アムステルダムで

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飾り窓」の有名な


 最初に到着した旅の最初のアムステルダムに話は戻る。

 成田発の日航ジャンボは、最初、アムステルダムに到着した。午後5時(現地時間)であったが、日本時間では言えば深夜1時はとっくに過ぎていた。

 アムステルダムといえば、オランダの代表都市なのに、駅前の歩道の悪いこと。びっくりした。道路の整備されていない様は、日本で言えば昭和二十年代の後半から、三十年代初め。 
一九三〇年代から建物は残っているのだろうか。まるで古い洋画のセット、五、六十年前にタイムスリップしたような雰囲気の街だった。

 アムステルダムの駅前の石畳がガタガタ。昭和30年代の都電を連結したような電路面車が通勤帰りの客を満杯に乗せて走っていた。情景としては、なごやかでいい感じではあるが、効率的ではない。車のついたトランクを滑らかに走らせる道路ではない。

 まだ夕方だからとアムステルダムの街を見ようと出掛けた。運河の側の歩道には車がズラッと違法駐車している。東京なら確実に違反切符を切って罰金をとるだろう。運河沿いのスペースはそんな車で一杯。

 絵奈は一回しか行ったことのないのに「アンネの家」を案内すると歩き始めた。アムステルダムで有名なのは、運河、アンネの日記、そして「飾り窓」と相場が決まっている。
別に運河の周辺でなくても、飾り窓のネオンはアチコチにある。人通りは少なかった通りにでも、ネオン輝くガラスのショーウインドウがある。一階にあるところもあったが、二階にネオンが輝いた部屋があるのもある。アチコチにネオンのついた館、飾り窓があった。人の姿は見えない。しかしカーテンが閉まっている。「接客中だよ」とこともなげに絵奈はいう。実に言いえて妙である。

 絵奈はスタスタ歩き始めた。「アンネの家」へ迷いながら歩いた。しかし、5時過ぎには閉館することはわかっていたが、アムステルダムにきたら一応ここは行ったと言いたい。外から中をガラス越しに見えるようになっている。

 人の集まる店は少ないが、開いている店は若者で一杯。不思議なことに、必ずテーブルの上は燭台にキャンドルが点されていることだ。ほの暗い明かりが心休めるのかと納得させたが、いまだに疑問が残る。

 食事をと注文したのは、野菜炒めのようなものだが、狂牛病問題でだれも肉は食わないというから、肉は外に出す。店の椅子の上にネコが寝そべっていてどこうとしない。店側もあえて追うこともしないのでネコの場所を避けて座る。

 座ってから料理が出るまでの短い時間の間、店の中に女の人が入ってきて小さな紙切れを私の前に置く。オランダ語は読めないのにと思っていると、他のテーブルも回っている。日本で言えば、店内に入ってきて「お花、買ってください」というようなもの。オランダでは、中年おばさんが、小物のお土産品を買わせようとしている様子だった。「No Thank You」というと静かに引き下がってくれた。ごくあたりまえの営業のような様子にオランダの事情を垣間見た感じだった。

「アンネの日記」世界中で発売されているものがライブラリーとして所蔵されている。日本の本も並んでいた。

 帰ってきたホテルはセントニコラスホテルは、ホテルとは名ばかり、エレベータに乗り込んでびっくり、木造エレベータで貨物用ではないかと思った。

 アムステルダムは、樺太と同じ緯度、2月27日はまだ冬だ。夜明けも遅い。泊まった翌朝、白々と明けてきた街の通りに連結電車が走っている。火曜日、通勤の人で満員。向えのホテルからでた人がタクシーを待って立っている。


 向こうのビルとこっちのビルに張られた線の中央、道路の真ん中辺りに照明の電球がある。日本の街灯は歩道を照らすがここでは路面を照らしている。

 明け方の気温は低い。ホテルの部屋の窓を押し開けると冷たい空気がはいて来る。曇っているが雪も雨も降っていない。しかし、街灯照らされた空には何か舞っているものがある。雪か霧か。そうダイアモンドスノウ(ダスト)だ。北国独特の天候だ。結婚式の朝もそうだった。

 ホテルの食堂で食事を済ませ中央駅に向う。そのときは単なる曇りになっていた。



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