提燈は立てかけて、本殿へお参りに行って、太鼓だけが残ってたたいていた。 また、別の一隊が太鼓をたたいて、 「ワーイッショ!」 デンコ、デン、デン。 「ヨーイッショ!」 デンコ、デン、デン。 近づいて来た。提燈に「中清組」と名前が書いてある。水島が大将をしている組だ。 「止まれ!」 「いいか!三十分間、ここで休む。お参りしたい者は、休んでいる間に、行って来い!」 ワーッ、と一斉に石段の方へ走り出した。残っているのは、大将の水島と、副大将だけ。 「よォ!仲のよろしいことで!」 はっぴを着た水島は冷やかした。彼は祭りのせいか威勢がよかった。 隣りの太鼓に負けないように、中清組の大将、水島はたたいていた。 デンコ、デン、デン。 デンコ、デン、デン。 隣で「北野組」の出発らしく、勢ぞろいしていた。 「声を出せ!」 「ワーイッショ!」 「提燈、高く上げろ!」 「ヨーィッショ!」 かけ声と共に、火の入った高張提燈が夜空の上がった。 田んぼの中の野道を行列つくり、提燈に明かりを入れて歩いて行くのを、遠目に見るのは、この地方の景物として風情がある。 「北野組」が出発すると、「中清組」だけになった。 「太鼓、たたいてみるか。」 バチをいさむにつき出した。さっきから続けて太鼓を打っていたから、手が痛いらしく、水島は手を振った。 「右一回、左一回、右二回、いいか、そうすると、テンコ、テン、テンになるんだ。」 いさむは教えてもらった通り、太鼓を打つと、おもしろい。 デンコ、デン、デン。 デンコ、デン、デン。 打っているうちに、夢中になってきた。太鼓の響きは、男っぽいリズムで、男の祭りのような気がした。 「中清組」が津島神社を出発すると、いさむは提灯行列の最後尾に付いて、亜紗子と雪子と歩いていた。本町通りまで行列に付いて送って行くつもりだった。歩きながら、亜紗子は切り出した。 「母に聞いたんだけど……。もし、気にさわったら、ごめんなさい。」 「どんな話……」 「浅田君を養子にしたいんだって、タイ先生。先生、これから結婚したとしても、子供できるか、どうかもわからないし……。」 いさむは、そんなこと、初耳だった。 先生は死んだ母と、同じ年だから、母のように甘えたい気持ちがないわけではないが、先生を母と呼ぶには、抵抗があった。 「浅田君は、今のお母さんとは義理の仲だから、養子に出てもらった方が、いいって。」 いさむもそうした方が、家の中がうまくいくかもしれないと、思ったこともある。 雪子も、亜紗子の言うことが、もっともであると聞こえるが、いさむはどう思うのか、それを知りたかった。 「そんなこと、先生が言っていた?」 「母が、よそで聞いた話だから……。どこまで本当か、わからないけど。」 「オレ、養子なんかならんよ。『小ぬか三合持ったら、養子に行くな』って言うじゃないか。」 西新町の雪子の家から数えて四軒先が、和菓子の店『古都屋』亜紗子の家だった。 「じゃあ、どうも、ありがとう。」 亜紗子は、手を差し延べてきた。 「じゃあ。」 いさむは、ぐっと握って、少し力を入れると、亜紗子も握り返してきた。 |
| 4 事 故 |
| 夏休みの終り頃になって、水島がいさむの部屋へ行くと、荷物を片付けていた。 「ここから、学校へ通うつもりじゃあなかったのか。」水島は、勉強机だったリンゴ箱の上に、腰掛けていた。 「おやじが来て『いい加減に帰って来い』と言うんだ。いつまでも、ここに厄介になっているわけにいかんし……、親父『体面も悪い』といって、今朝下宿代として三千円払って行った。もうおばさんに、明日出ますって、言っちまった。」 いさむの表情は、親父が迎えに来てくれたことで明るかった。和解して、家庭が円満に行くことが、誰だって嬉しくないはずはない。 「リヤカー貸してくれないか。」 「明日、手伝ってやるよ!」 翌日、水島は自転車にリヤカーをつけて持って来た。 布団を汚さないように、大風呂敷で包めば、あとはリンゴ箱二つに、全部細かい物はおさまった。 尾鳩のいさむの家は「「十一屋」からは恵那山に、向かって行く。途中は坂が多くて、水島が自転車を引き、いさむがリヤカーを押した。 風もなく、静かな夕べだった。薄暮の空に、一番星が出ていた。リヤカーは、ようやく中村の川沿いの平坦な道に出た。 自転車でリヤカーを引っぱるのは、ラクそうに見えるが、意外とむずかしいものである。畑へ肥桶を載せて運んでいる水島には、その技術があった。人は見掛けによらないものだ。 「荷台に乗っても、いいぞ。」 水島が自転車をこいだ。いさむはリヤカーの荷台の布団包みの上に腰掛けた。 平坦な道になると、いさむはしゃべり始めた。いつもの持論を展開した。 『世の不正と戦う』畳の上で死ねないかもしれないが、これが男の本懐なんだと、いさむは水島の頭の中へ熱風を吹きかけた。いさむの考えは、中津の小さな世間の中にはおさまりきらないものだった。置かれた環境と彼の主張や夢とは、隔たりがあった。水島は心配して聞いた。 「家へ帰っても、また、飛び出すことにならないか。」 「うまくやっていくつもりだけどな……。」 家庭問題になると、歯切れが悪い。高校までは辛抱するつもりだが、あとは自力でやってみるつもりだ。学力が伴わなければ、社会で認められるはずもない。それらの条件を無視して語れるのは、若いからできるのだ。 「暗いから気をつけろよ。」 自転車のブレーキだけでは、リヤカーの速度が落ちないことに、水島は気づいた。荷物が重ければ、重いほど止めにくい。加速がつき始めた。 「降りて、止めてくれ!」 悲鳴に近かった。 「よしッ!」 勢いよく、いさむは飛び降りた。その瞬間 「痛てえ!」 その場に、うずくまってしまった。 リヤカーのブレーキをかけられず、水島は猛然とスピードで走る自転車の上で、焦っていた。 坂の下に砂利か砂の山が見えた。 あそこへ突っ込めば、ブレーキになるだろう…… ガッーッ、 砂利の山へ乗り上げた。自転車とリヤカーの左片輪が砂利の上で、はね上げられ宙に浮いた。 ガーン、 リヤカーはひっくり返され、荷台のリンゴ箱、布団包みは放り出された。水島自身も飛ばされ、地面に叩きつけられた。リヤカーの車輪がカラカラと勢いよく回っている・・そこまでははっきり覚えている。 大きな物音に何事が起きたかと、近所の人は戸を開けて見に来た。 懐中電灯で顔を照らされて、水島は気がついた。 「おい。大丈夫か。」近所の人に、声かけられて、 「うん。」 水島が立とうとすると、 「立つな。横になってろ。」 水島は重傷扱いであった。 十人以上の人がまわりをかこんで、水島をのぞき込んでいた。なんとでもしてくれ。横に寝たまま、人を観察するのは、たまにはいいじゃないか、と居直っていた。 足をくじいたらしく、ヒックヒック、足をひきずっていさむが来た。 「水島、大丈夫かァ。」 「なにィ、浅田君やないの。」 物音で出て来た中学生は、同じ組の郁代だった。 「同じ組の人なら、うちへ来てもらいなさい。」郁代の母親らしい人が言ったが、水島もいさむも遠慮していた。 「腕とひたいから、血が出ている。洗って薬つけないと、バイ菌が入るよ。」 人懐っこい郁代は、彼女の家へ連れて行った。荷物をひろってもらい、リヤカーと自転車も、近所の人が彼女の家の近くまで運んでくれた。 「痛くない?」 「別に、何ともない。」水島は、郁代の手前、ちょっと強がった。 洗面器で顔を洗い腕の傷を洗うと、水は赤黒く汚れた。血はたくさん出たが、洗い流して傷口を見ると、それほど重症ではなかった。 「大した怪我でなくて、よかったよ。」 水島の傷口に、いさむは薬をぬり込んだ。 「痛てッテテ……」 郁代や彼女の家族など、じっと見ているのも忘れて思わず叫んだ。 「がまん、がまん。」 おかまいなしに、いさむはぬりつけた。 「浸みるゥ!」 「痛い?」 郁代が心配そうに、水島の顔をのぞきこんだ。「もっと、やさしくぬってあげれば……。」 いさむに代わって、郁代が包帯を巻いた。さすが女の子のやり方は、ていねいだ。彼女の髪、うなじがせわしく動くと、やさしい香りがほのかにした。 いさむは足をひきずり、水島はひたいに絆創膏はって、ようやくいさむの家に着いた。 二人の傷にはびっくりされたが、母も妹も喜んでくれた。妹も母と仲良くやってくれているようで、いさむは内心ほっとした。 |
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