2003.11.2
2 名越切通し/法性寺から逗子・鎌倉にまたがる浅間山へ(前半)
▲逗子と鎌倉の市境の山、鎌倉の南東に、浅間山(せんげんやま)がある。久木(逗子市)と浄妙寺(鎌倉市)にまたがるハイランドの造成で山の東側は削り取られたが、かろうじて山頂が残る。独立峰の小さな岩山に立つと360度のパノラマ。▲「古都鎌倉案内(加藤理著)」は、死都・鎌倉がいかに古都になったのか、その歴史を探っていて興味深い。鎌倉が京都、奈良と並び古都と呼ばれるわりに、国宝や重要文化財が少ないのは、戦乱による焼失と明治時代初期の廃仏の嵐によって、多くの名刹、古刹が破壊されたからだという。大仏が青銅地金の値段で外国に売りに出され(売れなかった!)、鶴ヶ岡八幡宮寺の仏教建築物や仏像が破壊され鶴ヶ岡八幡宮となる。▲武士の都として栄えた鎌倉は、中世の武士たちが放った一瞬の光が消えて、その残照に長い間埋もれるように衰退していったのだという。▲どちらにしろ、中世の残照は山間に残っている。鎌倉の山に、「やぐら」と呼ばれる山肌をくり抜いた横穴式の墳墓があり、昔の風情をとどめる「名越切通し」が抜けている。滅ぼし、亡んでいった中世武士たちの栄枯盛衰・・その記憶が残る山路を歩く。
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●法性寺(ほうしょうじ)
JR逗子駅前から鎌倉駅行き(名越経由)のバスに乗り、法性寺前で下車する予定だったが、時間が合わない。やむを得ず小坪経由鎌倉駅行きに乗り、「久木西小路」バス停で降りて、横須賀線と平行して走る逗子鎌倉街道を法勝寺まで20分程歩く。
横須賀線の踏切を渡ると「猿畠山」の大きな山門が目の前。右側に岩肌を露出した山路を登っていくとすぐに汗ばんでくる。単調な登りの最後に階段を上がると山の中腹で仏殿が迎えてくれる。
法性寺は日蓮の弟子・日朗が開山したと伝える鎌倉時代の古刹。名越あたりには日蓮ゆかりの寺がいくつか点在する。
仏殿の脇に小さな岩山があり、石段を登ると「お猿畠」と呼ばれる見晴らし台のような場所に出る。ここが「猿畠山」の山頂だろうか。
伝説によると、日蓮が焼き討ちに遭ったとき、白い猿が現れ、この岩山に導き、岩窟に身を潜めて危急を救ったという。山の岩面には岩窟があり、格子扉の中は薄暗く奥に石塔が建っている。
●猿畠山
日蓮の危急を助けるときになぜか白い猿が現れる。
房総から三浦半島へ渡ろうとした日蓮が猿島に漂着したときも白猿が現れたという伝説を聞く。
山頂は狭いが南に視界が開けすがすがしい。低い稜線をひく山すじが逗子駅方面に伸び、その間に久木の町並みが細長く続く。その向こうに、阿部倉山、二子山の葉山あたりの150〜200mの稜線が低い壁になって横たわる。
猿畠山からは、法性寺の墓園の脇を抜けて行く。
途中、山肌に「やぐら」と呼ばれる墳墓がいくつも口を開けている。山全体が、中世から現代まで時代を超えて墓園になっているような雰囲気。鎌倉では「山」はそういう場所なのかもしれない。
やがて、すり減った石段が上へと続く場所に出る。
狭い山路に、枯葉が苔むした石を覆うように積もっているのを見ると、山の中に徐々に入ってきた雰囲気になる。深呼吸をして山の冷(霊?)気が入った空気を吸ってみる。
南(左側)に落ちた細い尾根路を登りきった辺りに、大きな洋館が建っている。高い塀に囲まれ人気のない山の中の洋館はミステリアスな雰囲気。洋館の脇路を抜けると落葉樹と照葉樹に囲まれた広場のような場所に出てくる。中程に石碑が建ち、近寄るとそれが無縁仏を弔うものであることがわかる。
●名越切通し
無縁仏の石碑がある広場からは、ほんの少し下ると、大きな岩石が寝そべっている名越切通しに出る。岩山を切通すときに、大岩が転がり落ちたものか、要塞である鎌倉への騎馬の進入を防ぐために故意にそうしたのか?
鎌倉七切り通しの一つ。鎌倉の南東にある「名越切通し」は、三浦半島へ抜ける要路。北条氏が三浦半島に拠点を置く三浦一族の残党による鎌倉攻めに備えたのかも知れない、と想像しても中世鎌倉時代は深い霧の中だ。でも、三浦一族が名越切通しを越え、鎌倉を攻めることはなかった。
夏に鬱蒼とした切通しは秋には広葉樹の葉が落ちて木漏れ陽が地面へ届く。
岩壁には手彫りのノミの跡が残る
●曼茶羅堂跡
ひとまず、切通しを左(岩が寝ている方)へ。
秋の木漏れ日が気持ちいい素朴な山路。地形図(1万分の1)を見ると、北に鎌倉大町、南西方面に逗子小坪の亀が丘団地、東方面は鎌倉逗子ハイランドの大住宅地に挟まれた小さな山。その山に横須賀線の名越トンネルが貫通する。
やがて、曼茶羅堂跡へ登る石段が見つかる。
鎌倉戦乱の記憶が眠るやぐら群がこの上にある。昔は仏像を祭るお堂もあったが、最近まで荒れた場所になっていたという。一昔前まで、人骨の白い細片が散乱し、荒涼とした中世の墓園の姿を留めていたらしいが。丘に登れば、鎌倉市街を眼下に、遠く富士山も望める所だという。現在は文化財調査のために閉鎖中。史跡が整備されて公開される日を待ちたい。
名越切通しが抜ける山に、「やぐら」と呼ばれる横穴が口を開けている。小さなものから、人が何人も入れるものまで大きさは様々だ。山路はやがて垂直に切り立った狭い難所に出てくる。上を見上げると、今にも岩が崩れてきそうな感じ。ここも、国指定史跡である名越切通しの保存工事中。
巻き路を越えて往くと、山路が途切れて、亀が丘団地のはずれに出てくる。いきなり出くわした現代の風景に立ちつくしていると、団地を登ってきた人が声をかけてきた。山を歩く人のために案内ボランティアをしているその方は、紙に地図を書いてくれた。何カ所もある山への入り口を自転車で回りながら調べているという。
再び山路を戻り北東方面へ、逗子と鎌倉の境にある孤高の山をめざした。