父は大正5年生まれ。88歳になった。

10年以上前だろうか。
私は仕事で使っていたワープロを新型に買い換えて、
使い古したワープロは実家の片隅に置かれた。
いつしか、ほこりをかぶり、その存在も忘れていった。

しばらくして、古いワープロが右手の人差し指が選ぶ文字をゆっくり打ち始めた。
きっと、また誰かが使ってくれることをワープロは待っていたのだ。

人差し指1本でぎこちなく文字を選びながら・・、
再び使われ始めたワープロが、やがてカタカタとリズムを刻むようになった。
刻まれた文字が、半世紀以上も昔の記憶を呼び覚まし、
私の知らない“父の青春”を紡いだ。

「ハルハ川」というタイトルが付けられた手作りの本のページをめくると、
ところどころ、うまく文字が打てなかったのだろう・・
手書きで訂正してある箇所がある。
80歳を過ぎて習い始めたワープロに、父はかなり手こずったに違いない。

ハルハ川は、モンゴル高原を流れる大河。
太平洋戦争が始まる前、
日本の関東軍とソ連・モンゴル軍による、国境線をめぐる紛争が起こった。
日本では
ノモンハン事件と呼ばれるこの戦争は、
外国では「
ハルハ川戦争」と呼ばれる。

シベリア抑留体験を持つ父の口から、
その戦争体験が語られたことはほとんどない。
いや、若かった私が父が語る昔話を聞きたがらなかったのかもしれない。

「ハルハ川」という手作り本に込められた父の青春の記憶は、
戦後、時代のめまぐるしい流れの中で、
いつしか胸の奥底にしまわれていたものだと思う。

戦争体験の風化が著しい。
それを体験した証人へ直接話を聞く機会はあまり残されていない。

半世紀以上も昔の青春時代の記憶・・ある老人の“戦争体験記”から、
その一端を知っていただくことだけを願う。


管理人toshi

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 「ハルハ川」・・ある戦争の記憶